光を放てる存在になりたい

 場所は女湯露天風呂、時刻は数分前に遡る。


「なるほど、それで日本人っぽいキャラクターの名前を考えなきゃいけないって事ね」


 VTuber事情に疎い留実に対して、ようやく名前の説明が終わったところである。ああだこうだと思いつきで名前を羅列してみるが、こちらも男湯と同様、今一つしっくりくる名前が見当たらなかった。


「やっぱ闇雲に考えるよりも、何かしらの由来があった方がいいと思うんだよなぁ。ほら、苗字だってシバっちの『向日葵みたい』って感想から考えたわけじゃん?」

「確かに、麗華ちゃんの言う通りかもしれないね……由来かぁ……」


 議論は行き詰まったかに思われたが、留実の一言が戦局を変えた。


「その向日葵っていうのは、優子が絵を見て思った印象なわけでしょ? ってことは、今の優子を現してるって解釈もできるよね?」

「ん? まぁ、確かにそうだな」

「だったらさ、下の名前はなんていうか、優子の目標みたいな物にすればいいんじゃない? こういう風になりたい、みたいなやつ!」


 かなりざっくりとした提案だったが、留実の言わんとしている事は理解した二人であった。しかし、だからといって即座に目標を見出すなど、十代の若者には難しい話である。


「目標……か……こんな人たちみたいになりたいってVTuberさんは沢山いるけど、それじゃダメだもんね……」


 言いながら、頭とともに視線をふっと落とす優子だったが、そこである違和感に気づいた。メガネを外した視界ではよくわからないが、お湯の中にきらきらと光る何かが浮かんでいる。


「ん……? なんだろ……」


 手を伸ばせば届きそうな距離にあるそれを、両手を伸ばして掬い上げようとするが、その小さなきらきらはしっかりと閉じられた手をすり抜けるようにして水の中から頑なに動こうとしない。しばらくちゃぷちゃぷと水面を動かすうちに、その輝きは水面が反射した何かであると気づいた。


