俺は絵を描くのをやめない

 二人で部室を後にした龍之介と城ケ崎部長。やってきたのは、部室棟の屋上だった。普段は暇を持て余した学生がたむろしている場所だが、勧誘期間にそんな生徒はいなかった。


「いやぁ、わざわざ連れまわして悪かったな。なんか奢るよ」


 言いながら、ニコニコと階段横の自販機に小銭を入れる城ケ崎。


「ありがとうございます……じゃあ、コーラを」


 どうにも歯切れの悪い様子の龍之介である。部室に入った時から、何か気になる事があるようだ。

 買ってもらった缶コーラも、タブを空けずに制服のポケットにしまっていた。


「いやぁ、それにしても見事だったよ、あの一本松は。美術館で実際に見たが、俺は感動した」


 一本松とは、龍之介が一番最近コンクールに応募した絵のタイトルである。崖の上に佇む覇気のある松の絵が評価され、一週間ほど前から近所の美術館に飾られていた。


「なぁ、教えてくれや、いったいどうすりゃあんな絵が描けんだよ」


 今しがた買った缶コーヒーを飲みながら、城ケ崎はくいっと龍之介の顔を覗き込む。その目はまっすぐ龍之介を見ているが、あまり穏やかではないオーラを解き放っていた。


「……何が望みだ?」


 龍之介の口からこぼれたのは、あまりにも唐突で文脈を無視した質問だった。


「あぁ?」


 城ケ崎もこれには不機嫌を露わにして返答する。


「何が望みだと聞いているんだ」

「お前、先輩に対する口の利き方とか、教わらなかったのか?」

「生憎だが、お前のようなゲス野郎に対して払う敬意は持ち合わせていないんでな」


 龍之介の生意気な反応に、しかし城ケ崎はクククと笑って受け答える。


「ははっ。俺がゲス野郎だって? 酷いじゃねぇか柳川くんや。俺がお前に何したってんだ?」

「あの部屋を見ればわかるさ」


 龍之介の毅然とした態度に、流石に城ケ崎もやや怯んだらしい。少し後ずさりして、彼の顔をじっと見つめている。


「すばらしい部室だ。画材も資料も良いものが一通り揃っている。きっと良い成績を出して、たくさんの部費が下りているんだろう」

「あぁ、そうだ。俺の指導のおかげで優秀な部員だらけだからな」

「だったらあの絵は何なんだ!」


 龍之介の唐突な叫びが、屋上に響き虚空へと消えていく。


「あんなに素晴らしい環境で絵を描いているというのに、なんだあの部員たちの絵は! 確かにみな素晴らしい技術だ。生半可な指導では描けない領域に達している。だが彼らの絵から感じられる感情は恐怖や悲しみ、怒りでしかなかった! あんなに恵まれた環境で描いているのにだ! お前は部員たちに、いったい何をしているんだ!」


 龍之介が最初から城ケ崎を警戒していた理由はこれだった。彼は部室に入り一目で気づいたらしい。部員たちの絵の中に、幸せな感情が一切見て取れないと。とても常人の感覚ではないが、十五年間も絵を描き続けてきたからこその感性なのだろう。


「へぇ……そっか、お前わかるのかよ。すげぇな……これが天才ってやつか……」


 絶望と怒りが入り混じったような複雑な表情をする城ケ崎。明らかに危険度が増しているのがわかる。


「だったらもう、単刀直入に言うよ」


 はぁっと一息噴き出して、彼は龍之介に詰め寄りこう言い放った。


「絵ぇ描くの、やめてくんねぇかな?」


 それはお願いなんて生ぬるい物ではない、最早脅しに近いトーンで発せられた言葉だった。やめると言わなければやめさせてやるぞと、そう言わんばかりの言圧げんあつである。


「もうさ、つらいんだよ。しんどいんだよ。描いても描いても、お前の絵には敵わない。どれだけ努力しても、俺は万年二番手だ。そのくせお前は済ました顔で、いとも簡単に傑作を描きやがる。凡人が天才に勝つにゃあ、天才に消えてもらうしかねぇんだよ……」


 はっはっはっと、乾いた笑いを漏らしながら城ケ崎は勝手に喋りだした。長々と自分語りをしているが、ようはただの八つ当たりである。非常に自己中心的で身勝手な奴だ。しかし、これを刺激した龍之介もいけなかった。

