4月31日の君と
なーこ
第1話
『明日は私用でお休みをいただきます。ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。』
不在メールを課員に送る。社内システムから有給休暇の取得申請をし、手持ちの案件を同僚に引き継いだ。パソコンをシャットダウンし、袖机を施錠する。よし、完璧だ。ちらりと手元の腕時計を見ると、19時30分をわずかに過ぎていた。数時間後のことを考えると思わず口角が上がる。
「戸村さん、明日何かあるんスか?
確か去年も5月1日に休んでませんでしたっけ。」
机の上を整理し、立ち上がりかけたところで、隣の席から課の後輩である村井が話しかけてきた。村井は口調こそ軽いが、観察眼に優れており、なかなかに仕事ができるヤツで
ある。
「明日は、ちょっとはずせない用事があって。 ごめんけど、お休みいただくわ。手持ちは田辺に引き継いでるから、なんかあったらアイツに聞いて。」
同期入社の田辺の方に軽く視線を送り、「じゃ、おつかれさまです。」と、回答もそこそこに席を後にした。ロッカールームへと向かう俺の後方で、「仕事一筋の戸村さんが年に一回だけ必ず有休とる日って、何があるのかめちゃくちゃ気になりません?」と、村井が周りの社員に話しかけているのが聞こえる。
「…4月31日なんや。」
誰に答えるわけでもないのに、思わず小声で呟いていた。
退社後、駅ビルで買い物を済ませ、電車を乗り継ぎヨコハマへと向かう。夕食にラーメンを食べ、予約していたホテルにチェックイン。部屋でシャワーを浴び、ホテルのバスローブに着替えてベッドの端に座ると、ライトアップされた観覧車とヨコハマの夜景が目に飛び込んできた。カーテンを締め、スマートフォンを手に取る。
『4月30日 23時59分』
液晶画面が時間を告げている。
俺は、ふぅっと軽く息を吐くと、スマートフォンの電源を落とした。この時間は毎年落ち着かない。心臓の音がどんどん早くなる。あと20秒くらいだろうか。
20、19、18、17、16、15、14、13、12、11、10、9、8、7、、、、
「おっつかれさまでーす!トムさん元気やったー?」
カウントダウンを終える間も無く、パッと眩しい光とともに、白いワンピースを着たハルが目の前に現れた。
思わず涙目で抱きしめる。
5回目の4月31日が始まった。
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「え、てかやば。この部屋やばくない?めっちゃ広いやん。あ、ワインもあるー!トムさん、飲んでいい?」
実に1年ぶりの感動の再会だというのに、ハルは相変わらずの忙しなさだった。
「飲んでいいよ。ハルが好きそうやなって思って買っといたやつやから。プロシュートとチーズもあるから冷蔵庫から出してきて。」
俺は事前にフロントで借りておいた皿とワイングラスを、部屋の丸テーブルの上に並べた。生ハムとチーズを持ってきたハルが笑顔でテーブル横の椅子に腰かける。俺がオープナーでボトルワインを開けると、ハルはそれを取り上げ、なみなみと2人分のグラスに注ぐ。
「かんぱーい!」
カチンっと強めにグラスを合わせ、ハルはプハッと一気に飲みほした。
「それ、ワインの飲み方とちゃうからな。ビールとかでするやつ。ほんま相変わらずやな。」
「だって私は変わりようがないねんもん。1年ぶりなんやしたまにはええやん?
