私、幸せだよ!

 新学期が始まり三日目の放課後、今日もぶいちゅー部の部室には龍之介と優子の姿があった。


「はい! それじゃあぶいちゅー部二日目の活動を開始します!」

「まあ、一日目は特に何もしていないけどな」


 優子の挨拶に、龍之介の冷静なツッコミが決まる。


「まあまあ、それは置いといて! とにかく、部室を活動できる環境にする所から始めなきゃだね!」

「そうだな、必要な備品のピックアップと調達……いや、調達は部活になるのが確定してからか……」

「そだね……高い機材とか買って『五人揃いませんでした』じゃ話にならないし」


 意外と堅実な二人であった。


「そうだ、昨日も気になったんだが、一度この部屋の掃除もした方がいいんじゃないか?」

「あー、確かに。ちょっと埃っぽいかも」


 言いながら、優子は指先でさっと窓枠をなぞる。見ると指には白いホコリが色濃く乗っていた。


「げげっ」

「これは……掃除が最優先だな。こんな部屋にパソコンを置こうものなら、レイになんて言われるか」

「そうだね、じゃあ掃除道具――」


 優子が言いながら部屋の出口へ向かおうとすると、扉からコンコンとノック音が聞こえる。突然の来客に、何故か身構える二人であった。


「な……まさかもう新入部員が……⁉︎」

「あわわわわわ……どうしよう龍之介!」

「お、落ち着け優子。俺が出よう」

「よ、よろしく!」


 格好つけて言ったものの、龍之介も何故か足取りがおそるおそるといった調子である。新たな部員を迎え入れるといった経験は初めてではないが、いかんせん新しく作った部活だ。年上の進入部員が来たらどうしよう、などと言ったいらぬ心配が今になって降り注いで来た。


「い、いらっしゃいませー!」


 まるで喫茶店か何かに迎え入れるような挨拶で、龍之介は部室の扉を開く。


「こんにち……は⁉︎」

「こんにちは、坊ちゃん」


 そこに立っていたのは、キリッとしたスーツで決めた、じいやであった。


「じいや、いったい何故ここに……?」


 龍之介の後ろで待機していた優子もポカンとした表情である。


「麗華お嬢様に頼まれまして、荷物を届けに参りました。こちらです」


 見るとじいやのかたわらには、やや大きめの段ボール箱が三つ積まれていた。全てに荷物が詰まっているとしたらかなりの重量であろう。


「こ、これは……?」

「麗華様のコンピューターと、その備品でございます。部活で使うので放課後に持ってきてほしいと、今朝頼まれました」

「なるほど……だがすまん、じいや。今から部屋の掃除をする所なんだ」

「ほほう……承知しました。それでは坊ちゃん、一度お部屋から出ていただけますかな?」


 彫りの深い目をキラっと光らせて、じいやは言った。


「じいや……まさか……」

「ささっ! 柴崎様も!」

「えぇっ? は、はい――」


 言われるがままに部屋から追い出される龍之介と優子。龍之介には思い当たる節があるようだが、優子は何が起こっているのか理解が追いついていない表情だ。


「それでは……三十秒ほどで済みますので」


 そう言い残すと、じいやはパタリと扉を閉めてしまった。


「り、龍之介……? 執事さん、いったい何を……」

「あー……まあ待てばわかるよ。たぶん十秒で出てくる」


 一瞬のドタバタ音が聞こえたかと思うと、確かに十秒の後、部屋の扉がガチャリと開いた。


「終わりました。それでは、ただいまより機材の設営をいたしますのでもう三十秒ほどお待ちください」

「あ、ああ……よろしく頼む」


 するとじいやは持ってきた荷物を軽々と持ち上げ、再び部屋の中へと入っていく。大きめのダンボール三つ分。二十代の男性であっても一度に持つのは困難な大きさと重量のはずだ。


