第三節 開戦狂詩曲
水晶湾攻撃を終え、雪湊賀へ帰投中の皇国連合艦隊の旗艦『宮古』にパナマ運河閉塞作戦成功の報せが届いたのは作戦成功から数時間後のことだった。それに艦橋は色めき立ち、さらなる士気の向上につながった。一方でこの作戦の発案者である連合艦隊司令官付参謀である最上時雨中佐は険しい顔をしていた。それに気づいた第一航空艦隊司令官である穂積貞也は最上に話しかけた。
「最上君、どうしたんだ? 浮かない顔をして。」
「いえ、そんなことは・・・。」
「何か不安でもあるのかね?」
「そういうことではありません。ただ・・・。」
「ただ?」
「これはまだ作戦の入り口です。ここからもっと、畳み掛けていかなければ、この戦争に勝つことは出来ないでしょう。」
「ほお。」
「物量作戦に持ち込まれれば我が国が連衆国に勝つ術はありません。だからこそ短期的にいかなければならないのです。」
「なるほど・・・。そのために次は確か、布哇諸島の占領だったな。」
「ええ、布哇の水晶湾基地には膨大な燃料が貯蔵されています。それに、戦略的に考えて布哇諸島を押さえれば、連衆国内でも早期講和論が出ますし、最終手段である、連衆国本土攻撃への下準備にもなります。」
「なるほど・・・。しかし、そのためには連衆国が太平洋に展開している空母機動部隊が障害だな。連中は濠州に海軍拠点を持っている。早めに潰さなければな。」
「ええ、その為にはこちらが先に敵を見つける事、そして暗号の徹底的な秘匿化をするべきです。」
「ああ、君の進言からしばらくして暗号の種類が膨大になったからな。通信参謀と暗号参謀が嘆いていたよ。連邦国だってここまで複雑じゃないとね。」
「念には念を入れませんとね。どのような複雑な暗号でも解読される時が来てしまいます。それまでの時間をどれだけ引き延ばすかも重要です。」
「しかし、その為に今まで使っていた暗号の使用用途を変更するっていうのはやはり・・・。」
「あとでわかりますよ。」
「?」
最上が暗号にこだわる理由は、前世界での苦い経験であった。海軍はアメリカに暗号を完全に解読されていた、それに気付かず使い続けた。その結果がミッドウェーでの惨敗につながりそれが日本を敗戦への道へ導いたことは揺るがない事実だ。だからこそ、彼女は暗号への執着を見せたのだ。この機械式暗号は前世界でナチスが誇った暗号機エニグマを凌ぐものだ。その理由はアルファベットと平仮名、片仮名を組み合わせた百二十二の目盛と七つのローラーを組み合わせたものでありその組み合わせは一文字で四百兆通りを超える。さらにはそのローラーの並べ替え、入れ替えを可能にすることによって組み合わせを天文学的数字にすることも可能であった。これは陸軍と海軍両方で重要機密において使用される際の公式暗号として採用され、黄泉と呼ばれるようになった。この暗号を解ける人間がいるのであればそれは、黄泉の人間であるという意味が込められていた。また通常使用している暗号も前世界で使用されていたものとは比較できないほど複雑化されていた。しかし、一部の暗号はそのままであった。これは最上のある策略の元だったがそれはここでは省略しておくこととする。
暗号に関する会話が終わった後、二人の間に少しだけ長い沈黙があったのち、穂積は呟いた。
「しかし、陸軍はどうなのだろうな・・・。マリー半島やフェリペアナ諸島の攻略は順調だと言うが鬼門のガ島がどうなるか・・・。」
「ガ島ですか。」
「そうだ。君の作戦では、ソロモン諸島の制空権確保や連衆国・濠州の離間のためにガ島への飛行場建設があっただろう。しかし、事前調査ではガ島はかなり荒れた土地で補給が途絶えれば非常に危険だという話ではないか・・・。」
「ええ、勿論知っています。そのために、陸軍と海軍から志願者を募り上陸戦や籠城戦に特化した訓練をした部隊を組織したのですから・・・。」
「確か名前は、イザナミ陸戦隊だったか?」
