第二節 パナマ運河閉塞作戦、発動

パナマ沖約二五〇海里へ到達してから再び行われた作戦会議で改めて今作戦の意義と作戦内容が確認された。そして二時間後に全艦が発艦準備を終えることで合意した。

蔵田にとって驚いたことはそれが艦隊すべての艦に発令されてから、その準備が一時間半で完了してしまったことだった。同時に蔵田は彼らの指揮の高さを知り安心した。


潜水航空母艦『晴海』の航空分隊長、村雨弥三郎少佐は、興奮を抑えようと必死だった。最初は、この訳の分からない潜水航空艦隊という珍妙な艦隊に配置された時は故首を傾げたものだ。なぜ水晶湾を攻撃する『宮古』や『珠洲』の様な空母ではなく潜水航空母艦なのだろうかと。しかし、作戦の全容を理解してからは自分たちこそがこの戦争の主軸なのだということをひしひしと感じるようになった。これは水晶湾基地攻撃と同等、もしくはそれ以上の意味を持った作戦だ。パナマを塞ぐことによって連衆国の大西洋地域にいる海軍勢力が来るまでの時間を大幅に稼ぎ、その間に太平洋の海軍勢力を叩く。そして太平洋にある連衆国最大の基地であり布哇諸島を制圧する。そうすれば連衆国は戦意を喪失して和平へと動く。大方そういったことだと考えている。水晶湾が第一波ならこれは第二波だ。第二波は第一波以上に衝撃的かつ実戦的でなければいけない。それにはこのパナマ運河閉塞ほどぴったりな作戦はないだろう。

村雨少佐は隊員たちに司令からの訓示を述べた。言うまでもなく士気は大きく高揚した。それは、はた目に見てもこの作戦が成功することを予感させていた。

羽柄将明中尉は村雨少佐からの訓示を聴き高揚していた。それを周囲に悟られないために務めて冷静に部下たちをいさめていた。そして自身の愛機である『翠嵐』に乗り込み精神の集中に入った。これから、自分たちはパナマ運河を攻撃する。それを頭の中で反復する。そして発艦までの準備をととのえ続けた。


一九三七年、十二月十二日。パナマ運河沖二五〇海里。海上に巨大な艦影が姿を現した。それも一隻だけでなく数隻の艦影が姿を現した。そしてそれから数分後にそこから無数の機影が飛び立っていった。この日の天候は青空とは言えず、曇っていた。しかし風は吹いておらず波も穏やかだった。そのことを見た蔵田は最上達のいる空母『宮古』へと送った電報でこう表した。『本日天気、曇天ナレド帆ハ靡カズ』と。


羽柄中尉は自身の愛機『翠嵐』に乗り込み発艦の機会をうかがっていた。雲がかかっていることから的に発見される可能性が下がり、その上で風が吹いていないため飛行機を飛ばすにはとてもおあつらえ向きな日だった。そして前の『翠嵐』が飛び立つとすぐさま、自分の『翠嵐』をとびたたせる準備をした。それから少しして『翠嵐』は空へと飛び立っていったのだった。

母艦を離れてからしばらくして、陸地が見え始めた。そう、南北に巨大な大陸がつながる中でもっとも狭い場所、パナマだ。

歴史によれば、パナマ運河の工事は困難を極めた。ジャングルの切り開きや黄熱病の蔓延などどれほど苦労したかは想像に難くない。しかし、連衆国にしてみればそれだけのうまみがあったのだ。そのためにはどれだけ汚い手を使ったのかもまた想像に難くない。当時の連衆国大統領、サイモン・ローウェルは棍棒外交とまで言われたゆえんもこのパナマにあると言われているほどだ。ちなみに、サイモンと現大統領のフレミングは遠縁の親戚なのだそうだ。

とにかくそれだけの犠牲を払って造ったパナマ運河だ。これを完全に潰せば恐らくは復旧には建設と同等近い時間が必要になるだろう。しかし、今回はガトゥン閘門のみにとどめることにした。それはなるべく失い航空機を減らしたいということがあった。地上や航空基地からの反撃を考えれば、そう考えても無理はないだろう。しかし、それでもガトゥン閘門が直結する人工湖であるガトゥン湖が決壊すれば復旧は大幅に遅れる。司令部もそう見越して最上の作戦を支持したのだ。


『晴海』の航空分隊長にしてこの作戦の現場指揮官である村雨少佐はすでに機上の人となっていた。

「いよいよ敵陣だ。十分に警戒するんだ。」

村雨がそう問いかけたのは高浪三平上等飛行曹だった。

「はい!」

この作戦において、ガトゥン閘門を狙うということはカリブ海・大西洋側へ出なければならず、それはかなり時間がかかる事だった。そのため発見の危険性をできるだけ減らすために、熱帯雨林地帯上空を通過する大回りルートが選択されていた。地形的に考えてそろそろ大西洋へと近づいてきていることを感じた村雨は高浪に電探から目を離さないように指示をした。それからしばらくしても、鬱蒼とした森林地帯が続いた。村雨は少しだけ不安になった。もしかしたら自分はルートを間違えているのではないかと・・・。そして思わず口に出してしまった。

