その恋文に愛はない

旭恭介

その恋文に愛はない

──「まぁくん、まぁくん」

──「……」

──「どうしたの? まぁくん。なんでお返事してくれないの?」


 その日俺は初めて、幼馴染みに話しかけられても無視した。クラスの奴等に幼馴染みと仲がいいことをからかわれて、幼馴染みと話していたらまた笑われるんじゃないかと恥ずかしかったからだ。

 俺は早足で幼馴染みから距離をとった。けれど鈍感な幼馴染みは、ぱたぱたと小走りで駆け寄ってくる。ねえ、と服の裾を引っ張られて、俺は腕で思い切り払いのけた。


──「話しかけんなよ!」


 その時俺は、幼馴染みがどんな顔をしていたか知らない。ただ、幼馴染みが俺と話してくれることは、それきりなかった。




その恋文に愛はない




「もーすぐ修学旅行かあ! 自由時間どうする? どこいく?」


 昼休みに入り、さきほど配られたばかりの修学旅行のしおりをめくりながら、俺はいつもつるんでいる奴等に声をかけた。偶然席が近いそいつらは高校からの友達だが、1年半ほどしか付き合いがないなんて忘れてしまうくらいには気の置けない仲だ。


「俺ここ行きたい。ここのラーメン屋美味いらしい」

「おい三上、京都まで行ってラーメン食うのかよ」

「いーじゃん、ご当地ラーメン食いてえ」


 三上は人気店だというラーメン屋の地図をスマートフォンで表示して、「行きたい場所」にクリップしていた。そのスマートフォンを取り上げる手がすっと伸びる。


「京都に行くなら寺社仏閣巡りだろ。ほら、検索したらこんなにあるんだぞ」

「ええ……、そんなとこ行ってもつまんねーよ。ラーメン食べたほうが遥かに楽しいだろ」

「ラーメンなんぞどこでも食えるだろ。伏見稲荷や東寺が東京にあるか?」

「知らんわ。興味ねえ」

「クリップ、と」

「やめろ古御門!!」


 古御門は数多ある寺社仏閣を三上のスマートフォンで片っ端からクリップし始めた。スマートフォンを取り返そうとする三上を抑えて、無慈悲に地図をフラグだらけにしていく。三上がなんとかスマートフォンを取り返したころには一帯がフラグだらけとなっていて、どれが三上の行きたいラーメン屋だったか分からない。


「くっそー……。じゃあ多数決で行くとこ決めよーぜ。真壁は神社とかよりラーメン食いたいよな?」

「いやどっちも行きゃいいじゃん」


 俺がそう言うと、2人は考えてなかったと言わんばかりの顔をして俺を見てきた。そうして諍いはとりあえずの終着を見せたが、古御門がふと気付いた。


「森国は?」

「確かに、森国の意見も聞かねーとな」

「アイツどこ? 便所?」

「さあ」

「いねーし先に飯食っとこうぜ」


 そうやって森国抜きの3人で昼飯を食べることは珍しくない。森国が突然いなくなるのは、よくあることだ。いつの間にかどこかに行っていて、気付けば戻ってくる。先生に呼ばれただとか委員会の仕事をしているとかではないらしく、その間なにをしているかは分からない。

 けれども森国のことだ。なにをしているかは想像がつく。

 森国正弥という男は、よくモテる。背が高く、顔立ちが整っていて、女子曰く黒髪がよく似合うと。入学当初から森国はイケメンだと有名だった。寡黙で硬派な男だったので、それ以外はさして評判を聞いていないが、多分呼び出されて告白でもされているんだろう。

 馬鹿話をして昼休みを過ごした後は、退屈で眠い授業をどうにかやり過ごす。そうして全ての授業を終えて、ふと森国の席を見てみると、やはり森国はいなくなった後だった。鞄がないし、もう帰っているんだろう。


「真壁ー、帰りかくかくしかじか寄ろーぜ」

「ワリー金ねぇわ」

「おっけ、また明日なー」


 玄関で三上と古御門と別れ、1人家に向かって帰っていたら、校門にさしかかって急に思い出した。そういえば数学のノートを提出していない。数学の畑田はうるさいから、締め切りは守るに限る。

