7章 居酒屋丸川

 ひとしきり挨拶が済み、分け前の相談も終わると、石渡は松方に、

「ちょっと来てくれ。話がある。悪いがおぬしらは、しばらくそこで待っていてくれ」

 と、声をかけ、連れだって部屋をでてゆく。それを歳三と三枝が、怪訝な表情で見送った。

「三枝どの、これはどういうことだ?」

「拙者もつい先日、仲間に加わったばかりなのでよくは知らんが、どうやら以前組んでいたやつが、金を持ち逃げして行方をくらましたらしい。とは、そやつのことであろう」

「なるほど。内輪揉めか……」

「まあ、過去のことは、拙者たちには関わりがござらん。あまり首を突っ込まぬことだな」

 関心なさげに、三枝が言った。

「おぬし、ずいぶん余裕のある態度だが、この手の仕事やまは慣れているのか?」

「ああ。拙者も以前、上州のやくざ者と組んで、いくつか強請ゆすりをかけたが、そのときのやつらと、分け前で揉めておる」

「おい……この話しは、大丈夫なのか?」

「やくざ者とちがい、仮にも武士だ。約定をたがえることはあるまい」

 三枝はのんびり構えているが、歳三は、近ごろの武士など、あてになるまい……と、疑念をつのらせた。


 しばらくすると、ふたりが戻り、石渡がさっそく仕事の話を切りだす。

「さて、土方どの……武州には詳しいということであるが、もし、おぬしが商家を強請ゆするならどこを狙う?」

「その前に参考のため、いままで、どこで仕事をこなしたか教えてくれ」

「最初は小石川や千駄ヶ谷など、江戸の外れからはじめたが、あのあたりは、あまり大きな商家がない。そこで……」

 石渡たちは、中山道沿いに目をつけた。五街道だけあって大きな商家がたくさんある上に、朱引きの外なので、十手持ちなど御上の手先の数も少なく、儲けが大きいわりには、危険が少なかったからだ。


 しかし、強請る場所に偏りがあると、手がまわる可能性が高いので、板橋宿から蕨、浦和、と廻り大宮を最後に中山道を離れ、脇街道を不規則に選んで豊島、足立、多摩郡を荒らしまくった。


「なるほど……板橋、田無、八王子などの大きな宿場を狙ったわけか。まあ、それは妥当な案だが、そのやり口は、すでに御上も商人も、とっくにお見通しであろうな」

「そのとおりだ。ここ最近大きな往還沿いは、商家も腕っぷしの強い用心棒を雇ったりして、なかなか仕事がやりにくくなっておる」

「だろうな……ところでおぬしら、河岸は狙ったのか?」

「河岸だと? いや、街道筋の商家ばかりだ」

「ふ、ふふふ……俺ならまず河岸を狙う。江戸は水運の町だ。大きな商いは舟によって行われる。たとえば川越と江戸は、水運で結ばれており、毎日大量のひとや品物が動き、当然、大金も動く。新河岸川の河岸の豪商の蔵には、小判が唸っているというぜ」


 かつて、知恵伊豆の異名で知られた松平伊豆守が、川越城主だったころ、新河岸川を改修して、千住と川越を結ぶ水運ルートが作られた。

 当初は川越から年貢米などを運んだが、旅客舟も運行され、川越夜舟とよばれた。夕方に川越を発って翌朝千住に着き、昼頃には終点の浅草花川戸に到着した。

 主な輸送品は、川越方面から、さつま芋、柿などの農産物。木材、絹織物、酒、醤油、綿、素麺、石炭などを運び、江戸からは油、砂糖、小間物などを運搬した。


 やがて川越水運は、武州と江戸を結ぶ重要な物流を担うようになり、多くの河岸が造られた。

 もっとも川越に近いのは仙波河岸で、扇、上新河岸、下新河岸、牛子、寺尾の五河岸から旅客を乗せた。水運は、問屋に莫大な富をもたらし、福岡河岸の福田屋など、あまたの豪商を生みだした。

 余談だが、この仙波河岸の近くにある小仙波村は、清河八郎、伊牟田尚平らと攘夷活動に奔走した儒医・西川練造の出身地である。


「むうん……なるほど。さすが勘定方じゃ。じつに詳しいな」

 一同が、感嘆のうなり声をあげる。

「たとえば新河岸川の引又河岸(現在の埼玉県志木市)には、大店が軒をつらね、引又道、江戸道などの道が、いくつも交わっているし、そこから中山道や川越道に抜けられる。をしたあと、逃げる道には事欠かないから、狙わぬ手はなかろう」

「ふふふ。おぬしを仲間に加えたのは、神仏のご加護じゃ」

 行商で蓄積した歳三の膨大な知識に感心して、石渡が大げさな台詞を吐く。まさか、この不逞浪人の見本のような男が密偵だなどとは、考えてもいないようだ。

「ただし、福岡河岸の豪商・福田屋は、やめておいたほうがよい」

 福田屋は、福岡河岸の目の前にあった豪商で、女優・星野真里の実家として知られている。富を象徴する三階建ての豪壮な建物は、現在、福岡河岸記念館になっている。

「なぜじゃ?」

「あそこの主人は、神道無念流の練兵館で修行して、屋敷には剣を遣う食客が、ごろごろしているからな」

「なるほど。それは血の雨が降るな……ところでおぬし、ねぐらはあるのか?」

「ああ。亀沢町の馬場裏、六兵衛長屋に住んでいる」

 六兵衛長屋は、八州廻り馬場俊蔵が、歳三と兼助のために用意した仮の住居すまいであった。

 当時、部屋を借りるには、請人、つまり身元保証人の判が必要で、時代劇のように、素浪人がふらりと江戸に出て、いきなり裏長屋に住むなどということは、簡単には出来ないようになっていた。

 ただし、どんな法にも抜け穴があり、名義貸しで利鞘を稼ぐ小悪党がいたので、があれば、人別がなくとも住まいを見つけることがてきた。

「わかった。では、仕事が決まったら使いをやるので、二日ほど待っていてくれ」

「承知した」


 歳三が、急な階段を下りると、店のなかは、いつの間にか中間ちゅうげんや職人、人足、陸尺など労働者の客で混みあっていた。

 そのなかに、中間のような風体の兼助を見つけたが、知らんぷりで店を出る。兼助は、大根の煮物をつまみながら、黙々と杯を干しており、一度も歳三に視線を送らなかった。










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