う~ん。。。。
つまり、イエスの復活を認めちゃうと国や組織としてマズイことになるから
認めたくないってことですよね( ?・з・)
そんで、色んな国や組織の人達にとって都合の良い解釈で様々な決まり事を設けちゃったから、組織や立場によってはオッケーでも場合によってはダメってなっちゃうからパウロン自身も困ったことになっちゃってるんですよね( ?・з・)
最終的な目的は同じはずだけど、国と地域で様々な解釈の違いにより複数のコミュニティーに別れてしまって色んな軋轢が生じちゃっているのねぇ。。。
作者からの返信
おー、素晴らしい理解力ですね。
確かに。
よりこ様、すごい洞察力です。
今の時代も組織を守る為に、そういう事ありますもの。
戦争が無くならないのも、変なプライドのせいでしょうね。
たくさん、お読み下さりありがとうございます。(#^.^#)
ユダヤ教は復活自体は認めているけどイエスの復活は認めていない。
イエスの復活を認めているのがクリスチャン。
以上の認識でよろしいでしょうか?
罪状がないのは色々と困りますね。
ローマみたいな大きな帝国はそういう所はしっかりしてそうな感じがします。
作者からの返信
おっしゃる通りです。
波里様の読解力と、理解力、黙想、熟考に感謝しております。ペコリ
イエスの復活を認めると、イエスが神の子であるという事を認めた事になります。
その神の子を殺した……かなりの罪で、永遠の滅びになる事が恐ろしいのでしょう。
だから、ユダヤ教徒はクリスチャンになりません。ローマ支配者もイエス殺しに関わっているので、自分達の間違いを認めたくないと思います。
パウロはローマ市民なので、ローマで裁かれます。いつもありがとうございます。
ユダヤ教ではイエスの復活を認めないのですね。
「同じように信じる」とは、今も昔も本当に難しいことかもしれません。
信仰。身近なところに心の拠り所のない御方こそ強く持たざるをえないのでしょうか。心の杖としての信仰です。
そして私は天涯孤独ではないので、強い信仰を持てないと思うのです。
ハナスさまも、きっと今、お幸せだから「皆無」と思われるのかもしれませんね。
作者からの返信
ひいな様 コメントありがとうございます。
パウロのように直接的な証拠を目の当たりに出来たらいいなと思います。
聖書の神が「創造者」という事は受けいられるんですが。笑
信仰が心の拠り所となればいいなと思います。杖という表現いいですね。
手話では「綱を握る」仕草で表しますが、それでは危ういですもの。
私も杖にしたいと思います。(*´∇`*)
いつもありがとうございます。ペコリ