「それは俗称です。正式名称は島嶼等特殊陸上戦隊ですよ。」
「そんな名称で呼んでる奴は誰もおらんぞ。」
「まあ、言いづらいですからね・・・。それで出来たのが神話の神からとってイザナミ陸戦隊ですからね。」
「死を与えたとも言われる神、イザナミからとったあたりどういった部隊かも想像がついてしまうのが怖いものだ。」
「まあそれは・・・。じきに分かるでしょう・・・。」
ホワイトハウスの大統領執務室でスピーチ原稿のチェックをしていた連衆国大統領、フレミング・ローウェルの元に一通の電話がかかってきたのはパナマ運河攻撃が行われてから一時間後のことだった。通信施設の故障からカリブ艦隊経由の報告となってしまった。その電話を取ったローウェルの表情が見る見るうちに険しくなっていくのを側で書類整理をしていた補佐官は見ていた。
「なんだと! パナマ運河が攻撃された! モンキーの飛行機だと? バカな、連中は太平洋上に補給基地を持っていないんだぞ。しかも、先日水晶湾を攻撃したばかりじゃないか。どうやって・・・、何? まだ情報が錯綜しており調査中? 馬鹿者! 急いでその情報を精査して上げてこい!」
ローウェルはそう怒鳴り散らすと受話器を電話機に叩きつけた。
「まさか、パナマ運河がやれるとは・・・。復旧を急がねば・・・。」
「議会に緊急の予算編成を行わなければいけませんね。院内総務をお呼びしましょうか?」
「その必要には及ばんよ、大統領令で行えばいい。第一上下両院、どちらも共生党に多数派を取られているんだぞ。連中のせいで私の経済政策がすべて廃案になっているんだからな。」
「ああ、そうでした。」
「まったく、忌々しい限りだ。あいつら・・・。私がせっかく画期的な経済政策案を提示しているのにそれをつぶしやがって・・・。そのせいでこっちは国家社会主義連邦にケンカを売らなければならなくなったというのに・・・。」
最後の方の言葉を聞き逃した秘書官は、聞き直したがローウェルは気にする必要はないと取り消した。そして再びパナマ運河の話に戻った。
「それで復旧にはどれだけの時間がかかる見通しだ? 」
「はい、狙われたのは最大の閘門であるガトゥン閘門でして周辺施設の復旧を後回しにして運河の復旧にだけ手をまわしても一年近くかかるというのが見通しです・・・。」
「くそ・・・。そうなると太平洋側に艦隊を派遣できなくなるな・・・。クイーンズには伝えたんだろうな。」
「はい。」
「そうか・・・。」
ローウェルは天を仰ぎながらそこはかとない不安感が胸にうずめいていた。
アウィ―諸島で太平洋艦隊司令官として基地の復旧に従事する、チュニス・ニールセンの元にパナマ運河攻撃の一報が入ったのはローウェルに連絡が入る三十分前だった。
「どういうことだ? まさか・・・連中が、皇国が攻撃したというのか?」
相手のカリブ艦隊司令官、デズモンド・クロイツェル大将は努めて冷静に受け答えしていた。
「ああ、恐らくはそうだろう。しかし、現場も混乱していて全く情報が伝わらないんだ。」
「ということは・・・。通信設備も・・・。」
「ああ、根こそぎやられたよ。私も停泊している艦からやっと連絡をつけているところなんだ。国防総省にも連絡したが向こうも大混乱だ。」
「だろうな・・・。それで被害の状況は? 」
「ガトゥン閘門がやられてガトゥン湖の水が一気に流れ出ちまったよ。一年は修復にかかるだろうな・・・。」
「一年か・・・。」
ニールセンはしばらくクロイツェルからの連絡を終えると静かに天を仰いだ。
「まずいことになった・・・。」
副官のレイズ大尉はたまらず訊ねてしまった。
「どういうことでしょうか・・・。」
「パナマ運河がやられたよ・・・。」
「ええっ!」
「これで、本国からの援軍は期待できないだろうな。サンディエゴの海軍基地には戦艦や空母は不在だ。全部大西洋側に行ってしまったからな・・・。」
