シュレディンガーの踏切

西藤有染

踏切

 シュレディンガーの猫って知ってますか?


 創作のネタでよく使われるアレです。


 皆こぞってドヤ顔で使いたがりますけど、実際調べてみると色々と難しい理論が並べてあってちんぷんかんぷんですよね。箱の中で、猫の状態は重なって存在しているとか、実験の結果は観測者の影響を受けるから正確ではないとか。

 創作で使ってる人のうち、一体何割くらいがアレを正しく理解できているんでしょうか。


 一般的には「箱を開けてみるまで結果は分からない」ことを指して使われることが多いと思います。


 まあ、見てないんだから当然と言えば当然ですよね。見えない部分がどうなってるかなんて、全く分かりません。

 分からないから解き明かしたくなるのが学者で、分からないところを見たくなるのが男なんですよね。きっと、時計でスケルトン柄に惹かれるのも、スカートの中を覗きたくなるのも、そういうことなんですよね。


 ですから、さっき私が脚を組み直したときに、先輩がスカートの中ガン見してたのも仕方がないことなんですよね?いえ、怒ってませんよ。ただ、呆れてるだけです。


 で、ここからが本題なんですけど、学校の近くに、踏切あるじゃないですか。一旦閉じると中々開かないアレです。遮断器が降りてから電車が通るまでの間も、通過する時間も長くて、登校中に引っ掛かろうものなら、大体遅刻が確定してしまう、悪魔の踏切です。


 あそこ、偶に列車が何本も連続して通過して、踏切の向こう側が全く見えなくなる時がありますよね。

 あれ、一番長い時だと約3分間、ずっと電車が通り続けて視界が遮られるらしいんですよ。


 その一番長く視界が遮られる時間っていうのが、大体夕方6時過ぎ、いわゆる逢魔が時って呼ばれる時間帯なんです。古来から、何か怪しいモノに遭遇しやすいとされる時間帯ですよね。

 そのせいか、その時間に踏切に捕まると、「何かが起きる」っていう話がここ最近、学校で広まってきてるんですよ。


 何が起きるのかは人によって違うみたいです。聞いた話だけでも、「踏切の向こうにいた友達が消える」とか、「向こうのポストの位置が変わる」とか、「違う世界に連れてかれる」とか、様々です。中には「夢が叶う」なんていう話も出て来ているみたいです。


 先輩はこういう話、ただの都市伝説だって気にも留めなさそうですよね。でも私は「有り得る」んじゃないかなって、思うんです。


 シュレディンガーの猫は、箱を開けて見るまで結果が分からないじゃないですか。それと同じです。踏切が開くまで、向こうで何が起きているのか分からないなら、何が起きてもおかしくないと思うんです。


 シュレディンガーの猫は単なる思考実験なので、それと一緒にしてしまうのは変かもしれませんね。


 なので、先輩。

 今から実験しましょう。


 そろそろ6時になる頃です。今から行けば、丁度良い時間に踏切まで行けます。


 わざわざ遅くまで残ってもらったのは、そういう理由ですよ。


 ……先輩ならそう言ってくれると思ってました。


 では、早速行きましょう。


 ●


 着きましたね、先輩。

 悪魔の踏切ですよ。夕暮れと相俟って中々怪しい雰囲気が漂ってますね。


 さて、さっき話した通り、じゃんけんで勝った方が踏切の向こう側に行きましょうか。


 せーの、最初はグー、じゃんけんほい。


 ……先輩の勝ちですね、向こうに行ってください。着いたら電話してくださいね?


 ●


 もしもし、はい、聞こえてますよ。


 じゃあ、このまま踏切が閉じてから開くまで、通話繋げたままにしておいてください。


 通話料? いいんですか、そんなこと言って。スカートの中を覗いたこと、皆に言いますよ。分かってくれればいいんですよ。


 踏切の音が鳴り始めましたね。丁度良いタイミングです。


 ところで、先輩。

 この踏切で何かが起こるのって、片方限定らしいですよ。私が聞いた話では全て、学校から見た向こう側、つまり今、先輩がいる方で、何かが起きていました。


 急に慌て出しましたね。

 遮断器は降りてしまいましたから、こちらには踏切が開けるまで戻ってこれませんよ。


 いえ、嵌めてなんていません。公平なじゃんけんの結果です。


 それに、そちらで何かが起こるとは限らないですよ。


 ええ、確かに「先輩の今いる方で、何かが起きた」と言いました。ですがそれはあくまで「聞いた話」です。私が話を聞いた人たちは、皆、「学校の向こう側の方で何かが起きた」と思っていました。


 誰も、「変化が起きたのは自分の方」だとは思っていませんでした。


 例えば、友達がいなくなった、という話も、「向こうにいた友達が消えた」のではなくて、「こちらにいた人が友達がいない世界に来てしまった」可能性がある、ということです。


 分かりましたか?


 何となく、私はこの説が正しいんじゃないかと思ってます。

「友達がいなくなった」のであれば、騒ぎになっていないとおかしいと思いますけど、「友達がいない世界に来た」のであれば、騒ぐのはその人だけですから。

 恐らく、私のいる方で何かが起きるんじゃないでしょうか。


 また慌て出しましたね。

 先輩のそういうところ、好きですよ。


 ただ、落ち着いてください。

 結局、どっちが正しいのかなんて分かりません。

 ですから、実験と言ったんです。


 先輩と私、どっちがシュレディンガーの猫で、どっちが観測者になるのか。踏切が開いたら全てが分かる、そんな実験です。


 もうそろそろ電車が来ますね。


 ……そういえば、通話が繋がりっぱなしだと、お互いがお互いを観測してしまって、実験の意味がないですよね。通話、切っちゃいますね。


 では、また、会えるといいですね。


 ●


「では、―――」


 彼女の最後の言葉は、電車に掻き消されて聞こえなかった。


 切られてしまった電話をかけ直したが、彼女は出ようとしない。何度かかけ直す内に、「おかけになった電話は現在、電波の届かないところにあるか、電源が入っておりません」という案内音声が流れるようになった。

 彼女が携帯の電源を切ったせいなのか、それとも彼女が別の世界に行ってしまったからなのか、はたまた、こちらが別の世界に来てしまったからなのか、分からない。

 都市伝説なんてものは全く信じない質だったが、彼女の話を聞いたあとだと、どうしても不安になってしまう。


 不安と焦りから、時の流れがとても遅く感じる。

 彼女は、向こう側が全く見えない時間は3分だと言っていたが、体感ではもう既にカップラーメンは伸び切っている。それでも、電車は未だに目の前を通過し続けて、途切れる様子がない。

 冬が近づいているというのに、嫌な汗が頬を伝う。意味がないと分かっていても、電話をかけ続けてしまう。


 ようやく最後の列車が通り過ぎ、遮断器が上がった。


 向こう側に見えた後輩の姿に、思わず安堵の息が漏れた。


 彼女に駆け寄り、やっぱり所詮は都市伝説だよな、なんて声を掛けようとしたら、彼女に先を越された。


「先輩に1つ質問です」


「今の私は?」


 何言ってるんだ、そんなの当たり前だろ。そんな言葉を、何故かすぐに口にする事ができなかった。答えに詰まり、沈黙が辺りを包む。

 それに耐えかねたかのように、遮断器が上がった後に切り忘れた電話が、案内音声を流し始めた。


「おかけになった電話は現在、電波の届かないところにあるか、電源が入っておりません」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シュレディンガーの踏切 西藤有染 @Argentina_saito

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