最高のスタートダッシュ

「お疲れ様ー」


 火曜日の昼休み。いつものようにお昼ご飯を食べようと留美が隣のクラスからやってきた。


「あれ、柴崎さんは?」


 いつもは二人で一緒に弁当を持ってやってくるので、一人で訪ねてきた留美に違和感を覚えた凛太朗であった。


「ああ、まぁちょっと、ね……」

「え、何? 朝もいなかったからてっきり風邪でもひいたのかと思ったんだけど、いるの?」


 そう、今朝の通学電車にも、優子の姿はなかった。その理由が、龍之介にはある程度察しがついている。ついてはいるが、どう切り出せばいいのか分からないでいる所に、優子のサポートが入った。


「ねえ龍之介、あれあんた達の仕業でしょ?」

「ああ、そうだ。達というよりは、ほぼ完全にレイの仕業だがな」

「優子今日の授業全然集中できてなさそうだったよ。あの格好させなきゃいけないなら、せめて何か声かけてあげなさい」

「そうだな……わかった。俺からだと逆効果かもしれないから、あとで麗華に頼もう」


 二人の会話の流れがよくわからない凛太朗が、キョロキョロと会話のキャッチボールを眺めている。


「えっと……龍之介、またなんかやらかしたの?」


 その後の説明に、昼休みのほとんどを費やしたのであった。



 φ



 所変わって同時刻、とある部活の部室にて。


「城ヶ崎先輩、良い知らせです」


 綺麗な短髪の、非常に悪い顔の男が、ニヤリと笑って顔を上げる。そう、ここは龍之介たちが登校初日に訪れた、あのブラック美術部の部室である。部室棟の屋上で龍之介に見せた、悪い顔をした城ヶ崎蓮司が丸椅子の上にどっしりと座っていた。


「例の部の話か?」

「はい。部長と思しき女についての情報です」


 おかっぱ頭にメガネをかけた、非常に冴えない雰囲気のどうやら後輩と思われる男子と、二人きりで密会を行う城ヶ崎。この人を殺していてもおかしくない様な悪顔である、きっとよからぬ企みがあるのであろう。


「確か柴崎とか言ったっけか」

「はい。その柴崎なんですが、どうやら昼休みは教室で一人で過ごす日もあるようです。今日がそうでした。この時間であれば、柳川の目も上手く盗めるかと」


 この会話に出てくる柴崎、柳川といった名前は、まぁ確実に彼らの事であろう。何やらよからぬ話が進行しつつあるらしいが、もちろん龍之介たちは知る由もない。

 後輩の報告を聞いて、城ヶ崎はぬっと立ち上がり目の前にあるおかっぱ頭にそっと手を置いた。


「ふっふっふ……よくやったぞ須藤すどう……お前は優秀な新入りだよ……」


 その耳元に顔をそっと寄せて、彼は続けてこう言った。


「これからも、よろしく頼むぜ……」

「は、はい……ありがとうございます……」


 須藤と呼ばれた後輩の顔は、非常に引きつっており恐怖の感情が前面に漏れ出している。彼もしっかりとブラック美術部の洗礼を受けてしまっているのだろう。


「明日のうちに準備を済ませて、明後日の昼休みに体育倉庫でやる。今日の放課後からだ」

「はい……」


 須藤の返事を待たずして、城ヶ崎はのそのそと部屋の外へと歩いてく。昼休みの終了を告げるチャイムが、虚しく部室に響き渡った。



 φ



 放課後、教室には数名の生徒だけが残っていた。凛太朗はまだ見てない部活があるからとそそくさと教室から出て行き、他の生徒も大半が既に部活を決めて体験入部に向かっている時間である。

 普段なら隣のクラスの優子がこちらまで迎えに来て一緒に仮部室に向かうのだが、今日はどうにも彼女の到着が遅い。どうしたものかと龍之介は立ち上がり、隣の教室の扉を開いた時だった。

 目の前に、可憐な少女が飛び込んでくる。否、もちろん彼はその少女をよく知っており、頭では誰なのか理解できているのだが、あまりにも今までと姿が違いすぎたためになんとなく初めましての気分であった。


