この子がいい‼

 五日目の放課後。ぶいちゅー部の部室には、パソコンに向かって何やら真剣な眼差しを送っている麗華の姿があった。


「あっ……てめぇこのっ……」


 何やらぼそぼそと呟きながら、彼女はキーボードとマウスをカチカチしている。画面を見るに、どうやらシューティングゲームを遊んでいるようだ。

 がちゃりと部屋の扉を開けて、龍之介と優子が談笑しながら入ってくるも、彼女は一切反応を示さない。


「あ、麗華ちゃん先に来てたんだ」


 優子の言葉も完全に無視して、パソコンとにらめっこしている麗華。いったいどうしたのだろうと、優子が麗華の肩に触れようとしたその時だった。

 優子が伸ばしていた手を、龍之介がガシッと掴み阻止する。見ると龍之介の顔は非常に青ざめており、小刻みに横に振られていた。


「えっ……?」


 龍之介はもう片方の手の人差し指を口元に当て、静かにするように優子に促す。彼女は状況が理解できないまま、龍之介のジェスチャーによる誘導でソファへと座った。

 隣に座った龍之介が、囁き声で説明する。


「あの状態のレイを刺激しちゃいけない。後でネチネチ言われる事になる」


 なるほど、といった顔でコクコク無言で頷く優子。龍之介は以前に麗華のゲームタイムを妨害してしまった経験があるのだろう。

 それから先は、二人ともスマホを触るなり絵を描くなり、お互いしばらく無言で過ごした。

 五分ほど待ったころだろうか。麗華がぐぐっと伸びをする。画面を見ると、『WINNER』の表示が流れていた。ゲーム終了の合図を見逃さなかった龍之介はすかさず立ち上がり、麗華の付けていた高性能ヘッドホンをガバっと取り上げる。


「ひょえ⁉」


 突然ヘッドホンを取り上げられ、麗華は目を丸くして驚いた。


「に、兄ちゃん! いつからそこに!」

「かなり長い間待たされたぞ。俺も優子も」

「し、シバっちも! さてはお前ら忍者か!」


 シュバっとイスから飛び降りて謎の構えを取る優子。どうやら二人が入ってきた事には本当に気づかなかったらしい。凄まじい集中力である。


「なわけあるか。だいたいお前、なんで一人でここに入れたんだ? 鍵は俺と優子しか持っていないはずだぞ」


 確かに、初日に生徒会室で渡された二つの鍵は、今も龍之介と優子が持っている。


「ああ、それな。昨日の夜、兄ちゃんの鍵借りて合鍵作っといた!」


 ポケットから取り出した銀色の鍵を、にひひっと得意げな表情で見せつける麗華であった。


「いやお前……そういうの勝手に作って大丈夫なのか……」

「まあまあ、バレないって!」


 やれやれと顔を落とす龍之介であった。

 二人の会話の落としどころを見届けて、優子が口を挟む。


「まあまあ、麗華ちゃんのゲームタイムも終わったことだし、二人とも、今日の活動、始めよ!」


 爽やかな笑顔で呼びかける優子に、二人の士気も高まった。


「よし、まずは俺の発表からだな」


 言いながら龍之介がカバンをまさぐる間に、他の二人は着席した。いつものスケッチブックを取り出し、彼は二人に見せつけるようにして両手でバッとその絵を押し出した。

 そのページに描かれていたのは、確かに優子である。優子ではあるのだが、しっかりと二次元にデフォルメされており、これが一人のVTuberであると言われても大いに納得のいくキャラクターであった。


「す……すごい……」


 完成度の高さに、思わず口元が緩む優子であった。じーっとそのキャラクターを見つめ、その後は一言も発しない。まるで心の中で絵と対話しているかのように、その沈黙はしばらく続いた。

 何も言わなくなった優子を見て龍之介と麗華は少々不安げになるが、彼女の目がキラキラしているのを確認して二人で親指を突き立ててニシっと笑う。数秒の沈黙の後、優子がすうっと息を吸い込んで大きな声で言った。


「この子がいい‼」

「いよっし! 決まりだな、兄ちゃん!」


 ようやくキャラクターデザインが確定した、大きな一歩目であった。


「ふぅ……一日かけた甲斐があったよ。ありがとう、優子」

「いやいやいや! お礼を言うのは私の方だよ! ありがと、龍之介!」


 もちろん龍之介も個人的には素晴らしい出来だと確信していたが、それでも優子に見せるまでは若干の不安が残っていたのだろう。少しばかり肩の荷が下りたようで、さっきまでより爽やかな表情である。

 ちなみに今日の昼間はずっとこの絵の手直しをしていたため、授業の内容など一切耳に入っていない。昨日凛太朗の心配をしていたとは思えない体たらくである。


「さて、この次はどうするんだ、レイ?」

「兄ちゃんはまず清書だな。このキャラクターをデジタルの絵にして、そのあとはレイが動けるようにいじる。一応この部室にも描くのに必要な物は持ち込んであるぞ」

「すぐに取り掛からせてもらおう。描きたくてうずうずしていたんだ」


 言いながら龍之介はパソコンに向かおうとするが、麗華が慌ててこれを阻止する。


「ちょちょちょ、ストップ! いつも通りに描いてもらうだけじゃダメなんだ! 話を最後まで聞くように!」


 言いながら、麗華はずるずるとホワイトボードを引っ張ってくる。どうやら教官モードに突入してしまったらしい。


「と、言うわけで! 麗華先生の、よくわかる二次元VTuber講座~!」


 パチパチパチと、優子は調子よさげに拍手をした。


「兄ちゃん! パソコンで絵を描くとき、レイヤー分けはちゃんとやってるよな?」

「ああ、もちろんだ。その方が修正しやすいしな」


 レイヤー分けとは、絵を描く時にパーツ毎に描く板を変える手法の事である。最終的に全ての板を重ね合わせて、一つの絵が完成する。よくわからないという人は、福笑いをイメージしてもらえば良いだろう。