 俺は方向転換して、数学準備室へと寄ることにした。最後は靴を履いて帰るのに上履きに履き替えるのが面倒くさくて、いつもは通らないけれど極力校内を通らないルートを選んだ。廊下を靴下で歩いたらすぐに汚くなるし、そうすると母ちゃんがうるさい。

 裏庭を経由して数学準備室のある校舎まで行き、靴を脱いで爪先で階段を上っていく。廊下を少し歩けば、数学準備室だ。滅多に来ないこの校舎は人気が少ない。

 提出物ボックスにノートを放り投げ帰ろうとしたら、ふと視界に紙切れが映った。廊下に落ちているそれは、少し古ぼけて端が曲がっている。ごみというには大きすぎるが、落し物というには確証を得られない紙切れを拾い上げる。白紙だと思っていたが、裏には文章が鉛筆書きされていた。


『あなたをどのように愛しているか──……』


 俺は思わず顔を上げた。

 ……え? なにこれ、愛している?


「ラブレターじゃん!」


 俺は自分が貰ったものでもないのにドキドキしながら文章に目を通した。詩的に愛を綴っているそれは、どう見てもラブレターだ。何度読み返しても情熱的な愛を伝えている。ただ、宛名も差出人名も書かれていない。

 俺は呆けながらずっとラブレターを眺め、爪先歩きするのも忘れて階段を降りていった。


「きゃ!」


 ラブレターを眺め続けていたせいで、階段の踊り場で誰かとぶつかってしまった。さすがにラブレターから顔を上げると、眼鏡をかけて髪を2つ結びにした女子が尻餅をついている。


「わりい! 前見てなかった! 大丈夫?」

「ああ……、うん、平気。私も急に曲がったし、ごめんね」


 傍らにノートが落ちている。2年1組、神取純夏。隣のクラスの子か。……去年も1組にいた子だった気がするな。この子も数学のノート提出に来たんだな。


「……あ、真壁くん……」

「え?」

「あ、ううん、なんでもない。ほんとにごめんね」

「いや、俺こそごめん……。ていうか、俺たちって知り合いだった、っけ……?」

「あ、そっか」


 神取は手を口に当てて、慌てた素振りを見せた。仕草が女の子らしくて可愛らしい。


「まぁくん……、私の幼馴染みが真壁くんの友達だから、一方的に知っていたの」

「あ、そうなんだ」

「それじゃあ、提出物あるから。ごめんね」

「ああ、うん」


 神取を手を振って見送ったが、幼馴染みのまぁくんって、誰だ。神取は階段を上っていった。


 俺は靴を置いたところに戻った。ごそごそと靴を履きつつ、踵がつぶれるのと格闘していると、


「好きです!」


 紙だけじゃなくて声でも告白が聞こえてきた。

 そろりと顔だけを出して裏庭を覗くと、坊主頭の男の背中と、あの桜木涼音が見えた。


「修学旅行、一緒に周ってください!」

「嫌」


 ちょっとの間もないどころか、食い気味に桜木は拒否した。背中からだけでも坊主頭が固まったのが分かる。


 坊主頭の心を粉々に打ち砕いたのは、うちの高校で有名な桜木涼音だ。森国はうちの学年で有名だが、桜木は3年も1年も知っている。

 まずなによりも目につくのはその容姿。色が白くて、目が大きい、目鼻立ちのはっきりしたとてつもない美人だ。しかも顔だけでなくスタイルも良くて、手足がすらりと長い。黒髪もつやつやさらさらしている。可愛い女の子は頭のてっぺんから爪の先まで可愛いんだな、と感嘆したことがある。

 だが、性格がいけない。桜木のあまりの美人っぷりに、入学当初は桜木の周りに学年問わず男共が群がっていた。話しかけ、ちやほやし、告白する男は履いて捨てるほどいた。最初は桜木はなにも言わなかったようだが、ある時、高校で一番のイケメンだと有名だった当時3年生の男を、公衆の面前で切り捨てたのだ。言っとくけど、わたしは貴方のこと嫌いだから近寄らないで、と。いきなり先輩に酷い態度をとったとんでもない奴だと、瞬く間に悪評が立った。