「クソ! 大西洋はまだ見えないのか!」

この時、盗聴の危険性があるため無線封鎖の措置が取られていたことが幸いし、村雨の愚痴は他の機には聞かれなかった。そうしていると航空編隊を先導している『恵雲・改』が合図を出した。それはカリブ海が眼前に迫っていることを示していた。

「ようやくか!」

村雨は『恵雲・改』に了解の合図を出すと『恵雲・改』は燃料の関係で先に母艦へと戻っていった。彼らもこの攻撃に加わりたかったであろう心中を察しながら、彼はパナマ運河閉塞作戦の実行を誓った。


パナマ運河に停泊している連衆国海軍第2艦隊の重巡洋艦、『アナポリス』のバーナード上等水兵とケイン上等水兵は艦上で雑談をしていた。

「お前聞いたか? 水晶湾がモンキーたちに攻撃されてめちゃめちゃらしいぜ?」

「ああ聞いたよ。しかも聞いた話だと別の海戦で『オールドチャーチ』も沈んだらしいぞ。」

「マジかよ。しかも欧州とアフリカには国家社会主義連邦だろ? 俺たちも戦争に駆り出されるのかな?」

「なあに、心配することはねえよ、ここは大西洋、わざわざ太平洋まで行く必要性がないってもんだ。」

「それもそうだな。」

そんなやり取りをしていると、飛行機の音が聞こえてきた。

「今日って航空演習の予定、入っていたか?」

「いいや・・・。」

そう言いながら二人が天を仰ぐとそこには大編隊が空を飛んでいた。

「あ、あれはうちのじゃないぞ!」

「て、敵機だ!」

「ま、まさか・・・、皇国の・・・。」

二人がそれを感じてから少しして、『アナポリス』に激しい動揺、そして爆音が響いた。艦橋が炎上していた。どうやらこれはそして周りの倉庫や精油タンクも激しい爆音を響かせ炎上した。それから二人の意識は数分もせず闇の中へと消えていった。


村雨少佐は運河にある周辺施設への爆撃を開始していた。こちらは水晶湾とは違い、製油施設への攻撃禁止令は出ていなかったこともあり、遠慮する必要はなかった。しかし、本丸はガトゥン閘門だ。そのための魚雷だけは発射していない。最高のタイミングで発射しなければ意味がないのだ、

「少し暴れすぎたようだな、連中が反撃に出ないうちに作戦に移る、ぎりぎり高度を下げるぞ。」

「了解!」

そして、運河のギリギリまで降下した『翠嵐』は雷撃の準備へと移った。

高浪が言う。

「雷撃安全索、解除!」

「ヨーソロー」

そのやり取りと共に、『翠嵐』が軽くなるのを感じた。魚雷が放たれた。水の中へもぐった魚雷は、白波を描きながら、正面のガトゥン閘門へと、水中を駆けた。そしてそれは閘門で激しく大きな白い飛沫を上げた。命中したようだ。しかし、視認した限りでは分からなかった。

