いただきます!
「――次の単語ね。virtual、事実上の、虚像のといった意味で使われる単語よ。ここ数年で一気に話題になったVRのVもこのvirtual。仮想現実と翻訳されるわ。最近じゃバーチャルYouTuberっていうのも流行っているらしいわね。これから身近になっていく単語だから、しっかり覚えておくように」
登校四日目、お昼前の四時間目の授業中である。龍之介も流石に昨晩は普通に睡眠を取ったため、今日は授業に集中していた。
先ほどの先生の言葉から分かる通り、英語の授業である。教師の名は
龍之介が真面目にノートを取っていると、凛太朗が少し振り向いて前から小声で話しかけてきた。
「VTuberって、先生みたいな世代にも把握されるぐらい話題になってんだなぁ」
「無理もない。七時のニュースでも取り上げられたりするくらいだからな」
ノートを取りながら凛太朗を見ずに返すその返事は、いつも通り素っ気なかった。
「ところでさ、ぶいちゅー部の調子はどうよ?」
「ん?」
ペンを止めて、ようやう前を向く龍之介。凛太朗からの漠然とした質問に、どう答えればよいか分からない様子だ。
「何か進展あったの? レイちゃんの行動力なら、既にいろいろやってそうだなと思ってさ」
ペンの頭を顎先に添えて、天井を見上げながら昨日のことを思い出す龍之介。確かに部室の模様替え騒動等はあったが、優子との仲が進展しただけでこれといった進捗は生み出せていないのが事実である。
「まあ、ぼちぼちと言ったところだな。兎に角あと二人、どうにかして部員を集めないといけない」
昨日あった事はあまり事細かに言うべきではないと判断し、当たり障りのないようにはぐらかす龍之介であった。
「それより、お前はどうなんだ? 腰を据えられそうな部活は見つかったのか?」
あまり昨日のことを詮索されても面倒なので、うまい具合に話をすり替える。
「うーん、それこそぼちぼちって感じかな。面白そうだなって思った部活はいくつかあったけど、絶対にここだって所はまだ見つかってない」
両者ともに、今ひとつ大きな進展は無いようである。
「ま、お互い気長にやろうよ。体験期間はまだ一週間残ってるんだし」
「いや、入る部活を探すのと部員を二人集めなきゃいけないのとでは訳が違う気がするが……」
「まあまあ」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる凛太朗に、龍之介は軽く悪態をつく。
「そんなことより、授業聞かなくていいのか。最初のテストで学年最下位なんて事になったらシャレにならんぞ」
「だいじょぶだいじょぶ! 今日やるとこは全部予習して――」
凛太朗が言い終えるより早く、キーンコーンカーンコーンと、授業の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
「はいそれじゃ、今日出てきた単語は次の授業までにしっかりと覚えておくこと! 小テストするからね!」
先生からの一言に、クラス中から軽いブーイングが飛び交う。生徒としては本心から嫌がっているのだろうが、これは小鳥遊先生の親しみやすさの現れでもあった。
「っしゃー! お昼だお昼だ!」
取りきっていないノートをパタンと閉じて、凛太朗は席を百八十度回転させて後ろにくっつける。中学生や高校生が昼休みによくやるアレである。
「お待たせー!」
隣のクラスから優子が小走りでやってきた。よほどお昼が待ち遠しかったのだろう。
登校四日目ともなると学内でのグループがある程度は出来上がってくる頃である。龍之介の隣の席の生徒はいつも購買でお昼を食べているらしいので、優子はこの席のイスを拝借していた。
「ん? 優子、一人か?」
確かに、昨日や一昨日は一緒に教室に乗り込んできていた留美の姿が見当たらない。龍之介の疑問に、優子は少し不思議そうに答えた。
「ああ、るみちゃんねぇ。教室出るときに声かけたんだけど、なんか今日はお昼寝するって言ってたよ」
キョトンとした表情で言いながら、優子はパックジュースにストローを通している。
対照的に、龍之介と凛太朗は何やら納得したような表情であった。
「なるほど、そういうことか」
「留美のやつ、早速いい場所見つけやがったな」
やれやれといった調子で軽く笑って見せる凛太朗。その反応に、優子は質問を続けた。
「いい場所? どういうこと?」
