なってやろうじゃないか! VTuberのママってやつに!

「描け……ない……」


 広い和室の中心でうなだれる一人の青年、柳川龍之介。昼過ぎにスランプを自覚して以来、約五時間様々な絵を描いてみたが、どれも描けない。本格的に気力が失われつつあった。


「なぜだ……何故描けない……急にどうした……」


 畳の上を行ったり来たりして気を逸らす龍之介だが、考えていてもスランプは治らない。


「そうだ! 庭の池なら……」


 ボソッと呟き、スケッチブックと鉛筆を手に取って彼は庭へと走った。

 柳川家の庭、日本庭園の中央にある広い池。彼が五歳の頃、一番初めにコンクールで賞を取った作品が、この池の鉛筆画だった。今まで経験した小さなスランプは、全てこの池の絵を描いているうちに脱却できたという、とんでもないジンクスを抱えた池である。

 池の近くの大岩に座り、いつも同じ構図で描くのが龍之介流だ。


「よし、この場所なら……ふふふ……今に見てろよスランプ……」


 スランプに対して語り掛けているあたり、既に正常ではない。

 それでも彼はスラスラと、慣れた手つきで池の絵を描き始めた。


「行ける……行けるぞ!」


 流石に描き慣れた風景なだけあって、その絵は短時間でできあがった。


「よし、描けた! が……これは……」

「ほう、これはこれは……」


 これでもかと完成した絵を掲げる龍之介の横から、じいやが顔を出してスケッチブックを眺めていた。


「悲しみ……いや、困惑……ですかな、坊ちゃん?」

「わかるのか、じいや……」

「えぇ、そりゃあもう、坊ちゃんのこの絵は何百枚と見て参りましたから」


 じいやの言った通り、龍之介もこの絵の中に困惑を感じていた。こんなに真っすぐに絵と向き合っているというのに、いったい何に困惑しているのか。


「わからない……どうすりゃいいんだ……」

「重之助様にご相談するというのはどうでしょう……?」

「それだ! ありがとうじいや! すまんが夕食も抜きで頼む!」

「よろしいですが……体調を崩されませんように……」

「体調よりも大事なものを崩しているのだ!」


 真っ先に思いついてもいいような提案に心の底から感謝し、屋敷の方へと再び駆けていく龍之介だった。



 φ



「お父様! お父様いらっしゃいますか!」


 ダダダという大きな足音とともに屋敷の中を猛ダッシュする龍之介


「なんじゃ! 騒々しい! 聞こえておるわ!」


 重之助の部屋の前でキキーっとブレーキをかける龍之介。父親の姿が目に入るや否や、彼はすぐさま問いかけた。


「絵が描けないのです! どうすればよいでしょうか!」

「描けんてお前……庭の池は」

「試しましたとも! しかし絵に浮かぶのは困惑の感情のみなのです! あの池でダメなら、俺はもうどうしようも……」

「ほう……困惑か……」


 少しばかり考え込むような姿を見せる重之助。すると思いついたようにこう言った。


「龍之介よ。最後にと思ったのはいつじゃ」

「えっと……今朝! 今朝の入学式の時です!」

「そうか、ではその時からの記憶をゆっくりと思い返せ。その中に原因があるはずじゃ」

「なるほど! ありがとうございます!」


 言うと龍之介は再びダッシュで部屋の方へと戻って行った。


 彼が走って行ったのとは逆の側から、テクテクとパジャマ姿の少女がアイスを咥えて歩いてくる。


「……兄ちゃんどしたの?」

「なあに、ちょっと大きめのスランプにハマっただけじゃろ」

「ふうん、そっか」


 どうやら本人以外はあまり深刻に受け止めていない様子のスランプであった。



 φ



 自室へと戻り、龍之介はそっと瞳を閉じる。そしてゆっくりと今日一日を思い返した。

 桜並木と生徒会長の絵を描いたこと。柴崎優子と出会ったこと。VTuberを知ったこと。美術部を見に行ったこと。城ケ崎にコーラをぶっかけたこと。そして、絵が描けなくなったこと。


