第三章 パナマ運河が塞がる日
第一節 前略、深海より
潜水艦という空間は長年海上に身を置いてきた自分からしたらあまり好きな空間ではない。この深海の暗い窓からの景色はあまりにも味気ない。
「司令官!
「そんな時間か・・・。ということは水晶湾攻撃もいよいよ実行に移されるということだな。」
「偵察をした保六二からの報告では水晶湾内の在泊艦は戦艦十、重巡三、軽巡十。空母は確認できませんでした。」
「じゃあそれを、そのまま報告するんだ。後は向こうの判断を待つだけだ。それで、南へ偵察に向かった第二偵察艦隊からの報告はあるのか? 空母などに関する情報は?」
「今のところはありません。」
「そうか・・・。」
私が潜水艦隊の一つ潜水航空艦隊を任されてから、一年が経過していた。最初は慣れない潜水艦の指揮に手間取ったものだが、コツを掴むと悪くない。演習なども滞りなくできるようになってきた。
「しかし、母港を出て一か月近く経ちますが、こう殺風景ではやはり気が滅入りますね。」
「熊谷大尉。君が言うことはもっともだが、こればかりは我慢してやってくれ。」
愚痴をこぼしたのは情報参謀の熊谷大尉だ。仕事はできるのだが若干空気を読まない男だ。まあ、彼の不満は分かる。潜水艦の中は重油や料理の臭いが渦巻いている。新鮮な空気になれた人間たちからしてみれば、これほど気のめいることもないだろう。しかし、私達には水晶湾の壊滅を狙う、第一・第二・第四・第五航空戦隊と同様に重要な任務を受けているのだ。そう、連衆国最大の海運交通の要となる、パナマ運河の閉塞だ。
水晶湾攻撃が行われる数時間前、潜水航空艦隊旗艦、保-800別名『晴海』の作戦室にて行われる作戦の最終確認が行われた。今回の作戦ではパナマ運河の構造上の特性を利用することが重要であった。パナマ運河は閘門式運河であり、太平洋とカリブ海を繋いでいる。アフリカのスエズ運河と並び海上交通における重要な場所だ。
閘門式運河とは、上り下りを繰り返し時間をかけ移動していくタイプの運河のことである。パナマ運河の場合は、上り下りそれぞれ三段階存在している。今回の作戦において破壊されるのは、カリブ海側にある、ガトゥン閘門だ。リスクを考えた場合太平洋側のペドロ・ミゲル閘門やミラ・フローレンス閘門を狙うのが正しいが、戦略的にはガトゥン閘門が正しいのだ。ガトゥン閘門やそれに通じるガトゥン湖はパナマ運河建設においてもっとも苦戦したとされている箇所だ。ガトゥン湖は人工的に水をためているだけの湖でしかも海抜が最も高いこともあり、ガトゥン閘門を破壊されればその水はカリブ海ないし大西洋へと流れてしまうのだ。そうなれば、復旧にはかなりの時間が必要となり、連衆国の西海岸への海上輸送は大幅に時間がかかることになるのだ。また、ホーン岬を経由するルートの対策のために、外交ルートを通じて、その邪魔をする手筈も整えている。
これも、最上時雨の発案した計画が雛形となっている。最上が元々居た世界でもパナマ運河攻撃作戦の立案はされていたが、本土空襲を優先したがために、幻と消えてしまった。しかし、戦略的に考えれば、敵の海上交通の要であるパナマを破壊した方が正しいのだということを最上は前世界にて痛感していた。それ故に、これは水晶湾攻撃以上に重要な作戦と位置付けている。また、水晶湾攻撃により指揮系統が混乱した直後に行うことによってさらに効果が増大すると考えたのだ。
蔵田は参謀たちと会議に移っていた。
「パナマ運河を航行不能にするためには、最上司令官付参謀の立案通りガトゥン閘門及びその周辺施設を攻撃することが一番攻撃的でしょう。」
「しかし、太平洋からではかなり距離が離れているぞ。いくら航続距離の長い航空機とはいえ危険ではないか?」
「どうなんだ鈴野航空参謀。」
「飛行機に乗る人間から言わせてもらえば、確かに発見され撃墜される危険性はあります。しかし操縦者たちはそれを理由に計画を変更しても納得はしないでしょう。」
「なぜだね?」
「彼らは飛行機乗りとしての誇りを持っています。勿論私も。自分たちの技術にも自信を持っていますし、支給された航空機の運動能力を考えても十分に振り切ることが可能だと思います。」
「なるほど・・・。航空参謀の意見は判った。情報参謀、パナマ運河の対空戦力などの情報は?」
「はい。重巡が二隻ずつが交代で停泊している以外は対空戦力と言えるものはありませんね。」
「しかし、戦争となれば非常事態を想定しているはずです。」
「鹿取作戦参謀。だとすればどういう対策を取るべきだ?」
「そうですね。偵察機による偵察を行い索敵を行い、パナマ運河の施設や船舶の状況、地形などを再確認することが必要であると考えます。特に船舶や連衆国軍の展開状況などを考えるべきであると考えます。」