 城ケ崎はすっと龍之介に詰め寄り、彼の右手首を握りしめ強引に掲げる。


「この手だよ! この右手さえ無けりゃなぁ!」


 もう冗談なんかでは済まされない、龍之介が感じたのはな圧力だった。


「頭を冷やせ、城ケ崎!」


 プシュっと、何かが勢いよく弾ける音の直後、城ケ崎の顔面が黒い発泡性の液体でまみれる。見ると龍之介の左手には、先程城ケ崎に奢ってもらったコーラが握られていた。


「てめぇ……ちくしょう……ちくしょう……」


 急に勢いがなくなり、その場に膝をつく城ケ崎。感情に任せて一時の怒りを露わにしてしまう高校生に見られがちな光景だった。


「絵を描くのはやめない。美術部にも近寄らない。それでいいだろう」


 城ケ崎は返事もしなくなってしまった。彼の心中は察することができないが、色々と複雑になる年頃だ、無理もない。

 これ以上は無理かと、龍之介が階段を下り始めた時だった。


「二度と……二度と俺の前にその名と、顔と、絵を現すな……頼む……」


 先ほどの脅しに近い発言とは打って変わって、心からの願いだった。


 直後、下の方からカンカンカンと、階段を駆け上がる音が聞こえる。数秒の後、龍之介の前に姿を現したのは息を切らした凛太朗であった。


「り、龍之介! 大丈夫か!」


 どうやら城ケ崎の話を部室で聞いて飛び出してきたらしい。


「あぁ、大丈夫だ。美術部にはもう行かない。俺は帰る」

「そ、そっか……じゃあ僕も――」

「すまん、一人で帰りたい。全部の部活見るんだろ? 時間に余裕は無いぞ」


 そう言い残し、一人でとぼとぼと帰路につく龍之介だった。



 φ



 自転車を漕ぎ、電車に揺られ、龍之介は家の前までたどり着いた。柳川の表札がかかった大きな木造の門が、今日も彼の帰りを受け入れる。

 俺は絵を描くのはやめないと、心の中でずっと呟いていたような、そんな気がする龍之介だった。

 

「ただいま」


 目の前に広がるのは、二百メートル四方ほどはあろう巨大な敷地。その半分は、池あり樹木ありの立派な日本庭園だった。一代でこの家を築き上げた柳川重之助の財力が十分にわかるスケールの家である。


「おぉ、ぼっちゃん。おかえりなさい」


 庭の木陰からひょっこり姿を現したのは、庭の管理や屋敷の掃除をしている使用人だった。


「あぁ、じいや。ただいま。悪いが昼食は抜きで頼む」

「かしこまりました」


 じいやに軽く挨拶を済ませ、龍之介は自室へと向かう。広い敷地の中にある広い屋敷。自分の部屋まで行くのにもなかなか時間がかかる造りだ。


 自室の襖を開くと、そこには龍之介専用のアトリエが広がっている。まさにアトリエと呼ぶに相応しい、布団以外には画材しか置いていない部屋だ。二十四畳ほどもある、一般高校生にとっては広すぎる和室だが、画家である龍之介にとってはこれでも狭いくらいに感じる部屋であった。

 龍之介が一番熱心に取り組んでいるのは日本画だが、絵に関するものについてはジャンルを問わず何でも手を出していた。そのため和室には似つかわしくない西洋画の画材も大量に並んでいるが、龍之介の気にする所ではなかった。


「俺は絵を描くのをやめない」


 学校の屋上で発した言葉を、再び口にする。どうやら今日の出来事が気に障っている様子だ。


「……久しぶりにデジタルでも描くか」


 中学生の頃にはパソコンに繋いでデジタルの絵を描く事にも手を出していた。学校でVTuberの話を聞いたからか、自然と手が伸びたらしい。

 いつものように電源を付け、イラスト用のアプリを起動し、スラスラとデジタルペンを滑らせていく。が、描き進めている間に何やら違和感に気づいた。


「……あれ?」


 思わず感情が口からこぼれる。いったいどうしたというのだろうか。


 その後も黙り込んで筆を進めるが、やはり何か妙な顔つきをしている。入学式の時に見せた俊敏さも、今の右手には無かった。


「……描け……ない……」


 心の中で必死に抵抗し、足掻き、それでも認めざるを得ない状況だったのだろう。否、彼の描いたイラストは、素人目に見れば見事な物である。何度も書き直し書き直して、ようやくまた桜並木の絵を、今度はデジタルカラーで美しく描き出していた。しかし、プロが見ればそれは一目瞭然なのだろう。確かにらしい。


「なんてこった……」


 スランプに陥ったのを自覚し、ぼそっと呟いた絶望の言葉だった。



 φ



 西園学園から電車で二十分ほど行った所に、とある美術館がある。龍之介が描いた日本画、一本松が展示されている場所だ。

 夜、この美術館に一人、およそこの空間には似つかわしくないいで立ちの少女がいた。短めのツインテールの、これでもかと言わんばかりに脱色された金髪が目立つ高校生と思しき少女。着崩してはいるが、どうやら西園学園の制服を着ているらしい。


