第4話

「最近エルザが構ってくれなくて辛い」


「元気だしなさいなアナタ」


 力なく机に突っ伏すテオバルト・ロアの後頭部を、妻リカルダは優しく撫でた。そして夫のカップに紅茶を注ぎ足した。執事やメイドの居ない、二人だけのティータイムだったので、互いに砕けた喋り方をしていた。ずっとロア家の当主とその妻をやっていると疲れてしまうので、こういった時間は必要かつ貴重だった。

 

「物凄く利発な子なのは嬉しいのだが、もっとこう、年相応というかね? 元気に外を飛び回って遊んでもいいと思うんだよ。まだ五歳になったばかりだしさ」


「最近は外に出る事の方が多くなったじゃない」


「でもやってるのは魔法の訓練だよ? しかも物騒なのばかり!」


 エルザが破壊した訓練標的や壁はかなりの数に上る。ロア家の抱える私兵の殆どは射撃武器を使わないので、射撃場を利用する事は殆ど無い。その上、壊した物は大抵自分で直してしまうので怒るに怒れない。しかし射撃場をほぼエルザが占有してしまっている現状はどうかと思うが。

 

「ロア家の子としては喜ばしい事じゃないかしら」


「本当にそう思うかい?」


 リカルダは曖昧な笑みだけでそれに答える。娘には幸せになって欲しいという親心と、戦う者としての責務を負うロア家の宿命。エルザが産まれてから何度も二人で話し合った事だ。未だに明確な答えなど出ては居ないが、どうあろうとするかエルザの意思を尊重したいという所だけは一致していた。

 

「私に似てあまり体格に恵まれなさそうなのを感じたのかしら。だから戦う術を手に入れる為に魔法を学びたがるのかも」


 リカルダは小柄で華奢な線の細い体つきをしている。巨漢なテオバルトと比べるとまるで親子と見紛う程である。実際に何度か間違われた事もあった。

 

 しかし5歳児がそんな未来を見通したような考えを持つのだろうか。だがあのエルザの事だから分からないなとテオバルトは思った。

 

「何もエルザ自身が戦わなくても……。ほら、強い男を婿に貰って自分は妻として支えるとかさ」


「誰がその男の強さを認めるのかしら」


「勿論俺だよ」


「それじゃエルザ一生結婚できないわね」


「エルザは誰にもやらん!!!」


「落ち着きなさい」


「……ごめん」


 椅子を蹴って立ち上がり、天井に向かって叫ぶテオバルトを、リカルダは冷たい表情と一言で一蹴する。射貫くような殺気。何時になっても恐ろしい。そう言えば魔法の鍛錬をしているエルザも、時々同じような顔をするなとテオバルトは思い出し、もの凄く複雑な気持ちになった。娘がリカルダに似る事に不満は無いが、似て欲しくない所もあるのだ。

 

「まあ、最近魔族の動きも活発になってきたし、戦う力を持つ事は悪い事じゃないかもしれないね」


 このベニシアの地は魔族の支配地域と隣接していた。しかし巨大な山脈に遮られ、その侵攻を阻んでいる。多少抜けてくるのもいるが、大規模な軍事行動をとれるほどの規模ではない。ロア家の私兵と冒険者達で対応可能だった。

 

 しかしそれはベニシアの正規軍の出番が無いという事だ。それでは実戦経験が乏しくなり練度的に不安が出てくる。テオバルトは何度か正規軍にも討伐参加を打診するも、その事如くを断られていた。ロア家の守護地が最寄りである事や、中央の都市から兵を派遣する費用が掛かるという理由だ。

 

 尤もらしい理由だが、テオバルトは本気にしていない。

 

 どうにもこのアリタイルという国の人間は能天気というか、良くも悪くも皆、平和ボケしているのだ。国土が大陸からチョロっと伸びた半島に位置しており、国境線の押し合いや魔族の流入が殆ど無く、過去の歴史を見ても争い事はあまり起きなかった。故に国民の危機感や兵の士気は低く、それは国境沿いにあるベニシアの地でも同じだった。

 

 それでも過去に一度、山脈を迂回して来た魔族の大軍の侵攻を受け、あわや滅亡の危機に瀕した事があった。しかしテオバルトや冒険者達の活躍で魔族の大軍を国境で食い止め、その間に敵の後方を駆けつけてくれた同盟国であるシマド帝国が突く事で壊滅に追いやり、なんとか敗走させる事ができた。


 10倍もの兵力差を弾き返した歴史的な勝利となった戦だったが、アリタイルの兵は一切戦闘に参加していなかった。その時のアリタイルの兵がした事と言えば、勝利の祝宴の料理を同盟軍や冒険者達に振る舞った事ぐらいだった。豊富な食材に酒に彼らは大いに喜んだが、国の存続の危機にこの大量の食材と酒を運んでくるので参戦が遅れたと聞かされた時には、みな大口を開けて呆れ果てていた。

 

「うん。アリタイルはうちのエルザを見習うべきだよね」


「平和を愛する事自体はいい事なんだけどね……」


 アリタイルの防衛意識の低さにはいつも悩まされて来た二人。魔族だけでも厄介なのに、同じ人類にも注意を払わねばいけない世の中なのだ。そもそもアリタイルが山脈を迂回して来た魔族の大軍侵攻を受けたのも、道中の国々がそれを素通りさせたからなのだ。

 

 彼らの言い分としては、あまりに急な進軍だったので、軍を編成するのが間に合わなかったというのが主なものだった。しかし途中にある防壁や要塞からは全て兵を撤退させ、招き入れるように門を開け放っていた。

 

 アリタイルは比較的豊かな国で、それを狙う国は多かった。しかし下手に兵を動かせば魔族の侵略を許してしまうし、他のアリタイルを狙う国々で互いをけん制し合い、中々手が出せない状態だった。しかし魔族の侵略を許せば、その討伐という大義名分ができるし、国が滅ぼされてくれれば、奪還後なし崩し的に統治権を握る事ができるという思惑があった。しかし魔族が国境線で足止めさせられ、その間に戦の匂いを嗅ぎつけたシマド帝国に先を越され、後方を蹂躙されて撤退に追い込まれるのは予想外だったようだ。

 

 人類共通の敵に世界を奪われつつあるというのに、周辺国は一体何を考えているのか。テオバルトは思い出すだけでも頭が痛くなった。

 

 このままエルザが力をつけ、兵を率いて戦う事になったら、こういった人間とも殺し合わなければならなくなるのだろうか。魔族とて生き物を殺す事には変わらないが、やはり同じ人間同士となると同じ様には行かない。テオバルトはそんな辛い道をエルザには歩かせたくは無かった。しかしまだこのアリタイルを諦めていない国は多く、同盟国のシマド帝国との関係もいつまで続くか分かったものでは無い。

 

「エルザにはせめて今の内だけでも……ってのは俺の自己満足かな?」


「全ての未来を悲観する事は無いわ。良くなる事だってある。そう考える私は無責任かしら?」


 二人は困ったように笑い合う事しかできなかった。

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銃を取り平和を謳う少女は幻想の地にて ピザ四朗 @pizasirou

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