「なるほど、『
「もちろんです。『爽海』と『輝海』の飛行長へ申し送ります。」
「そして、作戦決行の日付だが・・・。いつが最適だ?」
「そうですね。水晶湾攻撃が十二月八日の未明を予定していますから、それ以降が望ましいと思います。時間的に考えて四日以内にパナマの制空権内に入っていることは絶対だと考えます。」
「では、その方向で進めていこう。」
保八〇〇型潜水艦空母、前世界の伊四〇〇型潜水艦とほぼ同じ大きさでありながら、燃料消費が伊四〇〇の半分で対レーダー・対ソナーに対するステレス機能を持ち艦載機も一機多い。それは、静かに闇の中で工作をする、忍者のようだった。そのため、この艦隊は忍者艦隊とも言われているのだ。また所属する潜水空母以外の潜水艦にも搭載されているのが酸素魚雷だった。
酸素魚雷は、燃料に酸化剤ではなく高濃度の酸素を使うことによって、排出物を海水に溶けやすい炭酸ガスのみにすることで敵に探知されることで隠密性をとても高めていた。前世界においても日本が唯一開発に成功した魚雷であり、この世界でも皇国のみが開発した魚雷であり、隠密行動を重視する忍者艦隊には欠かせない兵器であった。
そして、潜水空母に艦載されている攻撃機『
蔵田は作戦会議を終えると一人司令官室へと戻り、静かに大陸と濠州の地図を見ながらこれからのことを考えていた。
恐らく、水晶湾作戦は滞りなく成功するだろう。そしてそれは第一波となって連衆国を混乱させ、指揮中枢は乱れるだろう。その時は必ず、パナマにも隙が出来る。そして、そこを一気に叩けば、連衆国海軍の戦力は濠州に寄港している艦隊のみになる。援軍が来るまで時間を稼げば恐らくはかなり早い段階で濠州は中立宣言をしそこからの資材確保の活路を見出すことができるだろう。もちろん、濠州内部の政治状況がどうなるかによって戦略は大きく変わるだろうがそんなところだろう。最上中佐の考えは。彼女と出会ってかなりの年月が経過するが彼女の戦略家ぶりには今でも舌を巻く。戦国時代に豊臣秀吉が黒田官兵衛に抱いた感情もこのようなものだったのだろうか。彼女には感心を通り越して戦慄すら覚える。彼女が敵にならないことを祈るしか私にはあるまい。陸軍の宮上雪乃もそうだが、女性軍人の中でも彼女たち二人は群を抜いている。『宮古』の艦長である椛川宮告仁親王妃靜子大佐もまた皇家の人としてはかなりの女傑だがあの二人は突出している。陸軍の市原が言った通り彼女たちの扱いを間違えればこの戦争には勝てないだろう。そしてなにより、航空機と潜水艦の重要性に目をつけている彼女の先見性には頭が下がる。事前の予行演習で水晶湾基地の壊滅に大きな役割を果たすという目算が多くの将校たちから上がったこともあり、現在艦上爆撃機の開発が急速に進められている。陸軍も輸送機や爆撃機の開発には熱心でありこの国が航空機大国となる未来は目前であった。
その一方で蔵田には不安もあった。それはこの戦争の終りだ。皇国は国家社会主義連邦国と同盟を結んでいる。自分たちだけが戦争を終わらせるということができないのだ。それ故にそこをどうするかは分からない。終わりのない戦争になるのならそれは恐ろしいことだと思ったのだ。そうなれば皇国が亜細亜を蹂躙していた欧州諸国のように傲慢になってしまうのではないだろうか・・・。不安は尽きなくなっていた。
数日後、パナマ沖約二五〇海里の海底に潜水航空艦隊はあった。予想通りの日数でここまでこれたことに私は幸運さを感じた。さらに言えば、この間に別働隊である潜水哨戒艦隊から連衆国の空母『オールドチャーチ』が皇国海軍との海戦で自沈したという情報が入った。誤報を疑ったがしっかりとした確認によりその情報が事実であることを知った。これにより連衆国の空母は太平洋は主要四隻になった。『ゲティスバーグ』・『コリンス』・『ホーネット』・『ワスプ』、特に『ゲティスバーグ』は対空においては我が国を先行しており恐らく、航空戦力で落とすのは難しいと言われている。これからのことを考えると『ゲティスバーグ』には早めにご退場を願いたいところだが、その為には私達潜水艦の力が必要になるかもしれない。
(慢心はしてはならない。謙虚にならねばならない)
私はそう心に言い聞かせた。『謙虚』、それは私の中の金言であった。私は平凡な人間である、決して最上の様な天才肌ではないのだ。だからこそ、驕らず謙虚にならなければいけない。一方で慎重すぎてはいけないとも思っている。特に大胆に行動できなければ、司令官という職務を全うすることは出来ないだろう。
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