第168話 マタイ 山上の垂訓 1

 マタイによる書の五章から七章には、山上さんじょう垂訓すいくんの記述があります。


「求めよ!さらば与えられん」「明日の事を思い煩うな!」「豚に真珠」など聞いた事があると思います。これはイエスが語った言葉なんですね。


 山上の垂訓は話せば二十分位です。イエスの宣教期間三年半のうちの、二十分の話がこんなにも有名で影響力があるとはイエスもビックリ‼


「この山上の垂訓の教えについて意見の一致をみるならば、二国の問題も全世界の問題も解決する」――インドのガンジーが、駐在するイギリス総督に述べた言葉です。はい。有名。


 イエスはガリラヤの山の中腹、ガリラヤ湖の西の小高い丘で、ユダヤ人の群衆の前で話されました。特等席には弟子がイエスの回りに腰を下ろし、話に耳を傾けます。


 マタイもしっかり記憶に焼き付けた事でしょう。


 まず、本当の幸福な人はどんな人か述べます。「九つの幸い」とも呼ばれます。

「心の貧しい人は幸いです。天の王国はその人たちのものだからです」

 貧しいとは、虚しい感じですね。「何の為に生きているんだろう?人生の意味は?」こんな疑問を持ち、その答えを知りたいと渇望する心の事です。

「嘆き悲しむ人たちは幸いです。その人たちは慰められるからです」世の中の不幸や、自分が罪人だと自覚して悲しむ人たちの事です。


 そのあとは、温和な気質の人、義に飢え渇いている人、憐れみ深い人、心の純粋な人、平和を求める人、義の為に迫害されている人たちも幸いだと言われました。

 

 イエスの話を聞きに来たユダヤ人は、まさに宗教指導者から真理を教えてもらえず、霊的な赤子として飢え渇いていました。羊飼いのいない羊のように、本当の神を探してさ迷っていたのです。


「迷える子羊よ!私の所に来なさい!」って事ですね。イエスの教えを喜んで聞いたでしょう!


 そして、イエスから学んだなら、弟子として地の塩となり、宗教的腐敗を防ぎなさいと言われました。また世の光として自分を輝かせ、立派な行動を見た人々が、神に栄光を帰すようにしなさいとも言われました。


 立派な行動って何となりますね。例えば、他の人に憤りを抱き続けるのは危険だから、許しなさいという事です。殺人につながりかねないのです。また、高い道徳基準を持つ事も教えられました。女性を見続けてはいけないのです。心の中でエッチした事になるからです。厳しい!現代、ポルノ見てもいけません!エッチです。


 そして、暴言吐かれたり、文字通りの暴力を振るわれたらどうするか?については、

「邪悪な人と争ってはなりません!右の頬を平手打ちするものには、もう一方の頬も向けなさい」


 これは変なplayではなく、仕返しをしてはなりませんという事ですね。キリストの精神の要です。

 そして、自分の隣人だけでなく、敵をも愛しなさい!という重要なおきてを与えます。


 神様は、義人にも不義な人にも公平に、太陽を昇らせ、雨を与えるので、イエスの弟子になりたいならば、神様と同じ憐れみと寛大さを身に付けなさいという事ですね。


「無理っす!私は嫌いな人も愛する自信がありません。右の頬を平手打ちされたら、胸ぐら掴みかかりに行きます!」という方は、聞き流して下さい。はい。了解しました。


 けれど、このイエスの教えを守った当時のユダヤ人と、日々鍛練しているクリスチャンは立派ですね。


 キリストの精神態度には倣いたいと思います。

 

 次の章でも、マタイはイエスの教えを上手くまとめ、私たちに教えてくれます。

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