ドラ猫バンブル 

低迷アクション

ドラ猫バンブル

ドラ猫バンブル


 「残念だけど、これ以上は、手の施し用がないね。

バル君は君が生まれた時から一緒に育ってきたそうじゃないか?


それならだいぶのお年寄りだ。猫の平均寿命分を生きてる。大往生だよ。このまま休ませてあげよう。」


眼鏡をかけた獣医師が“杏(あんず)”に言い含めるような言葉で説明する。

目の前の小さな診療代には、杏の飼い猫の“バル”がグッタリとした様子で寝そべっていた。


アメリカンショートヘアーの、混種のバルは茶色と黒が混じり、大きさは仔犬程のオス猫だ。

目の上の体毛が濃いせいか、昼間は目つきの悪い悪人面、

夜は瞳が大きい、可愛い太猫になった。


日中は外で遊び、食事と寝るときだけ、家に帰ってくるのが習慣。それでも杏達、家族の前ではお腹を見せて、ゴロゴロする“ゴロにゃん運動”や、眠るときは、杏の頬っぺたに

その体を擦り寄せて眠る(猫は気を許す人間程、頭に近い位置で眠ると何かの本で読んだ)

愛らしく、大切な家族だった。


そのバルが、数週前から元気がなくなり、餌を食べなくなってきた。外に出かける事もしなくなり、医者に見せた所、先程の診断結果を聞いた。


「残念だけど、病院で出来る事は何もないよ。お家でゆっくりさせてあげなさい。」


今年、中学に上がり、何となく世のしくみがわかりかけてきた気になっている杏にとって、

医師の「休ませる」、「ゆっくり」とかいう言葉は非常に耳障りだ。


しかし、相手の言わんとする事もわかる。山猫のように耳を立て、たるんだお腹を元気に

揺らし、杏が家に帰ってくると、草むらから


「ブニャン、ブブニャン!ブニャニャーん!」


とドラ声を上げ、こっちの足元にゴロゴロ喉を鳴らし、飛びついてきたバルが、

耳を頭にピッタリと付け、大儀そうに寝そべっている様子を見れば、もう長くない事がわかる。


自身がゆっくり頷く様子を見て、医師は薬の処方を看護師に指示するために席を外した。

杏も、バルの頭をそっと撫で、


「帰ろう、バル」


と一声かけ、バルを運ぶためのケージを取りに部屋を出る。本来なら、病室までケージに入れて運ぶつもりだったが、バルがそれを拒否した。


ケージの蓋から頭だけを出し

“自身の体重の重さで、これ以上運んでくれる杏に迷惑をかけたくない”


と言わんばかりに一声鳴いて飛び出し、病室まで歩いたのだ。その健気さ、ふらつく足取りで杏をリードしようとする飼い主思いの姿を思い出し、改めて悲しみが沸き上がってくる。


頭を振り、悲しみを紛らわすように、気を持ち直し、入口を目指す。その途中、不思議な

人物とすれ違った。外国人だか、東洋人だか何とも言えない容姿の男(中年とも、若いとも言えない不思議な男性だ)


ハッキリ特徴的なのは、右目の下に入った2本の切り傷と迷彩柄の入ったジャケット…

その凶悪そうな印象を怖いと思わないのは、男の優しそうな目と何処か飄々とした歩き方のせいだろう。


彼が杏の傍を抜ける時、一瞬こちらに会釈をしたような気がした。全く身に覚えのない事だったし、バルを運ぶ事が気になっていた彼女はそのまま外に向かった…



 それはごく自然な感じで進んだ。杏とすれ違った男は少し辺りを見回した後(勿論、杏が外に向かったのも確認をしている)滑り込むように、バルのいる診察室へ入った。


時間はそんなにない。やる気のなさそうな医師は薬と診療代の計算で来ないだろうが、飼い主の女の子は違う。思いつめた表情の彼女の事だ。すぐに戻ってくる。あの顔は

家族の一大事を悲しむ顔だ。


それだけ、目の前の猫と飼い主の関係が、幸福で豊かさに満ちた関係を築けていた証拠だ。


(後は本人次第だが…)


そっと診察台に近寄る。目の前の猫が目をうっすら開け、こちらを見た。やはり間違いない。

サイズは変わったと言え、強い目の光だけは変わらない。緊張が全身に走る。共に戦った

記憶が駆け巡っていく。高揚を抑え、慎重に言葉を選び、話しかける。


「お久しぶりです。“大尉”覚えていますか?“軍曹”です。ナリはちっこいですが、

その勇ましいお眼目は変わってませんな。」


自身の言葉に猫が片耳を動かし、2、3度上げたり下げたりを繰り返す。声を出せない作戦の中での、ハンドサイン代わりの“ニャンサイン”だ。昔と何も変わってない。彼は自分が探していた猫だ。安心したように頷いた軍曹は話を進める。


「大尉、飼い主さんが帰ってきちまいますんで、手短かに!

