行ってきます!
カタカタカタカタ――ッターン‼
無言が続いていた作業場に、綺麗なエンターキーの音が鳴り響く。
「ん~~終わったー!」
麗華がヘッドホンを外し、高らかに宣言する。彼女が使っていたパソコンの画面をのぞき込むと、そこには完成した動画が再生されていた。
「お疲れ様、コーヒー冷ましてあるぞ」
「おぉ~~~、助かる!」
絶妙にビブラートをかけた感謝の声とともに、麗華は先ほどの優子と同じようにソファへと座り込んだ。
入れ替わるようにして優子がパソコンの元へ行き、完成した動画の確認を始める。時刻はまだ六時四十五分。五分ほどにまとめられた動画を確認して七時までに投稿するには、充分すぎる余裕があった。
「んっんっんっ、ぷはぁ~~~~、生き返る!」
常温に冷めたコーヒーを一気に飲み干してソファに横になる麗華。おおよそ、普通のコーヒーの飲み方ではないがこれが彼女にとっての日常である。
「いやぁ、一時間頑張った後の常温コーヒーは格別ですなぁ」
目を細くして幸せそうに感想を述べる麗華。編集は一時間あれば間に合うと宣言して、実際には五十分もかけずに完成させた。長年培ってきたコンピューターに関する知識と技術があるからこそ成せる技である。
「すっごい……」
麗華がソファで横になってくつろいでいると、動画の確認を終えた優子がヘッドホンを外し呟いた。
「すごいよ麗華ちゃん! 見やすい動画になってる! セリフのテンポとか字幕の入れ方も凝ってて、見てて全く飽きない! それに龍之介が描いてくれた背景もいい感じにマッチしてる! すっごい!」
龍之介が何枚か描いた中から選ばれた背景は、部室をデッサンしてアニメのような画風に加工した物だった。
優子がひとしきり褒めちぎっていると、ソファでくつろいでいた二人が調子に乗り始める。
「ふっふっふ……優子よ、俺たちを誰だと思っているんだい?」
「ぁ鈴白のぉ、
何故か歌舞伎のような喋り口調できりっと決める麗華であった。
「ふふっ。リンちゃん、投稿お願い!」
「おっけー! 他の準備はできてるから、すぐに完了するよ」
言いながら、パソコンをカタカタと操作し始める凛太朗。数秒の後、動画のアップロード進捗を示すバーが表示され、一瞬で右端まで到達した。
ちなみにここに引かれているインターネット回線は学校の物ではなく、麗華が勝手に業者を呼んで設置した超高速ネットワークである。最早やりたい放題に改造された部室となっていた。
「あとはここをクリックすれば動画が投稿される。柴崎さん、お願い」
「えっ、私?」
優子はきょとんとした表情で凛太朗を見つめる。柳川兄妹の方に顔を向けると、二人ともにっこり笑っていた。
「いいんじゃないか、記念すべき最初の動画だぞ」
「そうそう! シバっちがいなきゃ、ぶいちゅー部も始まらなかったわけだし!」
三人の顔をゆっくりと見まわし、最後にパソコンの画面に向き直った。
「よし、じゃあ押します! ぽちっとな!」
YouTubeの画面が動き、ページが更新された。
「スマホから確認してみようか」
龍之介は動画が投稿されるなり、自分のスマホで日向明星と検索する。ちゃんと動画がヒットし、再生すると自己紹介が始まった。
『こんにちは! 今日も放課後、楽しんでる? どうも、新人バーチャルYouTuberの日向明星です! よろしくお願いします!』
パソコンの大きな画面が沢山あるのに、ソファの横から後ろから、皆で一台のスマホの画面をのぞき込むぶいちゅー部の面々であった。
「始まったんだね、ついに……」
「ああ、そうだ。まだ始まったばっかりだ」
優子のやり遂げた感のある『始まった』に対して、龍之介の『始まった』はこれからをしっかりと見据えた物であった。
「とにかくみんな、今日はお疲れ様!」
現状一番疲れているであろう麗華から出た言葉である。本当によくできた最年少だ。
「さーってと、んじゃあ明日のスピーチも練りますかぁ――」
凛太朗が意気込んだ時、突然部室の扉がバタンと勢いよく開く。
「ちょっとあなたたち! 施錠時刻過ぎてるわよ!」
見るとそこには、仁王立ちして腕を組んでいる生徒会長、東雲桜の姿があった。
「げげっ、か、会長……‼」
最近まで一緒に仕事をしていた麗華が真っ先に反応する。その恐ろしさを熟知しての反応だろう。
「すすす、すびばせん! すぐに帰ります!」
あれだけソファでゴロゴロしていたというのに、一瞬でぴしっと身なりを整え直立する麗華。非常に慌ただしい一日は、大きな進捗を生んだ末に会長のお叱りの一言で幕を閉じたのであった。
φ
『以上! ぜひ一度、女子水泳部に見学に来てくださいね! ありがとうございましたー!』
『はい! 女子水泳部のみなさん、ありがとうございました! では次、柔道部の方、よろしくお願いします!』
水曜日の昼休み、放送部主催の部活動アピールコーナーが始まっていた。ぶいちゅー部の枠は柔道部の次。つまり、出番までおよそ一分を切っている。初めての生放送がYouTube上ではなく学校の放送という稀有な体験をすることになった優子は、これまた心拍数が増加しつつあるのであった。
昨日、施錠時刻を過ぎてお叱りを受け、慌てて解散した後、凛太朗は帰路の電車で爆速で原稿を仕上げた。あくまでもバーチャルYouTuberの日向明星が喋るという原稿内容で構成されており、そのインパクトは他の部活よりも大きな物になるだろう。ちなみに、本日の一限目開始までに放送部に原稿を提出するという取り決めだったため、もう変更は効かない。あとは勝負あるのみである。
「優子、大丈夫か?」
彼女の緊張を察してか、付き添いに来ていた龍之介が声をかける。日向明星が喋るという設定の都合上、優子が原稿を読む以外の選択肢は無かった。あまり大勢で付き添いに行くのもかえって緊張を煽ってしまうだろうという判断の元、龍之介が一人での付き添いを申し出たのであった。
ちなみに今日、留実は女子水泳部の付き添いに来ているので凛太朗は教室で独りぼっちという珍しい状況である。固唾を飲んで、ぶいちゅー部の出番を今か今かと待っていた。
「う、うん。少し緊張してるけど、でもきっと大丈夫。いっぱい練習したから!」
注視しなければわからない程度であったが、今朝の優子の目にはうっすらとクマができていた。昨日数回の練習のみでほぼ完璧な動画収録をして見せたのである。寝る間も惜しんで練習した、しかも一分程度のスピーチだ。大丈夫なはずだと、自分自身にも言い聞かせるように返答する優子であった。
『押忍! 以上です押忍! 柔道部をよろしく押忍!』
『はい! 柔道部の方、ありがとうございました! では次、ぶいちゅー部の方、よろしくお願いします!』
ついに優子の、明星の出番が回ってきた。唾をごくりと飲み込み、一度深呼吸をする。スタジオに入ろうとする彼女の背中に、龍之介が最後に一言声をかけた。
「優子、安心していい。結果がどうあれ努力はきっと裏切らないと、いつもお父様が言っていた」
龍之介には、特段気の利いた言葉をかけてやるような語彙力もなく、とっさに出たのが父からの受け売りの言葉だったのだろう。その言葉に、優子は緊張していた口元を緩めニコっと笑い、こう言い残してスタジオに入って行った。
「行ってきます!」
控室の龍之介、各々の教室の凛太朗と麗華。みなそれぞれ一人で黙り込み、スピーチの成功を祈る。
『それでは、ぶいちゅー部の日向明星さんです、よろしくお願いします!』
ついに彼女の出番が回ってきた。名前の紹介に関しては、凛太朗が原稿を提出した時に放送部の人が気を利かせてくれたらしい。
泣いても笑っても、これがスタートダッシュ大作戦の肝である。優子はすうっと息を吸い、スピーチを始めた。