「ねえ、龍之介……部屋が輝きすぎてよく見えなかったんだけど……」

「まあ、じいやが掃除したらだいたいあんなもんだ……」

「掃除ってレベルじゃなかったよね⁉ てゆーか何なのあのスピードは!」

「すまん……あれは俺にも説明できん……」


 驚く優子と、呆れる龍之介。どうやら柳川家の者としては当たり前の光景らしい。

 再び、予告に背いて十秒の後、部屋の扉が開いた。


「お待たせいたしました。麗華様のおっしゃった通りに配置いたしましたので問題ないかと思いますが、何かございましたらご連絡ください。それでは」

「お、おう……ありがとうな……」

「あ、ありがとうございます!」


 言い残すと、じいやはすたすたと去って行ってしまった。

 掃除が終わって少々経った部屋は、直視できるレベルにはなったものの、未だに節々がキラキラしている。


「す、すっごい……」


 輝かしい部屋に目を細めたまま入室する優子。右手で目の上を覆うようにしているが、それでも眩しそうな表情である。


「『柳川家の執事たるもの、これくらい朝飯前です』っていつもじいやが言ってるんだ。まあそのうち目も慣れるだろう。それまでそこのソファで休むといい」


 言いながら、サングラスをかけた龍之介が後から部屋に入ってくる。じいやの掃除には慣れているようで、眩しさ対策はバッチリだ。


「う、うん……ありがとう……いつの間にサングラスなんか用意してたの……」


 呆れたようにツッコミながら、しかし優子は何かおかしいといった顔をして豪華な黒いソファに座った。


「いや何なのこのソファは⁉︎」

「ああ、それはたぶんレイの趣味だな。気に入らなかったか?」

「いやそうじゃなくて! どうしてここにソファがあるの!」

「ああ、きっとさっきじいやが窓から入れたんだろう」


 ものの十秒でパソコンの設置のみならず部屋の模様替えまで済ませてしまうじいや、恐るべし。龍之介は平気な顔をして言っているが、ここは二階の部室である。


「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」


 龍之介の視線の先には綺麗に並べられたお茶のセットが一式置いてあった。パソコンがあり、ティーセットがあり、応接にも使えそうなソファや机も用意されており、ここまで来ると部室というよりオフィスである。柳川家の財力と麗華の欲望の結果だ。


「もうツッコミ放棄していいかな……コーヒーで」


 言われると、龍之介は慣れた手つきでコーヒーマシンを操作する。特に専門知識の無い者でも美味しいコーヒーが淹れられる優れものである。

 慣れない豪華なソファに心が落ち着かなくなってきたのであろう、優子は身を乗り出して龍之介の方へと振り向きソワソワしている。彼女の目には、コーヒーマシンの前に置かれた三個のコーヒーカップが映った。


「あれ、三つ?」


 きょとんとした表情で優子が聞くと、龍之介は振り向かずに答えた。


「ああ、レイの分だ。ちょっと冷めたホットコーヒーが好きでな」

「へぇ、そうなんだ」


 嬉しさと寂しさが入り交じったような複雑な表情を見せる優子。しかしその顔はコーヒーを淹れている龍之介には見えていない。

 ソファに座り直し、半ば顔を俯ける優子。心の中で、何やらモヤモヤしたものがあるのだろう。


「お待たせ。砂糖とミルクは自分で入れてくれ」


 お洒落な盆に三つのコーヒー、砂糖、ミルクとスプーンを乗せて、龍之介は優子の向かいのソファに座る。ここで初めて、彼は優子の顔の暗さに気づいたような素振りを見せた。


「ありがとう、龍之介……ねぇ、聞きたいことがあるんだけど」

「……何だ?」


 昨日の夜、マンションの前で別れた時と似たような表情の彼女を前に、龍之介の反応も少し強ばっていた。


「麗華ちゃんが来るまで、龍之介たちの事、聞かせて欲しいな。麗華ちゃんや元村くんや、留美ちゃんとの事」

「あいつらの事って……小学校とか、中学の時の話をか?」

「うん」


 優子からの突然の質問に、しかし龍之介は拒むべきではないと判断したのだろう。中学卒業までの九年間を掻い摘んで話した。

 小一の時、偶然にも三人同じクラスになった事。学校のある日も休みの日も皆で過ごし、いつの間にか麗華も含めた四人のグループができあがっていた事。

 中学進学にあたって留実に水泳の推薦が来たが、皆と離れたくないという理由で地元の中学に通い、最終的には推薦のあった学校を水泳で打ち負かした事。

 麗華の中学受験の時に皆で勉強会を開いた結果、何故か凛太朗が学年最下位を一回だけ取った事。

 九年を語るにはあまりにも短い時間の中で、それでも龍之介は分かりやすいようにまとめてみせた。語る最中、優子の顔が少しずつ暗くなっていくのを感じながら。


「とまあこんな感じで、最終的には三人とも西園の高等部に入学して、また四人集まったってわけだ。といっても、レイはまだ学校ではあいつらと顔は合わせてないだろうが」

「そっか……素敵な話だね。まるでドラマでも見てるみたいだった」


 俯いた優子の顔を、長い前髪が隠している。最早その表情を読み取れないくらいに、彼女の顔は暗かった。


「なあ優子……いったいどうしたんだ」

「龍……之介……私って、ここにいていいのかな……」


 優子からの想定外の質問に、龍之介は何も言えず口元を隠すような素振りを見せる。そもそもこの部活を作りたいと言い出したのは優子の方だ。彼女の質問の意図がよくわからない。

