お邪魔します!

 四月八日、土曜日。新学期が始まって以来初の休日である。普段であれば、特別何の意味もない二連休であるが、今回ばかりはそうはいかない。高鳴る鼓動を胸に感じて、柴崎優子は柳川家の門をくぐった。

 今日も綺麗に整えられた屋敷の庭を、優子はゆっくりと歩く。麦わら帽子をかぶった優子の頭に昼過ぎの太陽が影を作り、キラキラと輝く池の水面みなもは水色のワンピースを映していた。

 空気を通すためか玄関は既に開けられており、中には家主以外の物と思しき靴が二足見かけられる。


「ご、ごめんください!」


 数日前に一度来てはいるものの、やはり友人の家に上がるという経験は少ないので多少挨拶の声が上ずる。


「はいよー」


 聞き覚えのある声の返事が奥の方から聞こえ、数秒の後に現れたのは柳川家の当主、柳川重之助であった。今日も見事に和服を着こなし、画家の威厳を放っている。


「おぉ、柴崎さん。四日ぶりかね」

「は、はい! こんにちは!」

「ほっほっほ! もうそんなに緊張せんでもよかろうに。まあ上がりなさい。みんな麗華の部屋にいるから、案内しよう」

「はい! お邪魔します!」


 靴を脱ぎ、丁寧に並べる優子。お泊り会とあって、人の家に訪問する時のマナーを一通り抑えてきている。


「あの! これ、つまらないものですが!」


 お決まりのセリフとともに、優子は一つの紙袋を差し出した。中身は鈴白の町で一番有名な和菓子屋の詰め合わせである。


「これはこれは、お気遣いありがとう。後でお茶と一緒にいただこうか」


 爽やかなスマイルを浮かべて丁寧な対応をする重之助。英国紳士という単語が似合う人柄ではあるが、家や服装がどう考えても英国ではない。言うなれば和国紳士である。

 白い足袋を履いた足で、せっせと麗華の部屋へと向かう重之助の後を、優子が無言で付いていく。日本屋敷という性質上、この家にはスリッパという概念が無い。尤も、じいやの凄腕掃除術によって屋敷は毎日ピカピカに磨かれ、塵一つ無い状態に保たれているので、スリッパを履く必要すらないのだろうが。


「着いたぞ。ここじゃ」


 言うと、重之助は部屋の入口の襖をスライドさせる。そこには、床の畳にあまり似合わない洋風家具が設置された大きな部屋が広がっていた。おそらく、龍之介の部屋と同じで二十四畳あるのであろう。麗華は絵を描いたりはしないので、部屋のスペースはそれなりに持て余しているようだ。


「みんな、柴崎さんが来たぞ」

「おーっす!」


 部屋の入口側にいた留実が、振り向かずに元気に答えた。


「柴崎さん、ちょっと待ってね! もうすぐ終わるから!」


 その隣に座る凛太朗もまた、優子の姿を見ずに答えた。どうやら四人でテレビゲームを遊んでいるらしい。

 ショートパンツに赤いジャージでキメている留美に、休日でもカッターシャツの凛太朗。私服に個性が出ている。そのさらに奥に目をやった時、優子は目を丸くして声を上げた。


「えぇっ⁉︎ 和服⁉︎」


 見ると、テレビの目の前に座っている龍之介と麗華は、二人とも和服に身を包んでいた。


「いよっしゃー! レイの勝ちー!」


 テレビの画面には、対戦結果が表示されていた。どうやら今人気の格闘ゲームで遊んでいたようだ。

 コントローラーを放り投げて、すくっと立ち上がった麗華は小さな歩幅でトテトテと優子の方へやってきた。赤い和服に黄色い帯を結んでおり、その姿はまさに大和撫子といった所である。茶髪ではあるが。


