3章 八州廻り
――その翌日。
又兵衛の屋敷に一泊すると、朝から近所に住んでいる天然理心流・近藤周助の門弟のふたりが訪れ、途中、昼食のためひと休みしただけで、夕方まで稽古に励んだ。
ふたりが帰ると、酒に目がない又兵衛が、またぞろ歳三を居酒屋に誘う。歳三は、あまり酒は好きではないのだが、又兵衛と語りあう時間は、嫌いではないので、その誘いにのった。
「同じ店じゃあ、つまらん。又さん、ほかにいい店はないのかい?」
「ああ、だったら、こないだ出来たばかりの、ちょいと洒落た店がある」
「よし。その店にしよう。今日は俺のおごりだ」
「えっ、いいのかい? 深川の『平清』で修行した板前が、本格の料理を食わせる店なんで、けっこう値が張るぜ」
又兵衛が、にやにや笑いを浮かべた。平清は、八百善と並ぶ江戸屈指の高級料理屋である。
「なあに。いつも又さんに、おごってもらってばかりだからな」
「へへっ、じゃあ、今夜はトシさんに、ご馳走になるか」
ふたりは又兵衛の屋敷から、津久井道にでて登戸の渡し場のほうに三町ほど歩き、天保元年創業の旅籠『柏屋』の先の北向地蔵の手前にある小料理屋『稲田』に入った。
昨日入った庶民的な『ひたちや』とはちがって小体な店だが、黒板塀を建てまわした洒落た造りは、江戸にあってもおかしくない佇まいである。
近ごろでは、なにかと贅沢になり、このような宿場町にさえ、こうした高級な店が、ちらほらと見られるようになっていた。
「へえ。驚いた。なかなか洒落た店じゃないか」
「今さら割り勘は、なしだぜ」
と、言って又兵衛が笑った。
又兵衛が太鼓判を押すだけあって『稲田』の料理は、たしかに美味かった。
馬丁や人足などが、気安く酔える『さがみや』とは異なり、そういった騒がしい客はおらず、落ち着いた雰囲気に、ふたりが二合ほどのんだところで、
「ごめんよ」
暖簾をくぐって、着流しの武家が入ってきた。三十年配の苦味走った剣客風の男だが、その顔は、真っ黒に日焼けしている。男には、鋭い目付きをした町人の連れがおり、店のなかを油断なく見回す。
武家は、歳三に眼を向けると、
「おう、誰かと思えばトシじゃねえか。こんなところで珍しいな」
人懐こい笑顔を浮かべた。
「馬場さん。それに八幡の親分さんも……」
入ってきたのは、
馬場は、武州南西部から相州の担当で、日野宿の名主である歳三の義兄、彦五郎とも昵懇の間柄である。八幡の伊之助は、歳三が八王子で肩で風を切っていたころ、さんざん手を焼かせた親分で、いまでも頭が上がらない。
(関東取締出役は、一般的に「しゅつやく」と読んでいる者が大多数であるが、実際にその職に就いていた当事者に話をきいた『旧事諮問録』において「でやく」と発音していることから、それに倣った)
「馬場の旦那に、八幡の親分さんが顔を揃えるなんて……なんか事件ですか?」
「おうよ。昨日まで丸子宿にいたんだが、殺しだってんで、慌てて駆けつけたのさ」
八幡の伊之助が、すかさずこたえる。丸子宿は、中原往還(現在の中原街道)の宿場で、東急東横線・新丸子駅の付近にあり、隣の小杉村と町続きの宿場であった。
「この宿場で、殺しですか?」
朝から一日、又兵衛の屋敷にこもって剣術の稽古をしていたので、そんな話しは初耳だった。
「しかし、八幡の親分さんが、なぜ縄張りじゃない登戸に……」
「八木宿で追い落としをした野郎が、中原往還の丸子宿でお縄になったってんで、馬場さまと立ち会いにな……それよりトシ。会えてよかったぜ。殺られたのは不逞浪人のふたり連れだ。おめえ、心当たりがあるんじゃねえのか?」
「なんですって!」
心当たりなら、たしかにあった。しかし歳三は、ふたりとも気絶させただけで、殺したわけではない。また、あの程度痛めつけただけで、死ぬような
「おめえが殺ったんじゃねえことは、百姓代の深瀬さんの娘に確認済みだ。それより詳しい
