新人バーチャルYouTuberの日向明星です!
午後五時過ぎ。ぶいちゅー部の部室では、凛太朗のスタートダッシュ大作戦が着々と進行していた。彼が自己紹介用の動画の台本を書き上げ、優子が読み上げのリハーサルをしている間に麗華が動画用の字幕に変換する。
動画の背景を十種類ほど描き終えた龍之介は、自己紹介動画のサムネイルに使用するイラストを描き始めていた。サムネイルとは、YouTubeを観る人ならば分かると思うが、動画リスト等が出ている時に表示されるタイトル画像のような物である。VTuberには自分の二次元モデルをそのまま流用してサムネイルを作る人もいるが、素早くイラストが描ける人間がいるのであれば動画ごとに絵を描き下ろした方が断然伸び方が違うという凛太朗からのお達しであった。
「――日向明星でした! チャンネルの入部とツイッターのフォロー、よろしくね!」
数回に渡って繰り返された優子の発声練習が終了し、部室に一瞬の沈黙が訪れる。ハッとした優子は、椅子を回してクルッと後ろに向き直り皆に声の感想を確認する。
「こ……こんな感じかな?」
初めての動画収録なだけあって、流石に少し照れくさそうにしているが、しかし優子の発声は見事なものであった。キャラを作らず、あまり演じている感を出さずに日向明星に成りきるとは言ったものの、台本を読み上げている彼女は普段とは打って変わって堂々としており、その声もよく通っている。とても初めての発声練習とは思えないクオリティであった。
「すごい……すごいじゃないか柴崎さん! まるで声優さんみたいだ!」
声優さんみたいは流石に言い過ぎだろうが、凛太朗としてはあまり大袈裟に褒めたつもりでもなかった。
「そんな……えへへ、ありがとう」
先刻の決断以来、何だか優子の目が少しキリッとして、肝が据わったような雰囲気を醸し出している。身バレを恐れずに弾丸デビューを決行するという、VTuberとしては無謀とも取れる作戦であるが、それすらも青春という言葉で昇華できてしまうのは学生の特権なのかもしれない。
「よし、それじゃ動画撮ろっか! 龍之介、レイちゃん、作業中断!」
凛太朗の掛け声が上がるのと同時に、龍之介は持っていたタッチペンをズバッと掲げ、麗華はキーボードのエンターキーを『ッターン!』と叩いてみせる。
「ちょうどイラストのラフが終わったところだ」
「レイも、字幕用の書き出し終わった」
「ま、マジかお前ら……」
長年の付き合いがあるとはいえ、やはりこの兄妹の作業速度には毎回驚かされる凛太朗であった。
「よし、じゃあ音声収録開始! なるべく物音を立てないように! シーン
カーン! と、実写動画を撮るというわけでもないのにどこからか取り出したカチンコを綺麗に鳴らす凛太朗。いやそれやりたかっただけだろうと突っ込みたいのを必死に堪える龍之介と麗華であった。
「っふぅーぅ……こんにちは! 今日も放課後、楽しんでる? どうも、新人バーチャルYouTuberの、日向明星です、よろしくお願いしゅまっ……ふっ……」
一瞬の沈黙の後、優子がプスっと吹き出すと、部室は一気に笑いに包まれた。
「あっはははは! ごめんごめん、やっぱ本番になると緊張するね!」
「すっごい噛み方したなぁシバっち! よろしくお願いしゅまって!」
「んもう! よし!」
掛け声とともに、優子は両手で頬を軽くパチンと叩く。
「次はちゃんとやってみせる!」
「おっけー! じゃあ気を取直して、撮影再開!」
案の定というべきか、もうカチンコは鳴らさない凛太朗だった。
「こんにちは! 今日も放課後、楽しんでる? どうも、新人バーチャルYouTuberの日向明星です! よろしくお願いします! 今日からVTuberを始めることになったので、自己紹介をしたいと思います!」
ふぅっと一息つく優子。ちなみに、凛太朗が作った台本にはこのタイミングに編集点と書かれていた。一旦映像を意図的にカットし、アイキャッチの様な物を入れて動画をそれっぽくするタイミングの事である。
いったん深呼吸して、優子は再び台本を読み始める。
「まず名前なんですが、さっきも名乗った通り、日向明星と言います! 日に向かうと書いて日向、明るい星って書いて明星です。かっこかわいいでしょ! えへへ。名前の由来は、まだ秘密です! 部員さんがいーっぱい増えたら、いつか教えてあげるね! あっ、部員さんっていうのは、このチャンネルの登録者さんの事! どうして皆の事を部員さんって呼ぶかっていうと、それは私が動画を撮っている場所と関係があります!」
最初のカットのミスを物ともせず、スラスラと原稿を読み上げていく優子。読み上げる、と簡単に言っているが、同時進行でカメラから表情を認識して日向明星のモデルを動かすという作業までやってのけているので、実はいろんな事に気を遣わなければならない。
もちろん優子が受肉するのは今日が初めてなので、いままでモデルを動かす練習などできなかったはずだ。しかし、画面の中の日向明星は滑らかに、まるで本当に生きているかのように、優子の声と動作に合わせて動いている。この作業を、彼女はおそらく意識せずに行なっている。すなわち、生まれ持った能力。彼女はVTuberとしての天才なのかもしれない。そのことに、画面調整をしていた麗華は気がついたらしく、息を飲んで彼女の動きを見守っていた。
ちなみに、台本の中にあったチャンネル登録者やファンの事をキャラに合わせた名称で呼ぶのも、VTuberとしての文化のような物である。本人のキャラに合わせて、ファンの呼称も先輩、眷属、国民等といった風に様々である。
「私が動画を撮っている場所とは! そう! なんと本物の、学校の部室なんです! 実は私、『ぶいちゅー部』っていう名前の部活動で部長をしていて、部活には台本を考えてくれる人や、動画を撮る機材を用意してくれる人や、衣装を作ってくれる仲間がいます! だから皆、ぜひうちの部員になってぶいちゅー部を大きくしてね!」
ここでまた優子は一息ついた。編集点である。この後は、好きな食べ物や好きなゲーム、やってみたい事など、特になんの変哲もない一般的な自己紹介を続ける。目を引くのは冒頭だけにして、あとはごく普通の女子高生を演じるのが吉であるという、凛太朗の作戦である。
収録時間にして実に
「みんな、私のこと覚えてくれたかな? それじゃあ、今日の活動はここまで! 部長の日向明星でした! チャンネルの入部とツイッターのフォロー、よろしくね!」
最後に大きく深呼吸をして、優子は椅子に深くもたれかかった。
ぱちぱちぱちと、背後から手を叩く音がする。振り返るとそこには、にこやかに微笑んで優子の顔を見つめている龍之介の姿があった。
「お疲れ様。素晴らしい演技だった。その努力に応えられるよう、俺も精いっぱい絵を描こう」
「ありがとう、龍之介! ねえ麗華ちゃん、編集する前に一度録画データの確認してる余裕あるかな? 最初の動画だから、完璧にしておきたくて……」
「おう、いいぞ! リンリンの予定よりはちょっと押してるが、レイは大丈夫だ! 一緒に確認しようぜ!」
「うん!」
最年少にも関わらず、やはり麗華は非常に頼もしい存在である。
「では、俺はサムネ用イラストの仕上げに入ろう。爆速で完成させなければならないな」
「ありがとう! よろしく! リンちゃんも、一緒に録画確認して!」
「はいよ!」
三人はヘッドホンを装着して、真剣に無編集の録画データに聞き入っていた。普通、自分が喋ったビデオの録画を無言で聞くというのはなかなかに羞恥心の発生する行為であるが、もはや優子にとってそんなことは屁でもないといった調子である。
その間約十分、龍之介はただひたすらにペンを走らせていた。タッチペンでの電子イラストが作業のメインになってからはや数日、その筆が走る速度は既にアナログで描く時のそれと同等のレベルにまで達している。こと日向明星のイラストを描く時に関しては、やる気スイッチのオンオフもある程度自在にできるようになっていた。
『部長の日向明星でした! チャンネルの入部とツイッターのフォロー、よろしくね!』
「あっ……」
ヘッドホンから聞こえる音声に耳を傾けていた優子が、最後の下りにわずかな反応を示した。
「気になったか、シバっち……」
「うん。麗華ちゃんも?」
「ああ……」
「えっ、どこどこ?」
どうやら凛太朗が聞き逃すレベルの些細なミスが発見されたらしい。