 それからも、近付く男、告白する男、全員を等しく切り捨てたらしい。今や桜木に近付く男などいないと思っていたが、あの容姿に目が眩んだ男がまだいたか。


 硬直した坊主頭を尻目に、桜木は躊躇いなくその場を後にした。……やべえ、こっちに来る。

 その時の俺は、間違いなく神に見放されていた。あの桜木の告白現場に遭遇し、突風によってラブレターを飛ばしてしまったんだから……。

 無慈悲にも、ラブレターは桜木の足元に舞い落ちた。桜木は意志の強そうな目でちらりと足元を見やり、スカートから太腿が覗かないように膝を折ってラブレターを拾った。桜木は横髪を左耳にかけながら、じっとラブレターを見ている。


「誰?」


 ……ラブレターだけじゃなく、俺の存在までもがバレた……。俺は桜木から心を砕く毒舌を受けることを覚悟しながら、物陰に隠れることを諦めた。


「告白を盗み聞きするような悪趣味な人間が、随分と文学的な愛を好むのね」


 手荒れ1つない白い指で、桜木はラブレターを返してきた。


「盗み聞きじゃなくて偶然……。コレも俺が書いたわけじゃ」

「知ってるわよ、そんなことくらい。貴方に彼女のような才能がないことは見れば分かるわ」


 いやそーなんだけど、そんなこと言わなくても……。初対面の人間からぶつけられる毒舌に心を傷つけられ、がくりと項垂れた。

 落ち込む俺の存在自体なかったかのように桜木が通り過ぎようとした時、あることに気付いた。はっとして思わず、桜木の手首を掴んで引き留める。


「待って!」

「なっ、ちょっと触らないでよ!」

「なんでコレ書いたのが女の子だって分かったの!?」

「はあ!?」


 俺の手は桜木に振り払われた。俺に触られないように警戒しているみたいだった。


「作者を知っているからに決まっているでしょう」

「え、書いた人知ってんの? 教えて!」

「少しは自分で調べなさいよ!」

「探し方が分からないから聞いてんじゃん!」


 もう桜木の手を掴むつもりはないが、俺が迫ると桜木は後ずさる。


「……エリザベス・バレット・ブラウニングよ」


「……外人!?」


 あまりの驚きに大声を上げてしまったら、桜木の顔に唾が飛んだらしい。桜木は思いっきり顔をしかめて、スカートのポケットから取り出した白いハンカチで顔を拭った。


「え、留学生が書いたの!? こんな文学的なラブレターを!?」

「汚い! 近付かないで!」

「エリザベスさんって何組? 可愛い!?」

「さっきからなに言ってるのよ!」


 桜木はついにハンカチ越しに俺の身体を押して、距離をとった。


「エリザベス・バレット・ブラウニングは、イギリスの有名な詩人よ」

「……」


 俺の口は、この時間違いなく開いていたと思う。


「汚いし、教養ないし、貴方ってほんとうに最悪ね」


 後から思い返せばあまりに酷い暴言だと思うが、その時の俺は詩人が書いたラブレターであることの衝撃が勝って、暫く微動だにできなかった。桜木が今度こそ立ち去ろうと動き出して、俺は漸く我に返る。


「待って!」

「……」


 桜木は立ち止まらない。


「待ってって!」

「…………」


 それでもやっぱり立ち止まらない。


「待ってくれなかったら後ろから抱きつく!」

「何よもう!」


 桜木は憤懣やるかたないとばかりに振り返った。


「じゃあ、これ、その詩人の詩ってこと?」


 ラブレターをもう一度見せて、桜木に尋ねた。


「そうね。正しくは、その和訳だけれど」

「和訳」

「誰かがブラウニングの詩を訳したんでしょ。ただ……」

「ただ?」

「……なんでもない。もういいでしょ。ついてこないで」


 そう言って、桜木は階段を上っていった。

 なんだ、ラブレターじゃ、なかったのか。まあ詩人が書いたラブレターなのかもしれないけど。そう思って和訳を見ても、どうしてだかそれは特別なもののように思えて、扱いをどうすればいいのかに困った。落とし物として届けるのも、なんだか気が引ける。