「あっ……」


 目の前に現れた少女、柴崎優子は、あの入学式の時、龍之介と初めて会った時のような反応を示す。長かった前髪は眉毛のあたりで綺麗に切られ、特徴的だった小さな丸いメガネを外した彼女は、後ろに括られた茶髪をさわさわと弄りながら目を逸らしていた。


「なんだ、可愛いじゃないか。似合ってるぞ」

「えぇ⁉︎」


 龍之介から何の躊躇もなく出た褒め言葉に、優子は照れる余裕もなく驚いた。


「だっ、なん……その……あ、ありがとう……」


 少し冷静になり、やはり恥ずかしくなりつつも、彼に言われると素直に嬉しい優子であった。

 龍之介としては、別段昼休みに留美に注意されて気を遣ったというわけでもなく、シンプルに髪を短くした優子を見てこの感想がこぼれただけである。優子の反応に少々首を傾げつつも、いつもの調子で続けた。


「行くぞ。レイが待ってる」


 留美の心配など、どうやら杞憂に終わったらしい。いつの間にやらトラブルも未然に防げるようになった二人であった。



 φ



「んおーー! シバっちすっげぇ! めっちゃ可愛いじゃん!」


 部室に入るや否や、麗華が優子の顔を見て飛び込んで来る。女子二人でキャッキャしている、非常に甘い香りのする空間である。


「ふふっ、ありがとう麗華ちゃん。最初は自信なかったんだけど……」

「いやぁそんなことねぇって! レイは最初からシバっちはコンタクトの方が似合うって思ってた!」


 えっへんと謎の威張りを見せる麗華。部活のためにこういう流れになっただけであって別に彼女がコンタクトを勧めたというわけではないのだが、どうにも自分の手柄だと思い込んでいるらしい。


「よし、じゃあ昨日の続きから始めようか。レイ、パソコンの方は?」

「もうカメラ繋ぐとこまで準備できてるよ。あとはシバっちに座ってもらうだけ」


 龍之介が優子の方に目線をやると、彼女はコクリと頷いた。荷物を置き、パソコンの前に座り、カメラの角度を調整する。数秒の間の後、画面の中で息をしているだけだった日向明星が反応を示した。


「わっ!」


 どちらが先に驚いたのか分からないレベルで、その動きはシンクロしている。瞬きをしてみたり、口を大きく開いてみたり、首を傾げてみたり。優子は様々な表情を試してみたが、画面の中の明星はその動きにしっかりとついてきた。


「すっ……ごい……」


 その感嘆まで、明星はコピーしてしまう。キャラクターが優子に寄せて作られているだけあって、まるで鏡写しになっているかのようだ。


「どうだ、すごいだろう。俺が調整に調整を重ねて完成させた、バーチャルモデル、日向明星だ」

「すごいよ龍之介! 私、VTuberみたい!」

「みたい、じゃなくって、これからなるんだぞ、シバっち!」

「う、うん! そうだね!」


 ひとしきり動きを確認した後、優子は後ろに向き直り、照れ臭そうにこう言った。


「龍之介、麗華ちゃん、本当にありがとう! これからよろしくね!」

「ああ、いくらでも付き合おうじゃないか」

「いいぞ〜シバっち! そんじゃ、本格的に活動開始だぁ!」


 一つの大きな山を越え、今まで以上に一致団結する三人であった。


「って言っても、やっぱりあと二人集めなきゃ部活にはなれないんだよね……」

「まぁ……そうなるな……」


 次の山の大きさに息を落とす優子と龍之介に、麗華が一つの助け舟を出す。


「それなんだがな、このままじゃ部員の確保も厳しい可能性があると思って、一ついい知らせを持ってきたぞ!」

「おっ、流石レイだ。聞こうじゃないか」


 麗華は椅子から立ち上がり、半ば偉そうに踏ん反り返ってこう言った。


「明日の昼休み、放送部から流す放送に特殊な枠があってな。立候補制で勧誘アピールさせる部活動を募集してたんだ」

「もしかして、麗華ちゃん……?」


 優子が期待の眼差しで麗華をじっと見つめている。


「そのアピール枠、一分いっぷんぶんどって来たぜ!」

「おぉ〜!」


 龍之介と一緒になってパチパチパチと可愛らしい拍手を送る優子。麗華のおだて方がよくわかってきている。


「というわけで、YouTubeより先にまずは部員の確保! 明日の一分スピーチを考えるぞ!」

『よし!』


 声を揃えて返事をする優子と龍之介。VTuberとしては一風変わった台本作りが始まったのであった。



 φ



 一時間後。ぶいちゅー部の部室には応接用の机に向かってへこたれる三人の姿があった。


「ダメだ……全然まとまらん……」


 直感派の龍之介にとって、原稿作り等という理詰めの作業は大きな苦行である。かといって、他の二人も特段文才があるというわけでもなく、一分間のアピールは全くまとまらずに一時間が経過していた。


