1章 石田散薬

 おときの家は、自分の土地を持つ農家には平均的な四間取りだが、玄関と式台を備えていた。一般的な農家には、門構え、玄関、式台、床の間は許されていない。つまり、そのことから名主、年寄、百姓代などの上級農家であることがわかる。

 大きな茅葺き屋根のさらに上を見ると、小さな屋根が二段重ねのようになっていた。これは、屋根裏部屋で蚕を飼うため、空気の流通を促し換気をする仕組みで、煙出しとよばれていた。


(なるほど、村役人で養蚕農家ってことか……)


 歳三の思ったとおり、娘の家は、登戸村の百姓代・深瀬甚左衛門の家であった。

 娘を送りとどけると、父親の甚左衛門は、

「このたびは、娘の危ういところを助けていただき、まことにありがとうございます。もし、あなたさまがいなければ、どんな恐ろしいことになっていたことか……」

 と、平身低頭する。その横で、おときも深々と頭を下げた。

「当たり前のことをしただけですよ。顔を上げてください」

「いえ、どんなに感謝しても、し足りないぐらいです。そやつらは、おそらく一昨日の夕方に、矢野口村の米問屋に強請ゆすりをかけた不逞浪人……そんな恐ろしいやつらから、娘を助けていただいたのです。せめてものお礼のしるしに……」

 歳三の手に、紙で包んだ金を握らせる。誠意のこもった表情なので、嫌味な感じはしなかったが、歳三はきっぱり、

「いただけません。気持ちだけ受けとっておきましょう」

 と、金包みを戻す。

「しかし、それでは手前の気持ちが……」

 甚左衛門が、訴えかけるような眼で歳三を見る。

「では、こうしましょう。見てのとおり俺は薬の行商をしています。行商といっても、薬を置いてもらって、使ったぶんだけ、あとで精算するという、富山の薬売りと同じような置き薬です」

「ああ、なるほど。わかりました。では、その薬を手前どもの家に……」

「ええ。そうしていただけたら」

「うちには、小作人も大勢いるし、薬があれば、いろいろ助かります。むしろ、願ったりかなったりでございます」

「では、これで商談成立ですね」

 思わぬことで、また一軒顧客が増えて、歳三は、笑みを浮かべた。


 甚左衛門の家を辞して、玄関を出ると、ぱたぱたと足音がきこえた。振り向くと、おときが上気した顔をして、小走りで駆け寄ってくる。

「あ、あの……ほんとうに、ありがとうございました。あの……次は、いつ、うちに、いらっしゃっいますか?」

 おときが、ひたむきな瞳で、歳三を見つめた。


(――この娘、俺に惚れやがったか)


 おときは、人目を惹くような美形である。ふつうなら喜ぶところだが、歳三は、と、少しうんざりとした気持ちで、おときに、冷静な眼を向けた。

 かつて奉公に出ていたときに、素人娘には、何度も手を焼かされて、懲りていたのだ。

「薬の取り替えなどがございます。三月に一度は、かならず寄らせていただきます。では、ごめんなすって」

 なにか言いたげなおときを振り向くことなく、歳三は、その場をあとにする。おときが熱っぽい眼で、それを見送っていた。

 

 十三歳で奉公に出たとき、まだ幼さの残る歳三は、まるで雛人形のような可憐な容姿から、しばしば女の子と見間違われるほどであった。

 ふつうなら、最下級の小僧などは、ほとんど奴隷と変わらぬ扱いを受けるはずだが、そんな歳三の美貌が、店の女どもの注目の的になったとしても、やむを得まい。

 しかし、騒がれるだけならともかく、女中や下働きの女は、菓子を握らせたり、歳三の手をとり、おのれの着物の胸元から乳を触らせたりと、まるで、手遊おもちゃび扱いであった。


 おもしろくないのは、店の男どもである。歳三ひとりが、ちやほやされ、自分たちは見向きもされない。嫌がらせで歳三に面倒な仕事を押しつけても、店の女どもがあれこれ手を貸して、とうの歳三は、ちっとも困っている様子がない。

