第6章 伝えたいことは簡潔かつ明確に
3-1 可愛い妹の正体
――いったいこれはどういうことだ?
額に手をやりながら、ベッドに横たわるふたりの女を見下ろす。
片方は銀色の髪をした、白いロングワンピース姿の少女。もう片方はオレンジ色の髪を綺麗に結い上げた、甲冑姿の少女。
夢の中にいたはずの女神たちが、なぜ俺のベッドですやすやと寝息を立てているのだろうか。
あり得ない事実を前に、ただ途方に暮れるしかなかった。
あの悪夢から目覚めたはずの俺が最初に見たのは、神殿にいた時より少し幼さを感じるエルの寝顔。
背中に当たる固い感触にまさかと思って振り向くとやはりというか、リオラの姿がそこにあった。こちらも数歳若返っている気がする。
一夜の過ちを犯したドラマの主人公よろしく、顔を真っ青にして上半身だけ起き上がり、目をこすってもう一度下を見下ろしたのが最初の状況だ。
「そうか、まだ夢見てんだな」
敷布団の感触が妙にリアルなせいで、ほんの一瞬でもこれが現実世界なのではないかと疑ってしまった。
そんなわけ……ないよな?
この夢が生々しいのは今にはじまったことじゃないし。
適当にやり過ごしてるうちに目が覚めるはずだろうと思い、ベッドを出ていつものように窓を開ける。
頬を撫でる空気の冷たさも、ほんのり香るキンモクセイの匂いも、やっぱり本物としか思えなかった。
「ん……シュヤララク?」
リオラの声にゆっくりと振り向くと、首から『ギギギ……』と油切れしたみたいな音が鳴った。
「よかった、無事辿り着いたみたいね」
きょろきょろとあたりを見回しながら、リオラは安堵したようにため息をついている。
「……はっ!」
それから何かを思い出したように、気持ちよさそうに眠るエルの胸ぐらを掴んで起こした。
「こんの尻軽!! どういうつもりよ!?」
「んむう、リオラミトルアルゼ? 苦しいですわ。何をしますの……」
胸元を掴まれたままぐわんぐわん揺さぶられているにも関わらず、呑気に目をこするエル。まだ半分寝ているらしい。
「よくも……シュヤララクにあんな破廉恥なこと……!
あたしの、よりによって
ああああああもう信っっっじられない!!」
リオラは顔を真っ赤にしながら怒鳴ると、自分の額をエルの額にぶつけた。見事な頭突き。いい音だ。
――じゃねえよ!
こいつ、今とんでもない爆弾落としやがったぞ。
「あの、あの、妻って……ナンデスカ?」
俺の声など聞こえていないらしく、リオラは涙目になりながら続けた。
「たかが
あ、愛人……だと?
やめろ。
やめてくれ。
頼むからこれ以上俺の夢に余計な設定を加えないでくれ!
ファンタジーがベースのあっさり野菜スープに、サバイバルという激辛スパイスを加えた時点ですでに健康的じゃないから。そこに昼メロなんていうドロドロの背油を入れたりしたら、もうそれは胃もたれするだけのラーメンスープだから。ホントやめて。
「妻? 愛人? ふっ、そんなのもう関係ないことですわ」
ようやく目が覚めたのか、エルがしっかりとリオラを見据えて告げる。
「今日からこの新しい地で人間として生きるのですよ。つまり、神であった頃の関係は無効ということです」
「な……っ!」
雷に打たれたように固まったあと、エルを開放して唇をわななかせる。そんなリオラとは対照的に、エルは勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「これからは対等なライバル関係として、心機一転、彼の心を射止めるための争いを繰り広げましょうね?」
彼女の言葉がよほどショックだったのだろう。リオラは言い返すことなく、捨てられた子犬みたいな顔で 俺に弱々しい視線を送ってきた。
そんな目で見られても困る。
むしろ俺の方が泣きたい。いきなり修羅場に放り込まれてどうしろってんだ……。
いくら夢だからって、これ以上の面倒事は勘弁してくれ。
「気に病むことないですわ、シュヤララク様」
情けない表情を浮かべる俺の心情を、リオラへの同情と勘違いしたらしいエルが、慰めるような口調で言ってきた。
「たかがくじ引きで決まった結婚。貴方がたは口づけすら交わさない、子供のおままごとみたいな関係だったんですから。想像しているような重苦しいものではありませんよ」
「くじ引き?」
「ええ」
エルは昔を懐かしむように、遠い目をして語りはじめた。
「あれはとある宴の席でのことでした。『最高神ともあろうものが、いつまでもひとり身なのは恰好がつかない』と言い出したものがいましてね……。それを聞いた別の誰かが『なら今決めちゃおう』と、くじ引きを作り始めたんです。女性陣はノリノリでくじを引きました。で、当たりを引いたのがリオラミトルアルゼというわけです」
「いや……宴会の余興で勝手に結婚相手を決められるとか、最高神なめられすぎだろ。お前もそれでいいのか」
「いいに決まってるじゃない」
リオラが食い気味に言う。
「言ったでしょ、アナタが好きだって。だから当たりを引いた時すごく嬉しかったのよ。たとえアナタから申し込まれた結婚じゃないとしても、近づけるチャンスを逃したくなかった」
眉を少し下げて切なげに微笑んでいる。気が強くて粗暴なだけの奴だと思っていたが、意外と素直で従順な面があるらしい。
正直、ちょっとドキッとした。
「とまあ、こんな具合でリオラミトルアルゼが喜んでいたので、シュヤララク様もあとに引けなくなったみたいですわ」
まあたしかに、ここまで分かりやすく好意を向けられたら断りづらい。
「お兄ちゃん? 誰と話してるの?」
「…………!」
ドアの向こうから聞こえてきた声に肩が跳ねる。妹に女ふたりを部屋に連れ込んだみたいな現場を目撃されるのは夢でも避けたかった。
「テ、テレビ見に突っ込みを入れてただけだ! き、き、気にするな」
「ふうん。そう」
納得したような返答に胸をなでおろしていると、ガチャリとドアを開いた。
え、ちょ、ま……。
何でその流れで開けるんだよ!
