1章1節 ハトとカラスが出会う朝に 1
「なにそれ、じゃあその男の子、ホントに鴉みたいに飛び回るわけ?」
人々の熱気で蒸される電車内、白野・鳩音は眉を寄せながら友人達に訊ねた。
「いやーまさか!まあ、近いっちゃ近いんだけど、なんて言うのかなあ、アレ。…そう、パルクールってやつ。あんな感じに街の中の色々なものを使ってそこら中を走り回れるんだって!すごいよねー」
吊り革を両手で掴んだ友人の一人が、大きく首を振りながら笑って言葉を返す。
「クロキくんて言うんだっけ。ちょっとだけイケメンらしいよ?」
「なんだよちょっとだけって。ってか誰情報?」
「情報元解んないけど、あたしは奈菜から聞いたー」
続けて口々に噂の少年について口にする友人達を横目に、鳩音はすぐに興味を失って車窓から線路下に広がる街を見下ろす。
友人達は、ひとつ前の駅からとある少年の話で盛り上がっていた。鳩音が通う織部野女子高等学校の向かいには、間を流れる一級河川・互増(ごます)川…そこから枝分かれし支流となる琴周(ことす)川を挟んだ位置に、やや年季の入った男子校が建っている。彼女らの話によると、なんでも、荒良手高等学校という名をもつその高校に、軽業師のような特技を持った不思議な男子がいるそうだ。
仲間内からは本名を文字って、「レーブン」とか呼ばれているらしい。語源のレイヴンは、たしか、アラスカに生息するワタリガラスのことだった気がする。
その名を聞いた時、鳩音はやや本能的に拒否反応を示した。
『自分の名前である「鳩」にとって天敵となる「鴉」を意味する名前だから』という理由ではない。なんというか、普通にダサいと思ったのだ。
「男子って、そういう子供っぽいの好きだよね。見栄を張りたくて、カッコつけてるのかな」
訳あって男子という生き物が苦手な鳩音は、反射的にそうとげとげしく返してしまった。しかし周りの女の子達はいつもの反応だと気に留める様子もなく、噂を続行したのだった。
あだ名はともかく、概ね鳩音の友人達には、彼の行動は好意的に受け取られていた。どうやら、関わった者には老若男女問わず誰にでも気さくに声を掛けたり手助けしてくれるので、この地域の高校生を中心に徐々に知名度と人気が高まっているという。
「奈菜の彼氏も向こうに通っててさ、最初は気に食わないと思ってたらしいんだけど、携帯失くした時に一緒に夜まで探してくれて、相談にも乗ってくれたんだって。ヤバくない?めっちゃいい人じゃん、クロキくん」
窓の外を眺める鳩音をよそに続く会話の中で、獅御(れみ)という名の女子がケタケタおかしそうに笑った。
「1度は会ってみたいねえ!うちらと同い年らしいし、去年も響学文化祭で会ってるはずなんだけどなあ。あたし委員会の仕事で忙しかったから、自由に動き回れなかったのが悔やまれるわ」
鳩音が通う女子校と、件のクロキくんが通う男子校は、運営側の方針で将来的に共学として合併することが考えられている。その為、数年前から実験的に両学校の生徒が協力して行う活動の一環として、両校共に文化祭を開催する行事『響学祭』を開いていた。
要は、学校側の関係者たちが地域から理解を得るための体裁作りだ。会場は1年ごとにそれぞれの学校を交互に移るのだが、去年自分たちが1年生の頃は織部野女子が会場となっていたし、鳩音も参加していた…というか強制参加させられていたので、噂の本人を見かけている可能性はある。
「(本当にそんな変なやつだったら見ればわかると思うけど、私もその頃忙しかったし。まあ、男子なんてどれも一緒だから、どうでもいいか)」
一瞬だけ意識を友人達に戻しかけ、またふいっと外に向けて、鳩音は早く目的の駅に着かないかな、とため息をついた。
先にドア前に立った煙草の匂いを漂わせた中年男性が、えっちらおっちら車内から降りるのを待ってから、鳩音と獅御達は同じ出口から下車し、改札へ向かった。
高校の最寄、荒良手山駅の改札口は今日も通勤・通学者で溢れかえっている。広大な故郷・織部山市の中でも荒手山区は昼間の人口が特に集中する地域で、会社や工場、学校も多く建てられているから、これは仕方がないことだった。
携帯を片手にもぞもぞと、街中に移動していく人波をかき分けながら、なんとか自動改札機を抜けると、駅舎内でも目立つ時計付きの柱の前に集合する。
獅御がハンカチで額を拭いながら、後から追いついた鳩音を振り返った。
「あっちーね!もう5月終わりだし仕方ないけどさぁ、喉渇いちゃった。行く前に自販機ンとこ寄ってかない?」
タクシー乗り場付近に2台並んだ自動販売機を指さす。
「良いよ」
頷いた直後、鳩音はあるものに目が留まった。
改札から少し離れた売店の手前に、見たところ5歳くらいの女の子がうずくまっている。どうやら泣き出しそうになるのを、ぐっとこらえているらしかった。
顔を林檎のように真っ赤にしながら、涙が滲んだ目をコンクリートの床に向けている。
「獅御、ごめん。ちょっと先に行ってて」
「うん?」
女の子から目を離さず、横の獅御に声を掛ける。獅御も鳩音の視線を追うが、一目見て理解したらしく、「あいよ」と軽く返事をしてにかっと笑うと、他の友人達を促して駅舎から出て行った。
「君、どうしたの?誰かとはぐれちゃったの?」