「あっ……!」


 ふとその正体が気になって空を見上げると、彼女のぼやけた視界の中に、はっきりと映る白い点が飛び込んできた。


「ん、どうしたシバっち?」

「あれだ! 私の成りたいもの!」


 言うなり、ザバっとお湯の中で立ち上がり、男湯の方に向かって声高らかに叫びをあげた。


「龍之介ー! 聞こえてるー⁉」


 対する男湯、龍之介サイドでは声をかけようとした瞬間に向こう側から声がかかったのだから驚いたものである。


「ああ! 聞こえているぞ!」


 壁一枚隔てた会話なので、通常の応対も語気の強いものであった。


「見つけた! 下の名前! 私の成りたい物! あのお星さま見える⁉」


 インスピレーションによる興奮のせいか、口から出る言葉はあまりにもちぐはぐであったが、しかしその意図は龍之介にはしっかり伝わっていた。


「ああ、見えるぞ! 言ってることはよくわからんが、たぶん俺も同じことを考えてた!」

「ほんとに⁉ じゃあ決定! の名前は――」


 一呼吸置いて、二人はふうっと息を吸い、夕空に向かって同時に叫んだ。


日向ひゅうが明星あきほ!』


 一週間、短いようで長い時をかけて、ようやく心が通じ合った二人。その光景を傍から見守る凛太朗は「なんだ、息ぴったりじゃん」と安心したように微笑むのであった。



 φ



「ダーイブ! んあぁ〜極楽だぁ〜」


 龍之介の部屋に並べられた布団に、大の字で飛び込む凛太朗。掛け布団の上にうつ伏せになり、至福の表情を浮かべている。


「ちゃんと中に入って寝ろよ。夜はまだ冷え込むぞ」

「はぁーい」


 寝巻き用の浴衣姿の龍之介が注意を促す。麗華は夜はパジャマだが、こちらは夜も相変わらずの和装であった。


「にしても柴崎さん、面白いこと言うもんだねぇ。VTuberよりも小説家なんかの方が向いてたりして」

「たしかに、面白い表現だったな。だがまぁ、こういう趣味は向き不向きよりも、やりたいかどうかの話だろう」

「ふふっ、確かに」


 風呂上がり、女子達と合流して一頻り名前の話で盛り上がり、麗華の部屋でもうひと遊びした後の午後十一時。柳川家の人間は特に理由がない限りこの時刻に就寝する。

 先ほど優子が言ったセリフを、龍之介は復唱した。


「ぼんやりとした視界の中でも、あの星だけはキラキラと輝いて見えた。今の飽和状態にあるVTuberの世界でも、私はあんな風に綺麗に光を放てる存在になりたい――か」

「龍之介の直感よりもよっぽどしっかり考えてるんじゃない?」


 ニヤニヤと、龍之介をからかうつもりで言ったのだろうが、その言葉は彼にはあまり効かなかったらしい。


「ふふっ、そうかもしれないな。俺は昔から、直感で絵を描いてきた。優子といると、いろいろと刺激が多くて楽しい」

「そっか。よかったね」


 言葉が刺さらずがっかりしたのか、少し無愛想な相槌を打つ凛太朗であった。


「それより、お前の方はどうなんだ? もう一週間経って、相当な数の部活を見ただろうに」

「うーん……まだ今ひとつって感じかなぁ……」

「そうなのか。だったらいっそうちの部活に――」

「それはダメだよ!」


 龍之介にとっては軽い提案だったのだが、凛太朗からの思わぬ強さの反応に珍しく目を丸くする。


「そ、そうなのか……何故だ?」


 何かマズい事でもあるのだろうかと、龍之介の質問は恐る恐るといった風である。


「あ、いや……別にぶいちゅー部がダメってわけじゃなくてさ。絶対に楽しいと思うんだ。だからこそ、他の部活を全部回ってからじゃないとちゃんと評価できないような気がしちゃって」

「ああ、なんだ。そういうことか」

「うん。だからぶいちゅー部は一番最後に見に行くよ」

「わかった。俺たちはいつでも歓迎だ」


 言いながら、足袋を脱いで布団に入る龍之介の顔は、いつになく綺麗な笑顔であった。


「どうせ明日も疲れるまで遊ぶだろう。そろそろ消灯しようか」

「うん、おやすみ、龍之介」

「ああ、おやすみ、凛太朗」


 十五年間、この部屋で言い続けてきたセリフ。日常が少し変わっても、全く変わらぬ挨拶が、二人を夜へといざなった。



 φ



『お邪魔しましたー!』


 凛太朗、留美、優子の三人が玄関に並んでいる。優子は深々と頭を下げてお辞儀をしていた。日曜日、時刻は十五時、朝から遊びまくった非常に有意義な休日であった。


「おう! またいつでも来るとえぇ!」


 見送りに出てきた重之助も非常に上機嫌であった。


「お言葉に甘えまーす!」


 凛太朗の調子の良い返答までが、柳川家お泊まり会のお約束であった。


「じゃあまた、学校で」

「せっかく名前決まったんだから、シバっちは声出す練習しとけよ! ゲームやってる時の声はすげー良かったぜ!」


 昨日とは違った和服姿で見送る兄妹。麗華は右手の親指を立てて優子にビシッと拳を突き出していた。


「が、頑張ります……! 龍之介も、絵、頑張ってね!」

「ああ。明日には動かせるように調整中だ」


 こちらも腕を組んではいるものの、やる気に満ち溢れた良い笑顔である。


「そんじゃ、また明日ね!」

「変に拘って徹夜すんなよ、龍之介」

「あ、明日からまた、よろしく!」


 三人が敷地の外へと見えなくなるまで玄関で見送り、騒がしい休日は幕を閉じたのであった。



 φ



 月曜日、放課後のぶいちゅー部の部室にはいつもの三人の姿があった。ポスターを貼って数日、入部希望者は現れず、この光景もすっかり見慣れてしまった。


「よし、それじゃあ起動するぞ」


 メンバーの増加は無いものの、活動の進捗はまずまずといった所である。宣言通り、龍之介は日向明星の二次元ボディを完成させ、今まさに部室でこの体を動かそうといったタイミングであった。


「な、なんだか緊張してきた……」


 これからずっと、自分が演じることになるキャラクターのバーチャルモデル。龍之介への信頼はもちろんあるが、その未知の領域への介入に、心臓の鼓動が三倍に跳ね上がる優子であった。