「よろしい。二次元のVTuberは、主にこのレイヤー分けを上手く利用して動きを作っているんだ」


 麗華は龍之介にわかりやすいようにホワイトボードで図解していく。絵に関する知識があれば理解できる説明なのだろうが、優子には何をいっているのかさっぱりである。


「レイヤー分けされたパーツを、FaceLogっていうパソコンアプリを使っていい感じに動かす。これがVTuberの基本的な仕組み。より複雑な動きを可能にするために、兄ちゃんにはできるだけ絵を細かく分けて描いてもらいたい」

「なるほど、理解した」

「パソコンにパーツ分けのテンプレートが入れてあるから、その通りに分けて描いてくれ」

「わかった。慣れない作業だから時間がかかりそうだな」


 簡潔に説明すると、非常に細かい福笑いを作って欲しいという意味である。FaceLogとは、多くのVTuberが使用している表情認識アプリである。カメラから認識した顔の映像を元に、リアルタイムで自動的に福笑いを動かしてくれる物だ。

 麗華の説明を聞き終えると、龍之介はそのまま作業を開始した。


「麗華ちゃん! 私は?」

「シバっちもやる事はいっぱいあるぞ。まずはキャラクターの設定を考えないとな!」

「おぉっ!」


 再び目を輝かせる優子。設定を練るのは、VTuberを作るにあたって最も大事な部分である。


「とりあえず性格設定とか、あと名前とかだろうなぁ。そのあたりで親しみやすさが大きく変わってくる」

「なるほどっ」


 優子はソファの上でそわそわしている。


「シバっちは、こういうVTuberがやりたい、みたいなのってあるか?」

「あんま考えてない!」

「えっ、無いの⁉」


 これには麗華も驚きであった。優子が言い出しっぺの部活なのだから、ある程度の構想はあるものと思っていたのだろう。


「えっとね……考えてないっていうか、ああいうのもやりたい、こういうのもやりたいって考えてたらよく分からなくなっちゃったの!」

「ああ、なるほどそういう事か」


 納得したように頷く麗華。自称VTuberソムリエとしては思う所があるらしい。


「確かに、やりたい事が多すぎて訳が分からなくなってしまうのは有りがちな話だろうな。でもまぁ、いろんな事に手を出すのはいい事だが、ある程度の方向性は定めておかないと視聴者側も困惑しちゃうぞ」

「うーん……そうだよね……」

「こういう時のネタ出しができる奴が一人欲しいんだよなぁ……」


 麗華もうーんと考えこんでしまった。


「しょうがない、先に名前から考えてみるか」

「おっけー!」


 苦肉の策、といった所なのかもしれないが、名前から連想して方向性を決めるという手もあるとの判断だろう。


「シバっち的に、このキャラクターを見た印象とかって何かあるか? 本人から見た第一印象はやっぱり大切にした方がいいと思うんだ」

「えっとね、このキャラクターっていうか、前に龍之介が描いてくれた私を見た時の感想なんだけど……向日葵みたいだなって思った」

「なるほどっ。なかなか良い印象だな」


 聞くと麗華は再びうーんと唸っている。今度は頭の中で色々と考えが巡っているようだ。


「ひまわり……ひまわりかぁ……下の名前がひまわりのVTuberはもういるんだよなぁ……」

「そうなんだよねぇ……」


 向日葵に限らず、たいていの花はVTuberの名前に使用されている時代である。あまり安直なネーミングはもう許されない。

 二人が唸っていると、作業中の龍之介がこちらを向かずに発言した。


日向ひゅうがっていう苗字はどうだ? 向日葵の印象を、それとなく残せると思うんだが」

「おぉ、なるほど!」

「なるほど、確かにまだVTuberでその苗字は聞いたこと無いな。兄ちゃん、さては天才か?」


 向日葵の習性を冠した、それでいてシンプルで親しみやすい苗字の提案に、一同は称賛した。


「あとは下の名前かぁ……龍之介、何か無い?」

「いや、さすがにそんなホイホイ思いつく物では無いだろう……」

「だよねぇ……」


 三人寄れば文殊の知恵とは言うものの、文殊にも苗字をひねり出すのが限界だったようである。


「こういうのはたぶん、考えこんでも仕方ないんだよなぁ。明日リンリンにでも聞いてみるか?」


 一昨日も麗華が言い放っていたが、リンリンとは彼女が付けた凛太朗のニックネームである。麗華以外の人間が使う事は無いが。


「ん? でも麗華ちゃん、今日は金曜日だよ?」

「あれっ……兄ちゃん、もしかしてシバっちに明日の話すんの忘れてないか?」

「あっ……」


 作業中の龍之介の方を見ると、その手が止まりしまったという表情を浮かべている。


「え? え?」


 いったい何の話だと、優子は二人の顔を見比べる。


「全く……父ちゃんが皆の進学祝いだって言って、明日うちでお泊り会をする事になったんだ。シバっち、来れるか?」

「お、お泊り会ぃ⁉」


 今まで経験した事の無かったイベントの発生に、テンションが爆上がりする元ボッチの優子であった。

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