ミライア・キャリーちゃんに会わせてほしい

 時刻としては、先の修羅場より約十分後にもなるだろうか。本日ぶいちゅー部の部室になったその部屋には、正座して説教を聞かされる高校生二人と、イスに座り腕と脚を組み虫けらでも睨むかのような目つきで二人を見下す中学生という、なんとも奇妙な構図が繰り広げられているのであった。


「じゃあつまり、なんだ。テンションが上がってはしゃいでいた結果のあの体勢であり、全て不可抗力であると、そう言うのかね?」


 非常に不服そうな声で、女子中学生、柳川麗華は呟いた。その目には、怒りとショックが入り混じった涙が潤んでいる。兄の身を真剣に案じたのであろう。


「そ、そうだ。決して何かやましい事があったわけじゃないんだ!」

「うるさい! 兄ちゃんは黙ってて! そこの女に聞いてるの!」


 断固として、優子を攻め落とそうとする麗華。どうやらこの数分で彼女の気が弱い事に感づいて、付け入ろうとしているらしい。嫌な中学生だ。


「そこんとこどうなんだい? 柴崎さん?」

「ひ、ひぇ……」


 ただでさえ初対面の人間と話せばアガってしまう彼女なのだ。そのうえこの態度での尋問となれば、声が出るはずもない。人見知りの少女バーサス大人げない女子中学生、完全に状況は拮抗していた。


「なあ、レイ。そのくらいにしてやってくれ。優子は極度な人見知りなんだ」

「ゆう……こ……」


 ぼふんと、再び赤らめた顔を、ついに優子は両手で覆い隠してしまった。


「うーん……」


 腕を組み、少々考えこんでいる様子の麗華。二人の弁解が信じられないというよりは、啖呵を切ってまくしたてた現状をどう落ち着けるか見失ってしまっているらしい。


「ま、よしとするか。大声立てて怒鳴ったりしてごめんよ、シバっち」

「シバ……え、私?」


 突然の聞きなれない呼び名にきょとんとする優子。


「ああ、すまん優子。こいつ、俺の友達には敬語使わないんだ……」

「あ、いや。ううん、それはいいんだけど。その、ニックネームみたいなのって、初めてつけてもらったから……」


 もじもじと、力が抜けたのか女の子座りになった優子は嬉しそうに言う。


「……なあ兄ちゃん。この子どうやって仲良くなったんだよ」

「まあ、いろいろあってな……」


 龍之介は、昨日からのできごとをかいつまんで麗華に話したのであった。


「なるほど。まあ要するに、紆余曲折あった結果ここでVTuberをやることになったと、そゆこと?」

「あぁ、そういうことだ」


 なかなかに突拍子もない話だが、麗華は案外すんなり受け入れていた。


「了解了解! まあ事情がわかったからもういいや! レイ、生徒会の仕事残ってるからそろそろ行くわ!」

「ん? お前生徒会だったか?」


 ちなみに柳川麗華は中等部三年。一年でもなければこの時期に忙しくしているのは尤もなのだが、龍之介の記憶では彼女は帰宅部だったはずだ。


「あーいや違うの。違うけど、今助っ人で入っててさ。中学の方の生徒会副会長、レイの友達でね。けがしちゃってるから代わりにレイがやってるだけ」

「ああ、そういう事か」

「そゆことそゆこと。んじゃ失礼~」


 言いながら、部屋の入口に向かおうとする麗華を、龍之介が両肩を掴んでがしっと引き留めた。


「ん、何?」

「まあ待てレイ、お前確かパソコンめちゃくちゃ詳しかったよな?」

「うん、詳しいよ?」

「普段VTuberとか見るか?」

「まあ、見る」

「あれがどういう風に動いてるかわかるか?」

「うん、わかる」

「よしレイ、生徒会の助っ人が終わり次第で構わない! ぶいちゅー部に入れ!」


 にやりと不敵な笑みを浮かべて、龍之介は妹に対して高らかに命令した。


「あー……」


 困った風に眉を八の字にして、麗華はこう返す。


「いやまあレイはいいんだけどさ……兄ちゃんそもそもこの話、父ちゃんにした?」

「あっ……」


 しまったと、一瞬にして魂の抜けたような表情になる龍之介。突然の出来事だったのでそこまで思考が及んでいなかったらしいが、確かに画家として全国に名を轟かす父である。そう簡単に、VTuberなどという娯楽に現を抜かすのを許可してくれるとは思えない。