ベッドの上に座るリオラとエルを見るなり、玲菜は静かに眉を寄せた。
誰この人たち――そんな冷めきった言葉が聞こえてくると思ったのだが、
「昨日夢の話をされてから嫌な予感はしてたけど、とうとう見つかっちゃったみたいだね。リオラミトルアルゼ、イナノエルタ」
全然違った。
「え? お前、何でこいつらの名前を……」
間抜けな声を漏らす俺を尻目に、リオラがベッドから降りて玲菜の方まで大股で歩み寄る。身体がくっつくほど玲菜に近づくと、腕を組み、威圧するような声色で言った。
「ずいぶん久しぶりね、クルヤツァエリストラレナス。さっそくだけど、シュヤララクの記憶を消した理由を教えてもらおうじゃない」
クルヤ……?
その名は神殿で一度耳にした気がする。あの時はあえて触れなかったが、今はどういうことなのかきちんと説明して欲しい。
「記憶を消した理由? 単純なことだよ。ふたりからお兄様を引き離すため」
「何でそんなことする必要があるのよ!」
背の高いリオラを、小柄な玲菜は見上げながらものともせず言う。
「まずあなた。下品すぎて妻にふさわしくない。イナノエルタも同じ。愛人なんて不埒な存在はお兄様の品格をおとすから邪魔になると思った。それだけ」
無表情で淡々と言葉を紡ぐ不愛想な姿は、俺のよく知る倉良玲菜だ。
でも何かが違う。
お兄様呼びも当然おかしいが、もっと根本的に何かが違う。
「貴女がわたくしたちを疎んでいるのは知っていますわ。でもこれはやり過ぎです。危うく死ぬところでしたのよ」
エルが諌めると、玲菜は物憂げに目を伏せた。
「それは私にも予想外だった。謝る。お兄様の記憶を消してオルラに戻らなければ、あなたたちが諦めて別の場所に行くと思ってたの。……それがまさか、崩壊する寸前まで残ってるなんて。誤解無いように言っておくけど、あなたたちの命を危機にさらすつもりはなかった」
違和感の正体が分かった気がする。
他人に興味を示さない玲菜が、このふたりにはわずかながら感情を見せているのだ。
それにいつもよりよく喋っている。
「お兄様」
「へ?」
「昨日は子供みたいな態度をとってごめんなさい。それとグラタンおいしかった。ごちそうさま」
「いや、あの」
何だよ。
まるで昨日と出来事が繋がってるみたいに言うなよ。これが現実の世界みたいな言い方するなよ。
「ああそっか。お兄様、これも夢だと思ってるでしょ? 違うよ」
困惑して口を閉ざす俺に、玲菜はとどめを刺してきた。
「これは現実。昨日の朝『夢の中で真っ白な世界にいた』って言ってたよね。あれは“境界線なき泉”の中で見える景色なんだ。ふつうは門を通り抜ける間の一瞬しか見えないんだけど、中途半端に行先を思い浮かべた状態でくぐるとそうなる。迷子になって門の中に留まっちゃうの」
「……待て。俺は。門をくぐろうとした覚えなんてないぞ」
そうだ! ただ寝ていただけだ!
