一度、野心をいだいてしまうと、子供のように謙遜になるよう努力しても叶わないのかもしれませんね。
「寛大な魂」も「謙遜(謙虚であること)」も、ハナスさまと私の縁を繋いでくださった御方が真に備えておられた徳性のように思います。おそらく受けた愛以上のものを返せる御方でした。尊いです。自己犠牲になりかねない尊さで怖いほど。アドラー心理学では「他者の期待を満たすな」と言いますね。「寛大」とは正反対の「狭量」を持つぐらいで丁度、良いのかしら?などと考えても仕方ないので、あまり考えず自然体で楽しもうと思います❤長々ゴメンナサイm(__)m
作者からの返信
そうですね、自然体が一番ですね。
アドラー心理学……現代人はこちらを当てはめた方が人間関係上手くいくかもしれません。
確かに。あんなに丁寧で、優しくて、心温まる言葉をみんなにかけていて……謙遜で思いやりのある子でした。(*´-`) ( ; ; )
イエスのように、表面だけでなくその人の本質を見抜けるならば、みんなを大切に出来るのかなって思います。
さすがイエス様。隠れキリシタンになってまで、守りたい宗教である理由がわかった気がします(*´-`)←「沈黙」を見た。
編集済
ペテロ、ハナスさまの手にかかると人間くさくて魅力的です。「一番偉い人は奉仕者であり、皆の奴隷である」昔、母親ってこういう存在だった時代がありますよね。嫁姑で苦労していたり。
私、両親が忙しくて小さな頃から文学に育てられた面があり、実は↑こういう価値観持っています。ただ、実践しようとすると他人に寄りかかられすぎて疲弊してしまう事があるので、難しいのですよね。かと言ってgive&takeを意識し過ぎると、純粋に「奉仕する喜び」を感じられない。今は、子供(自分の子だけでなく)や本当に困っている人だけに奉仕するようにしています。家庭があるのでなかなかできませんが💦
聖書って文学みたいに異常なまでの心の綺麗さと汚さ(弱さ)の両面が描かれているのが素敵ですね。
作者からの返信
葵様。
ペテロ編もお越し頂きありがとうございます。
仰る通りですね。家の中では母親が奉仕者ですね。三従の教えって昭和では言っていた記憶があります。子供の頃は父親、結婚したら、夫。そして年老いたら息子に従うと。
それは美徳であると押し付けられてきたこともあるけど、どこか歪みが生じますね。
奉仕は喜びが伴わないといけないって思います。疲弊したら幸せになれないですものね。
搾取されずに、愛する存在にだけ自分を心から与えられたら嬉しいですね。
聖書は奥が深いです♪
心を安定させることも、自己吟味も出来ます。
やはりベストセラーだわって思います。
コメントありがとうございます♪