改札前から人々の姿が殆どなくなった中、女の子のところに辿り着いた鳩音がそう訊ねると、女の子は俯いたままコクンと首を振った。ちいさな声で「お母さんと」と答える。
腰をかがめて目線の高さを近付けつつ、鳩音は母親が身に着けている物など、特徴について訊いた。青っぽい服装で、白い鞄を持っていたという。
改札でこちらに視線を向けた駅員に目配せして、やって来た何人かに事情を話すと、女の子の手を優しく握りながら声を再び掛ける。
「少し一緒に待ってようか。君のお母さん、もうじき君を探して来るかも知れないから。」
しばらくそうしていると、駅の外から青い服を着た女性が走って来た。
「ああ!すみません!ありがとうございますー!」
「お母さんどこ行ってたのー」
「紫歩!それこっちの台詞だよ…駅の中で手を放しちゃダメだよって言ってたのに。でも良かった良かった。お姉ちゃん達が見ててくれたんだね」
こらえきれなかったのか、とうとう泣き出してしまった女の子に、母親は苦笑交じりに安堵した表情で立ち上がるように促した。それから、少し恥ずかしそうに鳩音と駅員達に礼を言った。
途中で小走りしていた中学生に軽くぶつかられながらも、鳩音は友人達が待っていた通学路沿いの公園に辿り着いた。
「待ってなくても良かったのに」と言いたいところだが、何気にこの友人連中は義理堅い。だから「遅かったじゃん」と獅御が言ってきた時、「あの子の親が別の場所を探してたみたいで」と返した。
「待っててくれてありがとね。行こう」
声を掛けて先に歩き出す。と、後ろから早歩きしてきた獅御が返事をしながら脇を小突いてきた。
「りょーかい。でもさぁ、鳩音。なんて言うか、あれだねえ」
「なに?」
「鳩音は、相手が男の子だから興味無さそうな感じで聞いてたけどさ、さっきうちらが話してた噂のクロキくんにちょっと似てるねえ」
露骨に眉根を寄せ、鬱陶しそうに手を振る。
「ええ、やだ。やめてよ。どこが似てるの」
獅御は顎を指でかきながら、鳩音の顔を覗き込んだ。
「人助けしてる様子」
「はあ?」
「多分、彼も噂通りなら、困ってる人はほっとかないタイプだと思うよ~。いやー共通点共通点!こりゃ、会ってみたら意外と気が合っちゃったりなんかしたりしてねー!」
勝手に面白がって、鳩音が追いかけもしないうちから、まるでいたずらっ子の少年のように走って逃げていく。
親友の幼稚さに追いかける気も失せため息をつきながら学生鞄を掛け直すと、周りでくすくす笑っている他の仲間をどやし立てた。
そうして再び学校に向けて歩き始めた時、突然鳩音は大きな、鳥の羽ばたきの音を耳にした。
「おーい!そこの綺麗な髪の人ー!落し物だよ」
鴉の鳴き声のように、けたたましくて、元気の良いよく通る声がした。その言葉は、羽ばたきの音の直後、声の主と共に降ってきた。鳩音の目の前だった。
「……」
鳩音は今まで一度も表にしたことが無いほどの驚きを顔に出した。とっさの事に反応し切れず、眼前に立った人影をまじまじと見つめる。
目尻がやや下がった大きくて赤みがかった目、鮮やかな臙脂色の髪、背丈は鳩音より頭半分高い少年だった。顔立ちと彼が着ている学生服から、彼が荒良手高校の生徒だと解る。
数秒の間にそこまで確認した時、無意識に口から名前が溢れた。
「…クロキ…?」
特に考えもなく放った言葉に、言ってから自分で首を傾げそうになる。「なんで?こいつがさっきの噂の人かどうかまだ解らないのに」と。
しかしまだ面識が無かったはずの彼は、嬉しそうな笑顔で返事をした。
「おお!俺の名前知ってくれてんだ。いやー嬉しいなあ。あ、こういう場合って、謙虚に恥じらった方が良いのかな?…うーん、まあ良いや。初めまして。黒木・鈴文(すずふみ)だよ!どもー」
名乗りつつ、彼は手に持っていた名刺に似た革製の小物を鳩音に差し出した。条件反射でそれを受け取って見ると、鳩音自身の定期入れだった。
「白野・鳩音さん?で合ってるかな?さっき、遠くの方から女の子を親御さんのところまで連れてってあげてるのを見かけてさ。そのあと、中学生の子とぶつかった時に落としたのが見えたもんで、届けに来たんだ!」
ペラペラとよく話す鈴文と名乗った少年は、そう語った。
「あ、ああ。どうも…」
その楽しげな、一種の迫力のようなものに気圧されて、鳩音は普段とは打って変わって歯切れの悪い返事をしてしまう。
けれど相手の少年は気にする様子も無く、
「白野さんって、良い人なんだね。俺も見習わなきゃ。あ、俺今日は職員室寄ってから教室行かなきゃだから、もうこれで行くよ。定期入れ、落とさないように気をつけてね!じゃ」
と、それだけ言い残して走り去って行く。
途中「近道してこう」と呟いて、彼は歩道に沿って続くフェンスを乗り越え、その向こうの駐輪所の屋根上へと消え鳩音の視界からいなくなった。
ただ落し物を本人に手渡すだけなのに、やたら大仰な登場退場をして行った少年に対して、鳩音がようやく出せた第一の感想は「何だったの、あいつ…」だけだった。
カラス×バト イルD @eyldy707
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