俺は貴様を、許さんぞ‼

 木曜日のお昼。チャイムが鳴り、昼休みが始まる。いつもの通り、お昼を食べに行こうと優子は後ろの席の留実に振り向く。


「あ、ごめん優子、あたし今日お昼寝だから」

「ああ、そうだっけ! わかった。行ってらっしゃい」

「うん、じゃあね」


 そう言って留実は一人で教室を出て行ってしまう。お昼寝とは、文字通りのお昼寝の事である。昔から、週に三日程度は昼休みに気に入った所で寝るのが留実の習慣であった。

 後に残された優子がお弁当を出そうとカバンをガサガサと漁っていると、後ろから聞き覚えの無い声に呼びかけられる。


「あ、あの……柴崎さん」


 聞き慣れない声に後ろを振り向くと、そこにはおかっぱ頭にメガネをかけた、見覚えのある冴えない男子が立っていた。


「あー……えっと確か……須藤くん?」

「あっ、えっと、うん……名前、覚えてくれてたんだ」


 人と喋るのがあまり得意ではないのか、少しぎこちない受け答えをする須藤と呼ばれた男子。席が留実の後ろにあるので、優子もかろうじて覚えていたようだ。


「どうしたの?」


 今まで全く喋った事のない相手なので、優子としては疑問だらけであった。まさか突然一緒にお昼を食べようだなんて言い出しはしないだろうが、少々警戒するところである。しかし、須藤の次のセリフによって、優子が抱いていた不信感は一気に吹っ飛んでしまった。


「ぶ、ぶいちゅー部の事で話があるんだ!」

「えっ⁉」


 その言葉に、心を躍らせる優子。ついに来たかと目を輝かせている。


「わかった! 待ってね、他の部員も呼んでく――」

「あああああ待って待って! そのことなんだけど!」

「ん?」


 席を立って龍之介たちを呼びに行こうとする優子を、須藤は必死に制止した。


「えっと……まずは柴崎さん一人に話を聞いてもらいたいんだ。あまり人に聞かれたくないから、ちょっと別の場所で……」

「あっ、そうなの? わかったわかった! 行こ!」


 テンションが高く明るい表情の優子に対して、お腹でも下しているんじゃないかという雰囲気の須藤である。普通ならば良い話をする雰囲気ではないだろうと気づくところであるが、ぶいちゅー部の名前を出されてしまっては、優子としては他の事など気にかけている場合ではなかった。

 そのまま須藤に案内される形で、彼女は校舎の外へと連れていかれる。人に聞かれない場所、体育倉庫を目指して。



 φ



 一方その頃、場所は少し変わって中等部の校舎。午前の授業が終了し、同級生の友人と机を囲む麗華の姿があった。お昼の弁当を食べる前に、イヤホンをしてスマホを開き、ソーシャルゲームの体力消費タイムである。

 ポチポチとゲームを遊んでいると、BGMとは別の何か気になる音声が流れてきた。


『ぶ、ぶい――部のこ――なしがあ――だ!』


 音声はノイズ交じりのとぎれとぎれであるが、しかしその内容が若干気になりゲームを進める手が止まる麗華であった。


『待っ――員も呼んでく――』

『ああ――って待って!』


 優子の物と思われる声の後に、何やら焦る男子の声が聞こえてくる。


「こーれは……なんか起こってんなぁ……」


 その音声の不信感にいち早く気づき、小声で呟く麗華であった。


「ごめん、レイ用事思い出した! 先に食べてて!」

「はーい!」


 一緒に机を囲んでいた数名にそう言い残し、麗華は教室を後にした。



 φ



 場面は再び優子と須藤のシーンに戻る。彼の誘導のままに、優子は体育倉庫の前へと連れられてきたのであった。なぜか倉庫の扉は開いており、須藤は何食わぬ顔でその中へと入っていく。


「ごめんね、こんなところまで連れてきて。木曜日は五限目に体育の授業が無いから、ここなら誰にも聞かれないんだ」

「えっ? う、うん……」


 ここまで無言で案内した須藤が突然、それも教室の時と比べて流暢に喋り始めたので、何やら違和感を覚える優子である。そんな優子に構いもせず、須藤は話を続けた。


「さあ、話をしようか、柴崎さん。ぶいちゅー部の話を……」

「いいけど、須藤くん、一つだけ聞いてもいいかな?」


 流石に何かがおかしいと感じたのか、さきほどまでワクワクしていたテンションを抑え、優子は須藤の目をしっかりと見つめて問うた。


「まだ二週間目なのに、どうして今日ここが使われないのを知ってるの?」


 そう。確かにその事実には違和感がある。入学して早々、学園の全時間割を把握することなど無理な話である。体育の授業だけ確認するにしても、それができるのは体育委員だけである。先週決めた他人の委員会などいちいち覚えてはいなかったが、優子のクラスの体育委員は留実であった。


「ああ、そうだね……それはね、が教えてくれたんだよ……」

「先輩……?」


 明らかにおかしい。今からぶいちゅー部の話をしようとしているのに、彼の口から先輩という単語が出るというのはどういう事なのか。


「ね、城ケ崎先輩」


 そういって彼が見ているのは、優子ではなくその少し後方、体育倉庫の入口のあたりであった。これに気づいて彼女が体ごと振り向いた時、入口の扉がバタンと大きな音を立てて閉まる。そこに仁王立ちしていたのは、綺麗な短髪の、非常に悪い顔の男。城ケ崎蓮司であった。


「ふっふっふ……よくやったぞ須藤……」


 その大男はニタっと笑い、作戦の成功を確信する。不気味な表情のその男に、しかし優子は物怖じせずに自ら問いを投げかけた。


「なんですか、あなた。私に何の用ですか……」


 城ケ崎先輩と呼ばれた男に、明らかな敵意を向ける優子。それもそのはずである、自ら教室に出向いて話をせずに後輩に迎えに行かせたその行為、よからぬ企みをしているのは一目瞭然。それに加えてこの悪意を隠さぬ顔である。警戒しない方がおかしかった。


「なあに、心配する事はない。あんたにはちょいと人質になってもらいたいだけさ。柳川を脅すためのな」


 脅す、という言葉により一層警戒し、身を構える優子。それっぽい立ち方をしてはいるが、彼女に武道の経験はおろか、運動すらまともに取り組んだことはない。ただ見栄を張っているだけである。

 柳川。兄と妹、どっちの事を言っているのかは定かではなかったが、しかし脅すとなると自分にとって不利益なのは間違いない。優子は虚勢を張ってこう言い返した。


「あなたが誰なのかはわかりませんが、悪人であるということはよくわかりました。残念ですが協力はできません」

「ふっふっふ……その必要はないよ、あんたは無理やり縛り上げるだけだぁ!」


 途端、城ケ崎は優子を目掛けて全速力で駆け込んでくるのであった。



 φ



「いただきます」


 教室で手を合わせ、いつも通り豪勢なお弁当を広げる龍之介。今日は凛太朗と二人で机を囲んでいる。


「二人とも来ないね。どうしたんだろう」


 向かいに座る凛太朗がパンの袋を開けながら言った。昼休みが始まって数分、いつもなら四人で机を囲んでいる時間であった。


「留実は昼寝だろう。朝から眠そうにしていたしな」

「柴崎さんは?」

「トイレにでも行ってるんじゃないか? 女子なんだ、いろいろあるだろうさ」

「そだねー」


 何の気なしに二人が先に弁当を食べ始めていると、教室の扉が勢いよくバァンと音を立てて開く。教室中の注目を集めたその音に二人も視線を向けると、そこにいたのは意外な人物だった。


「ハァ……ハァ……兄ちゃん!」


 息を切らしながらこちらに対して呼びかけたのは、普段はここに来るはずのない麗華であった。その様子の異様さに気づいた龍之介は、すぐさま立ち上がり彼女の方へと歩み寄る。


「どうした、レイ!」


 今にも倒れ込んでしまいそうな程に疲弊している麗華の肩を、龍之介はガシッと抑えてゆっくりと座らせた。どうやらここまで全速力で走ってきたらしい。


「ハァっ……シバっちが……危ない!」


 事の重大さに気づいたのか、凛太朗も傍までやってきた。


「レイちゃん、落ち着いて説明して」

「ダメだ、そんな時間は無い! ルミ姉は⁉」

「ここにはいない。たぶん昼寝中だ」

「くそっ、こんな時に! いいや、二人とも、途中で説明するからついてこい!」


 それだけ言うと、麗華はすぐさま駆け出した。優子が危険であるという情報のみを与えられた二人は、とにかく言われるがままに彼女についていく。


「レイ、いったい何があったんだ」

「簡単に説明するぞ! シバっちに仕掛けてた盗聴器から、さっき妙な会話が聞こえてきたんだ! 注意して聞いてたんだが、どうやら誘拐まがいの事件に巻き込まれてる!」


 シバっちに仕掛けてた盗聴器、というとんでもないワードが飛び出したが、今はそこに突っ込んでいる場合ではなかった。


「誘拐だと⁉ それで、優子は今どこに?」

「体育倉庫だ! こっち!」


 曲がり角を的確に判断し、二人を体育倉庫まで最短距離で誘導する麗華。最近入学した二人と違って既に二年ここにいるので校内の地図は完全に把握している。


「なるほどね、それで留実を探してたわけか」


 納得したように凛太朗が口を挟む。確かに、相手が暴力的手段に出るような人物である場合、彼女がいた方が数百倍は安心であった。


「で、相手はどんなやつなんだ? 生徒か?」


 なるほど確かに、大事な所である。もし相手が屈強な大人である場合、闇雲に駆けつけても返り討ちにあうだけであろう。


「たぶん生徒だ! 一人はシバっちと同じクラスで、須藤って名前だ。もう一人の素性はよくわからんが、城ケ崎って名前が聞こえた!」

「なっ……」


 聞き覚えのある名前に反応し、眉をぴくりと動かす龍之介。城ケ崎なんてそう多い苗字ではない。この校内にいるとすれば、十中八九は奴であろう。


「なんだ兄ちゃん、知り合いか⁉」

「捉え様によっては知り合いだが……あのクズめ、そう来たか……」


 普段は冷静沈着な龍之介が、珍しく頭に血を登らせているらしい。顔面の血管がいくつか浮き彫りになるほどであった。


「よくわからんが、悪人なんだな⁉」

「ああ、そうだ。俺が今まで見た人間の中でも特に黒い。真っ黒に歪んだ感情を持っている」

「とにかく、急ごう! レイちゃん、体育倉庫はまだ?」

「ここだぁ‼」


 渡り廊下をぶった切り、校庭の端っこに出た三人。校舎用スリッパのままでズザザっと土の地面にブレーキをかける麗華であった。


「……扉が閉まってるな。いったん近づいて中の様子を……」

「うおおおおおおおおおおお‼」


 麗華が冷静に状況を分析している横を、全速力で駆け抜けていく龍之介。もはや彼を止められる術は無かった。

 スガンと鈍い音を立てて、内側から鍵をかけてあった扉にタックルを決める。高身長であったのが幸いし、古い扉は一撃で破壊することができた。


「ハァ……ハァ……優子!」

「何⁉」


 大きな音に反応して倉庫の入口へと振り返る城ケ崎。鍵をかけたはずのその扉は突き破られ、そこから漏れ込む日光の中に、彼が最も憎む男の影が写されていた。


「城ケ崎……やってくれたな……俺は貴様を、許さんぞ‼」


 一歩ずつ、その足を彼の方へと進める龍之介の姿は、まさに鬼の形相であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぶいちゅー部! 越山嘉祈 @tabeho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