 なかでも、まとめ役の小僧頭の正吉は、女どもに騒がれる歳三に、激しい嫉妬を覚え、なにかといじわるをした。

 歳三は、いくら嫌がらせをされても、ひと言の文句も言わず、黙々と言われたことをこなしてゆく。その超然とした態度を見て、正吉は、ますます怒りをつのらせた。


 まだ十三歳とはいえ、歳三は、地元の石田村では、手のつけられない悪童。バラガキとよばれた暴れ者である。喧嘩沙汰は当たり前で、生っ白い江戸の子どもたちとは、くぐってきた修羅場の数が違う。

 隣の上田村の悪童たちと大喧嘩になったときは、手製の木刀で叩きあい、頭を割られて血を流すなど当たり前。大怪我をする子どもが出る始末で、それは喧嘩というより、小さな戦争いくさであった。

 そんな歳三から見ると、くだらない嫌がらせしかできない、ニキビ面の正吉などは、とるに足らない存在にすぎなかった。


 そんなある日……。

 十七の色気盛りの下働きの女、は、仕事が終わったあと、番頭と手代たちが連れだって、店の前に店を出している屋台の夜鳴きうどんを食べに行った隙に、菓子を餌に、歳三を店の裏庭の納屋に引き入れ、着物の前をはだけ、歳三の手を熱く湿った自分の股間に誘った。

 歳三は、眼を潤ませ、荒い息を吐いて恍惚とした表情かおのおむらを、冷ややかな瞳で見下ろすが、おむらは、いつも自分のことを、嫌らしい欲望の眼差しで、ねっとり舐めまわすように見つめる男どもの視線とは異なる、その冷たい視線に、むしろ興奮していた。


 ところが歳三は、気品あふれる姉の可憐な美しさとくらべ、欲情に上ずった表情かおには、嫌悪しか感じなかった。

 おむらが、歳三の口を貪り荒い吐息をついて、股間に手を伸ばしたとき……。

「おまえら、何をしていやがる!」

 怒りで、顔を真っ赤にした正吉が、勢いよく納屋の扉を開いた。

 正吉は、恥ずかしさに顔を覆った、おむらの着物の裾から覗く、むっちりとした真っ白な肌を凝視して硬直する。握りしめた拳が、ぶるぶると震えていた。


(この野郎、おむらに惚れていやがるな)


 一瞬にして、状況を判断した歳三は、おむらをかばうように、正吉の前に立ちふさがった。

「歳三、てめえ、でっちのくせに!」

 正吉が、歳三の頬を殴りつけた。

 殴られた歳三は、声をあげることもなく、正吉に冷たい視線を向けながら、口中にたまった血が混じる唾を、ぺっ、と吐きだした。

 よけるのは簡単だったが、年上の正吉の面子を立てて、あえて殴らせてやったのだ。

「なんとか言いやがれ!」

「…………」 

 歳三は、なにもこたえない。その沈黙を反抗と受けとめたのか、今度は正吉が、蹴りを入れた瞬間、

 素早く横に回りこみ、正吉の膝裏を、歳三が軽く蹴った。さしてちからを入れたようには見えなかったが、正吉が膝をつく。面子を立ててやるのは、一度きりだ。

「てめえ、なにしやが……」

 正吉が、怒りの眼差しを歳三に向けた刹那、歳三の肘が頬をとらえた。

「うがっ」

 いくら十六歳の小僧とはいえ、正吉とは体格が違う。まともに組み合ったら勝ち目はない。喧嘩慣れしていた歳三は、瞬時にそう判断し、矢継ぎ早の攻撃を仕掛けたのだ。

「このガキ!」

 怒り心頭の正吉が、叫び声をあげて、歳三に組みつこうと身体を起こしたところに、歳三の踵が、まともにその顔面を捉えていた。

 とても子どもとは思えない、見事な喧嘩っぷりである。

 一部始終を見ていたおむらは、これだけの喧嘩をしておきながら、興奮するでもなく、動けなくなった正吉を、冷ややかに見下ろしている歳三を、化け物でも見るような怯えた眼差しで見つめた。