「レイはメカの事以外さっぱりだ! あとは任せた!」

「そんな〜……麗華ちゃんも一緒に考えようよ〜……」


 頭の回路がショートしてしまったのか、机の上に頭を乗せて溶けたようにポケーっとしている麗華。まるでマシュマロみたいにほっぺが潰れている。


「苦戦してるみたいだね。手伝おうか?」

「ああ、何かいい案はあるか? 凛太朗――」


 数秒間、部室に謎の沈黙が訪れる。


『えぇ⁉︎』


 三人の驚きの声が綺麗に揃った瞬間であった。周りの部室にまで聞こえるのではないかと思われる尋常ではない叫びであったが、それも仕方あるまい。部活動見学に出向いているはずの凛太朗がいつのまにか部室に現れ、突然話に入って来たのだから。


「三人ともお疲れ様。十分前からいたから、話はだいたい把握してるよ」


 普通にドアをノックして普通に入ってきたが、何故か三人とも気づかなかったらしい。来訪者の登場に気がつかないくらいには三人とも原稿に集中してしまっていたのだろう。


「いや、お疲れ様って……お前、見学はどうした?」

「言ったろ? 全部回ったらここも見にくるって。だから来たんだよ」


 冷静に考えればとんでもない内容を平然と言ってのける凛太朗。痺れる余裕も憧れる余裕もない。


「お前……まさかもう全部見てきたのか?」

「うん、見てきた。さっき見てきた茶道部が最後」


 凛太朗は相変わらずあっけらかんとした顔で返答する。他の三人はその超人ぶりにただただ目を丸くするだけである。


「そ、そうか……で、入る部活は決まったのか?」

「うん。十分じゅっぷん見ただけで決心するには十分じゅうぶんだったよ。柴崎さんが部長だったっけ?」

「えっ? う、うん。そうだけど……」

「おっけー。じゃあ僕を、今からぶいちゅー部のメンバーにしてよ!」

「えっ……えっ⁉︎ いいの⁉︎」


 突然の提案に、優子の感情は喜びよりも驚きがまさってしまった。


「僕じゃ不服かい?」


 少々ニヒルな顔で優子をからかう凛太朗。ブンブンと顔を横に振り、彼の目をしっかりと見てこう告げた。


「今日からよろしくね、凛太朗くん!」

「おっ、下の名前で読んだねぇ。リンちゃんでいいよ!」

「じゃあリンちゃん!」

「えっ」


 凛太朗としてはどうやら冗談のつもりで言ったらしい。あの恥ずかしがる顔が見たかったのだろうが、優子は普通に受け入れてしまった。


「ちょ、ちょっと待った! やっぱ今のなし!」

「だーめ! リンちゃん!」

「な、何故だ……」


 ぐぬぬと頭を抱える凛太朗あらためリンちゃんであった。


「で、凛太朗。何かいい案があるんだろう? 入部したんだ。ネタ出し役としてしっかり働いてもらうぞ」

「もちろん。えっと……」


 言いながら、凛太朗は手元のスマホで時刻を確認する。


「だいたい4時半か……今から自己紹介を撮るとして……だいたい五時……」


 何やらぶつぶつと独り言を言い始めた凛太朗。このぶつぶつは、彼の思考がマッハで動いている事の証拠である。彼曰く、脳に全神経を集中させた結果、考えた内容が勝手に口からこぼれていくらしい。


「よし、レイちゃん、二時間で自己紹介動画の字幕入れと音入れできるかい?」

「おうよ、任しとけ! って、動画撮るのか?」

「ああ、日向明星に最高のスタートダッシュを決めさせてやるよ。みんな、今からやってもらう事を説明するから準備して!」

『了解!』


 凛太朗の号令に、三人の表情が変わる。ようやく部活動らしくなってきたぶいちゅー部であった。

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