女同士が当たり前のこの世界で、私は男と付き合っていた。

煉樹

女同士が当たり前のこの世界で、私は男と付き合っていた。


「なぁ美晴……もうやめようぜ、こんなこと」


 それは、いつも通りの放課後。帰宅する、道すがら。

 彼は、唐突に繰り出した。


「……え?」

「……だから、やめようって言ったんだよ。——この、関係を」


 夕日が、眩しく差し込む住宅街。

 その予期していなかった言葉に、私は動揺を隠せなかった。


「……私、何か、した?」


 だから、理由を訪ねた。

 ……理由があれば、まだ救われたのかもしれない。


「……別に、大した理由じゃない。お前はいいやつだと思ってるよ。…………でも、結局遊びじゃねーか。男女で、なんて」


 わからなかった。

 いいやつだったなら、どうして別れないといけないの?

 なんで?


 ……私は確かに、あんただから付き合っていたはずなのに。


 ——そうだっていうのに。

 彼はそれを、遊びだと言った。


 ————あぁ……。

 だったら、確かに私たちは、付き合うべきではなかったのかもしれない。


「…………そうね。そう、かも、しれない」


 だから私はただ力なく、そう、答えた。


——————


 初恋は、レモンの味だという。

 ……だったら、失恋は、なんの味なのだろう。


「はぁあ……」


 ため息は、青空に上って消えていく。


 振られた翌日。

 私は授業をサボって学校の屋上にいた。


「味、しないな……」


 パックのコーヒー牛乳を一口すすったけれど、その味はわからなかった。


 ——この世の中では、男女で恋愛するなんて、やっぱりおかしいのだろうか。


 そんなことを、考える。


 女の子は、女の子と付き合うし、男の子は、男の子と付き合う。

 それが、この社会の当たり前だ。


 ……けれど、私にはその感覚が、わからなかった。


 昨日振られた彼は、私の幼馴染だ。

 彼にだけ、このことを打ち明けたことがある。

 ……その時、彼は私の話を親身に聞いてくれて。


 ——だから、思ってしまったのかもしれない。

 彼は、きっと特別だと。

 この世界で、私を許容してくれる、存在だと。


「……結局、そんなことなかったんだけど」


 憎いぐらいの青空が眩しくて、顔をしかめる。


 ——ガシャン


 背後のフェンスにもたれかかっても、心の重さは全く消えない。

 太陽に向かって伸ばした手は、どこにも届かない。


 ——……。


 聞こえるのは、遠くから響く、体育のホイッスルだけ。

 この屋上には、ただ、虚無だけが流れている。


 ——キィィ……。

 そんな静寂を破ったのは、ドアの軋む金属音だった。


(誰か来た!?)