「最後の『日向明星でした』の所、ちょっと声が上ずっちゃってる……きっともうすぐ終わりだと思って気を抜いちゃったんだ……」
「ほ、ほんとか……? レイちゃん、もう一回聞かせてくれ」
件の音源の所まで戻し、今度は凛太朗もしっかりと耳を澄ませて確認する。
『部長の日向明星でした!』
「ああ、今の所か……確かにじっくり聞いてたらわかるかもしれないけど、そんなに気になる……?」
「うぅ……やっぱ気になる……お願いリンちゃん! もっかい最後の挨拶だけ撮らせて!」
「えぇ、でも編集作業が増える事になるし、そろそろ時間が……」
パソコンの画面右下に表示された時刻は既に五時半を回っており、これ以上編集の開始が遅れると七時の部室棟施錠に間に合わない可能性が出てくる。どうしても今日中に投稿しなければいけない作戦のため、凛太朗はかなり渋った表情を見せた。
「大丈夫だ、リンリン。やらせてやれ」
「えっ」
画面を見つめていた目を横に向けると、そこにはキラリとメガネの奥の目を光らせ、にっしっしと笑っている麗華の顔があった。
「いやでも……」
「レイは一時間あれば大丈夫だ! 納得のいくまでやろうぜ!」
「そ、そうか……」
自信とやる気に満ち溢れたその目に、凛太朗も半ば納得しかけている。
「いやでも、今から撮るとなると龍之介の作業を中途半端に止める事に――」
「誰の作業を止めるって?」
凛太朗の声を遮るようにして、またも自信に満ち溢れた声が、今度は背後から聞こえてくる。振り返ると、そこには華麗なポーズとどや顔でタブレットを抱えた龍之介の姿があった。
見るとそのタブレットには、躍動感あふれる明星の立ち絵に、『自己紹介』『私が部長!』の文字が綺麗に埋め込まれたイラストが輝いていた。
「えっ……まさか、もう完成したのか⁉」
今までの記録を塗り替えるのではないかと思われるその速度に、凛太朗は自分の目を疑う。
「少し俺を見くびりすぎだな、凛太朗」
言うとと彼は優子の方へと視線を向けて、こう告げる。
「これで何も気にしなくていい。レイが大丈夫だと言った時は大丈夫だ。六時まで、納得の行くように録画してくれ」
「ありがとう、みんな!」
三人の顔をぐるりと見まわして、嬉しくも呆れたような表情を見せる凛太朗。
「全く、化け物だらけだね、ここは……レイちゃん、準備できてる?」
「おうよ! いつでも行けるぞ!」
「柴崎さんは?」
「大丈夫! 一発で決めるよ!」
「よし! じゃあラストシーン再録、スタート!」
気分が乗ったのか、再びカチンコを綺麗に鳴らす凛太朗。この音には複数台のカメラの音合わせをする目的がある他に、現場の役者の士気を高める効果もあると言われている。その甲斐あってかどうかは分からないが、優子は本当に一発で綺麗に台本読みを遂行した。
『みんな、私のこと覚えてくれたかな? それじゃあ、今日の活動はここまで! 部長の日向明星でした! チャンネルの入部とツイッターのフォロー、よろしくね!』
ヘッドホンを耳に当てて、真剣に再録データを確認する優子。心なしか、明星の表情も先ほどのデータより輝いて見えた。
「うん、完璧!」
「おっしゃ! お疲れシバっち!」
「ありがとー!」
全ての力を出し切ったのか、優子はそのままフラフラとソファの元まで歩み寄り、ドサっと
「あとは任せとけ! 一時間で完璧に編集してやらぁ!」
「よし、じゃあ僕は動画ページの編集とツイッターの更新! 龍之介、さっきのイラストこっちに送っといて!」
「了解した」
ピピピと簡単な動作でイラストを凛太朗の元に送信すると、龍之介はソファで溶けたように伸びている優子と目があった。
「お疲れ様。あとはあいつらに任せておけば大丈夫だ」
「うん、ありがとう。龍之介もお疲れ様」
火照った顔でニコっと笑う優子。優しい笑顔の中に、何か新しい、強さのような物を感じる龍之介であった。
「よく頑張ったな。コーヒー飲むか?」
「うん!」
コーヒーを淹れる音と、パソコンに向かって作業する二人分の音。何の言葉も発されない静かな空間に、大きな幸せを感じる優子だった。
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