「すまん優子……緊急事態だ」

「へ……?」

「今からうちに来てくれないか」

「えぇ⁉」



 状況が呑み込めない優子。しかしその胸の内は、初めての友人宅訪問とあって、少々わくわくしているのであった。



 φ



 麗華の生徒会代理業務が終わるのを待った後、三人は揃って柳川邸へと帰ってきた。


「すごい……友達の家に来るの初めて……」

「マジか、シバっちって本当にボッチだったんだな……」

「し、しょうがないでしょ! 龍之介に声かける時なんて死んじゃうかと思ったんだから!」


 これまでの事を思うと、あながち冗談とも思えない。


「まあまあ、あまり弄るのはやめてやれ。初めて来る家がうちなんだからなおさらな……」

「あ、薄々感づいてはいたけれど、やっぱこの家って普通じゃないよね……?」

「ああ、普通じゃない」


 捉え方によっては失礼な発言だが、何の違和感もなく受け入れる龍之介だった。麗華もその隣でうんうんと頷いている。

 先に説明した通り、この家は常軌を逸した広さの日本屋敷である。そのせいもあってか、優子の緊張は加速していた。


「じゃあまあ、特にかしこまる必要は無いから、入ってくれ」

「お、お邪魔します!」


 言いながら龍之介が門を開くと、そこにはやはり大きな日本庭園が広がっているわけである。


「ほえ……?」

「まあ、そういう反応になるよな……ここが俺の家だ」


 初めての友人の家、初めての日本庭園、初めての日本屋敷。あまりにも初めてが多すぎて優子の頭はパンク寸前だった。


「お……お邪魔します……」


 緊張のせいで右手と右足が同時に出ている。物珍しげにキョロキョロと辺りを見回す優子を誘導して、龍之介たちは本来の倍の時間をかけて屋敷までたどり着いた。

 ガラガラと重い音を立てて磨りガラスの扉を開けると、そこには巨大な廊下が奥までずっと続いている。


「玄関広っ!」

「ああ、そうか。そういえば玄関も広いんだな……」


 常に住んでいる龍之介と麗華にとっては、どこが普通でどこがおかしいのかわからなくなりつつある家であった。いや、たぶん大部分がおかしいのだろうが。


「お父様! ただいま帰りました! いらっしゃいますか!」

「おーう! 部屋におるぞ!」


 声を張らなければ家の中にいても声を聞き逃すほどの広さである。父の声は、廊下の一番奥の方にある彼の部屋から聞こえてきた。


 靴を脱ぎ、声が聞こえた方へと三人は移動する。ここでもまた、優子の足取りは非常にゆっくりであった。


「こんばんは、お父様」

「おう、お帰り。ん……? その子は……はじめましてかの?」


 部屋の前にたどり着き、挨拶を済ませる龍之介。その隣に麗華だけでなく、見覚えのない子がいることに重之助はすぐに気がついた。


「はい。高校で知り合いました。友人の柴崎優子です」

「し、柴崎です! よろしくお願いします!」


 緊張は隠しきれていないが、なんとか挨拶はこなした優子だった。


「で、なんじゃ? なんか話か?」


 龍之介が帰宅して父の部屋に直行することは少ない。故に、重之助としても何か話があるであろうことは理解していた。


「ええ。その……何から話してよいやら……」

「まあまあ、座れや。客人も来とることじゃし」


 言いながら、重之助は部屋の隅から座布団を三枚持ってくる。和室に座布団という慣れない文化に、ここでも戸惑う優子であった。


「失礼します」

「し、失礼します!」

「ほっほっほ! 柴崎さんと言ったかな? そんなに畏まらんでも大丈夫じゃよ。龍之介がちと丁寧すぎるだけじゃ」


 大きな声で笑いながら、重之助はにいっと歯を見せる。優子を気づかっての事だろう。


「で、どういう話じゃ」

「えっと……部活に関する話なのですが……」

「ほう、なんじゃ」

「VTuberを作る部活を、ここにいるメンバーで作りたいと思っておりまして……」

「なるほど、良いではないか」

「そうですよね、やはりVTuberなんて……え?」


 途中まで言いかけて、龍之介は目を丸くする。


「お父様? 今なんと……?」

「良いではないかと言っておるのだ。聞こえんかったか?」

「いえ、そういうわけでは! ただ、その……お父様、そもそもVTuberをご存知だったのですか?」

「ああ、知っておるとも。部活をやるというのも文句はない。お前のことだ、VTuberのママにでもなるつもりなのじゃろう?」

「え、ええ……」


 父の口から出た意外な言葉に、龍之介は困惑するしかなかった。その隣で、麗華は必死に笑いをこらえている。


「ただし、一つだけ条件がある」

「な……なんでしょう」


 何が提示されるのかと身構えた龍之介たちに発せられた言葉は、しかしまたしても意外な一言であった。


「いつになっても構わんが、ワシが生きとる間に、ミライア・キャリーちゃんに会わせてほしい」

「ぶわぁーっはっはっは!」


 ついに堪えきれず、これでもかというくらい下品に笑い転げる麗華であった。

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