「ああ、柴崎さんはそりゃあ知らないよね。留美はね、週に三回くらいはお昼ご飯を食べずに昼寝してるんだよ。あいつの特等席で」
「特等席……?」
「そう、留美にはお気に入りの昼寝スポットがあってね。中学の時は校舎の屋上とか校庭の木陰とか……あとどこだっけ?」
「体育倉庫のマットの上だ」
「そうそう、それ! 金曜は五限が体育だから使えないって文句言ってたっけ」
「へえ、面白い習性だねぇ」
凛太朗が語る留美の習性に、ニコニコと興味津々の優子であった。
「いただきます」
二人の会話に軽く相槌をうちながら、龍之介は手を合わせた後、大きな弁当箱をカパっと開ける。
「おっ、相変わらず気合の入ったお弁当だねえ、龍之介」
「ああ。今朝は普通に起きて余裕があったからな」
凛太朗からの熱い眼差しが龍之介の弁当箱に対して注がれている。
唐揚げや魚の煮つけにポテトサラダ、綺麗に整った白米の上には小さな梅干しがちょこんと乗っている。味はもちろんの事ながら、栄養バランスもしっかりと考えられた弁当だ。
「えっ、龍之介って……もしかして自分でお弁当作ってるの?」
昨日までとは完成度が段違いなお弁当を見て、目を丸くする優子。パックジュースをちゅーちゅーと吸い上げている。
「ああ、そうだ。肉の焼き加減や野菜の盛り付け方、料理から学べる美術のセンスは多いからな」
「へぇ、すっごい」
お腹がすいているのか、語彙力の低い感想を浮かべて彼女は手持ちのお弁当袋から焼きそばパンを取り出す。
「あれ、柴崎さん、昨日までお弁当じゃなかった?」
彼女の昼食の変わりように、凛太朗は違和感を覚えたらしい。
「あっ、うん……実は今朝なかなか起きられなくて、作る時間無かったんだ……えへへ」
少しだけしょんぼりとして、優子は言った。そういえば今朝の電車はギリギリに乗ってきたなあと、他の二人は思い返す。
「そうか、なら俺の唐揚げを分けてやろう。焼きそばパンだけでは腹が膨れんだろう」
「いいよいいよ! 申し訳ないし!」
言いながらも、優子の目は彼の箸に収まる唐揚げにくぎ付けである。
「遠慮しなくていいんだぞ?」
「遠慮……」
ぼそっと呟き、一瞬だけ優子の時間が停止する。何を考えたのかはわからないが、その数秒の間、彼女は唐揚げとにらめっこしていた。
「じゃあ、いただきます!」
「そうか、ほれ」
言いながら、龍之介は箸に持った唐揚げをそのまま優子の方へと差し出す。
「え、えぇっ⁉」
突然のあ〜んの体勢に、顔を赤らめる優子。
「ん、どうした?」
「どうしたじゃないよ! は、恥ずかしいから!」
「いやでも、お前お箸持ってないだろ」
言われてハッとした表情になる優子。そう、本日焼きそばパンしか食べる予定のなかった彼女は箸を持参していないのである。
「え、えっと……じゃあ……」
差し出された唐揚げに、優子はゆっくりとその口を近づけていく。艶やかな唇をそっと開いて、その小さな口で大ぶりの唐揚げを一気にパクリと頬張った。
「……ふぬ!」
もぐもぐと口を動かしながら、謎の言語を発する優子。二人の男子に見守られて唐揚げを食べる、異様な光景である。
「お……おいひい……」
口に唐揚げを残したままの状態で感想がこぼれた。非常にお行儀が悪い。
「そうか、よかった」
これには龍之介も満足気な表情だ。自分の絵を褒められるのと同じくらい嬉しいものと見える。
大きな唐揚げをしっかりと飲み込み、優子が続ける。
「こんなに美味しい唐揚げ、初めて食べた……しかも作ってから時間が経ってるはずなのに……なんていうか、ジューシー……?」
「お弁当用に、時間が経っても美味しく食べられるように工夫しているからな」
優子からのほめことばで、龍之介のドヤ顔が加速する。
「よかったらご飯も食べるか? 唐揚げにはやっぱり白米だろう」
「い、いただきます!」
少しばかり前のめりになって口を小さく開く優子。龍之介がゆっくりと白米をその口に近づけると、吸い付くかのように白米が消え、綺麗に箸だけが残った。
白米もごくりと飲み込み、目をキラキラとさせる優子。まるで尻尾を振る犬のように、龍之介の弁当箱を見つめていた。
「ご飯も美味しい……」
「よかった。魚も食べるか?」
「食べる!」
パクパクと、龍之介のお弁当を順調に平らげていく優子。餌付けでもしているかのような光景である。
その様子を
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