 今日一日、聞いたことや言ったことがぐるぐると頭の中を駆け巡る。


『すっごく上手だと思います!』

『自分の絵が褒められるのは、やはり嬉しいものだな』

『バーチャルYouTuberに興味ありませんか!』

『美術部に入ろうかと決めていた所なんだ』

『龍之介にママになってもらいたいんだと思うよ』

『初めまして! 私の名前はキズナマイです!』

『くだらんな』

『違うもん!』

『こんにちは、一年四組の元村凛太朗です! 部活見学に来ました!』

『お前、柳川龍之介だよな? 一本松の。俺、実はあの絵の大ファンでさあ』

『何が望みだ?』

『絵ぇ描くの、やめてくんねぇかな?』

『俺は絵を描くのをやめない』


「……柴崎……優子」


 ふと、今日一日を思い返して気にかかったのは彼女の事だった。絵が描けなくなったのだ、当然城ケ崎との一件に目が行ってしまっていたが、どうやら心に引っかかっていたのはもう少し前の事だったらしい。


「悪いこと……したな……」


 昼間は熱くなってああ言ってしまったものの、やはり冷静に考えてみると自分の発言は度が過ぎていた事に気づく。


「バーチャルYouTuber……見てみるか……」


 そう言って龍之介は、初めて絵を描く以外の目的でパソコンを立ち上げたのだった。



 φ



「おーい、起きてるか~」


 自転車を漕ぎながら、隣の寝坊助に声をかける凛太朗。そこには、瞼がほぼ閉じ切っている状態で自転車を漕ぐ龍之介の姿があった。


「なんだって登校二日目からそんなに眠そうにしてんだよ。今日から普通に授業だぞしっかりしろ」

「んあぁ、眠ぃ」


 ふらふらと危なげな足取りで自転車を前に進める龍之介。自転車が立っているのが奇跡的なレベルだ。


「いい加減にしねぇと事故るぞ。電車の中でもずっと寝てたし、いったい何だってんだよ。なぁ、留実からもなんとか言ってやってくれよ」


 そう、龍之介を挟んだ凛太朗の反対側には、同じく自転車を漕ぐ清水留実の姿があった。この三人、小学生時代からの幼馴染である。


「無駄だって。この状態になった龍之介、時間が経たないと元に戻んないじゃん。どうせ朝まで絵でも描いてたんでしょーに」


 スマホで連絡を返しながら、器用に片手で自転車を運転する留実だった。


「ってかお前もそれしまえ! たぶん普通に犯罪だから!」

「はいよ~」


 龍之介のスランプも露知らず、三人の平和な朝が始まるのであった。



 φ



 午前の授業が終わり、昼休みが始まる。前述し忘れていたが、西園学園は私立の自称進学校なので二日目からいきなり六限目まで授業がある鬼畜仕様である。


「龍之介~起きろ~昼飯だぞ~」

「ん……あと五分……」


 どういうわけか未だに眠気の取りきれない龍之介だった。



 φ



 一方その頃、隣の教室では美術館女子たちによるゆる~い会話が繰り広げられていた。


「優子、おつかれ! お昼一緒に食べよ?」

「あっ、るみちゃんお疲れ~。お弁当?」

「うん! 優子も?」

「お弁当だよ~」


 一見するとありえない二人の組み合わせにクラスは少々ざわついていたが、そんな事はお構いなしといった雰囲気の二人だった。


「あっ、そうだ。隣のクラスに友達いるんだけど、よかったらあっち行かない? 優子のこと紹介するよ」

「えっでも、私が入っても大丈夫かな……?」

「大丈夫大丈夫! 二人ともいいやつだしさ!」

「そっか……それじゃ、お願いしよっかな」

「よし決まり! んじゃ行くよ!」


 優子の手を引っ張って隣のクラスまで行く留実。何も事情を知らないのは、彼女だけであった。


