幕引き後のエピローグ
幕引き後のエピローグ
私、神辺梵天王が再びアセンション島で目を覚ました時、辺りは観客がごっそりと減って随分と閑散として見えました。居なくなっていたのは、別地球αと別地球βの者たちと……最後まで舞台に立っていた四藏匡人と天海祈の二人。
他の者たちもあらかた目を覚ましたところで、取り敢えず残された私たちは現状を確認し始めました。その結果として、私たちの誰もが《異能》を使えなくなっていること。[魔術]も(一部の者は【骸】も)、使えなくなっていること。そして、MCG機関の職員証が全く別の身分証に変わっていることが判明しました。
《MCG機関》
《Maintenance Contract Group》
訳すると『保守契約集団』でしょうか。色は皆、『白』で統一されています。
この時の私たちには、これが四藏匡人が書き換えた結果だろう事は理解できましたが、その意味を推し量ることはかないませんでした。
それから程なく、ヘリや船がひっきりなしにやってきました。中継を見ていた世界中の者たちが地球全体をも包み込む発光の謎と、その影響はどのくらいかを確かめる為に人員を寄越したのです。
その後、降りてきた彼等に私どもの事情を話すと、何故か二つ返事でそれぞれの故郷への帰還を手伝って貰えることになりました。
「MCG機関の皆様でしたか」
と、彼等が口々に言うそのフレーズを疑問に思いながらも、疲労で頭の鈍くなっていた私は余計な口を挟むことなく彼等の好意に甘え、東京支部/交渉部の面々と共に船に乗り込ませて頂く事になりました。
そこで、ふと甲板から空を見上げますと、事が終わる前と同じ雲一つない突き抜けるような快晴がありました。
ただ、大きな差異が一つ。
何年もの間、空に架かっていた別地球が綺麗さっぱり消え去っていたのでした。
数日後、東京支部ビルへと帰還した私たちを、驚きの人物が出迎えます。
「よう。俺が死んでた間も元気してたか?」
「――っ灰崎!?」
支部ビルの入口に凭れるようにして立っていた人物は、間違いなく人工島で焼死した筈の
驚きはそれだけでは終わりません。灰崎炎燿の合図でぞろぞろと支部ビルから出てきたのは、観客としてアセンション島に赴かなかった東京支部の職員たちと――これまでに殉職していった東京支部の職員たち。その中には、蕃神信仰の宮城支部襲撃に巻き込まれた
私たちは手を取り合って再会の喜びを分かち合いました。支部ビルの一階にワッと浮ついた雰囲気が流れる中、灰崎炎燿が密かに私と香椎康の二人を柱の影に呼び寄せます。
「職員じゃないからここにはいないが、人質として囚えられていた家族なんかも無事を確認済みだ。勿論、お前らの家族もな。宿泊中のホテルを教えようか?」
「それは本当かい? 是非とも教えてくれ!」
「おう。……で、お前は?」
「あ、いや……私は……」
香椎康は即答しましたが、私は答え倦ねてしまいました。それというのも、
会うべきなのか。会うとして、何と言葉を紡げば良いのやら。
押し黙ったまま逡巡していると、不意に暖かな感触が私の頭に触れました。
「つべこべ言わずに会っとけって」
ポンと乗せられていたのは灰崎炎燿のごつごつした大きな手でした。一瞬、振り払ってしまおうかという子供じみた考えも過ぎりましたが、灰崎炎燿の眼に深い悲しみの色があるのを見て止めました。
恐らく、彼の家族は……舞台装置的な四藏匡人の齎した極めて都合の良い『
「何だぁその目は、いっちょ前に同情してんのか? 家族のことなら気にしちゃいねぇ……と言ったら嘘になるが、まあ、俺が背負っていかなきゃなんねぇことだ。自分を生き返らせてもらっただけでも匡人のやつには感謝しねえとな」
一介の人間でしかない私に取っては些か
「それより、お前のことだ。事情はある程度知ってるつもりだが、その上で『生きているうちに会っとけ』と言っとく」
「それは……はい。その通り、ですね」
彼の過去を考えると重みのある言葉でした。死んでしまったら元も子もない。言いたいことがあるなら、未練があるなら、その前に勇気を出して会いにゆくべき……その重さに阿るようにして助言を聞き入れた私を、灰崎炎燿は鼻で笑います。
「所構わずコスプレして出歩く
「な、なにおぅ? こ、この燃えカス!」
昔……いいえ、それほど昔でもない頃の感覚が、勝手に身体を動かしました。彼との
「ぐぬぬ………」
歯噛みし、せめてもの反撃として彼を睨み上げていると、
「皆様、水を差すようで大変恐縮なのですが、再会の喜びは今夜行われる会食の場にて存分に分かち合って頂く事とし、ここはMCG機関に課せられた新たな役割や行く末について話し合っておきたいと思います。つきましては、お見せしたいものがありますので皆様、私に続いて最上階までお越し下さい」
そう言うと、どこか晴れやかな表情の荒垣仁総務部長は、さっさとエレベーターに乗り込んでゆきました。その後に東京支部に待機していた職員たちが続きます。
一方、観客としてアセンション島に赴いたものたちは事態を飲み込めずにいました。見せたいものとは何なのか、検討もつかずに互いの顔を見合わせていると、灰崎炎燿が最上階へ向かうよう皆へ促します。