 屋上は本来、使用禁止だ。

 こんな心持ちとはいえ……いや、こんな今だからこそ、面倒ごとは避けたかった。


 けれど、生憎この屋上に障害物となるようなものは一切置かれていない。

 立ち上がった私を隠してくれるものは、何もなかった。


「……ねぇ、あなた。屋上は、使用禁止よ」


 斯くして、屋上に入って来た人物と私の目が合う。

 ……そして、それは私も知る、有名人物だった。


「それに、今は授業中なのに……あなた、悪い子なのね」

「生徒会長……」


 確か、名前は、佐城可憐……。


「——……でも、それはあなたもじゃない。……可憐さん」

「……まぁ、ね。だから、おあいこよ」


 そういって、彼女は肩をすくめる。

 ……向こうも、殊更に私のことを弾劾するつもりはないらしい。


 ……しかし、意外だった。

 生徒会長からは、よい噂しか聞かないから。

 私みたいな、教育の正道から外れてしまった生徒みたいなことをするとは、思っていなかったのだ。


「……それより、私の名前、知ってるのね」

「……まぁ、一応。生徒会長だし」

「で、そう言うあなたは確か、男の子と付き合っていた方、かしら?」

「……昨日、振られたけどね」

「へぇ……そう」


 それだけ喋って、お互いの間に、気まずい空気が流れる。


 ……もう少し屋上にいるつもりだったけれど、このままいる気分ではなくなってしまった。もう、帰ろうか。

 そう思って、口を開く。


「私ーー」

「ねぇ」


 お互いの声は、同時だった。

 この場から去ることを告げようとしていた私は、ジェスチャーで先に話すよう促す。


「……男の人と付き合うって、どうなの?」


 ……そういう、話か。

 飽きるほど、ではなかったけれど、それでも、何度も聞かれた話。

 ……でも、初対面の人に話す義理なんて、ない。


「……もう、別れたわよ」

「じゃあ、感想でいいわ」

「…………別に、普通よ」


 はぐらかしたかったのもあるけれど。

 それもまた間違いなく、私の偽りない感想だった。


「へぇ……普通、ね…………」


 何か含むようにそう言って、彼女はさらに尋ねてくる。


「男女で普通……って、どんな感じなの?」

「だから普通……」

「ねぇだから——」

「————もう、いい加減にしてよ……っ!」


 こちらがはぐらかそうとしているのに、それをいちいち聞いてくる彼女のことが、鬱陶しくなって。

 ……気づいたら、怒鳴っていた。


「男だ女だ! 関係ないでしょ! 私が付き合ってたのは、勝よ!」


 ガシャン!

 感情に任せて、フェンスを激しく叩く。


 ——やってしまった。

 この事になると、私は途端に短期になる。

 ……だって、だれも私のことを理解してくれない。

 …………だれも、私の手を取ってなど、くれないから。


 恐る恐る可憐の方を見てみると、彼女は驚いたような顔をしていた。


「…………ごめんなさい。私が、悪かったわ」


 そこは素直に謝るのか。

 少し、意外だった。


「男でも女でもない、ね……」

「……なに、よ……」


 独り言のように漏らされた、それ。

 ……まだ何か、あるというのだろうか。

 そう思って身構えた、私とは裏腹に、彼女は一人で虚空に向かって、大きく何度も頷いている。


「……あなた、やっぱり面白いわ」


 そして、そんな言葉を言って、彼女はこちらに振り向く。

 

 さらに、なにが言いたいのか、と訝る私に向かって、大きく一歩、距離を詰めた。

 ……息がかかるほどの距離に。


「……そういえば、名前、何て言うの?」


 ゴクリ……。

 唾を、飲む。


「……美晴よ」


 そう言って答えた私に、彼女はさらに顔を近づけて。

 そして、その唇に、キスをした。


「ねぇ美晴……私に、恋愛を教えてくれない?」


 それは、本当に突然で。

 避けようのなかった私の頭は、言葉にならない何かで埋め尽くされて。


 ……ただ、そんな頭の片隅で考えていたのは、本当にどうしようもないことだった。


 始めてのキスはレモンの味だというけれど、だったらこれはなんなのだろう。

 ……そんなことを、考えていた。


 彼女の唇は、夏だというのに熱く感じるほどで。唇が、熱くて、仕方なかった。

 ——彼女の唇は、その力強い印象とは反して、甘い、イチゴの味がした……。


————————


 ……昨日のは、なんだったのだろう。


 翌日。

 私はまた屋上で悶々としていた。


 ——ねぇ美晴……私に、恋愛を教えてくれない?


