楽しくやれる選択肢
午後四時半。凛太朗がぶいちゅー部のメンバーに加わり、部活動はいよいよ動き出そうとしていた。
「まずレイちゃん。日向明星の収録準備を! 背景は後で用意するから、とりあえずブルーバックで!」
「おっけー!」
ネタ出し要員として入部した凛太朗が、早速その本領を発揮しようとしている。
少々専門的な話にはなるが、ブルーバックとは実写映画の撮影なんかでも使われることのある撮影技法の事である。撮影の段階で真っ青な背景に人物だけ映したものを録画すると、編集の段階で青い部分を切り抜いて人間の映像だけを残し、別の背景に合成することができるというハイテク技術である。
多くのVTuberはグリーンバックと呼ばれる緑色の背景を使うが、日向明星は衣装に緑色の部分が含まれているため、こちらは使用できない。緑色の背景を切り抜こうとした時に、キャラクターの緑色の部分も一緒に消えてしまうからである。
「柴崎さんも、撮影の準備を。最初は少し緊張するかもだけど、何度でも撮り直せるから気楽に行こうね」
「う、うん! ありがとうリンちゃん」
すっかりこの呼び名が気に入ってしまったらしい。
それにしても、凛太朗は場を動かすだけでなく初心者に対する気配りまでしっかりとできている。天性のディレクター能力でも持っているのだろうか。
「凛太朗、俺にできる事はあるか」
こうも周囲がテキパキと動いていると、マイペースな龍之介も流石に感化されずにはいられない。
「もちろん。僕が今から自己紹介動画の台本を作るから、龍之介はその間に動画の背景を描いてくれるかな。画面の中心に明星が映るような構図にするから、明星の存在感を邪魔しないようなデザインのものがいい」
「わかった。すでにいくつかイメージしてた物があるから、何パターンか描き起こしてみよう」
「流石。頼もしいじゃん」
これぞ幼馴染の親友コンビといった具合であろうか。龍之介も、普段は見せないくらい生き生きとした笑顔であった。
「さて……自己紹介の内容はシンプルなものがいい……あまり長すぎず……しかし何か他と比べて目を引くような……」
周りの三人に指示を出し終えると、凛太朗は再びブツブツタイムに突入した。授業が終わった後に他の部活の見学をしてきた直後なのだ。体力的にもかなり摩耗しているだろうに、この頭の回転といったら常人には真似できないレベルの物である。
「うん、やっぱりこれしか無いか……」
数秒の思考の後、凛太朗は真剣な表情になって優子に声をかける。
「柴崎さん。ネタ出し要員として一つ、部長に相談がある。日向明星のマーケティングについてだ」
「マーケティング? 売り出していく方向性、みたいな話?」
「そう。日向明星は、柴崎さんと何ら変わらない普通の女の子って設定だったよね?」
「うん。そうだよ」
「だったら、今のうちに決めてしまいたいんだ。日向明星は学校の部活動でVTuberをやっている事を公開するのかどうか」
「あっ……」
はっとした表情、というよりはなるほどといった納得の反応を見せる優子。どうやら、自分でもその点に関しては少なからず考えたらしい。
「難しい話だとは思うけど、今回の僕の戦略を聞いた上で判断してもらえるかな?」
「うん、わかった」
凛太朗と優子、二人での会話ではあったが、麗華と龍之介ももちろん耳を立てている。その内容をしっかりと聞きつつ、かなり大ごとである事も理解してはいるが、しかし自分の作業に集中して一切その会話に口出しはしない。これは二人の凛太朗に対する信頼の現れでもある。
「よし。まず、今のVTuber五千人超えの時代に何の変哲もないただの女子高生キャラってだけで生き残るのはすごく難しい話だと思う。これはわかるよね?」
「うん」
「そこで、部活動でやっている、ネタを考えたり、動画を編集したり、衣装を作ってくれる仲間がいるって話を全面的に出して、より女子高生なんだなって印象を深くするのが、日向明星にできる最も自然なキャラ付けだと僕は思ってる」