『みなさんこんにちは! バーチャルYouTuberの日向明星です! えへへ、突然VTuberが喋りだして、びっくりしましたか? そう、実は私、ちゃんとこの学校の生徒なんですが、本物のVTuberなんです!』
順調な滑り出しである。部活紹介のコーナーで、突然VTuberが喋りだすというインパクト。このスピーチの掴みであった。
教室で待機する凛太朗と麗華は、身構えつつも周囲の様子を確認する。クラスの面々には、その放送に軽い反応を見せる者やグループ内でざわつく者もいれば、放送に一切感心を示さない者もいる。しかし、明らかに今までの部活紹介の時とは何か違う、不思議な空気を二人は感じた。
『私が部長を務めているぶいちゅー部はこの四月から活動を開始して、ついに昨日、YouTube上に初めての動画を投稿しました! 日向明星で検索すると、自己紹介の動画を見ることができます! 日に向かうで日向、明るい星で明星です。ぜひ一度動画を見て、興味を持ったらぶいちゅー部に見学にきてください! 私たちは、新入部員を大歓迎します! よろしくお願いします! 以上、ぶいちゅー部部長の日向明星でした! ありがとうございました! チャンネル登録よろしくね!』
『はい! ぶいちゅー部の方、ありがとうございました! では次、茶道部の方、よろしくお願いします!』
一分よりも気持ち早めに終わったスピーチ。部活紹介は滞ることなく、まだ何組も続いていく。しかし、凛太朗や麗華は確かに確認した。ぶいちゅー部の紹介が終わった直後、ポケットからスマホを取り出した生徒がいたのを。
「日向……なんだっけ?」
「明星じゃなかった?」
そんな会話まで聞こえてくる。ほんの少しでも、ぶいちゅー部の名を、そして日向明星の名を学校中に知らしめ、YouTubeの動画へと誘導した。小さな一再生が徐々に重なり、大きな一歩となる。スタートダッシュ大作戦は、初めての生放送で原稿を完璧に読み上げた優子の疲弊した笑顔と共に、幕を閉じたのであった。
φ
「ふ~んふ~んふふっふっふ~~ん」
放課後、陽気な鼻歌を歌いながら、一人の少女が校舎を歩く。西園学園高等部の制服に身を包んではいるものの、その姿は非常に異様であった。肩まであるロングヘアーを真っピンクに染め上げ、右目の下にはハートマークのフェイスペイント。ピンク色のマニキュアが綺麗に輝く右手には、ピンクの棒付きキャンディを持って優雅に歩いていく。スカートの丈は短く、シャツも着崩し、一つ間違えれば、否、間違えずとも不良の風貌であった。
西園学園の校則には、染髪などの容姿に関する条文が一切存在しない。しかしこれは生徒の自主性を重んじた結果の校則であり、進学校である西園学園で髪を染めている人間はほとんど存在しなかった。つまり、その点まで含めて、彼女は異様な存在であった。
「ふ~んふ~んふふっふっ……ん?」
意気揚々と歩いていた彼女が、ある掲示板の前で足を止める。ぶいちゅー部の勧誘ポスターが貼ってある、あの掲示板だ。
「ふ~~ん? これかぁ」
しばらくの間、じーっとぶいちゅー部のポスターを眺めて黙り込む。かと思いきや、突然不気味な笑い声を上げ始めた。
「んふっ、ふふふふっ、ふひひひひひっ」
笑っている顔の頬を左手でそっと抑える。なんとも不思議な笑い方だ。気が済むまで笑った彼女は、持っていたキャンディを咥えニタっと不敵な笑みを浮かべて呟いた。
「ぶいちゅー部……日向明星……ふふっ、俺様の足元にも及ばねぇな」
可愛らしい声で発せられた、なんとも黒いセリフであった。
再び彼女は歩き出す。鼻歌とともに、放課後の校舎へと消えていくのであった。
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