死ぬのが嫌だった
@matugo
第1話 死にたくなかった
とりあえず自己紹介から始めよう。
僕は今50歳。出世はしてないが仕事はブラックでもなく無理なく続けられるレベル。惰性ともいうが、まあこんなもんだろうと思っている。愛する妻と息子も養えているし、今の日本なら十分勝ち組に分類されるだろう。
子供のころ、夢があった。これを見ている皆さんにもあっただろうか。多くの人は忘れ、一握りの人は忘れず、更にその内のごくわずかな選ばれた人々のみがそれを実現させる、そういった夢が。
僕にはあった。そして、中学生の頃に早々にあきらめた。他に大きな望みはなく、目先の小さな問題だけを相手にしていた。そして今に至る。まあ惰性みたいな人生かもしれない。それには何の不満もない。一番欲しい望みはもう叶わないのは確定しているからだ。
その望みとは、まあ題名にあるとおり、死にたくない、というそれだけ。
別に死にかける経験をしたとか、親戚がだれか死んでショックをうけたとか、なんか宗教的な体験したとか、そういうことは全くない。ただ単に、死なないでずっと生きていられたらいいなあと思った。そして、それは不可能だということに中学生で気が付いた、というだけの話なのだ。
実際のところ、人は必ず死ななければならない、ということに気が付くにはそれほど大した知能は必要ない。なにしろ、これよりも正しい命題は全世界探してもそんなにない、と断言できるくらい正しいからだ。中学生だって理解できるし、理屈だけなら理解できる人がほとんどのはずだ。理解できないと考える人は、死にたくないあまりに余計なことを考えているだけで、変な予断さえなければ難しくもなんともない。
というわけで、中学生でこれに気が付いた。そのあとの人生は、特に夢もなくすごしてきた。夢、というかやりたいことがあってそれに向かって努力するというようなことはやったことがない。まあなんか適当な感じの努力はしたが。何しろ一番の夢が不可能なのは確定したのだ。そして、そのことをほかの人に言ったことはない。というかうまく説明できる気がしないし、説明できたとしてもどうにもならないし、多分迷惑だ。今生きてるけどいずれ死ぬよね、って話したうえに同意を求めていったいどうなるというのか。
「どうせ死ぬのに努力してもしょうがない」は正確ではない。
「死ななくて済む方法があったらそのために努力はするかも」とも違う。死なない方法がないのは確定しているのでそんな言い方しても無意味だ。さて、こうして文章に起こしてみてもやっぱり正確に表現できない。僕は文才がないかもしれない。まあいいや。文才があろうがなかろうが、いずれは死ぬのだ。
という表現が一番近いような気がするが、自分でもよくわからない。
一番やりたいことができないといっても、だからほかのことができないわけでもないので、仕事は普通にしているしこのように文章も書ける。夢をあきらめた人など珍しくないというか、おそらく人類の大部分はそうであり、そして僕もそうだというだけの話だ。とても平凡な人生なのだろう。
といった感じのことを時々書いてみようと思っている。
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