 昨日の、可憐の言葉が、また脳裏にフラッシュバックする。


 ——……。


「……あぁっ! もう!」


 やりきれない気持ちを言葉にして吐き出して、頭を掻く。


 ……あの後、可憐は「じゃあ、私そろそろ行かないと。……またね」とだけ言い残して、ヒラヒラと手を振りながら立ち去ってしまった。

 私は、唇に手を当てて、ただ、ボーっとすることしかできなかった。


(……一体、どう言うつもりなんだろう)


 頭に浮かぶ度に考えてみるけれど、その答えは出なかった。

 ……可憐は、きっと私みたいな人間が教えなくても、モテる、と思う。


 じゃあ、どうして……。


 ……。


 結局、考えても答えらしい答えなんて出てこなかった。

(考えても、無駄だ……)

そう思って、脱力する。


(聞きに行って、みようかな……)


 なんで、言われたこちらが聞かないといけないのか。

 そんな気持ちもあったけれど、このままモヤモヤしているのはもっと嫌だった。

 ……それに、じっとしていても、……失恋を、思い出すだけだ。


 そう思って立ち上がる。

 目的地は、生徒会長室。

 ……さっき終業のチャイムが鳴っていたから、もうきっと放課後のはずだ。


 ……今日も結局、全部サボっちゃったな。

 そんなことを考えながら、屋上を出た。


——————————


 コンコン、と、生徒会長室の扉を叩く。

 けれど、残念ながら中からの返事はない。


 ……無駄足だったかな。


 そう思って、立ち去ろうとした私の耳に聞こえてきたのは、微かな物音だった。


「………ちょ………り……んな」

「ご………も………………い…」


 人の声、に聞こえる。

 ……中に、誰かいるのだろうか。

 そう思って、扉に耳を近づける。


(あれ……? これ、開いてる……?)


 そうやって近づいてみると、扉はどうやら開いていたらしい。


 ……。


 さっき返事がなかったのが、少し気になったけれど、中にいるのなら。

 そう思って、扉を開けた。


 ……そうやって言い訳しているけれど、本当はなんとなくわかっていたのかもしれない。

 ……部屋の中で、ただの会話をしていたのではないということに。


「失礼しま――」


 声と共に開けた扉の先。

 そこには、二人の人間がいた。


 一人は、探していた、生徒会長・佐城可憐。

 そして、もう一人は、知らない女の子だった。


 けれど、誰がいるのかは大した問題ではなかった。

 ……最も、私の目に焼きついたのは、その二人の姿勢だった。


 可憐が、相手の女の子の肩をつかんでいる。

 ……まるで、押し倒している、ように見えた。


 さらに、目をこらすと、女の子の服は肩の部分がはだけている。


「あ……」


 ……私の声、だったのだろうか。

 わからない。

 女の子の声だったかもしれない。


 ……とにかく、その瞬間、三人の時間が止まった。


「——……お邪魔しました」


 かろうじて、それだけ言って、部屋から出た。


 バタン!


 ずいぶんと大きな音を立てて、扉が閉まった気がした。そして、その音に私自身が驚く。

 ……そんなに、強く閉めたつもりなんてなかったのに。


 けれど、そんなことを気にしている頭とは裏腹に、体は走り出していた。


 ……目的地なんて、わからない。

 とにかく、この場所から離れたい。

 そんな気持ちがだったのかもしれない。


 ——……私に、恋愛を教えてくれない?


「……なによ」


 何かに期待していた自分に、腹が立った。


 ……彼女が、こういう人間だなんて、きっとわかっていたつもりだったのに。

 ……まだ、何かに期待していたのかもしれない。


 ——私以外の人間に。


「ハァ、ハァ、ハァ…………」


 ギィィ……


 たどり着いたのは、居なれた屋上だった。


 ……結局、私にはここしかないのだ。

 そんな、気がした。


 ——トスッ

 太陽に温められた屋上の地面に、腰を下ろす。


 ——もう、全部どうでもいいや。


 そんな気分で見上げる青空は、なんだか酷く色が足りなく見えた。


 ガシャン!


