4章 二子溝口宿
登戸宿で津久井道と直角に交わる八王子道を、歳三と八幡の伊之助、八州廻りの馬場俊蔵、従者の小物ふたりが、提灯の明かりをたよりに、二子溝口に向かって、速足で歩く。
「ねえ、親分さん……なんで俺まで、付き合わなくちゃならないんですか?」
歳三がボヤきを入れると、八幡の伊之助が、
「いくら似顔絵があるっていっても、実際にやつらの
「大丈夫ですよ。あの似顔絵は、やつらにそっくりでしたから」
「うるせえ。つべこべ言わずに、おまえも来るんだ!」
「はいはい。わかりましたよ。仰せのとおりにいたします」
ふたりのやりとりに、思わず馬場が笑った。
街道沿いは、左手に二ヶ領用水、右手に多摩丘陵の低い山並みが続く。ぽつりぽつりと農家が点在するだけの寂しい道である。
あたりはすっかり陽が暮れて、薄暗くなっており、こんな刻限に街道を歩く者など、ほかには見当たらなかった。
登戸宿から浪人者たちが向かった二子溝口宿までは、一里程度の道のりなので一行は、半刻もかからず二子溝口宿に到着した。
二ヶ領用水に架かる大石橋のきわに、問屋場を兼ねた名主の丸屋七右衛門の屋敷がある。
二子溝口宿は、二子村と溝口村を合わせた総称で、丸屋は溝口の名主である。二子の名主は、御用商人であり、大名家にも金を貸していた橘樹郡でも指折りの資産家・大貫家がつとめた。
この大貫家は、芸術家・岡本太郎の母で作家の、岡本かの子の実家として知られている。
丸屋に
歳三は、十手持ちではないので、訊きこみをするわけにもゆかず、そのまま丸屋に残り、式台に腰掛けて休んでいると、名主の七右衛門が挨拶にやって来た。
「おや、誰かと思ったら、石田村のトシさんじゃないか」
「ああ、丸屋さん。ご無沙汰してます」
丸屋とは、石田散薬の取引先である、明和二年に創業された矢倉沢往還で唯一の老舗薬種商『灰吹屋』で、何度か顔を合わせたことがあった。
「馬場さまのお手伝いですか?」
「いや、たまたま下手人らしきやつらの顔を見ているんで、おまえも来い……と、無理やり連れて来られました」
うんざりした調子で歳三がこたえると、丸屋が笑った。
「そいつは災難でしたね」
「家が流されて以来の大災難です」
「はっ、はっは。大袈裟な……しかし、あのときは、土方さんも大変でしたなあ」
丸屋が感慨深い調子でつぶやいた。
弘化三年(1846年)の大洪水のことである。
いまでこそ、このように冗談にしているが、この年の六月は、寛保二年、天明六年の大洪水以来の災害で、江戸三大水害に数えられ、ひと月にわたって悪天候が続いた。
それは、五月末から六月末のあいだに、雨が降らなかった日がわずか三日しかないという、前代未聞の雨続きであった。多摩川と浅川の三角地帯に建つ歳三の生家が、濁流と化した多摩川にのみこまれたのだ。
当時まだ十二歳だった歳三は、大雨で多摩川が濁流になったり、激しい台風が家を揺らしたりすることを、祭りのように胸を高鳴らせ、むしろ、楽しいと感じるような年ごろであった。
ところが、このときの増水は、多摩川の堤から川を見下ろしたとき、大人が抱えきれないような大木が、轟々と渦巻く濁流に揉まれ、波間から見え隠れしながら、まるで木の葉のように流されてゆく光景に、足がすくむ思いを味わった。
最初に堤が決壊したのは、圧倒的に水量の勝る多摩川であった。歳三の家の畑は、みるみるうちに、多摩川から逆流した濁流にのみこまれた。支流の浅川が溢れるのも時間の問題といってよかった。
家督を継いだばかりで、まだ若く一家の大黒柱としては、いささか貫禄の足りない兄の喜六にかわって、分家の当主で石田村名主の土方伊十郎が指揮を執り、歳三の家を解体して、安全な場所に移動することにして、村中の人びとが協力した。