「いらっしゃい、シバっち! ここがレイの部屋だ!」

「びっくりしたー。龍之介はなんとなく和服着てそうな気がしてたけど、まさか麗華ちゃんまでとは思わなかったよ」

「にひひっ。休みの日はいつもコレなんだー。可愛いっしょ?」


 言いながら、くるりと一周してみせる麗華。家具は洋風で統一しているというのに、変わった趣味である。


「ほっほっほ! 一層賑やかになって良いのう! では、儂はこれで」

「おっす! 案内ありがとうな、父ちゃん!」

「あ、ありがとうございます!」


 最後にぺこりとお辞儀をして、優子は重之助に挨拶した。


「ほっほっほ! 三時ごろにおやつを持って来させるから、まあゆっくりしていってくれ」


 それじゃと言い残して、重之助は襖を閉めて去っていった。


「柴崎さんがここにいるのは、やっぱ何だか新鮮だねぇ」

「ってゆーか、優子の私服めっちゃ可愛くない⁉︎ いいじゃんこのワンピース! スタイル良くなきゃ着れないよこれ」


 言いながら留美は優子を見上げるが、そもそもショートパンツなど自分のスタイルに自信がなければ絶対に履けないファッションである。


「えへへ、ありがとう、るみちゃん」


 一通りの挨拶が済み、優子は慣れない畳に腰を下ろした。


「どうする? 五人になったし、いったんスマシスはやめるか?」


 スマシスとは、さっきまで四人が遊んでいた格闘ゲームの事である。


「ふっふっふ……兄ちゃん、甘いな! 今作のスマシスは、なんと八人対戦まで対応しているのだ!」


 言いながら、箱から五つ目のコントローラーを取り出す麗華。どうやら優子が遊びに来るにあたって追加購入したらしい。


「なん……だと……⁉︎」


 大げさに驚いてみせる龍之介。先ほどのゲームで最下位だったこともあり、こっそり別のゲームに切り替えるよう促していたのだろう。


「おっ、スマシスかぁ〜。私強いよ?」

「ほほう? そのセリフ、レイに勝ってから言ってもらおうか!」


 優子が来る前に三連勝を収めたらしい麗華は、自信に満ち溢れていた。



 φ



「おかしい……何故だ……何故勝てない……」


 両手両膝を床につき、絶望にうなだれる麗華。テレビの画面には、優子が圧勝した対戦結果が表示されていた。


「えへへ、また勝っちゃった」


 ニコニコと部屋の中央でコントローラーをぎゅっと握る優子。ここまでスマシスで負けなしである。


「な、何故だ! なんで今まで友達のいなかったシバっちがこんなにスマシス強いんだよ!」


 負けた悔しさからか、とんでもなく失礼なセリフが飛び出した。激しい乱闘の影響か、綺麗な和服も若干はだけている。


「あー……私、一緒に遊ぶ友達いなくてずっとインターネット対戦してたから……そのおかげかな?」


 なるほど確かに、理にかなった言い分かもしれない。

 ちなみに今現在は、一度スマシスを辞めておやつの時間や他のボードゲームを挟み、麗華のたっての希望でタイマンのリベンジマッチをしている状態である。優子が来てから全体を通して約三十試合行った結果、彼女は一度も一位を譲ることが無かった。


