ぶいちゅー部!

 どうにか生徒会長とのやりとりを済ませた龍之介と優子。彼らはそのまま部室棟へと向かっているところだ。


「はー! 緊張したー!」


 やけにテンションの高い優子。別に会話の重圧で壊れてしまったわけではなく、こうすることでさっきまでの緊張を飛ばそうとしているらしい。


「ねぇねぇ、生徒会長のオーラ? みたいなの、すごくなかった?」

「あぁ、流石、トップに君臨する者の覇気といったところだな」

「冷静だねえ、柳川くん」


 ようやく緊張がほぐれてきたらしく、また優子はニコニコと笑い始めた。


「いや、そうでもないさ。事情が変わったからな」

「うん……そうだね。あと三人、なんとしてでも集めないと」


 生徒会長から突然言い渡された、同好会廃止の件。どうにかして部活を成立させるために、合計五人のメンバーが必要になる。


「まあでも、冷静に考えればメカニックとネタ出しあたりができる人間は専門で欲しかったところだ。あと一人は……なんだろうな」

「雑用とか?」

「ふふっ。それで入部してくれるような奴がいればいいが」

「それもそうだね~」


 締め切りまであと十日しかないというのに、どこか能天気な部分のあるコンビであった。

 そうこうしているうちに、二人は部室棟の二階へとたどり着く。彼らに与えられた部屋は、一番端っこの部屋だ。個人的に美術部との距離を気にかけていた龍之介だが、あの忌々しい部屋は一階の逆サイドの端にあるので丁度良い場所だろう。


「ここか……」

「うん。私たちの部屋になる、いや、するんだ」

「そうだな……じゃあ、部長から、お先にどうぞ」


 入り口からささっと身をよけて扉を優子に譲る。龍之介としては、優子が声をかけてきたのだから彼女が部長になって当然と思っていたらしく、優子としてもそこに違和感は無かったらしい。


