第2話 人の人たる所以

人はなぜ人と言えるのか。という命題に少し興味を持っていた。一般的に、人たる所以、というのはよく聞く言葉ではある。ちょっとググればすぐ出てくるので、以下に並べてみる。


「人の人たる所以(ゆえん)は、人と人との結合にあり」オットー・フォン・ギールケ、ドイツの法学者。歴史法学は専門外なのでよく知らないが、人脈作りの文脈でビジネス関係でよく聞く。でも、それは仕事のためのノウハウというか標語であって、学問的な話じゃない。人以外の動物だって普通に助け合って生きてるのはいくらでもいる。場合によっては人間以上の絆のように見えるものもある。一人になったら人じゃなくなるわけじゃあるまいし。ということで私の求める答えではなかった。


「学は人たる所以を学ぶなり」吉田松陰。福沢諭吉の学問のすすめの延長みたいな論なのかなという気がする。人が平等じゃないのは学ぶと学ばないとがあるからだ。っていうあれ。でもそれは勉強しろよという激励、督促であって、人の人たる所以とは言えないよな。人の中で上下をつけるという話で、勉強してはじめて人になるというわけではない。


「人が人たるゆえんを探る「脳科学とAI」の融合」オムロン社のEDGE&LINKの記事。これは脳科学とAIの最新科学についての記事で、ググったら出てきた。科学がすごい発展して人がどのようにできているかをもっと理解できるという話。技術的というか、あえて言えば機械的に見た概念だから、ちょっと細かい話になっちゃうかな。


私もいろいろ考えてはみた。「人のDNAを持った生物が人」というのは、「犬のDNAを持った生物が犬」ともいえるので同語反復であり、意味がない。「見た目が人」というのも同様。魂を持ってるとかそういうのは、他の生物も持ってるかもしれないしだめ。私、野生の狼とにらみ合いしたら確実に位負けする自信がある。社会性どうこうは、さっき触れたような理由で却下。他の動物にも普通にある。


結局私の結論は、「人の人たる所以は知能」だった。他の動物にも知能はあるけど人には及ぶべくもなく、人の特徴と言っても過言ではない。ただ、「知能が高いこと」じゃない。知能が下がっても人じゃなくなるわけないから。一定の知能を持っていれば人。品種によってみかけや体の大きさがかなり違っていても犬は犬、という言い方に似ているかな。知能が高いことが他の動物と違う唯一の特徴であり、人たる所以と言える。


もしほかに人ほど知能が高い生物がいれば定義を変える必要があるけど、いないからね。したがって、ファンタジーとかSFではこれは成立しない。現実世界のみ。


ということで「人の人たる所以は知能」ということで私の中ではすでに決着しているのであった。一番便利で、例外にも対応しやすい。


ちなみに二番目に便利なのは「人の人たる所以は金の所持」なんだよね。社会性云々とかよりはずっと使いやすいんだけど、知能の方が例外少ないよね、多分。

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死ぬのが嫌だった @matugo

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