「こっちにしときな!」

低迷アクション

「こっちにしときな!」

「こっちにしときな!」


ある女性の、母の話です…


彼女が2歳の時、ヒドイ熱のため、緊急入院となりました。病院に許可をもらった母親は

娘の病室が個室という事もあり、彼女のベットの隣に、簡易ベットを用意してもらい、

そこで、寝ずの看病をする事にしました。


部屋は子供用病棟の一番端で、その隣は高齢者の病棟が続いていました。


まだ幼い年齢、突然の病で命を落とす事だってあります。母親は気が気ではありません。

当時、彼女の父は離婚し、母は1人で懸命に働き、彼女を育てていました。


熱が下がらないまま夜になりました。当直の医師からは、今夜一晩様子を見ましょうとの

診断をもらいましたが、安心など出来ません。


(まだ幼い我が子を…神様…どうか、助けて下さい。)


そう願い、娘の頭に乗せる氷嚢を何度も変え、少しでも苦しそうな様子を見せれば、

すぐに看護師を呼びました。


そうやって気が付けば、時刻は夜中の2時…病室内は静かに、

いや、病棟全体が静まり返っています。少し疲れを感じた母親は娘の寝顔を確認し、


仮眠をとるため、簡易ベットに横になろうと、視線を入口側に向けました。


「えっ?…」


思わず声が漏れました。入口に黒い衣服、いや、全身真っ黒な人の形をしたモノが

立っています。


それは、全身がささめくように蠢動しています。やがて何かを喋るために、体が

震えている事がわかりました。


「‥‥に参りました…」


まるで複数の人が、くぐもった声で一斉に喋るような感じで、とても不明瞭です。

しかし、母親は最後に聞こえた


「参りました。」


の言葉で、全てを察しました。


(“コレ”は娘を連れていこうとしている。)


思わず、娘のベットを庇うように立ち直した彼女に

黒い人影は、先程と同じように体を蠢動させ、


「‥‥に参りました…」


を繰り返した後、病室の中に体を一歩進めてきます。

母親が悲鳴を上げようとしたその時…


「ちょいと、こっちにしときなよ!」


年老いた、ですが凛とした女性の声が廊下に響きました。


その声に黒い人影が止まり、廊下を向きます。しばらく何かを考えるように立ち止まった後、

ゆっくりと廊下に歩みを変え、体を揺らしながら、高齢者の病棟の方へ、進み始めました。


それを見届けた後、母親はそのまま意識を失いました。次に気が付いた時は明け方でした。

慌ただしく廊下を行き交う看護師と医師、高齢者の病棟に運びこまれるAEⅮや医療器具、

そして、隣のベットで目を覚まし、


「お母さん」


と声をかける娘を見て、理解しました。彼女の母親はいつまでも、その時の事を話し、

娘の代わりになってくれた“誰か”に感謝を捧げています…(終)

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「こっちにしときな!」 低迷アクション @0516001a

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る