「ぐぬぬ……そういう事か……やられたぜ、シバっち……」


 はだけた服をくいっと整えながら、麗華はさらに続ける。


「まあでも、いい事がわかったな。この腕なら、ゲーム配信とかしても充分盛り上がるんじゃないか?」


 ゲーム配信とは、VTuberの生放送の一種の事だ。ゲームを遊んでいる画面を映しながら、放送主はリアクションをしたりゲームの解説等を行う。


「おぉ、確かに! それいいねぇ!」


 後ろで二人の対戦を見守っていた凛太朗が口を開いた。


「柴崎さん、遊びながら結構リアクション取ってたし、特に練習しなくても面白くできると思うよ」

「へえ、ああいうのでも、人気が取れるもんなの?」

「ああ、可愛いキャラクターが遊びながら喋っているだけで癒されるという層は、一定数いるからな。あれだけゲームが上手ければ、取り込めるファンは多くなるだろう」


 YouTube事情に全く明るくない留実の質問に、龍之介が冷静な分析を入れる。だがしかし、VTuber六千人超えのこの時代、それは甘い見通しである。

 五人が談笑していると、部屋の襖がさっと開いた。


「おう、お前さんら。夕飯の時間じゃ」


 見るとそこには、風呂上がりの重之助が立っていた。


「おっしゃ、行こうぜ!」


 先ほどまでうなだれていたのが嘘のように元気になる麗華であった。先頭を切って、バタバタと食堂の方へ駆けていく。

 麗華の部屋から食堂まではそう遠くない。ただ、食堂といっても一般家庭のようにテーブルや椅子が用意されているわけではなく、やはり畳の部屋に人数分の食卓と座布団が用意される形式である。


「おぉ〜、相変わらず広いお部屋だねぇ。もうあんまり驚かなくなっちゃった」


 二回目の訪問にして、柳川家のサイズ感に順応しつつある優子であった。

 食卓には大小様々な皿が並べられており、六人で食べきれるのか怪しい量の食事が盛られている。

 各々が席に着き、重之助は徳利を高らかに掲げて乾杯の音頭をとった。これほどまでに徳利とお猪口の似合う父親が未だかつて存在しただろうか。


「それでは、みんなの進級祝いと! それから、柴崎さんの来訪を祝して! 乾杯!」

「かんぱーい!」


 優子は重之助の方を見て、こくりと会釈する。


「いっただっきまーす!」


 言うのが先か動くのが先か、麗華は目の前の料理をじぶんの取り皿に凄まじい速度で盛っていく。


「れ、麗華ちゃん……? そんなに取って大丈夫なの……?」


 麗華の目の前に作られた料理の山を、初めて一緒に食事を取る優子は心配そうに眺める。


「ん? ないりょうるらよ? れいいっふもほれうらいたえるから」


 大丈夫だよ? レイいっつもこれぐらい食べるから。と言いたかったのだろうが、既に食べ物を頬張っている口からは謎の言語が発されていた。

 みんなの箸が動き始める頃、重之助はお猪口の一杯目をくいっと飲み干して口を開く。


「して、龍之介や。VTuberの調子はどうじゃ? はやくミライア・キャリーちゃんに会いたいんじゃが」


 重之助からのまさかの発言に、凛太朗は飲んでいた烏龍茶を口から一気に吐き出す。


「ちょ! 凛太朗、汚いでしょ!」

「い、いや仕方ないでしょ留美! お父さんが急に変なこと言うから!」

「ん? なんじゃ? 儂は真剣じゃぞ?」


 重之助のしれっとした顔を見て、凛太朗はマジかお前といった表情を浮かべていた。


「順調ですよ、お父様。昨日の活動でキャラクターのメインビジュアルが確定して、今ちょうど動ける体を作っている所です」

「ほう……楽しそうでなによりじゃ。柴崎さんや、うちの二人が色々と迷惑かけるじゃろうが、どうかよろしく頼むよ」

「い、いえ! とんでもないです! 二人には助けられてばっかで!」

「そうらぞ、とうひゃん!」


 相変わらず食べながら何かモゴモゴと喋る麗華であった。


「ほっほっほ! そいつは面白い!」


 自分の子らに対しての評価が妙に低い父親である。重之助は再び酒をくいっと飲み干して、立ち上がりながらこう言った。


「今日は露天風呂も入れてあるから、食事が終わったらみんなで入ってくるといい」

「えぇ⁉︎ 露天風呂あるんですか⁉︎」


 重之助からのまさかの発言に、流石に優子は目を丸くする。


「っていうかお父さん、さすがにみんな一緒はまずいでしょ!」

「ああ、大丈夫よ優子。この家、ちゃんと男湯と女湯に分かれてるから」

「そういえば、普通の家は風呂場が一つしか無いんだったか」


 留美や龍之介のまさかの発言に、ポカンとした表情で無言になる優子であった。

 そんなこんなで、次回、主人公宅でまさかの温泉編、乞うご期待。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る