「真壁!」


 和訳を見詰めていると、突然、少し息の上がった聞き慣れた声で名前を呼ばれた。そちらを見ると、切迫した様子の森国が肩で息をして立っていた。


「も、森国?」


 森国は猛然と走り寄ってきて、俺の手から和訳をひったくる。


「……見たか」

「え、え、それって森国の?」

「読んだかって聞いてる」

「あ、う、うん、読んだけど……」


 森国は深く溜息をつき、和訳についた埃を払い始めた。丁寧に紙の皺を伸ばすその手つきは、酷く繊細だ。


「森国が、訳したのか?」

「……ちげえよ」

「じゃあ、貰ったのか?」

「……」


 森国は何も答えない。

 そうだ、いつも冷静な森国が、俺のところにやってきた時からおかしかった。肩で息をしていて、髪も乱れていて、随分走り回ったようだった。少し遠かったのに、真っ先に俺の方へやってきて、和訳を取り返した。詩を訳したただの紙を、そんなに大事に扱うだろうか。


「……もしかして、本当に、ラブレター、なのか?」

「……ラブレター?」


 森国は鼻で笑った。自嘲的な表情で、俺を見やる。


「お前には、そう見えるのか?」

「だって、お前、すげー大事そうに……」

「これは、ラブレターなんかじゃねえよ。愛なんてものは1mmも込められてない」


 森国は和訳を鞄にしまって、その場を後にした。

 どういう意味なのだろう。ラブレターでもない、ただの詩の和訳を、森国はなんでそんなに大事そうにするんだ。嘲るように、まるで大したものではないと言うのに。


──「誰かがブラウニングの詩を訳したんでしょ。ただ……」


 桜木の言っていたことが頭をよぎった。『ただ』? ただ、なんだというのだろう。どう続いたんだ。

 森国の傷付いたような表情が脳裏に焼き付いて離れない。俺は、今動かなきゃ後悔する。そんな確信だけはある。

 俺は、外履きを脱ぎ散らかして、階段を駆け上がった。桜木は上に向かっていた。美術部に所属していたはずだから、多分美術室にいるはずだ。

 校舎の最上階まで上りきって、靴下が汚れるのも構わず美術室へ走った。扉を開けると、桜木だけが椅子に腰掛けていて、キャンパスに向かってなにかを描いていた。


「ごめん、桜木」

「……」

「さっきの、和訳のことなんだけど」


 俺の声は知らず真剣味を帯びていた。それを感じ取ってくれたのか、桜木はこちらを振り向いてくれる。


「あれは誰かがブラウニングの詩を訳したものだ、ただ……、って言ってたよな。その先は、なにを言おうとしてたんだ?」


 桜木は木炭を置く。


「あの訳は、正確ではない、と言おうとしたのよ」

「正確ではない?」

「あの和訳の空行から下、『初恋』と『尊い思い出』って単語が出てくるけれど、直訳すると全然違う単語なのよ。『faith』と『saint』だから、本当なら『信仰心:』と『聖人たち』」

「ええっと……、『初恋』とか『尊い思い出』っていう意味はないってこと?」

「ええ。……でも、その人はそう訳したかったんでしょうね」


 意味が分からない。俺は説明の続きを求めて桜木を見詰めた。桜木は溜息を吐く。


「あの紙の右上に、小さく9って書いてあったわ。それと、インクがうっすいけど、左下に『有島』ってはんこも押してあった」

「え……、そうだったっけ……?」

「貴方何を見ていたの?」

「うっ」


 無闇に桜木の毒舌に当たりに行ってしまった。


「うちの英語教師に、有島先生って方がいらっしゃるわ。有島先生は提出物を見た後、自分のはんこを提出物に押している。そのはんこが押されているあのプリントは、有島先生が出した課題の提出物ってことよ」

「え、じゃあ数字は、出席番号?」

「そうよ、名前は書かずに出席番号だけ書かせて判別してたのでしょうね」


「有島先生は、今は産休で授業を受け持っていない。そして、昨年は1クラスしか授業を担当していなかった。そのクラスは1年1組。つまりあのプリントは、去年1年1組だった出席番号9番の人が、有島先生に出された課題だったんじゃないかしら」


「そんな課題に、意図的でなければ間違うはずもない不正確な訳を書くなんて、なにか思うところがあったのでしょうね」


 俺の脳裏に点在していた記憶が次々と浮かぶ。


 落ちた数学のノート。2年1組、神取純夏。

 まぁくん。神取の幼馴染みが俺の友達。

 去年1年1組の、出席番号9番。

 『初恋』、『尊い思い出』。

 森国の、和訳を扱う手付き。


「っ、ありがとう!」


 俺は走って美術室を後にした。階段を飛び降りていって、玄関に脱ぎ散らかしていた靴を踵を踏んづけたまま履いて走った。

 俺の思い違いならいい。でも、もしそうなら。一刻も早く伝えないといけない。間に合え、間に合え、間に合え!