 しかし、そうやって物思いにふけっていた私の思考を現実に引き戻したのは、錆びた鉄扉が、力強く開けられる音だった。


「——美晴……っ!」


 大きな声に、まず驚いた。


 ——この人は、こんなにも必死になるのか。

 そう、思った。


「……可憐、……」


 屋上の入り口には、佐城可憐がいた。

 昨日はふわふわだったその長い茶色がかった髪は乱れ、息も上がっている。


「よかった……。見つかって」


 そう言って、彼女は近づいてこようとする。


「——近づかないでっ!」


 思わず、拒絶した。

 ……だって、どんな顔して今の彼女を見ればいい?


 ——これ以上、私に、近づかないでよ……。


「……口当たりのいい言葉だけ言って、結局は、全部、まやかしじゃない!」


 そんな気持ちが、攻撃的な言葉になって、口をついて出た。


「あなたは、女の子と付き合っていて。——それ以上、何を望むっていうの!?」


 でもきっと、これも、嘘偽りない私の本心だ。


「これ以上私と関わらないで!」


 だって——


「私には……——」


 ——私には、今やそれすらないというのに。


「…………」


 屋上に、沈黙が流れる。

 俯いた私の目に映るのは、黒くひび割れたコンクリの地面。

 それはきっと、私の心そのものだった。


 ……そんな私を、現実に引き戻したのは、可憐の言葉だった。


「……まずは、謝らせて」


 その言葉に、目線をあげると、彼女のまっすぐな視線と目があった。

 純粋で透明な、瞳だった。


「ごめんなさい」


 下げられた頭に、何かが揺らぐ。


「……失礼、だったわ。……でもっ! 一つだけ、言わせて!」


 顔をあげた彼女が、バッと見せて来た、端末の画面。

 そこには、何人かとの女の子とのやりとりが書いてあった。


「……全員、別れて来たわ。……さっきのも、ちょっと、揉めちゃってね。恥ずかしいところ、見せちゃったわ」

「……そういう問題じゃ——」


 彼女の喋っている内容が、うまく頭の中に入ってこなくて、思わず否定の言葉を口にする。


「……確かに、これは、ただの私の気持ちの問題なのかもしれない」


 けれど、そんな私を飲み込むように、可憐の言葉が、私の耳朶を打つ。


「……知ってるかもしれないけど、私は、何人かの女の子と、付き合ってたわ。……でも、……ううん。違うわね。……それは、わからなかったから。……恋愛が、なんなのか、が」


 彼女のその言葉は、少し意外に思えた。


「だからこそ! あなたなの! ……あなたなら、それを教えてくれるんじゃないかって、そう思ったから!」


 ——そして、だからこそ、その言葉は、紛れもない本心に思えた。


「——ねぇ、だからもう一度言うわ」


 ——そう思えたからこそ。

 可憐の本心が、私の胸を抉った。


「私に、恋愛を教えてくれない?」


 真っ直ぐにこちらを、見つめる視線。


「そんなもの、私にだって、分からない……」


 ……可憐は、私に恋愛を教えてといったけれど、結局のところ、私にだってわからない。

 恋愛が、何なのかなんて。


「それでもいい!」


 思わず視線を逸らした私に向かって、可憐が一歩、距離を詰める。


「私! ……あなたとなら、わかる気がするから」


 ……これまで、いなかった。

 こんなにも、「私」を求めてくれる存在は。


 …………もしかしたら、彼女となら、わかるのだろうか。

 私の、今抱いているこの気持ちが、一体なんなのかが——。


「————わかった」


 だから、私は可憐の手を取った。


 女とだからとか、男とだからとかじゃ、ない。『可憐』とだから、わかる、何か。

 それを、知るために。


 ——だからまず、その第一歩として、私は、この時の可憐の笑顔を、胸に刻んだ。


「よろしくね、可憐」

「……こっちこそ、ありがとう。美晴」


 ——これは、女の子同士で付き合うのが当たり前のこの世界で、『私』と、『可憐』が、付き合うことになる話だ。


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女同士が当たり前のこの世界で、私は男と付き合っていた。 煉樹 @renj

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