「ほら、ボサッとしてないで行こうぜ。世界に何が起こったのか、変化は、逆に変わっていないものはなにか……《Maintenance Contract Group》というMCGの新たな意味も、そこで知ることができる」
意味深長な言葉を残して、灰崎炎燿もまたエレベーターに向かって歩きだします。相変わらず話は見えてきませんが、あの時に何が起こったのか知れるというのなら「見ない」なんて選択肢はハナからありません。私もすぐに後を追いました。
階数表示が最上階を指し、チーンという気の抜ける音と共にエレベーターの扉がしめやかに開かれると、まず床に刻まれた大量の引っかき傷のようなものが目に入りました。それが、意味のある日本語の文章であると気付いた次の瞬間、足元にあった署名を見て私は固まってしまいました。
『四藏匡人』
それは、世界中の支部ビルの最上階に刻まれた四藏匡人からのメッセージでした。その冒頭、『愚かしくも愛おしい皆様へ』から始まるメッセージには、沈下間際に施した干渉について書かれていました。
『あの時、俺は自身と宇宙の同化を妨害するので精一杯だった。しかし、それではジリ貧で、いずれは抵抗むなしく完全に同化してしまうだろうことが感覚的に分かっていた。だから、一か八か妨害を止めて、世界が、人間という種が、一歩前へ進む後押しをしようと試みた。
とここまでは、観客席にいたものなら知っている事だと思う。以下に記すのは、その為に行った三つの書き換えの内容だ。
一つ目は、新たな
やはり、《異能》は人間の身には過ぎた
二つ目は、MCG機関の役割変更。
皆を無職のままほっぽり出す訳にもいかなかったけど、一人一人に望む職を斡旋して更にそこに関わる人間の認識や記憶を細かく改変して……というのは、いくらあの時の俺でも不可能だった。だから、MCG機関に別の役割を持たせ、認識や記憶の改変はMCG機関の収集した
三つ目は、平行世界線の交錯防止。
これは《異能》を抑止した以上は心配いらないと思うけれど、万が一ということもあるからね。一応、防止処置を講じさせてもらった。天海祈は、地球・別地球α・β以外の平行世界線でも同様の実験を同時進行させていたんだ。そんなことを将来誰かに繰り返させる訳にはいかないからね。
とまあ、こんな感じの書き換えを別地球α・β、そして他の平行世界線全てに適応させてもらった。これは宇宙そのものとなった俺なら容易いことだったよ。数値をコピペして全体に適用するだけだったからね――』
そこからは、どれだけ書き換えに苦戦したか、如何にしてそれを切り抜けたかといった苦労話が延々と続いていました。
ああ……彼は
メッセージの終盤に至り、話題は天海祈についてとなりました。
『天海祈についてだけど……誠に勝手ながら生かしておいたよ。勿論、恨み骨髄に徹する人も大勢いると思う。でも、あんなんだって俺の母親なんだ。情だってあるさ。彼女は、生まれながらに自らの器を越える力を持たされ、その期待に答えようとしただけだと思うんだ。だから、あまりイジメたりせず、やり直させてあげて欲しい。
身柄は、生き返らせたものたちと一緒に東京支部ビルに送ってあるよ。処遇は東京支部/
灰崎さんなら、きっと上手いこと執り成してくれると信じているよ。
ああ……もう、意識が持ちそうにないや。
もっと、話したいことが沢山あるのに、ここらが限界みたいだ。
じゃあね、皆。
じゃあね、
どうか、お元気で――――
四藏匡人』
文字は最後に近づくほどに大きく崩れ、最後の署名に至っては一見するとただの複雑な傷にしか見えないような状態になっていました。それは、まさに四藏匡人という人間がこの世に刻んだ生きた証。目を背けたく鳴るような痛々しさと、目を離せないような美しさを同時に兼ね備えていました。
この
受け継いだものは、前へ進めなくてはならない。
その決意は、灰崎炎燿が連れてきた水色髪の少女を見た時、更に強固なものとなります。
「こいつが……今の
灰崎炎燿のズボンの裾を掴む少女からは、かつては何もせずとも全身から放たれていた威圧的で超人的な気配は欠片も伺えません。
自らに科せられた分不相応の能力に狂う以前の――純真無垢な姿。
まだ自我の発達も十分ではないような、あどけない警戒心を露わにする幼気な少女を見て私はすぐに悟りました。この少女こそ、『未来』なのだと。必ずや、彼女は人間にとって良い影響を及ぼしてくれると。どうしてか、根拠もなくそう思ったのです。
「なら、あたらしい名前がいる。この子は、もう
そう言って、私の背後から歩み出てきたのは六道鴉でした。アセンション島から東京支部までの道中では一言も話さず、以前のように無表情を貫いて一人、思索に浸っていた彼女が、徐に灰崎炎燿の足元に屈んで少女と目線の高さを合わせます。
そして、赤子を抱く母親のように柔和な微笑を作りました。
これまでは、表情を変えるようになっても何を考えているのか分からないのは一緒でしたが、今だけは言葉を交わすことなくその胸中が理解できました。
「――この子は希望。名前は
その時、私は確かに聞いたのです。
世界が、人間が、新たな歴史の一歩を踏み出す希望の音を。
Ascension / 次元上昇 塩麹 絢乃 @raimugipoi
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