「森国!」


 最寄駅の近くで、森国の背中を見つけた。大声で呼び止めると、ゆっくり振り返る。


「……なんだよ」

「はあ、はあ、……どうしても、お前に言わなきゃいけないことがあって」

「……」

「あの和訳、間違ってるんだ」

「……は?」


──あの和訳の空行から下、『初恋』と『尊い思い出』って単語が出てくるけれど、直訳すると全然違う単語なのよ。『faith』と『saint』だから、本当なら『信仰心:』と『聖人たち』。


 森国は目を見開く。


「『悲嘆に暮れた時の激情や子供時代からの初恋をもって、あなたを』……」


 森国が唐突に発したそれが、和訳を諳んじたものだと気付いたのは、森国が走り出してからだった。







──1限目の英語の授業が突然自習になった。言い渡された課題は、どこかの有名らしい詩人が書いた、詩の和訳だ。そんな課題、どうせ有島が丁寧に見るはずもない。クラスのほとんどの生徒が、スマートフォンで訳を調べてそれっぽく書いていた。

──そんな中。神取は、必死に辞書を引いて、丁寧に訳していた。斜め後ろの席だったからよく見えた。たまに上を見詰めて考えて、少しずつ訳を書いていっていた。

──その課題プリントは、その日のうちに返却された。1限目の課題を放課後には返すなんて、やはり絶対にろくに見ていない。教卓の上に束になって置かれたプリントを何気なく見ると、見覚えのある筆跡で書かれたプリントが一番上にあった。出席番号は9。神取のプリントに間違いない。

──俺は、吸い寄せられるようにプリントを手に取った。そして、和訳を読んでいく。


『あなたをどのように愛しているか、愛し方を1つ1つ数えてみましょう。

 目に見えなくなっても、生や理想的な魂の解放の目的を探っているならば、私の魂のいけるところまで深く広く高く、あなたを愛しましょう。

 太陽の下にいるように、蝋燭の灯に照らされているように、目立たないけれど日々に最も必要なものと同じくらいの当たり前さで、あなたを愛しましょう。

 人々が権利を求めて闘うように自由に、あなたを愛しましょう。

 賞賛を顧みることなくひたむきに、あなたを愛しましょう。


 悲嘆に暮れたときの激情や子供時代からの初恋をもって、貴方を愛しましょう。

 今は亡き尊い思い出とともに失われゆくと思っていた愛情をもって、あなたを愛しましょう。

 息をする時も、笑みを浮かべる時も、涙を流す時も、私の一生涯をもって、あなたを愛しましょう。

 そしてもし、神がお許しになられるのなら、死した後もより一層、あなたを愛すことでしょう』


──ただの課題プリントだ。教師から指示されてこなした、ただそれだけのものだ。面倒くさいと思って書いたかもしれない。何も考えずに訳したのかもしれない。ただ、それは間違いなく、


──愛の形をしていた。


──俺は、そのプリントを密かに抜き取った。







 俺は真壁を置いて駅まで走り、到着していた電車に駆け込み乗車した。焦る気持ちを抑え数駅をやり過ごし、漸く自宅最寄駅に到着した。向かうのは自分の家ではなく、その向かい。神取の表札が掲げられた家。

 何年振りかに、神取家のインターホンを鳴らした。はーい、と可愛らしい声が聞こえて、神取が、俺の幼馴染みが姿を現わす。俺を見て驚いた顔をしている。


「神取、」

「どうしたの、ま、森国くん」

「ずっと、言いたかったことがあるんだ……」







「そんで昨日の話だけどさー、自由時間、ラーメンと神社でいいの? 森国今日もいないけど、なんつってた?」

「森国は彼女と周るってさ」

「へー、あー、そう。……ん?」

「え? なんだそれ、初耳だぞ」

「まあまあ」


「めでたしめでたし、ってね」

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