10年前にアンタが終わらせた“戦い”が、また始まります。


これまで小競り合いは何度もありましたが、俺等レベルで対処できるもんでした。しかし、いや、なんともふがいがねぇ話なんですが…


ちょっと力を貸してもらわなきゃ困る雲行きになってきました。

上の連中は貴方の復職を望んでいます。ただ、貴方の通常の猫としての寿命はもう尽きます。


貴方はもう現役を引いてますし、穏やかな老後、ニャン後?を望んでいましたから、

このまま逝くのもありっちゃぁ、ありです。ですが、このどうしようもない世はアンタを

必要としています。


声にならない悲鳴を上げている者達に、その柔らかく暖かいモフモフの手を

どうか差し伸べてやってくだせぇ。


これはアンタと、いくつもの絶望と悲劇を目の当たりにし、それでもなお諦めず、

同じくらい、いや、それ以上の奇跡と救いを世に生み出し、与えてきた自分達の総意です。


どうか、どうかお願いします!」


診察台に寝そべる猫の前で、大の男が平身低頭して、頭を下げるという、傍から見たら

シュールな場面が展開されていく。数秒も経たず、軍曹は顔を上げ、特に反応なく、

静かにこちらを見る猫に敬礼をした。


「お時間をとらせました。大尉、自分はこれで行きますが、もし、復帰して頂けるなら、

一声、そのお声をお聞かせ下さい。お迎えに上がります‥‥‥


それでは、史上最高の拳猫(けんぴょう)と呼ばれた英雄“キャプテン・バンブル”の

復帰を願って、敬礼!!…………失礼いたします。」


敬礼を終えた軍曹は静かに反転し、ドアに向かう。その手がドアに触れる瞬間、背後から


「ブニャン」


という鳴き声が聞こえた…



 「んんっ……バル?…どうしたの?」


頬にくすぐったい感じがあり、杏は目を覚ます。枕元の時計を見ると、夜中の3時。

餌を少ししか食べなかったバルと一緒に寝ていた所を起こされた。


見れば、バルの大きくなった瞳がこちらを見ている。


「駄目だよ、バル。お外は体が良くなったらね。」


外猫のバルは、家に出る時にこうやって杏を起こす。頬のヒゲをそっと杏の頬に擦り合わせ、

ゆっくりと、遠慮がちに顔全体をこすり付けてくるのが習慣だ。


だけど、今のバルは…そこまで思い、杏は昔、人に聞いた話を思い出す。猫が死ぬ時、

飼い主の前から姿を消すと言うが、あれは猫の習性の一つであり、


自身の体調が悪い時、外敵から身を守るため、猫だけが知っている隠れ家に行き、そこで

体調を戻してから、戻ってくるというものだ。


しかし、大抵の猫はそのまま力尽き、亡くなってしまう事が多いと聞く。バルにしてもそうだ。医者が無理だと言ったモノを、猫自身の治癒力で、どうにか出来るとは思えない。



しかし、このままで良いのだろうか?食事も食べる事が出来ず、満足に動く事も出来ない。バル自身が本能に従い、選択した事を否定していいのか?飼い主としての責任はある。


だが、家族としてはどうだ?大切な家族が助かるかもしれない可能性を

みすみす逃すのか?


杏はバルの顔を見つめる。大きな瞳に以前の元気はない。昔から、頑固な猫だった。雨の日も、台風の日も、外に出たい時は、何も言わず、杏の顔をじっと見ていた。懐かしさが蘇り、思わず尋ねる。


「バル、行きたいの?」


猫は何も言わないし、表情に変化もない。それはそうだ。バルは猫、人間じゃない。

杏の言葉がわかったか?はわからないが、静かにベッドから降り、おぼつかない足で階段を下りていく。どうやら、了承を得られたと思ったようだ。杏も起き上がり、猫に続く。

この辺りも何も変わらない。自分とは小さい時から一緒に育った。


バルが先を歩くのは、杏の事を妹のように思っているのかもしれない。先に歩く事で危険がないかを確認し、安全に導く。そんな姿勢が見えるようなのだ。


階段を下り、廊下を少し歩けば、もう玄関だ。ゆっくりドアを開ける自身の足元を

バルがすり抜けていく。外は月が光り、夜道を明るく照らしていた。


「バル、帰ってきてね?」


杏の声に、バルの尻尾が反応したように、まっすぐ立つ。ゆっくりこっちへ振り向いた

バルは杏を少し見つめた後、そのまま月の照らす夜道へ消えていった…



 「何ぃっ?道を歩いていた猫がいきなりデカくなって、飛んでいったぁ?あ~、それ

ウチの大尉だ。お前新人だったな。そしたら、キャプテン・バンブルを見た事ないか?

