優しく頬笑む彼女に赤い口紅は似合わない。
タッチャン
優しく頬笑む彼女に赤い口紅は似合わない。
僕の初恋が訪れたのは小学3年生の春だった。
大抵の人はその年から異性を気にする様になると思う。幼稚園や保育園の頃から初恋をしたと言う人も中にはいたが。
僕らの場合、9才か10才くらいからあの女の子が可愛いなど、友達と話す機会が増えていった。
でも僕はその話しに付いていく事が出来なかった。
今思えばあの時から他人に合わせて作り笑いや、話を合わせる術が出来上がっていたのだろう。
僕が皆に引け目を感じていたのは、好きになったのはクラスで人気者の女の子ではなく、担任の先生だったから。
初めて会ったあの日、教壇で透き通る声を発して、
「私の事はノリコ先生って呼んでね!」
と、自己紹介されたあの日。月並みだが僕の心は弾む様に踊っていたのを18年たった今でも鮮明に覚えてる。
僕はその日からノリコ先生に夢中だった。
小学1年生の頃からサボり癖があった僕は、3年生と4年生を無遅刻無欠席で乗り切った程、ノリコ先生に心奪われていた。
4年生に進学する前日、先生は僕と目線を合わせて、来年もよろしくね!と言ってくれた。子供ながら4年生の担任はノリコ先生なんだと理解した。その報告が嬉しくて僕は勢いあまって先生にプロポーズした。
「僕が大人になったらノリコ先生をお嫁さんにします!」と。僕は本気だった。
綺麗で整った顔をくしゃくしゃにして笑顔で、
「たっちゃんが18才になったら先生は37才かー、
おばちゃんだけど貰ってくれるの?」
僕は「うん!先生の事が大好きだから!」と。
4年生が終わり、5年生に進学すると担任の先生が変わった。ノリコ先生は遠くに行ってしまった。
僕はまた学校をサボりだした。
その流れで中学校も行かず、世間でいう半グレ状態で過ごした。
煙草と酒と女と喧嘩。
それが僕の日常になって行った。
23才になるまで沢山の人を傷つけて、僕自身、沢山傷ついて生きてきた。身体的だけでは無く心も磨り減って行く感覚を長い年月をかけて味わった。
仕事をしても喧嘩をしても酒を浴びる様に飲んでも女を抱いても何をやっても満たされない毎日。
退屈な日常の中で唯一心が落ち着く瞬間は小説を読んでいる時だけだった。
ノリコ先生の影響で本を好きになり、それ以来小説を読み続けていた。
ボロい木造アパートのワンルームで、1人きりで、
Oヘンリやサキ、カポーティ、ブラッドベリ、ジャックリッチー、サリンジャー、フィツジェラルド、カミュ、ニーチェ、ドストエフスキー……
挙げ出したらきりがないが、彼らが僕の本当の友人であり、先生で、親でもあった。
そして、恋のキューピッドでもあった。
今から5年前、22才の誕生日に僕は風邪を引いた。
病院の待合室で僕は鞄の中に友人達を詰め込んでいて、その中から一冊読んで時間を潰していた。
「それって、カポーティのティファニーですか?」
僕の友人の名前を呼ぶ方に視線を向けると見知らぬ女性が座っていた。
そうですよ。と返すと、女性は早口でだがその熱意がはっきりと感じれる口調で僕の友人を褒め称えていた。僕は呆気にとられ女性を見つめる事しか出来なかった。
僕の間の抜けた顔を見て冷静さを取り戻し、女性は
ごめんなさいと謝り、急に静かになった。
その様子が楽しくて、僕はこの人と話してみたくなって、僕の方から軽い自己紹介をして女性の反応を待った。
彼女の名前を聞いた時、僕の心は弾む様に踊った。
彼女の名前はノリコといった。
直ぐに連絡先を交換して、それから殆ど毎日、彼女と会った。
僕は退屈を感じなかった。心が満たされる感覚を噛み締めていた。
運良く彼女とお付き合いする事も出来た。
僕の部屋へ招いた時、友人達を紹介すると彼女は顔を輝かせて、その中から一冊を読んでは感想を早口で語っていた。僕はその様子を見るのが好きだった。
だが幸せは長く続かない。
些細な事で喧嘩になりそのまま別れる事になった。
4ヵ月と短い交際期間だった。
僕は最近までこの事を忘れていた。
この前、偶然町で彼女を見かけた時、記憶が甦ったのだ。
僕が知らない男性と手を繋ぎ、優しく頬笑む彼女は別人の様であった。
この話を書き終えた時、僕の隣で優しく頬笑むのは昔から変わらない友人達だけだった。
優しく頬笑む彼女に赤い口紅は似合わない。 タッチャン @djp753
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