「失敗か?」

村雨がそう言うと、それを高浪が取り消した。

「いえ、よく見てください!」

閘門には大きなひびが入り始めた、そしてそこから次第に水が流れ始めたかと思うと、崩壊が始まった。

「やったな!」

他の堤も同じように崩壊し、ガトゥン湖の水がパナマ運河に停泊している船や施設を押し流していた。それはまるでこの世の終わりのようにも見えた。

村雨達、実行部隊が作戦の成功を確信していた。しかし、村雨はすぐにそれに酔いしれることなく、高波へと告げた。

「喜んでばかりはいられないぞ。招かれざる客が来る前にここを立ち去るぞ。」

「了解です! あっ! さっそく後方から敵機が来ました。」

「軽くなったことだし、もうひと暴れしてやるか。」

「了解です。」


テイラー少尉は、目の前にある敵機を必死に追っていた。相手はまるで自分たちを嘲笑するかのように軽やかに飛び回っていた。それは正しく、人を嘲笑する天使のようだった。

「くそっ! なんで当たらないんだ?」

ハワード軍曹がそう言うとテイラーは静かにこう言った。

「連中の航空機の方が何倍も優れているんだよ。しかもパイロットの腕もこちらとは段が違う。」

「ちくしょう。悪い夢だと思いたいぜ。まさか、モンキーどもの航空機が大西洋にまで現れるなんてな。」

「こっちだって、そう思いたいよ。しかし、わからん。空母もないのにどうやって、やってきたんだ?」

「水中に空母がもぐってやって来たとかじゃないですか?」

「バカヤロウ! そんなことがあってたまるか!」

そんなことを言っていると轟音が響いた、どうやら自分たちもここまでだということをテイラーたちは感じていた。


「なんとか、落とせましたね。あの飛行機。」

「ああ、厄介なパイロットだった、実に惜しいくらいの腕だったな。」

「そろそろ、燃料のことを考えると時間ですよ。」

「では、ここから高度を上げるぞ。気分が悪くなっても吐くなよ!」

「今更、吐きませんよ!」

先述した通り、『翠嵐』の最高飛行高度は高度1万メートルで、これは世界の攻撃機・爆撃機の中では最高高度であり、追撃を困難にするものであった。


蔵田は編隊の帰還を今か今かと待っていた。今回の作戦では、無線の通信を厳しく制限していた。それは傍受による作戦の漏えいや居場所の特定を避ける目的があった。そのため、作戦の成功に関しては編隊の帰艦を待つしかなかったのだ。編隊が周辺までくれば、それは作戦が成功した可能性を格段に高めることになるからだ。同時に蔵田にとって、この時間はとてつもなく嫌な時間でもあった。作戦の成功の有無もそうだが、こうやって潜水艦が長い時間に渡って海面に姿を現している状態が嫌なのだ。そんな風にして気を揉んでいると遠く彼方から、プロペラ音が聞こえてきた。どうやら何かしらの航空機がやってきているようだった。それが自分たちの編隊のものなのかはすぐには判らなかった。そこで隣にいた副官蓮水中尉に双眼鏡を受け取り私は航空機が飛び立っていった方を眺めた。そして、そこにはいくつかの機影が見えた。そしてそれが自分たちの編隊であることを理解した。それから少しして、無線が入り作戦が成功したことが告げられた。一方でどうやら追撃機の存在があることも察知できだ。どうやら、この近海に連衆国の空母『コリンス』を旗艦とする航空艦隊がいることが分かった。

「急がなければ・・・・。」

「いくら潜水空母と言えど、対空能力は一応ありますが・・・。対処できるかどうか・・・。」

「そこじゃない。奴らにこの潜水空母自体が露見するのはまずいということだ。まだ、始まったばかりでこの艦隊が発覚すれば何らかの対策を取られる可能性がある。」

「そういえば・・・。わかりました、村雨少佐以下編隊に迅速な着艦を要請します。」

「可能な限りという言葉を忘れるなよ! 単に急がせるだけではロクなことにならんからな。それから返信は不要ともな!」

「分かりました。」

蓮水はそういうと、通信室へかけていった。それを見届けた蔵田は空を見つめていた。


村雨は愛機を操縦しながら、母艦への帰艦を急いでいた。どうにも嫌な胸騒ぎがするからだ。これ以上招かれざる客の出現は遠慮したいということもあった。そんな時、緊急の無線が入った。

「『爽海』より入電です。連衆国の空母『コリンス』を旗艦とする航空艦隊が近海にいるとの事です。出来る限り帰艦を急げとのことです。返信は不要!」

「嫌な予感はこれか・・・。了解、できる限り急ぐぞ!」

編隊はジャングルを抜け海上ヘと移っていた。


敵航空艦隊が近海にいるという情報を聞いてからもうすぐ三十分になる。蔵田の中で苛立ちが募っていた。今のところ敵偵察機を発見したという報せはない。しかし、作戦が成功しパナマ運河が攻撃されていたとしたら、いち早く敵機動艦隊にその情報が伝えられているだろう。それを考える時間はほとんどない。

そして天を仰いでいると、遠方から飛行体が接近してくるのが見えた。一瞬、緊張が走ったが、蔵田は持っている双眼鏡でそれを見た。それは紛れもない自分たちの航空機だった。そして、同時にそれが作戦の成功であるということを確信した。

その時だった。その編隊の奥から数機の、偵察機が見えた。それが、連衆国海軍の保有する索敵機であることに蔵田は即座に気付いた。そして蔵田は全艦に対空射撃の準備をするように命令した。だんだんと、編隊が近づいてきた。そして側に展開していた『爽海』・『荒海』・『輝海』へと静かに機が着艦し、格納が行われていった。そして、蔵田の乗艦する『晴海』にも機が次々と降りていく。どうにか最悪のことは起こらずに済んだようだ。そして、全ての艦が機の格納を終了させると静かに各艦は海中へと姿を消していった。

その一部始終をかすかに見ていた、連衆国海軍の空母『コリンス』の艦載機は、理解が出来なかった。馬鹿でかい潜水艦に航空機が着艦し、黙々と格納されていく。それは、はた目にとてもシュールな光景であった。しかし、同時にそれが、自分たちにとって新たな脅威であることも感じ取っていた。


蔵田は、作戦司令室で各艦からの報告を待っていた。それからしばらくして、通信参謀の磯川中尉が入ってきた。

「司令官、報告します。全艦載機はすべて帰投しました。また、作戦は成功パナマ運河のガトゥン閘門は完全に崩壊しました。周辺の施設も多くは損傷を受けています。またガトゥン湖から流れ出た水に押し流され停泊艦が転覆し塞ぐのを確認しました。」

その報告を受けると、作戦司令室は歓声が響いた。それから少ししてから、蔵田はその場にいる全員に告げた。

「今回の作戦を見事に遂行してくれた諸君らに、一言。よくやった! しかしまだ始まったばかりだ。慢心することなく進めていくぞ!」

その訓示に全員が敬礼をした。

「「「「はい!」」」」

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