 おむらは、歳三の冷たい美貌に魅いられ、恐怖とともに激しい欲情が突き上げていた。

 ふたりは、白目を剥いて気絶した正吉の隣で、激しく交わった。おむらが歳三の最初の女であった。


 これだけの騒ぎは、当然、番頭らの知るところになり、歳三は番頭の吉次に呼びだされ、説教を食らう羽目になった。

 しかし歳三は、説教の途中で立ち上がると、さっさと荷物をまとめて、店を飛び出してしまった。そして、夜通し歩いて、翌朝には日野に戻っていた。

 

 次の奉公は、さらに悲惨な結果に終わった。店の下女と関係を持つだけではなく、主人の女房にも手を出したのだ。

 といっても、いずれも歳三が手を出したのではなく、女が一方的に逆上のぼせあがり、すでに男のちからを持っていた歳三が、それにこたえただけの話である。

 しかし、出刃包丁を振りまわしながら、悪鬼の形相を浮かべた奉公先の主人に追いかけられたときには、素人女にかかわるのは、二度とごめんだと、つくずく心に誓った。

 それ以来、歳三は宿場女郎などの玄人のほかは、女との関係を持っていない。


 またしても奉公に失敗した歳三を見て、家督を継いでいた兄の喜六は、天を仰いだ。

 歳三を奉公に出すことをあきらめた喜六は、歳三に家伝の石田散薬の行商をさせることにした。石田散薬は、牛額草(ミゾソバ)を黒焼きにして、秘伝の薬草を加えた打ち身、骨折の内服薬である。

 薬事法によって、現在は販売できないが、昭和のはじめごろまでは、この薬でなくては、というひとが、けっこういたそうだ。


 行商を機に、歳三は実家を出て、日野宿脇本陣をつとめる義兄の佐藤彦五郎の屋敷に居候を決めこんだ。

 彦五郎に、ということもあるが、もっとも大きな理由は、母親がわりだった姉のが彦五郎に嫁いでいたことにあった。


 このことは、世間体を気にする兄の喜六にも好都合で、近所には「歳三は奉公に行っている」と嘘をつき、人別にもそう記していた。歳三が実家を訪れるのは、石田散薬を仕入れるとき、売り上げの精算のときだけなので、疑う者はいなかった。


(ちなみに、近年発見された歳三の宗門人別帳には、十年間も商家に奉公していた、と記されているが、その後の記載を見ると、慶応三年まで日野で暮らしていたことになっており、信用するにあたいしない)


 もっとも、宗門人別帳や寺請証文のことは、取引先の四ッ谷の『いわし屋』に話を通していたので、調べられても心配はないが……。 


 こうして歳三は、薬の行商をはじめたが、最初のころは、さほど売り上げも伸びず、遊びたい盛りの年頃だったので、行商などそっちのけで、武州西部最大の繁華街である八王子にたむろして、知り合った不良少年たちと徒党を組んで、肩で風を切って暴れまわり、また、武者修行と称して武州各地の剣術道場を回った。

 そのうち兄貴格と持ち上げられるようになると、若いやつら、――といっても、歳三もまだ若いのだが、――に、飯を食わせたり酒をのませたりと、いろいろ金が要り用になってきて、行商に、ちからを入れざるを得なくなってくる。


 そこで、土方家からが嫁入りしていた、歳三の手習いの師匠でもあった下谷保村の名主にして医師・本田覚庵ほんだかくあんに、常備薬について教えを受け、覚庵の紹介で、四ッ谷の薬種問屋『いわし屋』から薬を仕入れるとともに、名主のネットワークを活かして、民間療法の薬なども仕入れた。

 多摩の名主などの上級農家層には、土方家の石田散薬をはじめとして、家伝の薬を伝える家が多かった。

 本田家には、黒龍散が、義兄の佐藤家には、虚労散が、覚庵の親類の三鷹の吉野家には、保寿丸が、小野路の萩生田家には、こせかさ蒸薬が伝わっている。


 それらの薬を加え、さらに、いままでの上級農家層のつながりだけではなく、剣術の修行で立ち寄った道場などにも客層を拡げ、売り上げは、以前にくらべて倍増していた。

 遊ぶ金ほしさで身を入れるようになった行商も、思惑どおり売上げにつながることが楽しくなり、歳三は剣術の修行を続けながら、街道をめぐり武州から相州、甲州をわたり歩く日々を、送っていた。
























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