「昨日見てた絵、覚えてる?」

「うん? 覚えてるけど……」


 留実からの突然の質問に、少々困惑する優子。急にどうしたんだろうと言いたげな表情だ。


「実は友達の片方があの絵描いたやつでさぁ! 見たらびっくりすると思うよ! あの絵からは想像できないくらいヒョロいの!」

「えっ……」


 キャハハと満面の笑みを浮かべる留実に対して、さっと一瞬にして顔が青ざめる優子だった。無理もない、あんな事があった翌日なのだから。

 しかし、留実は彼女の手を引いて先行してしまっているのでその表情に気づく様子はない。


「ちょ、ちょっと待っ――」

「おーい! 龍之介! 凛太朗! 飯食いに来たぞー!」

「おっ、留実……いぃ⁉」


 この反応も尤もである。凛太朗が教室の後ろの方へ目をやると、留実と一緒に昨日のVTuber少女が来ているではないか。流石の龍之介も凛太朗のこの反応には目を覚まして後ろを振り向いていた。


「おぉ、留実……いぃ⁉」


 凛太朗とほぼ違わぬ反応だった。バリエーションに乏しいコンビである。


「あっ、えっと、柴崎さん……? なんで?」


 寝起きのせいもあり言動があやふやになる龍之介。無理もない、昨日アレだけ言った相手なのだから。


「えっと……柳川くん……これは、その……」


 きょとんとした表情の留実が、二人の間で交互にその顔を見て佇んでいた。


「あれ……? なんか訳あり……?」

「ちょっと来いてめぇ!」


 言いながら凛太朗は留実を教室の隅っこの方へ引っ張っていった。


「なんでお前と柴崎さんが一緒にいんだよ!」


 周りに聞こえないよう、ウィスパーボイスで、しかしはっきりと凛太朗が問い詰める。


「なんでって、えっと……昨日、美術館で知り合って……」

「美術館って……もしかして一本松のか?」

「う、うん」


 少しばかり考え込んだのち、凛太朗が続ける。


「なるほど……だいたい読めたぞ……つまり……」


 言いながら凛太朗が二人の方を振り向いた時、こちら側でアクションがあった。


「その……柴崎さん……昨日は、その……」

「き、昨日はごめんなさいでした!」

「えっ」

「えっ」

「えっ」


 三種の異なる『えっ』であった。いや、それどころか優子の声が大きすぎて教室中から『えっ』が発動している。


「あのその、昨日あの後実は美術館に柳川くんの絵を見に行って……ホントにすごい人なんだなって、私失礼なこと言っちゃったなって反省したんです。あんなに素敵な絵が描ける人を、私の私情で巻き込むのはよくないなって。あ、あとそれから、体育館でいろいろ勝手に喋っちゃった事も! いろいろ本当にごめんなさいでした!」


 一気に言い切ってぺこりと深くお辞儀をする優子。後頭部の髪留めがぴょこぴょこしている。


「いや……その、俺も悪かった! すまん!」

「えっ」

「えっ」

「えっ」


 またも『えっ』が連発されたが、もはや取り巻き組二人の反応など龍之介と優子には聞こえていない。


「俺もその、昨日VTuberの事悪く言い過ぎたなって思って。昨日帰ってから、いろいろと調べてみたんだ。有名なVTuberの動画を、たぶん百本くらいは見た。てかハマりすぎて気づいたら朝になってた」

「いや寝ぼけてた原因VTuberかよ!」


 あまりにも頓珍漢な理由に、ツッコまずにはいられない凛太朗だった。


「んで、思ったんだ。VTuberって素敵だなって。人を笑顔にしたり、心から笑わせたり、感動した動画もあった! だからその、昨日VTuberの事を悪く言って本当にすまん! この通りだ!」