「えへへ、そう呼ばれちゃうとなんだか照れくさいねぇ」


 言いながらも、手に持っていた鍵を、丁寧にすっと差し込んだ。がちゃりと、軽い金属の音が鳴り響き、部屋からふわっと空気が漏れてくる感覚がある。

 ゆっくりとした足取りで中に入ると、しばらく使われていない部屋に、独特の木の香りが充満していた。


「ふぅーっ。ついに始まるんだ。私のVTuber生活」

「私たちの、だろう?」

「うん、そうだね!」


 すると、あっと何か思いついたかのような反応を見せる優子。


「はいこれ、片方は龍之介が持ってて」


 彼女の小さな手のひらには、部室の鍵が一つだけ握られていた。


「ああ、そうだな……ん? 今、下の名前で呼んだか?」

「あ! バレた!」


 目を丸くして、流石だねぇと飛び跳ねる優子。少しばかり顔をあからめてこう付け加えた。


「お昼休みにね、るみちゃんや元村くんが龍之介って呼んでて、あ、なんかいいなって思ったの。だからその……いいかな?」

「もちろん。その方が親しみがあっていい。俺も優子と呼ばせてもらうよ。これからよろしくな、優子」

「ほえっ!」


 ぼふんと、頭が破裂したように真っ赤になる優子。どうやら下の名前で呼び返されるところまでは想定していなかったらしい。


「わわわわわわ、ま、まだ心の準備が!」

「いや、名前で呼ばれるのに心の準備が必要なのか」

「そ、そのほら……私、今まで下の名前で呼び合う友達とかいなくて……家族とかにしか呼ばれたことなくて……」

「なるほどなぁ、じゃあまあ、少しずつ慣れていこう」

「う、うん。よろしく」


 妙に甘酸っぱい雰囲気の漂う部室であった。


「さて、じゃあとりあえず机とイスが来るまで、今後の流れをおさらいしようか」

「う、うん。そだね」


 切り替えの早い龍之介と羞恥を引きずりがちな優子。なかなかに面白いコンビだ。


「まず、部員の勧誘についてだ。とりあえずポスターは俺が作る。活動内容と必要な人材がわかりやすいデザインを心がけよう」

「うん、お願い。活動内容はVTuberの創作と活動。必要な人材はさっきも言ってた通り、メカニックとネタ作りと……雑用?」

「まぁ、最悪一人は数合わせになるかもしれないな。そこを納得できる人物がいれば嬉しいが。雑用も含めて、来る者を待つだけでなくこちらからも積極的に探すようにしよう」

「了解!」


 みるみるうちに計画が整っていく二人。高校生にしては非常に卓越した処理能力である。


「あとは……そういえば、部活の名前は考えてあるのか? 一番肝心な所だし、名前の雰囲気でポスターのデザインも大きく変わってくる気がする」

「ふっふっふ……それならもう考えてあるよ!」

「おお! 勿体ぶるな、早く教えてくれ!」


 眼をキラキラと輝かせる龍之介。変人二人、ここにありといった調子だ。


「発表します! 我が部の名前は!」


 一度ギュッと胸の前で結んだ両手を、ぱあっと解き放って彼女は高らかに宣言した。


「VTuber Creators Hallelujah Union、略して! V-CHU部!」


 決まった! と言わんばかりにそのまま天を仰ぐ優子だった。


「ぶいちゅー……部?」

「そう! ぶいちゅー部!」

「ハレ……ルーヤ?」

「そう! ハレルーヤ!」


 数秒の沈黙が部室に訪れた。流石の龍之介も、斜め上を行く提案に言葉が出ないらしい。


「えっと……詳しく説明してもらおうか」

「……何を?」

「ハレルーヤだよ!」


 すっとぼけた顔をする優子に対し、すかさずツッコミを入れる龍之介だった。


「あちゃー。やっぱそこつっこまれるかー」

「当たり前だ。一箇所だけ毛色が違いすぎるだろう」

「えへへ。実はね、先にぶいちゅー部の略称から思いついちゃって、VとCとUはそれっぽい単語がすぐに思いついたんだけど、Hがなかなか出てこなくてね……」

「お前……まさか……」

「『H かっこいい単語』でググった!」

「おぉ……」


 あまりにも安直な行為に、片手で頭を抱える龍之介。しかし、その中は既に別の思考へと移っていた。


「いや、しかしそれも有りか……堅苦しい横文字を並べただけの略称よりも、なんだこれはと人の目を引く単語が入っているのはマーケティング効果が期待できる……加えて『ぶいちゅーぶ』という親しみやすい語感……いける……いけるぞ……」


 読者諸君にとってもそろそろなじみ深い光景になってきたであろう、龍之介のが入った瞬間である。いつものように、鞄の中からスケッチブックをすさまじい勢いで取り出し、彼は頭の中に下りてきたものを、今回はサインペンでサササと描き上げていく。


「できた! 募集ポスターのデザイン、こんなのでどうだ!」


 そこに描かれていたのは、可愛らしいポップ体の『ぶいちゅー部』の文字に、スタイリッシュな縦書きになった英語が並び、求人票のような役職リストが添えられた、非常に見やすく整ったポスターの原案だった。


「おぉ! すごい! まさかとは思ってたけど、デザインもここまでできるんだね」

「まぁ、絵が絡むような事には一通り手を出しているからな」


 ほほーと感心する優子だが、ここで一つポスターに違和感があるのに気付いた。


「あれっ、でもなんでイラストレーターまで募集してるの? 龍之介がいるから大丈夫なんじゃ……」


 不思議そうな、そしてどこか不安げな顔をして優子は問いかけた。


「いい所に気づいたな。もちろんイラストレーターはもう必要ない。しかし、この表記はポスターにあえて残しておく。残した上で、印刷されたポスターの上から『募集締め切り』のシールをこの部分にだけ貼ってやるんだ。そうすることでなんと!」

「な、なんと……?」


 こんどは龍之介がバッと両手を大きくかかげ、若干もったいぶった後、満面のドヤ顔でこう言った。


「ポスターを張った直後なのに既にイラストレーターが入部希望を出した、今人気絶頂中の新進気鋭な部活であると錯覚させることができるのだ!」

「な、なんだってー!」


 楽しくなってきてしまったのか、わざと大げさな反応を見せる優子。しかし、龍之介の策は実際に驚くべき印象操作である。


「これで気に掛ける人間が増える事は間違いなしだ!」

「すごい! すごいよ! やっぱ龍之介に頼んで正解だっ――」


 言いながらぴょんぴょん跳ねていた優子だったが、意外にも小さなジャンプからの着地というのは失敗しやすいもので、足首のところをひねってしまった。それだけならばまだ良かったのだが、倒れた方向というのが龍之介の胸の中へまっしぐらだったのである。

 龍之介も突然の出来事にその体重を支え切れず、少し後ずさりして体勢を整えようとはしたものの、やはりそのまま後ろへと倒れこんでしまった。


「あっ……龍之介……その……」

「えっと……」


 状況としては、優子が龍之介の上にのしかかって顔と顔が至近距離にあるわけである。自分が引き起こした事態とはいえ、今まで下の名前で呼んでくれる友達がいなかった優子だ。この状況で動転せずにいられるはずが無かった。頭の中は真っ白である。

 龍之介は龍之介で、この状態だ。加えて――しまった、読者諸君に一番大切な優子の身体的特徴を説明するのを忘れていた。非常に申し訳ないことをした。今ここで謝罪とともに補足しよう。この少女、目を見張るサイズの巨乳である。

 優子の体重とはまた違った柔らかな重みが、彼女の鼓動と共に微かに波打って彼を誘惑するのであった。


「優子……落ち着いて……ゆっくりと体を上げて俺から離れるんだ。聞こえてるか? 優子……?」

「ふぁ……えっ、私いま、龍之介の前にいて、えっと、二回も名前で呼ばれて、うぇええ!」


 目がグルグルし始めている。このままでは龍之介の声が優子に届く事などあり得ないだろう。


「とにかく、落ち着い――」


 龍之介が優子をどうにかなだめようと再び声をかけたその時、部室の扉ががちゃりと開いた。


「ちわーっす。文化部用の机とイスを届けに参りやし――兄ちゃん⁉」

「レ、レイ⁉」


 そこに立っていたのは、西園学園中等部の制服に身を包んだ、可憐な茶色い長髪に赤いメガネが特徴的な娘であった。ちなみにこちらはつるぺたである。

 兄ちゃん、と彼女が発したことから理解いただけるかと思うが、この少女、龍之介の実の妹、柳川 麗華れいかである。昨日、アイスを頬張りながら龍之介のスランプを全く気にかけていなかった、あの少女だ。


「兄ちゃん……兄ちゃん――に何さらしとんじゃこのクソアマがぁ!」


 絵に描いたような修羅場であった。

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