ベートンとミア
「先生先生、またとれちゃった」
「どぉれ、見せてご覧」
ベートンは少女に差し出された腕と、それがあったであろう肩を見た。糸が完全に千切れてしまっている。ベートンはミアの頭を撫でて、しわだらけの頬を持ち上げて笑う。
「大丈夫。すぐに治してあげよう」
ベートンは箱の中から糸と針を取り出し、針の穴に器用に糸を通した。そして、肩と腕を、綿が零れないように紡いでいく。ものの数十秒で、腕は綺麗に繋がった。
「アリガトウ先生!」
「どういたしまして」
ミアはくるりと向きを変え扉の方へ走っていく。しかし、
「ゲボ、ゲボ」
背後でベートンが咳き込む声が聞こえ、振り返った。すると、口を押さえていたその手には、赤黒い血がついていた。そして、ベートンは何度も咳き込み、白衣やズボン、床にまで血が飛び散り、遂にベートンは倒れてしまった。
「先生!」
ミアはベートンに駆け寄った。ベートンは血を吐きながらも、ミアに笑ってみせた。「大丈夫、大丈夫」と、肩を揺らし、浅く息をしながら呟く。ミアはどうしたらいいか分からず、ただベートンの手を握って、震えていた。泣きたくても、涙は出なかった。
「ミア…」
ベートンは掠れた声でミアを呼ぶ。ミアはベートンの口に耳を近づけた。
「私は、もうだめだ。時間が、来たのだ」
「だめだよ先生!先生が死んじゃったら、この町の人は、誰に治してもらうの?先生がいなきゃ、先生がいなきゃ…!」
ミアは歯を食いしばった。ベートンの手を握る手の力が強くなる。「ミア」ベートンはもう一度ミアを呼んだ。次は力の篭もった、重い声で。
「隣町に、人形職人がいる。彼は、人形を作り、治すこともできるそうだ。彼に、私の書いた本を、渡してくれ。彼なら、もしかすると、解明してくれるやもしれん。この町から広がりゆく、人形の脅威を…お前さんも、お前さんの両親も、この町の人も、みんな、元に戻るかもしれんのだ。頼まれてくれるか、ミア」
ミアは、唇を強く縛って、大きく頷いた。そして立ち上がり、机の上に乗っていた、分厚い本を何冊かとり、袋に入れた。重たい袋を肩にかけ、部屋の扉に手をかける。ミアがベートンの方を振り向くと、ベートンはいつもミアが帰る時のように、しわだらけの顔にさらにしわをつくるようにして笑い、手を振った。ミアは、ぎこちない笑顔を浮かべ、手を振って部屋を出た。
床に寝たままのベートンは、ミアが出ていった扉の方に目を向け、視界に入る赤黒い毛玉の数を数えた。
(もし、この奇病が解明され、皆が元に戻れば)
ベートンはゆっくりと首を動かし、壁に飾られた写真を見た。写真の中では、一人、女性が笑っている。目を瞑り、彼女が生きていた頃の姿と声を思い浮かべる。
(お前も報われるだろうになぁ)
(アリア…)
ミアは必死に歩いた。森に入り、至る所が切れ、赤い綿がポロポロと落ちていた。痛みはないが、少しずつ意識が遠のいていくのがわかる。袋の紐が肩にくいこみ、皮膚が裂けそうになる。それでも歩いた。ベートンとの約束を守るため。ベートンの願いを叶えるため。
ベートンが言っていた。自分のせいで、この病が生まれてしまったに違いない。だから、必ず私が解明しなくてはならない。と。人が人形になってしまう。そして、他の人からは忘れられる。ミアの町の人はみな人形になり、ほかの町の人々から忘れ去られてしまっているようだった。
ミアは希望を抱いていた。もしこの奇病が治れば、もう一度あの子に会えるかもしれない。思い出してもらえるかもしれない。二人だけの秘密を思い出して、会いに来てくれるかもしれない。あの日拾った、二匹の子犬を連れて…
雨はミアの身体に染み込んでいき、重くした。何度も水溜まりに足を取られ、転んだが、その度に立ち上がった。
町の灯りが見えたところで、意識が消えてしまった。それと同時に、誰かに抱えあげられる感覚がした。
トムと人形 月満輝 @mituki_moon
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