歳三が詳しい経緯を話すと、
「まあ、おおむね、娘が言ったとおりだな」
「親分さん。やつら、どんな死に様だったんですか?」
「それがよ、
歳三が気絶させたあとなら、誰にでも簡単にできそうだが、実際にひとを殺すとなると、心理的な障壁があり、なかなかひと突きで……というわけには、ゆかぬものだ。ましてや、それがふたりである。
「不逞浪人とはいえ、そいつは、ちょいと気の毒だったかな」
少しも気の毒そうではない口調で、歳三がこたえた。
「なあに、あやつらは、一昨日、矢野口村の米問屋に
馬場が冷たく言い放つが、それは、無理もないことであった。というのも、関東取締出役の取締対象は、博徒、無宿渡世人などのいわゆる長脇差に、無頼浪人のたぐいである。
実際、この手のやからには、常日頃、ほとほと手を焼かされていたからだ。
先日、馬場が日野宿脇本陣に宿泊して、彦五郎と歳三、門番の十手持ち山崎兼助の四人で酒を酌みかわしたとき……。
「おい、トシ。去年の一年で、俺んとこに寄せられた不逞浪人の
「いや……見当もつきませんね。五十件ぐらいですか?」
歳三がこたえると、馬場は皮肉な笑みを浮かべ、
「ははは、馬鹿言っちゃいけねえ。驚くなよ……なんと、二百七十件だ」
これには、さすがの歳三も眼を丸くした。
関東取締出役は、博徒や無宿渡世人、そして不逞浪人の増加に手を焼いた幕府が、文化二年、関東を管轄していた代官四名の配下から、手附、手代それぞれ二名ずつ計八名を選出して任命された。
しかし、広い関東に、たったの八名で治安が維持できるはずもなく、各地に道案内(十手持ち)も配置されたが、発足当初から焼け石に水の様相を呈していた。
しかも、この道案内がまた曲者で、博徒と二足のわらじを履くものなどもおり、かえって害を撒き散らした。
やむを得ず道案内を廃止して、名主などに道案内を兼任させたが、名主は、日常業務が多く、とてもではないが十手持ちのかわりには、なり得なかった。
その後、文政、天保と改革を行い、指揮権を代官から勘定奉行に移し道案内も復活させ、取締役も安政から文久までは、十名~十四名ほどに増員した。
ところが、ペリー来航による世情不安によって、事態は沈静化するどころか、無宿渡世人や不逞浪人は、むしろ以前より増加して、もはやお手上げの状態だったのだ。
その後、さらに攘夷浪士の活動が激化する文久以降になると、文久二年の総員三十四名を最高に、二十~二十五名に増員され、浪士の取締りにあたることになる。
「ところでトシ。おめえ、あいつら以外の浪人者を見なかったか?」
馬場が歳三に訪ねた。
「いや、見てませんね。あいつらだけでしたよ」
「ふうむ……そうなると、やっぱり、やつらを殺ったのは、もうひとりの野郎だろうな」
「もうひとり仲間が、いやがったんですか?」
「ああ。矢野口の米問屋に強請をかけた浪人は、三人だった」
「仲間割れでもしたんですかね」
「それも、何度もな」
「どういう意味ですか?」
歳三の問いにはこたえず、馬場は懐から、なにやら紙をとりだして歳三にわたした。そこには、五人の似顔絵が描かれていた。
歳三の眼が似顔絵に、釘付けになる。
「強請をはじめたころは、この五人組だったのさ。こやつらは、派手にやりすぎたんで面が割れた。わかってるだけでも二十三件は
馬場が説明すると、伊之助が続ける。
「それが、五日ほど前に、秩父往還の所沢宿で強請をかけたときには、三人に減っていた……ってわけさ」
伊之助の言葉に、歳三の眼が、すうーっと細められ強い光を帯びる。その似顔絵のなかのふたりは、昨日『さがみや』で見かけた浪人ふたり連れであった。
殺されたのがふたり。殺したのがひとり。それを探していたのがふたり……。
ぴたりと平仄があっていた。
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