 専用のソフトが立ち上がり、龍之介の描いたイラストが画面中央に表示される。よく見ると、その絵はまるで呼吸をするかのように微かに上下に動いていた。


「す、すごい……本当に生きてるみたい……」


 何もせずともそこに二次元のキャラクターがいるかのように見えるのが、このソフトのすごい所である。しかし、ここにカメラの認識が加わると、そのクオリティは一目瞭然である。


「よし、カメラを繋ぐから優子、席に座ってくれ」

「う、うん……」


 四倍、五倍と、心臓の速度は徐々に徐々に膨れ上がっていく。あの日、初めて龍之介に声をかけた時とは別の、そしてそれ以上の大きさの、しかし何だか気持ちの良い緊張感である。

 席に座り、心をこめてこう言った。


「お願いします」

「よし、繋がった。これで動くはずだ」


 顔を認識する用のカメラが接続され、優子の前に設置された。このカメラからソフトにデータが送信され、モデルの顔のパーツ等が優子と同じように動くという非常にハイテクな装置である。

 数秒待つ。しかしソフトウェアからの反応は無い。日向明星は静かに息をするだけである。


「あれ……おかしいな……昨日はちゃんと動いたんだが……」

「大丈夫か、兄ちゃん? まさか編集途中のデータ持ってきたりしてねぇよな」

「いや、大丈夫だ。ちゃんと最後に編集しきったやつを持ってきた。ちょっと接続を確認してみてくれないか、レイ」

「はいよ〜」


 言われると、麗華は自分の席の前にあったキーボードをカタカタカタっと操作し始める。ちなみにこれは彼女が休日のうちに勝手に持ち込んだ二台目のパソコンである。動画収録や生放送時のサポートをこのパソコンから行うらしい。


「いや、カメラはちゃんと繋がってるな。FaceLogにも映像データはしっかり送られてる」

「そうか……どういうことだ……」


 龍之介が考え込んでいると、麗華が一つの提案を出した。


「兄ちゃん、ちょっとカメラに映るように覗き込んでみてくれ」

「ん? ああ」


 言われた通り、龍之介が横から顔を突っ込むと、ソフトウェアの方に反応があった。妙な角度で入ったため明星の方も首が大きく傾いているが、確かに龍之介を認識して顔のパーツが動いている。


「動いたな……」

「はっはーん、なるほどそういう事か」


 言いながら、麗華は自分の席を立ち、優子の後ろへと歩み寄ってきた。


「ど、どういう事なの麗華ちゃん……まさか私、カメラに映ってない……?」

「まさか、幽霊じゃあるまいし」


 麗華は半笑いで突っ込むが、優子的にはどうやらボケのつもりでもなかったらしい。ただただ心配そうな表情である。


「心配しなくていいぜ、シバっち。真相は、こうだ!」


 かっこよくキメて麗華はその手をバッと前に回し、なんと優子のメガネを取り上げ、長い前髪をすっと持ち上げてしまった。わけのわからない龍之介はその様子を棒立ちで眺め、被害を受けた優子は両手を上げて困惑の表情である。


「レ、レイ……? いったい何を……」

「にっしっし……兄ちゃん、見てみろよ。いい表情だぜ」


 麗華はにやりと笑いながら、パソコンの画面を見ている。その画面を見ると、目を見開いた日向明星が、麗華と全く同じ困惑の表情でこちらを見つめていた。


「う、動いた……どういうことだ?」


 龍之介もこの現象に困惑していると、麗華が得意げに解説を始める。


「簡単な話だよ。FaceLogは、カメラから入力された顔データを元にモデルの顔を動かしてる。つまり、カメラに映ってる人間の顔のパーツが全部しっかり認識できないといけないわけだ。見てみな」


 麗華は優子にメガネを返し、画面を見せた。


「この状態だとカメラがシバっちの目を認識できないから、ソフトウェアもどういう表情を作ればいいのかわからない」

「つ、つまり……?」


 嫌な予感が当たらないように祈りながら、優子は恐る恐る麗華の顔を見上げている。


「シバっち、明日から前髪を目の上までで作ってこい! あとコンタクトレンズな!」

「えぇ〜〜〜〜〜〜〜!!!」


 文章ではとても表現しきれない、部室棟全体に響いたであろう悲鳴が二人の耳をつんざいたのであった。

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