私、恵まれてる……

「父ちゃん! マジか! マジで言ってんのか!」


 先ほどの、重之助から提示された想定外の条件に、ヒーヒーと笑い転げる麗華。それも仕方がないだろう。自分の父親の口からミライア・キャリーの名前が出たのだ。それもただの父親ではない、荘厳な画家として全国に名を馳せている柳川重之助、御年五十歳の口から。


「ああ、マジじゃとも。ワシはキャリーちゃんの大ファンじゃからな」


 息子たちの眼前でも恥ずかしがることなく推しを宣言する重之助。ファンの鑑である。


「そ、そうですか……それはその、なんというか……」

「本当ですか! お父様!」


 反応に困る龍之介をよそに、重之助の言葉に目をキラキラさせて優子が話に入り込んできた。


「素晴らしいご趣味だと思います! いったいいつから⁉︎」


 先程までの緊張は何処へやら、突然饒舌になる優子だった。好きな事の話になると一気に口が回るようになる、典型的なオタクというやつである。


「ほほう、聞いてくれるかね柴崎さんや」


 重之助は重之助で、ようやく話のわかる相手に出会えたのだろう。その口元は一気に緩み、最早普段の荘厳さはかけらも残っていなかった。

 彼はゆっくりと腰を上げ、そのまま部屋の窓の方へと歩みを進める。見ると既に太陽は地へ沈み、重之助の視線の先には綺麗な満月が輝いていた。


「思えばワシのきっかけも、ある種のスランプじゃった……」


 ここまで聞いて、龍之介の面持ちは少しばかり真剣なものになる。そう、彼や麗華は知っていた。重之助が半年ほど前、非常に大きなスランプに陥っていたのを。


「そんな時に出会ったのが、VTuberの輝夜姫ちゃんじゃった……」

「待て待て待て! 話が飛びすぎだろう!」


 一瞬の真剣な面持ちを返せと言わんばかりに、龍之介がツッコミを入れる。彼が父親に対して敬語を使わないのは珍しい事であった。

 輝夜姫とは、キズナ・マイやミライア・キャリーらとともにバーチャルYouTuber四天王に数えられるVTuber界の大御所である。


「ほっほっほ。すまんな、順を追って話そう。アレはスランプを自覚して三日ほど経った時の事じゃ。ワシは全ての気力を削がれ、なんとなしに布団の上でスマホを眺めておった」


 打ちひしがれた結果ダラダラとスマホを眺めるという、さながら十代のような行動を取る老人には、しかしもう誰もつっこまなかった。全てに反応していてはキリがないとの判断だろう。


「そんな時、SNSで話題になっておったのがVTuberというものじゃった。聴き慣れん単語に少々興味が湧き、なんとなしに再生してみたのが輝夜姫ちゃんの動画だったんじゃが……」


 ここまで言うと、重之助はくるっと三人の方へ向き直る。見るとその顔は、ふふっと苦笑いでも浮かべているようだった。


「彼女の動画によく登場するエビフライのキャラクターがおってな。二次元の単純なイラストなんじゃが、こーれがまた下手くそな絵でのぉ! はっはっは!」


 言われて聞き手三人は、ああ、あれかといった風な表情である。昨日VTuberにハマった龍之介でも認識している程度には認知度の高いキャラクターだった。


「じゃがあの絵には、人を笑顔にする力が篭っておった。動画をみておるうちに、だんだんと心が温かくなっていってのぉ。気付いた時には、他のVTuberにも大ハマりというわけじゃ」


 めでたしめでたし、と言った具合に話を終える重之助。しかし何か大切な部分を聞き逃している気がする。


「ちょっと待て父ちゃん! スランプはどこ行ったんだよ!」


 ああそういえばと、麗華の言葉に気づかされる龍之介と優子。しかし重之助の返答は思いもよらないものであった。


「ああいや、スランプはハマるきっかけだっただけじゃ。治ったのには関係ないぞ」

「へ……?」


 ポカンとした表情の三人に対して、重之助は非常に軽いノリで続ける。


「いやあ、何となしに右手に違和感を感じたんで病院に行ってみたんじゃがな。骨折しておったわ! はっはっは!」

「はっはっは! じゃねえんだよ父ちゃん! なんでその時に言わなかった!」

「い、いやだって……医者からもすぐに治るって言われてたし……」


 娘に叱られて、体をしゅんとさせる重之助。両手を合わせて、いじいじとしている。


「全く……お母様が聞いたら何とおっしゃるか……」

「まあまあ、そう言うでない」


 息子からの呆れごとも適当にあしらい、重之助は続ける。


「そんなわけで、バーチャルYouTuberをやりたいと言う話、特に反対するつもりはないぞ。やるからには、全力でやってみるといい。ワシから言いたいのはそれくらいじゃ」