そりゃ、驚くわな…」


迎えに出した車はふいになりそうだ。興奮しながら、車に乗り込んでくる新人を見て、軍曹は思う。彼が動いたという事は“目標”が現れた証拠だ。タイミングが間に合って、本当に良かった。これで何とかなりそうだ。


一息をつく軍曹の横で、新人が“今、見た事を信じられない”って表情をしていた。自分も最初はそうだった。説明が必要そうだな。今後のためにも…


「おい、一応、言っとくけどな。今後もここで仕事をするって言うなら、慣れておいた方がいいぞ。今まで、信じられないモンをたくさん見てきた経歴のようだがな。先輩として言えるのは俺達が相手にするのは、イカレタ殺人鬼や、銃を持ったテロリストだけじゃねぇぞ。もっと違うモンだ。その原因を作るモノ達って言うのかな?


“それは一体何です?”ってか?まぁ、俺もよくわからねぇけどな。上の話によればだな。

世の中、時代が不安定になってくると、良からぬ事件や、テロに紛争が起きるだろう?


あれは利益を求める欲望や、個人の殺人衝動だけじゃないって話だ。それを後押しする、

連中がいるんだよ。そいつ等の姿は見える時もあれば、見えない時もある。


だが確実にいる。人の不安や妬みにつけ入り、事件に紛争を頻発させ、果てには、一つの国家、文明を滅ぼす事態を及ぼすよう仕向ける奴等がな。


それは繁栄と衰退を極めた人間を一度リセットするプログラムかもしれない。誰が設定したかはサッパリわからねぇがな。とにかく、そういった事象は人間が火を持ち、猿と枝分かれの進化をした頃から続いていたらしい。今日にいたるまでにな。


歴史番組や古い本で見た事あるだろう。洪水によって流された文明、火山の爆発によって消えた都市、あれら全てが連中の仕業とは言えないかもしれないが、少なくとも関わっていたとは言える。



あっ?“そう言った事はあくまで、言い伝えであり、現在も含め、ここ数百年、一切そういう事が起こってない”そこだよ。今日まで俺達が滅びねぇ訳なのはさ。


何百年も前から、戦いを続けている奴等がいた。何度も連中に負け、多くの大切な人を失い、

それでも諦めずに、回避、迎撃の手段を考え、模索し続けた。彼等の活動は、化学技術や

文化の発達という、表だっての人類の発展に繋がるモノもあれば、


特殊能力や魔法と言った、非現実的なモノとして、人に知られる事なく発展していく道を

辿るモノもあった。その成果がお前さんの見た変身する猫、ウチの大尉殿だよ。


いや、あの人、いや、あの猫さんは少し違うな。俺達の先人が研究を進めるにあたり、出会った存在、人間に惚れこみ、救う事を決めてくれた守護者的なモノだな。とにかく俺達が

これから一緒に仕事をするのは、そういう方達だって事をよーく覚えておけ。

そんじゃぁ行くぞ。」…



 “それ”は、始めは姿形を成さないモノだった。だが、自身の目的はきちんとわかっていた。人間と呼ばれる生物に取りつき、同じ人間を殺す事。誰に命令されたかはわからないが、


そう決められている。それらは、ある一定の基準値、設定された環境が整うと

自然発生するのだ。


発生したいくつものそれは、担当したエリアごとに別れ、まず宿主を探した。

幸い、候補者はいくつも見つかった。最も、候補者の数が一定以上確保された条件の元で

自分達が発生するのだから、当然の事と言えた。


候補者の中から、基準値が高いモノを選び、その中に滑り込む。会社からの不当解雇、

手抜き行政、金融機関、福祉機関のずさんな対応、借金、生活苦、家で彼の帰りを待つ両親と妻、娘、それにとってはよくわからない言葉や心情が浮かぶが、


とにかく宿主が人間の世に絶望している事が重要だ。時折、彼の思考にわずかながらの希望が浮かぶ事もある。だが、それを一つずつ丁寧に潰していくのも自身の仕事だ。

淡い期待全てに負の要素を巡らせ、それに準じた映像を脳内に映してやる。


最終的に八方塞がりになった宿主に対し、こう言葉をかけてやる。


“自分だけが不幸なのは、不公平じゃないか?”