あ、ありがとう。」
空になったグラスにおかわりを注ぐ俺をよそに、ハルは生ハムを口に運んでいる。
「…トムさんは、少し変わったで。やっぱり。髪も少し長くなってるし、さっきもなんかちょっと話し方が東京弁ぽかった。」
「そりゃ、東京ももう6年目やからね。でも今は普段の俺からしたらかなり訛ってんで。もう仕事中とかずっと標準語やもん。ハルとおるから心が関西モード入ってるけど。」
「そっか…せやんな。もう6年目とかになるんやな。…え、あれ、トムさんて今いくつになったん?」
「今年28の歳。」
「え、マジで?もうだいぶがっつりアラサーやん。」
「いやいや。ハルの同期とか友達とかもタメやからな。」
「私は、ほらご覧の通り歳取らへんもん。ずっと若くて可愛い春乃ちゃんやから。」
「や、笑えへんからそれ。」
ハルと俺はもともと同い年だ。でもハルは5年前から、そしてこれからも決して歳をとらない。彼女の時が止まった日から変わることなく、ずっとずっと23歳のままだ。
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付き合いのきっかけは、入社間もない頃に開催された合コンだった。会社の同期がセッティングした飲み会に成り行きで参加したところ、同じく自分の会社の友人に誘われてやってきたハルがいた。その後、同い年かつ同郷であることが発覚し、急速に意気投合したのだ。2人とも地元の大学卒業後に、就職のタイミングで上京してきたタイプの人間であったため、東京での遊び相手に飢えていたのも大きい。俺は関西人にしては無口な方で、決して女性経験が豊富ではなかったが、気さくで少しガサツなところもあるハルに対しては、変な気負いをせずに済んだのだろう。付き合い始めて半年以上が経っても、俺らは大きなケンカもしない仲のいいカップルだった。2人で色々なところへ遊びに行き、東京での暮らしにも少しずつ慣れていったが、ハルの訛りは相変わらずだった。
「なぁトムさん、私今度ヨコハマ行きたいねんけど!一緒に夜景みよう?」
「いいよ、俺も行ったことないし。予定決めとこか。いつが空いてる?」
「ちょっと待ってな……あ!4月31日とかどう?空いてる?土曜日!」
ハルは、ピンク色のスケジュール帳を手元に開きながら言った。
俺も携帯で日付を確認する。
「…ちょっと待って。4月31日なんてないで。4月は30日までやん。」
「え、うそ。いや、でも私のスケジュール帳31日まで書いてあんで。…ほら見て。」
ハルのスケジュール帳を除きこむと、確かに4月30日と並び、4月31日と書かれた枠が可愛らしい絵柄でプリントされていた。
「いち、にぃ、さん、しぃ…。いや確かに、4月に31日ってないわ!なんなんこの手帳!不良品やん!」
ハルは左手の拳のへこみをなぞりながら叫んだ。
「ヒャハハハ!こんなことってあるんやな!そんなんを買ってまうハルも奇跡的におもろいやん!最高!」
全く持って笑いごとではないのだが、何だかとても面白いことのような気がして、2人で腹を抱えて笑った。結局、二人でヨコハマへ遊びに行くことはついぞなかった。
この日のデートの数日後、ハルは突然消えてしまった。
仕事中に急性くも膜下出血を起こしたハルは、救急車で病院に運ばれたが、意識を取り戻すことなくそのまま息をひきとったらしい。
俺はそのことをハルの友達から電話で知らされた。俺の連絡先を、件の合コンを開催した同期から聞き出してくれたとのことだった。俺とハルに、共通の友人はいない。
突然のハルの訃報。
全くもって事態を理解することができなかった。通夜と葬式にも参列したが、正直なところ、あまり覚えていない。ただ、眠っているようなハルの顔と、はじめて会ったハルのご両親の泣き崩れる姿だけが、もやがかかったような頭の中で、やけに鮮明にぐるぐると回っていた。
ハルが居なくなった世界でも、日常は変わらずに続いていく。俺は仕事を無感情でこなし、家に帰って1人泣く日々を送っていた。毎日送りあっていたメールが届かなくなったことが、ハルが本当にいなくなってしまったのだということを実感させた。
カーテンを締め切り、テレビもつけず、毎晩部屋の隅でうずくまっていた。ハルが死んでから、まともに食事が喉を通らない。うまく眠れない。いっそこのまま俺も消えてなくなってしまえばいいのに、と常に考えていた。ハルが再び俺の前に現れたのは、そんな時だった。
ピカっと、俺の部屋に閃光が走った。
おそるおそる目をやると、そこには、最後にデートをした時と全く変わらない姿で、白いワンピースを着たハルが座り込んでいた。
「トムさん、ただいま。」
ハルの方も、自身に起こった出来事に少し驚いていたようだ。俺は、なにがなんだか分からなかったが、とりあえず反射的に目の前のハルを抱きしめた。じんわりと人肌の温かさが伝わってくる。夢なら覚めなければいいのにと心から思った。