 言いながら、腕を組んで再び威厳を取り戻す父親であった。


「はい。ありがとうございます」

「柴崎さんも、うちの愚息をどうかよろしく頼むよ」

「は、はい! ありがとうございましゅ!」


 安心感からか、言葉が少々震えている優子であった。


「よーっし、んじゃ今から作戦会議だな! レイの部屋で!」

「あっ、でもそろそろ時間が……」


 気合いの入る麗華に対し、優子は窓の外の暗さが気になってくる頃だった。七時を過ぎ、お腹も空いてくる時間だ。


「そろそろ夕飯の時間じゃろう。柴崎さんも、よかったら一緒にどうだね?」

「いっ、良いんですかあ⁉︎」


 言いながら、目をキラキラとさせる優子。遠慮しているのは言動だけである。


「良いんじゃよ。知り合って間もない頃じゃろう? 親睦を深めると良い。心配されんように、家の人にはちゃんと連絡を入れておくんじゃぞ」

「あっ、はい」


 言いながら、一瞬どこか寂しげな表情を見せる優子であったが、こういった感情を隠すことには長けているらしい。他の三人は、その顔に気付いた様子は一切無かった。



 φ



 鈴白町のとある路地裏、街に似合わぬ真っ白な高級車が一台走り抜けていく。後部座席に優子と龍之介を乗せて、運転するのは柳川家の執事であった。

 或るマンションの前まで来ると、優子が口を開く。


「あっ、ここです。そこの路肩に止めてください」

「かしこまりました」


 車が止まると、優子は荷物をまとめて龍之介の方へと向き直る。


「ありがとうね。えっと……感謝しなきゃいけない事いっぱいすぎてもう訳わかんないや、えへへ」


 言いながらはにかんだ顔は、路地裏の暗闇でもはっきりと分かるほどに輝いていた。


「いや、こちらこそ。今日はすごく楽しかった。それにしても、本当に近かったな……」


 同じ街の、徒歩で移動しても十分とかからないであろう場所に、優子の家はあった。今まで出会わなかったのが不自然なくらいだが、ちょうど校区を跨いでいたせいであろう。


「ふふっ、執事さんも、ありがとうございました!」

「いえいえ、お安いご用で」


 バックミラー越しに、白髭の生えた口をにかっとして見せるじいやだった。


「それじゃ、また明日ね、龍之介」

「いや、部屋まで送ろう」

「だっ、大丈夫! ここでいい!」

「そ、そうか。気をつけてな」

「うん、それじゃ!」


 言いながら、優子は元気よく車を出て行った。


「じいや、出してくれ」


 マンションに入っていく優子を見送り、龍之介が小さな声で呟く。


「よろしいのですか、坊ちゃん? 柴崎様のあの表情は……」

「ああ、やはり気付いていたか。だがまだ会って二日だ。深入りするような仲ではない」

「左様でございますか。それでは」


 言いながら、じいやは車をゆっくりと発信させる。ブロロロロという乾いたエンジン音が、鈴白の街に悲しく溶けていった。



 φ



「ただいまー」


 マンションの一室、柴崎優子は一人帰宅し、部屋の電気を付ける。


「はあ、楽しかった……」


 一日の疲れが溜まったのだろう、優子はそのまま部屋の隅のベッドにうつ伏せにダイブした。

 何を言っても家族からの返答は無い。そもそもこの家、キッチンや洗面所の他には優子が今いる部屋しか無く、ここにも勉強机とベッドしか置かれていない。おおよそ、高校生が家族と暮らしているとは思えない、いわゆる一人暮らし用のマンションである。


「ふふっ……楽しかった……本当に楽しかった……」


 一人で呟く優子の声は、その台詞とは裏腹にどこか寂しげだった。


「いいのかな……私ばっかりこんなに幸せで……お父さん、お母さん」


 言いながら顔を上げた優子の視線の先には、一つの写真立てが置いてある。中には少々古びた質感の写真が収められており、一人の少女とその両親と思しき人物が手を繋いで笑っていた。


「私、恵まれてる……」


 ボソッと呟く優子の頬を、一筋の涙が流れていった。

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