だいたいの者は頷く。彼もそうだった。ふらふら歩ませ、獲物を探す。


“ほら、そこを見ろ。こんな夜更けにドアを開け、月を眺めている少女がいる。アイツを

殺っちまおう。なあ~に、あんな細い首、少し力を入れて、締めればイチコロだ。“


ここで宿主に迷いが生じる。それの指示に対し、抵抗の兆しがあるのだ。

そう言えば、コイツの家族には娘がいたな。そこが躊躇いに繋がっているらしい。


少し厄介だが、問題はない。多少、頭ん中をいじくってやれば、すぐに言う通りになる。

それは彼の脳内に強い圧力をかけていく。宿主が地面に蹲り、必死で抵抗する。


人間がこれほどまで厄介だとは思わなかった。絶望している人間は簡単に事が進むと

思ったが、大きな誤算だった。しかし、それも時間の問題、まもなくこちらが勝つだろう。それは力を発揮し、彼の頭により一層の重圧を敷いていく。もう少し、あと少し…


「おい…!」


低く野太い声がそれの意識に直接響く。宿主に声をかけた訳ではない。相手は自分に声をかけてきていた。意識を向けたそれに巨大な毛むくじゃらの手が突き出される。


あり得ない事だった。宿主を借りて姿を持つそれが、直接触れられていた。意識が、存在が遠のく時、それは自身の“死”をハッキリと理解した。


「一生懸命生きてる奴の邪魔をすんじゃねぇ…」


という野太く、大きな動物の声を聞きながら…



 「“あれ、猫が…?二本足で立った大きい猫が喋ってる”っていう、お兄さんには

しっかり、我々が説明と処置をしておきました。安心ですよ。大尉!


そして復帰早々のお仕事、ご苦労様です。」


敬礼する軍曹の横でバル事、キャプテン・バンブルは、

自分が出てきた家を黙って見つめている。


「大尉、素敵な日々を過ごされたようですね。ですが、その家庭を、世界を守るためには

貴方が必要です。今日は小さな事件、それも未然に防ぐ事が出来ました。ですが、これからはもっと…」


「わかってらぁ…」


軍曹の言葉を途中で遮り、バンブルは、こっちを放心したような顔で見つめる、恐らく新人隊員の待つ車に向かう。幸いだった我が家の、ご主人である杏との生活を断ち切るように

素早く、素早くしたいが、自前の大きな尻尾が名残惜しいように地面に寝そべり、それをズルズル後ろ髪を引かれるように進む形になりはしたが…


「大尉、一つご提案が…」


そんな、しょんぼり巨体をユラユラ歩くバンブルに軍曹が声をかけた。


「大尉が引退してから、10年、我々の技術もだいぶ進歩しました。

それで、ですね。大尉の体もいつでもそのスケールだと、何かと不便です。ですからですね。

体を通常の猫ちゃんサイズに変えて、時々はごじた…」


軍曹の言葉も途中で遮られた。喉をゴロゴロ大音量で鳴らしたバンブルに抱きつかれ、

そのモフモフホットで圧迫死に繋がりそうな巨体に全身を包まれたからだ。


小気味の良いゴロゴロ音を響かせたバンブルが軍曹の頭に顎を載せ、嬉しそうに囁く。


「ありがとう、軍曹、それともう一つ、お願いがあるんだが?」…



 バルは結局帰ってこなかった。バルを見送った後、ずっと玄関近くの居間で待っていた

杏は

自分のした事を改めて、後悔し始めていた。いや、出来る事はあれしかなかった。だけど、それでも…


ふいにドアをカリカリと引っ掻く音が響く。バルが帰ってきた時の合図だ。杏は立ち上がり、

玄関に向かい、ドアをそっと開けた。


「これは…」


バルはいなかった。しかし、彼女の足元にはバルがつけていた首輪があった。

間違う筈がない。杏が幼稚園に通い出した頃、バルのために工作に時間で作った。紐をいくつも絡め合わせた、首飾りのようなモノ。バルはゴロゴロと喉を鳴らし、喜んでくれた。


猫が自分で外す事が出来るかはわからない。だけど杏には、

これが“別れの印”には見えなかった。バルはきっと帰ってくる。少し時間はかかるが、

それまで待っていてほしい。


勝手な思い込みだ。でも、そう思わせる何かが、目の前の首輪にはあった。そっと持ち上げ、胸に当てる。


「バル、待ってるからね。」


杏の声に答えるように、何処かで車のエンジン音、いやその音に似ている、

猫の、彼女の愛猫の独特の鳴き声を聞いた気がした…(終)

 

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