「なんかな、私死んでしまったやんか。
でな、よくわからんねんけど、今日が4月31日やったから、こうやってトムさんの前に現れることができてんて。」
まとまらないハルの話を要約すると、外界の情報をシャットアウトしていた俺の部屋は、4月30日を終えた時点で、「4月31日」という本来は存在しない時間になったらしい。
「んで、4月31日も、私という人間も、ホンマはこの世に存在してないから、存在していない空間の中では、今逆に存在することができてるんやて。」
何度話を聞いても、ハルの言っている理屈が全く理解ができない。ハル自身も、自分が置かれている状況をあまり詳しくは理解していないようだった。ただ、ハルが俺のそばにいられるのは、「4月31日」であるこの24時間に限られるということは、抗いようのない事実だと分かった。
「今この空間が4月31日やから。外とかには出られへんねん。でも、こうしてトムさんとまた会えて。それだけで、なんかもう胸がいっぱいやわ。」
今までの人生で、こんなにも幸せを感じたことはなかった。一度失ったハルと、またこうして触れ合うことができる喜び。何度も唇を重ねてきたはずなのに、今は、一回一回のキスが愛おしくてたまらなかった。
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深夜0時を迎え、4月31日が終わりを告げると、ハルはうちに現れた時のように、ピカッと光って消えた。「またね!」と笑顔で言う様は、来年の4月31日にも再び会えるだろうという期待を持たせるには充分なものだった。そして事実、翌年も4月30日から日付が変わった瞬間に、ハルは俺の部屋にやってきた。
ハル曰く、俺と過ごす以外の時間は、ずっと眠っているのか起きているのかも分からないような感覚らしい。ただ、時間が経過していることだけはなんとなく分かるのだという。よくあるお話のように、生者である俺達の生活を見守ってなんかいない。ずいぶんと長い時間が経ったなと思った時に「4月31日だよ」と、どこかで誰かが呼んでいる気がして、パッと目が覚めたように俺の部屋へ移動しているそうだ。
にわかには信じられない話だが、俺はこの5年間、毎年奇跡を目の前にしている。昨年はホテルに宿泊し、俺の部屋以外でも、4月31日を作り出し、ハルと会えることを証明した。
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「お母さん達と、まだ会ってくれてんの?」
3杯目のワインを口にし、ハルは俺に問いかけた。
「普通にお会いしてるよ。俺が実家帰ってる時とかだけやけど。お元気そうやで。ミャーコも相変わらずやった。」
ミャーコとは、ハルが実家で可愛がっていた三毛猫の名前だ。俺は、はじめて4月31日を2人で過ごして以来、ちょこちょことハルの実家にも顔を出している。年に一度だけ、俺とだけ会えるハルに、ご両親や愛猫の近況を伝えてやりたいと思ったのだ。さすが面倒見のいいハルの両親というべきか、今では俺のことを息子のように可愛がってくれている。
俺は、プリントアウトしたハルの実家の写真をテーブルに並べた。
「お父さん、年とったなぁ…」
ワインで頬を染めたハルは、どこか寂しそうに呟く。
「あ、そういえば、あの後輩くんはどうなったん?チャラくて、問題児やって少し前に言ってた後輩くん!」
「ああ、村井?アイツは、口調が軽いのは相変わらずやけど、仕事は同期の中でも結構できる方にまで成長したな。今では後輩指導とかもやってるわ。」
「…そうなんや。みんな、どんどん変わっていくんやな。」
羨ましい、と最後にハルがポツリと呟いた気がしたが、俺はなんと答えていいか分からず、聞こえないふりをした。
その後もなかなかのペースでワインを飲み続け、酔っ払ったハルは急にベッドへダイブした。うつ伏せの状態で、スースーと寝息をたてている。俺もハルの隣に寝転がり、軽く仮眠をとった。2人並んで横になるだけで、とても満たされた気分だった。
2人とも目が覚めてからは、色々な話をした。最近のニュースや、流行りのお笑い芸人、自身の近況など、新しいトピックについては俺しか提供できなかったが、ハルは興味深そうに聞いていた。
思い出話にももちろん花が咲く。あの、ピンクの手帳の誤植事件は、思い出すだけで未だに笑いが止まらなかった。
「ヨコハマ、結局行けずに終わってしまったんよなぁ…」
ハルがしみじみと言う。
「一応、今いるここはヨコハマのホテルやで。」
「そうかもしれんけどー。外出られへんし、景色とかも見られへんなら、あんまり来た感じせぇへんやん。」
「…せやな。ごめん。」
「いや、トムさんは全く悪くないねん。
こっちこそごめん。ただ…」
ハルは、急に言葉を詰まらせた。
「そういえばさ、もう夜の7時やん?