 同じように深々と頭を下げる龍之介。異様な光景が、教室の端で繰り広げられていた。


「あー、だいたい全部読めたわ」


 二人の謝罪が終わった頃合いで、留実が間に割って入る。


「んじゃお互いに謝罪して、仲直りもしたことだし、優子も今日からウチらの友達ね!」

「あれ、そういえばなんで留実が柴崎さんと一緒にいるんだ?」


 そこの状況が未だに呑めていない龍之介だった。


「それはまぁ、昨日偶然ねぇ?」

「ねー?」


 調子良さそうに茶化す留実に対し、同じようにニコっと笑って返す優子。

 その表情を見たとき、龍之介は雷にでも打たれたかのような表情を浮かべる。昨日、体育館で生徒会長を見た時と同じような、あの表情だ。


「柴崎さん、ちょ、ちょっとストップ!」

「えっ……?」

「行ける……行ける行ける行けるぞ!」


 瞬間、彼は机の中からスケッチブックと鉛筆を取り出した。その筆筋に迷いや困惑は一切なく、昨日の桜並木と同じかそれ以上の速度でスケッチブックが埋まっていった。


「ふぅ……描けた……描けたぞ……!」


 普段の絵を描き上げた反応と比べるとかなり大げさだったため、流石の凛太朗と留美も少し不可解だった。


「龍之介……ダイジョブ?」

「あぁ、すまん。実は昨日からスランプに陥っていてな。ようやく満足の行く絵がかけてほっとしている」

「昨日からって、昨日も体育館で満足の行く絵描いてたじゃん」

「あぁ、だから厳密には昨日の昼からだな」

「……なぁ留美、龍之介のスランプってだいたい一日で終わってる気がするけど……」

「うん……これってスランプなのかな……」


 家族が誰一人として龍之介のスランプを心配しなかった理由は、おそらくコレだろう。


「あの……柳川くん? もう動いてもいい?」


 龍之介のストップ指令が出て以来、律儀に体勢を変えずに待っていた優子が口を開いた。素人が体勢を保っていられる間に描けてしまう龍之介の技量も大したものである。


「あぁ、すまない柴崎さん。もういいぞ」

「相変わらずすごいスピードだったね……その絵、見せてもらってもいい?」

「うむ。気に入ってもらえると嬉しい」


 見るとそこには、先ほどの留美とのやりとりではにかんだ表情の優子の絵が、見事に収められていた。

 優子の目は、今日は涙ではなく感動でキラキラしている。


「す……すごい……向日葵みたい……」

「向日葵……か。花言葉は確か、あこがれとか尊敬の念が多かったな」


 描いてもらった絵を花で例える優子も変わり者だが、その花言葉が瞬時に出てくる龍之介もたいがいである。


「んもう! 二人とも難しいこと言わないの! シンプルにすごいでいいじゃん!」


 絵を挟んでいる二人にまとめて腕をまわし、ニカっと笑う留美だった。


「うん、ホントだね……ほんと、柳川くんはすごいよ。美術部でも、頑張ってね」

「あぁ、そのことなんだがな……美術部には入らないことにした」


 うんうんと頷く凛太朗であったが、他の二人はきょとんとした表情である。


「えっ、なんで……?」

「まぁ色々と事情があってな。その、もしよかったら、柴崎さんのお手伝いをさせて貰えないか?」

「それってその……つまり……」

「なってやろうじゃないか! VTuberのママってやつに!」

「うそ⁉ ホント⁉ やった! 嬉しい!」

「やったじゃーん! 今日は祝賀会だ!」


 特に役にたったわけでもないのにしれっと輪に入る凛太朗である。

 クラス連中も、この盛り上がりにポカンとした表情で耳を傾けていた。


「ねぇ、ちょっと凛太朗……」

「ん?」

「VTuberって……なに……?」


 状況が呑み込めず、一人ポカンとしている少女がここにも一人いるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る