 順路通りに、展示されている絵には目もくれずにてくてく進む。どうやら奥の方に、目当ての絵が存在するらしい。角を曲がり、いつもの場所にたどり着いたと思った彼女の目に入ったのは、もう一人の少女の姿であった。

 綺麗な茶髪に朱色の髪留め、目が隠れる勢いの前髪が特徴的なVTuber大好き少女、柴崎優子の姿である。


「あれっ……あなた同じクラスの……」


 思わず金髪少女が口を開く。平日のこの時間にわざわざ美術館に来るような高校生、しかも同じクラスの人間は珍しい。

 優子もその声に気づいたらしく、金髪少女の姿を確認する。


「ひえっ……金髪の……なんで私の事覚えてるんですか……」


 持っていた鞄でさっと顔を隠すように、彼女は身構えた。すると金髪少女は呆れたような声でこう返す。


「なんでって……ホームルーム直前に目の周り真っ赤にして教室に飛び込んでこられちゃ、嫌でも顔覚えるでしょうに」


 言われて半分隠した顔を赤面させる優子。見ると足がぷるぷる震えていた。


「はぁ……言っとくけど、あたし不良とかじゃないから、安心していいよ。髪はもともと色が薄いのがプールで色落ちしてるだけ」

「ふぇ……えっ……」

「ほら、顔出す!」


 言いながら、ぐいっと彼女の鞄を避ける金髪少女。優子の顔はまだ赤かったが、足の震えは収まり少し安心した様子だった。


「あたし清水しみず留実るみ、あんたは?」

「柴崎……優子です」

「んもう、同級生なんだから敬語使わない! 優子ね! あたしの事も留実って呼んで!」

「じゃあ……るみ……ちゃん」

「よろしい!」


 嬉しそうに満面の笑みを浮かべる留実。半ば強引に人と仲良くなるタイプらしい。


「ねぇ優子、この絵見てたの?」


 言いながら留実は絵の方でと視線を向ける。そこには、タイトルを一本松とした一枚の日本画が飾ってあった。


「うん。この絵が見たくてここに来た」

「へぇ、そうなんだ。奇遇だね、あたしも一緒」


 そう言って留実はまたニコっと笑って見せる。すると優子の目元も少し微笑む。前髪で隠れており、留実にはよく見えなかったらしいが。


「絵、好きなの?」


 平日にこんなところに来るのだ、当然好きなんだろうと思って聞いた留実だが、その返答は意外な物だった。


「ううん、全然わかんない」

「えっ?」

「全然わかんないんだけどね、この人の絵だけはなんだか、素敵だなぁって思ったの」


 話すうちに、優子の表情はどんどん明るくなっていく。意外と簡単に心は開ける性格のようだ。


「そっか……そうなんだ。きっと描いたやつも喜ぶよ」


 やけに作者に対してフランクな様子の留実だったが、優子は他のところになんとなく引っかかったらしい。


「描いた人……そうだね」


 少しばかり優子の顔が暗くなったのを、留実は見逃さない。


「ねぇ、ホームルームの前、どうして泣いてたの?」


 昼間の事を思い出し、なんとなく直感的に出てきた質問だった。


「あっいや、なんでもないの」

「もしかして虐め? 大丈夫?」

「ううん! ホントになんでもないから!」

「そう……ならいいけど、あたし友達が虐められてんのとか絶対に許せないから、優子もなんかあったら言いなさいよ?」

「うん……ありがとう」


 留実の言葉に安心したのか、再び笑みがこぼれる優子だった。


「……実はね、入学式で初対面の人にちょっと失礼なことしちゃって、それでその、ホームルーム前に謝りに行こうと思ったんだけど、いざ対面したらカっとなっちゃって……」

「あー、それで謝れずに帰ってきたわけね。あたしもたまにやるわ」


 眉を八の字にして微小している留実。人の心を掴むのが、天性で上手いらしい。


「まぁでも、そういう事なら明日ちゃんと謝った方がいいよ。心細いならあたしも手伝うしさ!」


 言いながら彼女は優子の肩をバシッと叩く。少々力が強すぎたのか、優子は三歩ほどよろめいていた。

 直後、同じタイミングでニッシッシと笑う二人。そこには確かな友情が芽生えていた。


「そろそろ帰ろっか」

「うん、そだね」

「優子は駅どこ?」

「鈴白だよ~」

「えっ、マジ? 一緒じゃん!」

「ほんと~?」


 言いながら、美術館を後にする二人。一本松の隣にあった、銀賞・城ケ崎蓮司の作品は誰も気に留めなかった。

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