お腹すいてきたし、そろそろルームサービスでも頼まへん?食べたいものなんでも頼んでいいで。」
俺は、なぜか急に嫌な予感がして、話をそらそうとしたが、ハルはごまかされなかった。
「…ありがとう。でもな、私ずっと言わなと思ってたことがあるねん。」
ハルは、今までに見たことがないような神妙な顔をしている。
「トムさん、4月31日は今年で終わりにしよう。」
耳を疑う言葉だった。
「は?なにいって…」
声が震えてうまく言葉にならない。
「ちゃうねん、トムさんは全く悪くないねん。……ただ、私が辛いだけやねん。」
ハルは今にも泣き出しそうな顔で続けた。
「トムさんは、ずっとこれからも歳をとっていくのに私は変わられへん。周りがどんどん結婚したりしていっても、トムさんはこのままやったらきっと私がおるからって、そういった選択をせぇへん。……私は、年に1回しか会われへん私がおるせいで、トムさんの人生を縛ってしまうのは嫌やねん。」
『春乃のことを大事に思ってくれるのは、ホンマにありがたいんやけど、誰か他にいい人がいたら、戸村くんはその人を選んでええんよ。』
ハルの実家で、ハルの母親に言われた言葉を思い出した。こんなところで、親子の血の繋がりを感じようとは。
「俺は、縛られるとか、そういうのではなくて、ホンマに自分の意志で、ハルのそばにおることを決めてるんやで。」
やっと出た言葉は、本心であったがあまりにも弱々しかった。
「うん、ホンマに。トムさんがそう思ってくれてることは分かってる。だからな、本当にこれは私のわがままやねん。私が勝手に辛いだけやねん。……………だから…………だから、ごめん!!」
ハルが、ザッと部屋のカーテンを開けた。
ヨコハマの夜景とライトアップされた観覧車の滲んだ光が、部屋を照らした。
『5 / 1
19:23』
観覧車の中心の文字盤には、日付と時刻が記されている。このことに気がついたから、俺はカーテンを閉めていたのだ。
その瞬間、ここは4月31日ではなくなった。
「トムさん。」
ハルは泣いていた。
「4月31日なんてね、なかったんよ。
…ホンマは、トムさんも知ってるやろ?」
『5/1 戸村 全休』
俺は、会社のホワイトボードに書いた文字を思い出す。
知っていた。
本当は、4月31日なんてないことを。
存在しない日が存在することを認めてでも、ハルをつなぎ止めておきたかった。
「夜景、めっちゃ綺麗やね。
トムさんと一緒に見れてよかった。」
ハルが胸に飛び込んできた。
俺の顔を見つめると、顔が夜景で淡く照らされる。
「ありがとう。」
そう呟くと、白く弾ける光の粒となって消えた。
俺は、その場に立ち尽くした。
————————————————————
ハルが消えた日から、数日が過ぎた。
「結局、戸村さん。こないだの5月1日は何をされてたんですか?」
相も変わらず口の軽い村井が、話しかけてくる。
「4月31日……
だったんや。」
村井は、この回答に不可解な顔をしていたが、流石にそれ以上は突っ込んでこなかった。
4月31日とハルを過去のものと捉えられるまでには、まだ時間はかかるだろう。
だが、ハルが望んだように生きられるように努力はしてみようと思う。
「おつかれ様です。」
会社を出ると、5月の風が俺の少し伸びた髪を揺らした。
4月31日の君と なーこ @nnnnnnn7
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