「そもそもどうやって門のところまで行けたって言うんだ? 時空を超える門を呼び出すには、泉の水と神の力を共鳴させる必要があるんだろ?」
たった一滴でもあれば共鳴を起こせることは、エルの大胆な行動で証明された。
だが、あの時この場所にはその一滴すら存在しなかったはずだ。
「行きはたしかに泉の水が必要になるけど、帰りはオルラの場所が分かっていれば大丈夫」
と、玲菜はこともなげに答える。
「で、でも、オルラの場所を忘れてさまよってたのに、どうして急に向こう側に行けたんだ? それに今までリオラたちの呼びかけに気づかなかった理由は?」
矢継ぎ早に疑問をぶつける俺は、矛盾点をつくことで夢であることを証明したいのかもしれない。
玲菜に怯んだ様子はまったくなかった。
謎解きをする名探偵のように、饒舌に言葉を並べる。
「彼女たちの声に気がつかなかったのは、たぶんまだ声が小さかった……というか、お兄様に意識を送ろうとする力が足りてなかったんだと思う。
でもオルラの崩壊が本格的にはじまったことで、火事場の馬鹿力が出たんだろうね。
オルラの場所を忘れていたお兄様が向こうに行けたのは、そんなリオラミトルアルゼたちの声が道しるべになったからだよ」
「俺、オルラの場所なんて探してなかったぞ……?」
「そんなはずない。門の中――真っ白い世界にいる間、少しでもふたりの声に興味を持たなかった?」
「そういえばオルラの森に場面転換する前、退屈のあまりこいつらの声を探したような気はするけど……」
暗転したまま中々再開しない劇みたいだと思った時のことだ。
「うん、たぶんそれだね。シュヤララクの記憶を上塗りして作られた人格である“倉良柊矢”――つまり本来ならシュヤララクとしての意識を邪魔しているはずの存在が、ほんの少しでもリオラミトルアルゼたちを求めた。
ふだんは無意識に忘れようとしていた彼女たちの存在を“倉良柊矢”が認めたことで、いわゆる『偽の記憶のメッキ』が少し剥がれたの。
それで主導権を奪われていたシュヤララクの意識がどうにかオルラの場所を思い出せたんだと思う。
さっき門を呼び出した覚えがないって言ってたけど、それはシュヤララクとしての意識が勝手にしたことだから。
眠っている間は脳の活動場所が覚醒時と異なるせいで、私の記憶操作の効果が少し弱まるの」
まだ続ける? と玲菜。
ぜひとも続けたいが、長ったらしい説明を理解しようとするだけで精一杯だ。
正直、何を言っていたのかほとんど分からない。
いったい誰だこのお喋りは。
本当に俺の妹か?
別の奴が蝶ネクタイ型のマイクを使って声を当ててるんじゃないのか?
探偵というよりは、崖の上で罪を認める犯人のように、玲菜は開き直った態度で言う。
「どうしてもこれが現実だって信じられないなら、生い立ちについて思い出してみるといいよ」
「生い立ち?」
「そう。子供の時のことをはっきり思い出せる? 何をして遊んだかとか、どこに住んでたかとか」
「いや、はっきりとは……」
「じゃあ、私たちの両親の顔は?」
「ぼんやりとだけ……。でも一年も会わなきゃそんなもんだろ?」
戸惑いながら答えると、玲菜は首を横に振った。
「ふつうは親の顔をそんな簡単に忘れたりしないよ」
「忘れないわね」
「忘れませんね」
リオラとエルがテンポよく相の手を入れる。お前ら絶対本当は仲いいと思う。
「一年より前の記憶がはっきりしないのはね、ぜんぶ私が植え付けた偽物の記憶だからだよ」
「な……!?」
そんな馬鹿な話があるか。あってたまるか。
「仮にお前の言ってることが本当だとしたら、俺たちに毎月生活費を振り込んでるのは誰だってんだ? 何で俺たちの名前がちゃんと戸籍登録されてる? そもそもいないはずの奴が突然現れたりしたらおかしいって誰かしら気がつくだろ!」
「単純なことだよ。他の人の記憶を操作すればいい」
「何!?」
「もとから存在したと思わせればいい。戸籍も役所の人間を騙せば作れるし、仕送りもお金がありあまってる夫婦に子供がいるって思いこませたら簡単だった」
……ウソだろ。
俺の可愛い妹が、あの無口だけど可愛い妹が、悪びれない犯罪者みたいなセリフを平然と言うなんて。
「いいかげん認めなさいよ、シュヤララク」
リオラが肩をぽんと叩いてきた。
「いくら否定したって無駄ですわ、シュヤララク様。記憶が戻れば嫌でも知ることなのですから」
いつの間にか俺のそばにいたエルも、リオラの反対側から肩に手を置いた。
「という訳で、クルヤツァエリストラレナス。早く彼の記憶を戻してあげてくださいな」
「それは無理」
「往生際が悪いわね。今さら抵抗しても意味ないでしょ。あたしたちはもうここにいるんだから」
苛立ちを露わにするリオラに向かって、玲菜はもう一度同じことを繰り返す。
「無理だってば」
「どういうことよ?」
「自分より位の高い神に使ったのは初めてだから」
「だから?」
「戻したくても戻せない。というか、戻し方が分からない」
「…………な」
しばし流れる沈黙。
「何ですってぇぇぇぇ!」
玲菜の両肩を掴んで揺さぶるリオラを、いつもの俺なら『妹に乱暴なことをするな』と止めていたことだろう。
それが今はどうか。
ふらつきながらベッドの方へ行き、ぐしゃぐしゃになったシーツを綺麗に伸ばしていた。
無言でベッドメイクをする俺に気づいた他の三人が、喧嘩をやめて訝しげな視線を送ってくる。
「あの、シュヤララク様? 何をなさっているんですか?」
「はは……心を落ち着けてるんだ」
乾いた笑いを漏らして、俺は最近知った精神統一の方法を試すのだった。
リストラ神さまは青春がしたい! ユユ @yuyusakuhinn
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