第29話 ぺテロ 疑いに負ける
ぺテロはイエスの宣教活動に同行し、数多くの奇跡を目の当たりにしてきた。病気を癒す奇跡。死んだ人を生き返らせる奇跡などなど。
ある時、わずかなパンと魚を五千人に食べさせるという奇跡を見た。やはりイエスは神の子に違いないと確信しただろう。「この人と一緒にいたら食いっぱっくれない」(聖子ちゃんと結婚した神田正○の動機とは違うのである)
その日の夜、 ぺテロと他の弟子たちは、祈りのため山に行ったイエスを迎えに行く。対岸から舟を出す。ガリラヤの海は荒れ狂っていた。 風嵐の中、ぺテロは舟を漕ぐ。力一杯漕ぐ。けれど、波しぶきに負けて進まない。筋肉痛覚悟でパワー全開。数キロしか進まない。
何か波の向こうに動いている。月明かりに照らされるイエスキリストだ。(あの有名な水の上を歩く奇跡 ) イエスは水面を歩いて舟に近づき弟子たちパニック。幻ですか?違います。
「勇気を出しなさい。私です。恐れることはありません」とイエスは弟子たちを安心させる。
舟漕いで来た意味?そのまま帰って頂けますか?久しぶりの筋肉痛は嫌。ぺテロはそんな事は言いません。
「主よ、あなたでしたら、水の上を歩いてみもとに来るよう私にお命じ下さい」とお願いしてしまうのである。ぺテロ、好奇心旺盛。
自分も水面歩きたいのですね?分かるよ。すごく分かる。アパートのペンキ塗り替えで足場組まれると、夜中に歩きたい衝動に駆られるもの私。
イエスは「来なさい!」とぺテロを招く。ぺテロは舟べりを乗り越えて、足を水面におく。
地面を歩くように水面に立ち、一歩進む。……二歩進む。驚嘆したでしょう。波しぶきをあげる冷たい水面を歩いちゃう。奇跡です。イエスを一心に見つめ前に進むぺテロ。
ぺテロは必ずイエスなら自分を歩かせて下さるという強い信仰のもとお願いしました。イエスもぺテロの信仰に答えました。
しかし、ぺテロはイエスではなく、舟を見てしまった。風あらしの音。波が舟に当たる。波しぶきをあげる。パニックです。泳ぎの得意なぺテロでも体が沈み始めるとパニック。“岩”と名付けられたのはこのため? ははっ。
「主よ、お救いください!」とぺテロは叫び、死にたかねぇのはお互い様とイエスは沈む体を引き上げる。イエスはしっかりと水面に立つぺテロを戒めます。
「信仰の少ない人よ、なぜ疑いに負けたのですか」と。恐れに負けて信仰が弱くなった瞬間をイエスは見逃さなかった。
そもそも信仰って何でしょう。弱くなったり、強くなったりするもの?
「信仰とは望んでいる事柄に対する保証された期待であり、見えない実体についての明白な論証である」ヘブライ11:1 信仰の定義です。
まぁ盲信の真逆。当たるか当たらないか分からない馬券や宝くじではなく、不動産の権利証書みたいなものでしょうか。
生まれつき持っているものでもなく、自然に培われるものでもない。納得する証拠ありき。
種蒔けば実がなり収穫できる。気象情報を信じて傘を持つ。これも一種の信仰らしい。望んでいる事柄に対する保証された期待だからだ。
見えない実体についての明白な論証?これは人それぞれ?神や幽霊、死後の世界、宇宙人、未確認飛行物体などなど。何を信じているかは知識も考え方も違うから……人それぞれ。
信仰心は人間の奥の大切な部分、もしかしたら一番触れられたくない大事なものなので、押し付けたり、覆してはいけない気がする。「家は仏教です」の日本人も深く話を聞くと、信仰ない人もいるかも。宗教戦争の根底は信仰が違うからでしょうか?
ぺテロはイエスとイエスを遣わした神様に信仰があったので、一瞬、その力を疑い負けた。
しかしこの経験から「確かにあなたは神の子です」と言明する。ぺテロよ、岩になれ!
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