「仕事でもないのに?」
おそらく、と
これほどに
英のこれまでのやり方から見ても、それなりの証拠を集めて雪季を警察に突き出すなり裏社会の方で尻尾切りさせるなりはできるだろう。それにもかかわらず放置し、果ては友人に対するかのように接してくる。
目的が見えない。不気味さすら感じて、それを認めたくないがために腹を立てるのだろう。
そのくらいは自己分析できるが、出来たからといって何が解決するわけでもない。
深々とため息をついて、雪季は、隣のベッドで穏やかな寝息を立てる英に視線を向けた。よくも、殺し屋の隣で熟睡できるものだ。二晩目になるが昨日もぐっすりと眠っていた。
元々の体質に加えて職業柄眠りの浅い雪季としては、羨ましさすら覚える。
「…早くて明日の朝と、思ったんだがな」
「気付かなかったら見逃してやるつもりだったのになあ。スケープゴートにもちょうどいいし。無理心中に変更かな」
「気色の悪いことを言うな」
「…あれ? もしかして、男?」
声変りもしているのに、どうして多少体の線を変えただけで、こうも違和感なく間違われてしまうのだろう。
雪季は、常夜灯でほんのりとしか見えないのに見えてしまった金魚売の意外そうな表情に、うんざりと息を吐いた。
男二人でいるよりも油断を誘えるかと、結局女装して船内をうろつく
「悪いな、お前に恨みはないがこれの護衛を依頼された」
「ええーっ、えらいかわいい子連れてもしかしてロリコンの気があるのかとか思ったら、女装の男が趣味?」
「話を聞け」
なんだこの馬鹿は。口を突いて出そうになった言葉を呑み込んで、雪季はベッドから英と金魚売の間に跳び下りた。
昨日甲板にいたのと変わりない格好で、スニーカーも
絞殺に使うのだろうふんわりと薄い布を首元に巻いた
だが口を開いたのは、金魚売の方だった。
「護衛っていうかさあ、もしかして、同業者?」
「残念ながら」
「あっちゃー。え、何、標的
多少混乱しているらしいが、付き合ってやる義理はない。雪季は、踏み込んで金魚売の
突き出したスタンガンは、狙った胸に当たる寸前に腕をつかまれて止められる。
「っぶなー。ていうかさ、同業者でしょ? スタンガンって何」
電圧は最高にして心臓を狙ったので、悪くすれば死ぬ。しかし、雪季が殺すつもりがなかったのも本当だ。スタンガン自体も、英からの借りものだ。
通電したままのスタンガンを
「今はあれが死ななければそれでいい。殺しの依頼は受けてない」
「うっわ。甘。激甘。俺はそんなの付き合わないよ?」
「だろうな」
腕を取られた時に、何か刺された。視界が揺れる。首を絞める前に、薬を使う奴だったらしい。
雪季は、ズボンに仕込んでいた
「こちらの都合だ、気にするな」
ナイフの先で腕を切る。それほど強い薬ではないようだから、このくらいの痛みでも誤魔化せる。
「金魚売」
にやにやと笑っていた男の顔が、ぴくりと
だが、雪季が言いたいのはそこではない。
「お前、二代目だな」
「…なんで?」
「金魚売の名は十年以上も前からのもので、十代の子どもができるようなものばかりではなかった。薬を使っているのも、お前からだろう」
「だから何だっていうんだ?! 名前なんてなんだっていいだろ!?」
「そうだな」
感情に振り回されて棒立ちになっていた金魚売の
雪季のスニーカーは、滑り止めの他に、重さをつけるための鉄板も加工してある。体重が軽いと、こういった小細工も必要になる。
バランスを崩した金魚売の首元から布を引き抜き、そのままに、後ろ手に縛りつけた。その程度の力比べはできる。
膝をつきながらも抵抗しようとする金魚売の足をすくいあげて床に倒して、雪季を刺した針を探す。
古風にも指輪に細工されたそれを、金魚屋の首筋に刺し込んだ。
すぐに意識を失ったようだが、念のため、適当に英の荷物からネクタイを引き抜いて足も縛っておく。
「これ、どうする」
「なんだ、起きてるって知ってたのか」
「これだけやってまだ眠っていればさすがに驚く」
「どうだか」
すっきりと目覚めたかのようにいつも通りの声で、備え付けの寝間着姿の英が体を起こす。
わざわざ近づいて来て金魚売を見て、まだ若いな、と漏らした。
「殺した方が早かったんじゃないか?」
「仕事でもないのに?」
「…そういうとこ」
ふっと、英は笑った。いつものへらへらとしたものではなく、冷ややかに雪季を見下ろす。
雪季は、初めて見る相手のような心地で見つめ返した。
いや、この冷ややかさには気付いていた。いつも、どこか離れたところから値踏みするような、距離感。
「面白いな、雪季は。これまで何人も殺しておきながら、まだ殺すことに抵抗があるんだな。なあ、気付いてたか? はじめて人を殺した時、泣きそうな顔をしてたって。俺を殺しに来るときも、触れれば壊れそうなくらいに張り詰めてた」
「――ぇ…?」
雪季が使っていたベッドに腰かけ、軽く開いた膝に肘をついて指を組む。そこに顎を置いて、英は真っ直ぐに雪季を見ていた。
「俺が雪季をこっちに誘うのは、そっちから離れたら、その罪悪感をどうするのかに興味があったからだよ。今は、深く考えることは避けているんだろう? それが、こっちに来たらどうだろうな。多分、これまで殺した一人一人をちゃんと覚えてるんだろ? なあ雪季、平穏を得た君は、どうなるだろうな?」
どくりと、心臓が脈打つ。
善意だとは思っていなかった。何か裏があるのかと、例えば子飼いの始末屋がいれば便利だと、そんな理由かと思っていた。そうでなければ、深くは考えない上での気まぐれかと。
英は、いつものように笑って見せた。
「それは、俺が捨てておくよ」
足を縛っていたネクタイを外し、ショールを元通りに金魚売の首元に巻くと、英は、鍵だけを手にして部屋を出て行った。
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