バラバラに分解した家を、総出で運びだした直後、ついに浅川も決壊した。渦を巻く濁流は、たちまち歳三の家の土蔵をのみこみ、三棟のうちの一棟が、めきめきと音を立て崩壊するさまを、歳三は呆然と見送った。
ようやく雨があがり水がひくと、上流から流れてきた大量の土砂により、土方家の畑が埋まってしまっただけではなく、川の流れがかわり、かつて畑だった場所を、浅川が流れていた。
残った畑を埋めつくした土砂には、長さ二間もありそうな、どこかの家の大黒柱が、墓標のように突き立っていた。
結局、もとの場所には住むことができず、土方家は、分家の隣に引っ越すことになった。かつては石田村のお大尽とよばれた、土方家が受けた経済的打撃は大きく、蓄えは大幅に減ってしまった。
悲劇が襲ったのは、歳三の家ばかりではなかった。この未曾有の大雨によって、荒川では千住堤が決壊して甚大な被害をおよぼし、多摩川においても下流の猪方、和泉村において、堤が百間にわたって決壊した。
七月三日。六月なかばから川止めになっていた日野の渡しが再開されると、押し寄せた渡舟客・三十名を乗せた舟が転覆して、十名以上の死者をだした。
このことがきっかけとなって、歳三は、奉公に出されることになった……というわけである。
「馬場さまたちは、しばらく帰ってこないと思いますので、俺は、亀屋のならびの居酒屋で、時間をつぶしてます。帰って来たら、よろしくお伝えください」
丸屋に断ると、歳三は、元禄年間に創業された老舗旅籠『亀屋』の先にある馴染みの居酒屋『綱島屋』に向かった。
綱島屋は、又兵衛と出向いた登戸宿の『稲田』とは異なり、安い酒をのませる気楽な店である。
時分どきなのか、人足や職人などによってほぼ満席で、ようやく空いている席を見つけて座ったとたんに、後ろから声をかけられた。
「おう。誰かと思ったら、石田村のトシさんじゃないか。こんなところで珍しいな」
「なんだ、孫さんか。仕事上がりかい?」
歳三に声をかけたのは、二子の渡しの船頭、孫六であった。矢倉沢往還は、甲州道中、青梅道、伊奈道などとならび、歳三が頻繁に行商している街道なので、顔馴染みである。
「おお、さっきまで川で投網を打ってたんだが、今日は鮎も
孫六は投網の名人で、船頭の仕事を終えたあと多摩川で網を打ち、獲れた魚を、料理屋に卸すことを副業にしていた。
この季節は、鮎を補食するため海から上ってきた鱸も網にかかるので、二尺を越える鱸がたくさんかかると、船頭の稼ぎより、よほど儲かった。
孫六としばらく世間話をしたあと、懐から例の浪人者の似顔絵をだして、
「ところで孫さん、こいつらを乗せなかったかい?」
歳三が切り出すと。
「あっ、この厳つい野郎には見覚えがある。こいつと、こいつのふたりが、ゆうべ来やがったぜ」
孫六が、似顔絵のふたりを指しながら、忌々しげに言った。
「薄暗くなったんで、もう上がろうかと思ったら、こいつらが乗せろってきやがって……断りたかったけど二本差しだし、怒らすと、なにをされるかわからないから、嫌々、舟をだしたよ」
「どんな様子だったんだ?」
「それがさ……なんか揉めてるみたいで、口争いしてやがって、こっちはもう、ビクビクもんだったよ」
「そいつは災難だったな。こいつらが、なにを話していたか覚えてることはないのかい?」
「うーん。おっかねえから、なるべく聞き耳を立てないようにしてたからなあ……あっ、でも、津軽さまの賭場がどうの……とか、ぬかしてたぜ」
「津軽の賭場……本所横川か……」
歳三の眼が細められ、強い光がさした。
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