「ああ・・・。」
「それだけじゃない。建造ドックのある五大湖周辺へ行くこともできなくなる・・・。」
「我々は孤立してしまうかもしれないと・・・。」
「そう言うことだ。とにかく濠州のフィンチャーとモリソンの二人、それに陸軍のマーカスにもこの事実を伝えなければな・・・。最悪のケースを想定せよとな・・・。」
「最悪のケース・・・?」
「このアウィ―諸島が敵の手に落ちること、そしてフィンチャーとモリソンの艦隊の壊滅だよ。」
国家社会主義連邦国の総帥、ヴォルフ・ヒュッテの執務室に皇国がパナマ運河攻撃に成功したという連絡が入ったのはニールセンがその報告を受けてから一時間半が経過してからだった。
「そうか! これで太平洋から援軍がやってくる可能性はかなり低くなったな。」
弾んだ声で答えるヒュッテにゲーラーが答えた。
「はい。こちらとしては欧州及びアフリカへの侵略に非常に優位になります。大連合帝国の孤立も図ることができると思います。」
「そうだ、そのために私達がやるべきことはただ一つだ!」
そう言うと、ヒュッテは笑みを浮かべながら壁に掲示された地図のある場所を叩きながら声を張り上げた。
「そう、このスエズ運河だ! ロルツィング将軍に指揮をとらせる!」
「はい!」
大連合帝国の首相官邸、ウォーグレイブ・チャールストンは、いつもより苛立っていた。さわらぬ神にたたりなしとばかりに秘書官は無言で書類整理をしていた。ウォーグレイブが苛立っている理由を彼は知っていた。先ほどかかってきた連衆国大統領、ローウェルからの電話だった。内容は端々から考えるにパナマ運河が攻撃され恐らくは復旧に相当な時間がかかるというものだ。これは、太平洋側にいる連衆国艦隊を援軍として呼ぶことは叶わないということを意味していた。だからこそ、チャールストンは何かしら別の手を考えているのだろう問うことが、秘書官も分かっていた。そう、国家社会主義連邦国との戦争を継続したまま、皇国と講和するという離れ業だった。
皇国の大本営における陸海軍合同の定例会議は色めき立っていた。海軍の水晶湾攻撃の成功、連衆国海軍空母『オールドチャーチ』の撃沈。そして今回のパナマ運河閉鎖作戦。すべてが計画通りに進んでいたからである。そして陸軍の方も、フェリペアナ諸島・マリー半島の攻略はほぼ完了し、残るはニューカレドニア・ソロモンなどさらなる南方海域であった。ここからは陸軍だけでなく海軍の協力が必要不可欠であるということからさらなる綿密な摺合せが行われていくことになる。そのためにはガダルカナル島における飛行場建設は必須条件であるという結論に至った。これを連衆国と有利な条件で講和するための第二群作戦とすることが決められた。それは市原が考えた案であり、彼にとっては同時進行で進む布哇諸島占領作戦や濠州孤立作戦と並ぶ最重要作戦である。そのためにはフェリペアナ諸島に駐留する連衆国陸軍の排除が絶対的に必要だった。その作戦を担ったのが皇国陸軍の宮上雪乃大佐だった。宮上は陸軍最初の非皇家出身の撫子士官であり、最も若くして大佐に任官されたのだ。当初は彼女の即急な任官はかなり議論を呼んだが、結果的には海軍の最上時雨と並び現在の作戦の重要な存在となっている。そして彼女は今夏志願してフェリペアナ諸島攻略作戦の指揮官に名乗りを上げたのだ。その理由は公にはしていなかったが、理由は一つだけだ。前世界での雪辱を晴らすためである。宮上は前世界では大日本帝国軍で最後は現世界でのフェリペアナに該当する、フィリピン諸島で拘束されて最終的にジャングルで死刑になった転生者だったからである。
英霊になれなかった提督が英霊になるために少女の姿で別世界の祖国的な国を勝利に導くために奮闘しなきゃいけない件 氷空 @Hypnos23
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