6章 入江町柳小路

 歳三は、三枝と名乗る浪人者の誘いに乗って、仲間のたまり場に向かった。

 津軽屋敷からもっとも近い町は、本所亀沢町だが三枝が向かったのは、東側にある入江町であった。

 入江町は、あまり風紀がよくない本所のなかでも、とびきり柄の悪い町である。旗本屋敷が多い亀沢町とはちがい、貧乏御家人の屋敷が多く、おまけに陸尺ろくしゃく屋敷に、安価な売春が行われている切見世などもあり、治安の悪さは、お話にならない。


 この切見世は、寛政の改革によって、いったん廃止されたが、ここにきて、またぞろ息を吹き返していた。

 まだ陽が高いので、歳三が足を踏み入れたときには、町は眠ったように静まり閑散としていた。


(まいったな。まさか、いきなり仲間に誘われるとは……)


 歳三と馬場の計画では、怪しいやつらを見つけたら、それとなくあとを尾けて、身元を洗う……といった程度の簡単なものであった。

 というより、あまりにも情報が少なすぎて、きちんとした計画を、たてるような段階ではなかったのだ。

 三枝と歩きながら歳三が、なにげない素振りでちらりと後ろを見ると、印半纏に尻っ端折り、腰に木刀を差した折助のような格好なりの日野宿の道案内(十手持ち)、山崎兼助が、こっそり尾行しているのが眼に入ったので、少し安心する。

 兼助は、念のため連絡要員として、馬場が手配していた。中間ちゅうげん姿は武家屋敷が多いこの界隈には、掃いて捨てるほどいるので、町に溶けこんで目立たない。


 連れていかれたのは、切見世から一本裏の路地に入ったところにある『丸川』という、小体な居酒屋であった。

 ひとがすれ違うのがやっとの細い路地の入り口には、ひょろりとした貧弱な柳の木が植えられており、『柳小路』と記された看板に、路地にある居酒屋の屋号が記された札がかかっていた。


 丸川は、まだ店を開けたばかりで、職人風のふたりが、入れ込みに座って、ひっそりとのんでいるだけで、がらんとしている。歳三と三枝は、そのまま二階の座敷に通された。

「よく来たな。話しは三枝からきいてると思う。拙者は、水府浪人・石渡慎吾と申す者だ」

 座敷には、総髪で着流しの男が待っていた。登戸宿の『ひたち屋』で見たふたり連れの片割れに、まちがいなかった。

 あのときは、連れの浪人と顔を付き合わせるように、夢中で語りあっていたので、歳三の顔は、見ていないはずだ。


(この野郎が、あのふたりを殺ったのか? それとも別に下手人がいるのか……)


 石渡は、見るからに武芸者といった厳つい顔立ちをしており、親しげな笑顔を浮かべてはいたが、その眼は、冷たく鋭かった。

「俺は武州浪人・土方左近。よしなに……わけあって、いまは浪々の身だが、なぜ暇乞いをしたのかは、たずねんでくれると助かる」

「ふふふ、それはお互い様だ……おぬし、まさか家中から追手などは、かかっておらぬだろうな?」

「それは大丈夫だ。かかっていたら、今ごろ江戸で、のんびりしては、いられねえさ」

 歳三が、陽気に笑った。

「ところで、武州と言ったが、川越、忍、岩槻のいずれなのか、それぐらいは教えてくれてもかまわぬだろう?」

 という三枝の問いに、

「川越だ。勘定方の同心をしておった」

 歳三が、よどみなくこたえる。石田散薬の行商のさい、川越は何度も訪れていたし、新河岸川の川畔にあった柳剛流の道場にも通っていたので、川越の事情には詳しく勘定方の役人にも知り合いがいた。よほどのことがないかぎり、をだすことはないだろう。


「ふ、ふふふ、川越松平家の勘定方か……暇乞いの理由は、おおよそ見当がつくが、なにも言うまい。ところで、わしは北辰一刀流じゃが、おぬしの剣の流儀は?」

 石渡が歳三にたずねる。北辰一刀流の流祖・千葉周作は、水戸藩から百石の禄をあたえらていた関係で、水戸藩には、その門弟が多かった。

 剣術は当時の武士として、最大の関心事のひとつなので、歳三の修めた流派に興味を示すのは、当然のことである。

「天然理心流……それと柳剛流を少々」

「柳剛流は知っておるが、天然理心流は、あまり耳にしたことがない流儀だな」

 柳剛流は当時、北辰一刀流、神道無念流をしのぎ、関八州で、もっとも道場の数が多かった流派である。それに対し天然理心流は、伝播している地域が狭いので、知らなくて当然であろう。

「水府には、伝わっておらぬからな。どちらの流儀も武州では盛んで、百近い数の道場がある」

「ほう。それは知らなんだ。おぬし……川越ということは、武州の事情には詳しいのか?」

「もちろんだ……まあ、浦和とか鴻巣、熊谷のような中山道のほうは、あまり行ったことはないが、松山、川越から飯能、所沢、田無、八王子まで……とくに日高、高麗、入間、新座、豊島、多摩、橘樹郡なら、まかせておけ」

「それは心強い。たよりにするぞ」

「なぜ武州にこだわる?」

「ふふふ、俺たちは、江戸では仕事はせぬ。なにせ、八百八町には、腐るほど御上おかみの手先がおるからな」

「なるほど……」

 と、つぶやく歳三の眼が、鋭さを増した。

 そこに、がらっと襖を開けて、

「おい、慎吾。ついに、やつを見つけたぞ」

 痩身の浪人が入ってきた。『ひたち屋』にいたの男である。これで、あのときのふたりが揃ったわけだ。


とは、馬場の旦那が言っていた三人めの男か?)


 歳三が、入ってきた男に視線を向けると、

「おぬしは?」

 ようやく歳三に気づいた男が、鋭い視線を浴びせる。

「新しく仲間になった土方左近どのだ。俺が津軽屋敷で声をかけた」

 三枝が言った。

「そうか。拙者は、水府浪人・松方幾多郎と申す。よしなに」

 歳三は、挨拶するように頭を下げながら眼を伏せ、鋭い眼差しを見られぬようにする。


(どちらも水戸者……なるほど。尊攘浪士崩れか)


 が、その口元は、獲物を見つけた獣のように吊り上がっていた。


 水戸藩は御三家ということで、参勤交代を免除されていたが、そのかわり、藩士の半数は江戸詰であった。

 水戸本国では、編纂改訂された『大日本史』の解釈から生じた。国学者の藤田幽谷とその師である立原翠軒との間で引き起こされた論争が、上士を中心とした書生派と、のちに天狗党と呼ばれるようになる改革派の対立に発展し、ペリーの来航によって、激化しつつあった。

 本国の藩政を掌握する書生派に対して、改革派は、身分の低い藩士が多く、水戸における立場は苦しくなり、改革派の多い江戸を目指し脱藩者が相次いでいた。

 しかし、このように攘夷という口実を掲げ、押し借りなどの悪事をはたらく者も少なくなかったのである。









 

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