淡色に包まれて

冬にやられた霜焼けが春の暖かさに触れられて痛むのです。あまりにも優しく私を包むから、涙が止まらなくて、鼻がつまって眠れません。こんなに愛しているのに、あなたは私を苦しくさせる。春情を桃色の涙に閉じ込めて、新しい傷痕にぽとり、と。夜に滲んだ紅はやっぱり、痛いよ。




それが愛に変わる瞬間、風が止まった。夕暮れに照らされた僕たちは濃度の違う橙色を纏って、やっぱり違う気持ちで互いを抱き締め合う。離れるのは君が先で、薄れ行くオレンジに包まれた笑顔は「ごめんね」と囁いた。僕は見えない手を伸ばす。きっともう触れることもできない、存在しない愛を求めて。




ひらり、金木犀の甘い香りのスカートを、あなたはまだ揺らしているのかな?話したいことは山程あるけど、もう伝えられないね。咲き誇る菜花を、ひらり、と雨が一瞬で奪う純美は、宙ぶらりんな今の気持ちと似ている。くずおれた花びらを水たまりと一緒に掬いあげると、産まれた意味だけが掌に残った。




  優しい色だと思ったから、塗りたくってみたのです。でも、痛むだけでした。薄暗い部屋に顔料と油の匂いが閉じ込められて、雨音。えぐられる淋しさは、翼がふれたようなやわらかい声がもたらした絶望でした。濡れそぼつ窓辺に若草が震えて、乾いていく絵の具は光を嘲笑っています。嗚呼、わかりました。私は全てを優しさに変えて、そうして安らぎの中で眠るだけでいいのですね。




「待ってて」苦しそうに言ってから、貴方はいつも水面へ泳いでいく。それは命をつなぐための息継ぎであって、お別れじゃないことはわかっているよ。それでも律儀にくりかえすところが人間らしいよね。私の尾鰭が光と戯れて、淡い色に変わる。貴方がそこにいなくても、居場所はいつも光とともにあった。




 骨色、と少し灰色がかった白髪を撫でて、彼は静かに微笑んだ。ふいにそよぐ風があなたの髪を靡かせて、東雲の空にすぅと色彩を乗せていく。あなたは優しすぎるから、自分の色を削りとって世界から少しずつ遠ざかっていくの。じゃあ、骨は髪色かな?繋ぎ止めるように私が問うと、彼は淋しそうに笑って、うーん、いや心かな、なんて。




やっと、世界が回りだした。全てが曖昧になって、闇も光も滲んでかすみながら淡色に溶かしてくれる。その景色は恍惚とするほど眩しくて、頬に注がれる熱が心地いい。くらり、流れに身を委ねると、目の前にあの頃のままの君が現れた。泣き出しそうな声を堪えて、笑って、また、会えたな。




 おはよう、と髪を撫でる指先は、優しさが絡み付いていて、私の堅苦しい黒髪を穏やかに変えてくれる。ふいに肌をくすぐる風がその幻をあっけなく闇に拐う。それでもまだぬくもりに縋りたくて、温かな布団に包まっていた。名残雪が雫に変わる頃には、思い知らされるのだろう。君がいないということを。

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色彩標本帳 森山 満穂 @htm753

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