 数秒の間、龍之介が何も言えないでいるのを見て、優子はさらに続ける。


「ごめんね、答えにくいよね……えっとね、つまり、龍之介たちの周りではもう四人のグループが九年も続いていて、そこに突然私みたいな異分子が来ちゃって、ずっと龍之介のこと独占しちゃって、なんか皆んなに申し訳ないっていうか……今朝も電車で思ったの。今までここにいたのはるみちゃんや麗華ちゃんだし、これからもそのまま方がみんな幸せなんじゃないかって……」


 だんだんと小声になって行きながらも、自分の心の中から出てくる不安を一気に吐露する優子。言っている事が上手くまとまらず、自分でもどうすれば良いか分からなくなってきてしまっている。


「ねぇ、いいのかな……私ばっかりこんなに――」


 バタンと大きな音を立てて、優子の最期の言葉を遮るようにして部室の扉が開く。

 非常に大きな歩幅で、眼鏡を曇らせてズカズカと部屋に入ってくるその少女は、柳川麗華であった。

 突然の物音に言葉が出ない龍之介を気にかけず、彼女は優子の前までやってきて仁王立ちする。


「いいぞ!」


 ガシっと優子の両肩を掴み、麗華は非常に大きな声で言い放った。


「シバっち! レイたちを甘く見過ぎだ!」

「ほえ……?」


 突然の麗華の介入に、涙ぐんだ目を丸くして彼女の顔を見上げる優子。何が起こっているのか分からない様子だ。


「兄ちゃんもリンリンもルミねぇも、そんな事気にするような雑魚じゃねえし、そんなんで崩れるような仲でもねぇ! うちらの九年はそんな弱っちいもんじゃねぇ! 新しい仲間一人ぐらい、いくらでも受け入れる余裕あるっつーの! だから気にすんな! 気にせずに飛び込んで来いよ!」


 掴んだ肩をぐらぐらさせながら、麗華は声の限りを尽くして言い放った。まるでさっきまでの二人の会話を全て聞いていたかのように。まるで優子の悩みを全て理解し、言葉にできなかった不安までもを打ち砕くかのように。龍之介では、ましてや優子本人ですらたどり着けなかった彼女の心の陰に、しかし一つ年下の麗華は一瞬で到達し、蹴破って見せた。


「レイ……ちゃん……」


 先ほどの体勢から全く動かずに、口元だけ小さく動かして優子は呟いた。


「来いよ、シバっち……」


 肩に添えていた手を大きく広げて、麗華は優しい声で言う。優子にとって、その姿はまるで聖母のように輝いて見えたことだろう。

 この時の龍之介の感情については、困惑の一言のみで済ませられるものであった。自分の前で起こった問題が、自分の理解しえない領域で解決しようとしているのだから無理もない。


「レイちゃん……レイぢゃーん‼︎」


 麗華が広げた腕の中にダイブし、さっきまで瞳に浮かべていた涙を一気に解放する優子。安心したのか、腰も抜けかけている。


「いい子いい子……今まで辛かったんだな……」


 ギュッと優子の身体を抱きしめて、麗華はよしよしと目の前の小動物をあやす。最早どちらが年上なのかよく分からない構図であった。



 φ



 夕刻。結局この日は部活を続けるという雰囲気でもなく、優子がひとしきり泣いた後で三人はそのまま帰路に着いた。別れ際まで優子が顔を暗くする事はなく、龍之介と麗華もなんとなく晴れやかな気持ちで家の門を潜ったのであった。

 が、しかし。玄関にたどり着くまでの道のりで、龍之介が不安そうな声色で呟く。


「なあ、レイ……」


 彼が続けるより先に、麗華が彼の前にサッと立ち、顔を覗き込むようにして右手の人差し指をビシッと突き立てて宣言した。


「先に言っとくけど、兄ちゃんは何も悪いことしてねえから!」


 言ってニカッとはにかみ、真っ白な歯を夕日でキラキラさせる麗華。どこまでもイケメンな妹である。


「ふふっ……そうか」


 すっと息を吸い込み、龍之介は続ける。


「ありがとうな、レイ」

「おー安いご用で!」


 言うと麗華はくるっと振り向き、再び玄関へと歩き出す。

 兄妹というのは恐ろしいもので、今の一言だけで彼女は龍之介を安心させてしまったのだろう。麗華の妹としての一面が、垣間見えた一日であった。



 φ



 一方その頃、柴崎家の小さな部屋のベッドの上には、昨日と同じ体勢でダイブしている優子の姿があった。


「お父さん、お母さん……ありがとう……」


 昨日と同じ写真を眺めているが、しかしその表情は全く曇りっけの無い、綺麗な笑顔である。


「私、幸せだよ!」


 部活としての進捗は一切なかったものの、確実に最初の一歩を踏み出したぶいちゅー部の三人であった。

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