銀の剣王
蓬莱汐
プロローグ~黒き舞姫~
その日、春樹に飛び込んできたニュースは一風変わった、しかし、ありふれたものだった。
「昨夜未明、市立竜ヶ崎中学校グラウンドに未確認生物が現れました。黒に全身を包んだ生物を【純黒の舞姫】と命名し――」
リビングの扉を開けると、そんなニュースが流れていた。
薄い化粧をした女性アナウンサーが映ったテレビ画面をソファに座って凝視するのは、妹の
茶色がかった短髪が寝癖で跳ね上がっているあたり、どうやら起きたばかりらしい。普段なら寝惚けて、洗面台とトイレを間違えかねない奏が釘付けになるのも、ニュースの内容を見れば無理もなかった。
市立竜ヶ崎中学校は市内に数少ない近所の中学校。つまり、奏が現在進行形で通う学校なのだ。
麦茶をコップに注ぐ。
パタン、と冷蔵庫の扉を閉めると、奏が大きく反り返った。
「お兄ちゃん、おはよ」
「おはよう」
春樹は奏の二つ上の兄であり、竜ヶ崎中学校OBでもある。現在は駅五つほど離れた高校に通う高校生をしている。ちなみに彼女なし、学力なし、力なしの三重苦が揃った少し劣等生気味の少年でもある。
「あたし、今日はお休みだって」
「だろうな」
「どこか行く!?」
「アホか」
楽しそうにソファの上を跳ねた奏は、春樹の対応に口を尖らせる。
「じゃあ、あたしは何をして今日と云う日を潰せばいいのさ」
「運動でも勉強でも、することなら山ほどあるだろ」
「運動も勉強も体に悪いからパス。あたしはお兄ちゃんと遊びに行きたいの!」
とは言え、今日は月曜日。世間一般の学生は学校へ行かなければならない。
「奏たちは休みでも、俺たちは学校――」
「――また、【純黒の舞姫】出現の影響により、市内、隣接した市の学校はすべて休校。大人たちも警戒が必要とされます」
春樹の言葉を遮り、あまつさえ余計な補足をしたのはニュースの女性アナウンサーだ。
所謂、ジト目というやつでアナウンサーを見詰めながら麦茶を飲む春樹。テレビ画面と春樹の視線に割って入った奏が、鼻から息を吐き出す。
むふー、と大きめの息だ。
「さあ、お兄ちゃん。どこ行こっか?」
「……」
空になったコップを台に置き、春樹は自己流の凛々しい顔で、
「なあ、奏。学校が休みになったってことは、外は危ないんだ。家のリビングが安全地帯。セーフティスペースなんだよ。お兄ちゃんは奏に危ない真似をさせられない。よって、今日は家で凄そう」
「ふ~ん……」
奏はげんなりしたような瞳を春樹に向けていた。
その瞳の真意を訊きたくなったが、長年一緒にいる春樹には「こいつ、シスコン拗らせてるな……」と言っているように見えた。事実、そうだったのだろう。
「……まあ、お兄ちゃんがあたしの事大好きで、心配してくれるのは嬉しいんだけどさ」
「そういうのは照れながら言うことじゃないのか?」
「実の兄のシスコン発言に、どう照れればいいのさ」
反論の余地はなかった。
全く以ての正論だ。せいぜい、「うるせ」と短く呟くことしか出来なかった。
「でも、確かにお兄ちゃんがじ、純黒の……なんちゃらに出会ったら危険かもね~」
「兄の身を按じてくれるなら、家に居ようぜ……」
「大丈夫! あたしが一緒に行くんだから、そんな弱っちいお兄ちゃんも守ってあげる!」
何も大丈夫じゃない。妹に体を張って守ってもらう兄なんて、どこの世界に存在するのだろうか。
何より、そんなことをすれば妹至上主義の父と祖父に八つ裂きにされることは目に見えている。だが、奏はもう止まりそうにない。
自身の体と妹の娯楽。二つを天秤に掛けたとき、春樹の答えは迷う間もなく出てしまった。
「……じゃ、行くか」
春樹の答えは自分を捨てることだった。
仮に【純黒の舞姫】と遭遇したとして、奏が骨折以上の怪我をするとは思えない。春樹ならば致命傷を負いそうなものだが……現代の子ども、特に奏ならば心配もなかった。
唯一、危惧することがあるとすれば……それは、万が一のときに春樹が受ける父と祖父の怒りだけだ。
リビングに奏の姿はもうない。
一目散に部屋へ着替えに戻ったのだろう。天井からドタバタと慌ただしい音がしている。
もう一度コップに麦茶を注ぎ、一気に飲み干す。
春樹も着替えに戻ろうとして、リビングの扉に手を掛けたところで脳裏に新たな不安が浮かぶ。
「小遣い足りるかな……」
あまり高額な場所ではないように、と祈りつつ、春樹はリビングを後にした。
銀の剣王 蓬莱汐 @HOURAI28
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。銀の剣王の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます