泣けちゃいますね、ここ。ぺテロ、自分を責めたでしょうね。自分の弱さを認めざるを得なかったでしょうね。
イエスの教えは厳しいです。右の頬を打たれたら...、とか、77回許す、とか。そんな境地にどうすればなれるんでしょう。
作者からの返信
ペテロだから苦しんだと思います。
根が悪の塊なら嘘を付き通して、イエスのが処刑される事を傍観出来たかもしれません。
イエスはペテロの弱さを全て知っていて、否認すると前もって言われたのでしょう。
後悔して泣いたペテロ、もらい泣きしますよね。
神さまを信じない人にとったら、仕返しは悪ではありませんが、信じる人にとったら、左の頬を向け、77回許せるのでしょう。自分と神との関係が一番だからです。
人を許さないと、自分も神に許されない……この考え方ってキリスト教の根本なんですね。
コメントありがとうございます。ペコリ^o^
キリスト教の「人を許さないと、自分も神に許されない」という教えと、旧約聖書で出てくる神さまの怒りが、同じものとは思えなくて…。それから、動物の生贄も新約ではなくなるとか。でも、イスラム教では続いているようだし。
キリスト教をよく理解していない私としては、混乱するところです。
それと、「イエスはというと、神を冒涜したとされ、顔に唾をかけられ、こぶしで殴られていた」での、イエスが冒涜したという神さまは、キリスト教の神様、それとも他宗教の神様?
ごめんなさい、よくわからなくて。
作者からの返信
奈衣さん、ほんと、混乱しますよね。
まずキリスト教の三位一体教理はご存知ですか? キリスト、聖霊、神の三位一体です。
キリストは神の子である。当時の宗教指導者はその事を信じませんでした。
イエスが「神の子」と御自分で言ったので、その事を許せず冒涜の罪で十字架にかけて殺すのです。ですから、イエスが冒涜した神と、キリスト教の神は同じです。
もっと詳しく言うと、イスラエル、イスラムの神はイエスが父と呼んだ神様と同じです。
人間アダムを創造し、アブラハム、ノアに方舟を作るよう命じた神様です。
どうしてイエスがそこまで憎まれ、殺されたか、三位一体という教理になったか「パウロ編」で書いていますので、お時間あれば先にそちらをお読みくださいませ。
奈衣さん、この頃なんかバタバタしていて楽しみな英卓さんand白麗ちゃんが読めなくて……ぴえんです(;o;)
奈衣さんは御自分の作品を紹介される事に抵抗があるタイプですか?
突然すいません。また教えてくださいませ。