「なるほど」
非常に真剣な表情で相槌を打つ優子。凛太朗の真剣な考えに応えようという心持ちなのだろう。
「で、新人VTuberが一番動画を見てもらえる機会っていうのが、自己紹介動画なんだ。チャンネル登録者数が十人や二十人でも、自己紹介動画だけは三桁くらい再生されているVTuberっていうのは沢山いる。これは、自己紹介動画は全部見るっていう層が一定数いるから」
「うん」
「この自己紹介動画でより強い印象を残せた人こそ、それ以降のチャンネル登録者数やツイッターのフォロワー数は伸びやすい傾向にある。個人VTuberならなおさら大事なところだと僕は思ってる」
「わかった」
「そう。これが相談したい内容。もちろん他二人の意見も考えた上でだけど、最終的には柴崎さんに決定してもらいたい。どうかな?」
「うん……ちょっと考えさせてね」
両手を口の前でそっと合わせて、真剣な表情を続ける優子。虚空を見つめながら、必死に頭の中を整理している。数十秒の沈黙の後、彼女は口を開いた。
「私は、凛太朗の意見に賛成したい。他の二人はどう?」
話を振られると、龍之介と麗華は作業の手を止めて同じく真剣な表情でこれに答える。
「俺は、優子の意見を尊重したいと思う。自由に絵を描かせてもらえるのなら、あとは部長の決めた方針に従うまでだ」
「レイも異論ないぞ。今までも、兄ちゃんやリンリンやルミ姉がやりたいって言った事を全力で応援して、できることはサポートしてきた。今はその輪の中にシバっちもいる。だから全力で応援する」
すうっと息を吸い込み、ふふっと軽く笑う優子。緩んだ口元が、その感情を物語っている。
「ありがとう。じゃあ自己紹介動画はリンちゃんが今説明してくれた方針で行こう!」
皆に後押しされずともたどり着いた、優子の決断であった。が、その直後、彼女は再び真剣な表情に戻り凛太朗に問いかける。
「でも、それだけじゃないよね?」
凛太朗は一瞬、ドキッとした表情を見せるが、平静を装い返答する。
「うん。本題はここからだ。しっかり考えて決断してもらいたいのは、どちらかというと明日のスピーチの内容にある」
優子はそれを聞くと、やっぱりといった調子でコクリと頷いた。
「明日の昼休みの放送で喋れる時間は一分間だけ。その間に長々と部活動の説明をしても、きっと他の部活に埋もれてあまり人の印象には残らないだろう。だからインパクト重視の挨拶を考えた。僕の作戦と懸念事項はこうだ、聞いてくれ」
その後、五分ほどに渡って凛太朗の説明が続いた。要約するとこうである。
明日のスピーチ、一番放送を聞いた人の印象に残るであろう語りだしは『こんにちは! バーチャルYouTuberの日向明星です!』である。学校の昼休みの、しかも部活紹介の時間帯に突然VTuberが話し始めたら、特にインターネットに興味のある人間ならば耳を傾けないはずがない。そこで、部活の紹介をする上で既にYouTube上に動画があった方が見栄えが良く、また日向明星のイメージも共有できるため今日中に動画を投稿しておきたいとの事である。
この過程においての懸念事項が一つ。それは所謂「身バレ」である。いくらVTuberが沢山いる時代とはいえ、高校の部活動でVTuberをやろうといった試みは他に例があるのかすら怪しい。また、学校の放送で自分のチャンネルを告知したとなれば、心無い人物がYouTubeのコメント欄に学校名を記入する可能性も考えられる。今の時代、こういった事例はVTuberに限らず多数存在し、問題になる事も少なくはない。
こういった危険性を抱えてはいるが、しかし部活としてもVTuberとしても確実に良いスタートダッシュを切れる作戦であるため、凛太朗は真剣に相談している。
「なるほど……もう一度、考えさせて」
凛太朗の説明を全て聞き終わった後、優子は再び思考を巡らせる。
「うん。一応補足しておくけど、身バレに関してはこちらから昼休みの放送でチャンネルを提示しなくても起こりうる問題だよ。学園の部活としてやる以上、学校のホームページに部活の名前が載る事も断るのは難しいだろうし、他の部活動なんかで良い成績を出したら名前が全国的に知れ渡っている生徒だっている。これが、VTuberというコンテンツと絶望的に相性が悪いっていうのが、懸念している理由かな。そこの所は、ちゃんと考えてるかい?」
少々きつめの表現になったかもしれないが、それでもちゃんと考えておかなければいけない話だと凛太朗は判断したのだろう。他の二人も、下手に優子をなだめたりはせず、これに関しても一緒になって真剣に考えている。
再びじっくりと考え込んだ後、優子は少しづつ自分の意見を紡いだ。
「身バレの事は、ちゃんと考えた。龍之介と話す前、最初にVTuberをやりたいって思って、高校で、部活でやろうって考えた時に」
言葉を選ぶようにして、ゆっくりと話す優子を他の三人はじっと見守る。優子の心が少し脆い事を、三人は身に染みて理解している。だからこそ、真剣に向き合い、どんな判断も受け入れる覚悟で、その答えを待った。
「でもやっぱり、改めてそういう言い方されちゃうと、ちょっと怖いかな……」
少々鼻声になりながらも、優子は頑張って頑張って言葉を続ける。ここで伝えるのを辞めてしまったら、もう一生口を利けなくなるんじゃないかと言わんばかりに。涙ぐんだ目で、しっかりと三人を見据えながら。
「そう、怖い……怖いよ……でもさ、凛太朗くん、身バレって百パーセント、デメリットだけってわけじゃないよね? VTuberの中には、バレた上でネタに使ってる人だって沢山いるし、きっとみんなその状況を楽しんでやってる」
「うん。それは事実だね。でも確実にそういう良い状況に持っていけるとは限らない――」
「わかってる! わかってるけど!」
凛太朗の言葉に、半ば喰い気味に声を上げる優子。
「でも、その時はリンちゃんが、全力でサポートしてくれるでしょ?」
濡れた瞳をニコっとさせて、真っ赤に火照った顔で、彼女は凛太朗に微笑んだ。
「……ああ、もちろんさ。その時はできるだけ事態が好転するように僕が作戦を考える……そういう状況があるって覚悟はしといてほしいけど、でも、心配はしなくていい!」
優子の意思が固まりつつあるのを察したのか、凛太朗の語気が少しばかり強くなる。後ろの二人も、真剣な表情が少し緩み、その調子だと微笑んでいた。
「ありがとう、リンちゃん……龍之介も。麗華ちゃんも。うん……」
今までの短かったようで長かった一週間を振り返るように、優子は決意を固めていく。
「まだちょっと怖い。でも、今までだって怖かった。龍之介に初めて声をかけた日も、謝りに行った日も、初めて家に行った時も――」
そう、今まで友人のいなかった優子にとって、新学期が始まってからの一週間は、初めてのことだらけで、怖い事だらけであった。
「すっごく怖かったけど、でもその度に勇気出して、毎回しっかり乗り越えられたんだ!」
すぅっと息を吸い込み、己の恐怖を吹き飛ばすように、固まった決意が溶けてしまわないように、彼女は一気にその気持ちを言葉にする。
「もう勇気出すのには慣れた! 怖がってちゃ青春できない! 一番楽しくやれる選択肢で、全力出そう!」
言い切り、ニカっと今までで最高の笑顔を見せる優子。他の三人をも巻き込む勢いで、ぶいちゅー部の部室は今まさに、一致団結の時を迎えた。
「決まりだな、部長。承認の許可を」
かなり時間を消費してしまっている。このままでは麗華の編集時間が短くなってしまう事を危惧したのだろう、龍之介が優子に号令を促した。
「よし! リンちゃんの提案した作戦で、最高のスタートダッシュで始めるよ! 三人とも! 準備はいい⁉」
『おう‼』
時刻は既に五時を過ぎ、部屋に西日が差しこんでいる。最高のスタートダッシュのスタートを決めた、ぶいちゅー部の四人であった。
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