第11話 別れのオムレツ
すっかり日が暮れたレストラン慶の2階に明かりがついている。
工場から帰った6人は、洋介ともとの姿に戻った結衣からこれまでの経緯を聞かされていた。
ありえない不思議な話だが、現実を目の前にしては信じる他ない。
ウダイは、死の瞬間キリにトランスを送っていた。
『キリ、オレはこれで本望だ。だからお前に一つだけ教えてやる。平和を願うなら、忘れる事を覚えろ』
思いがけないメッセージだった。
『憎しみの記憶も忘れる事を覚えることによって前に進める』とも言っていた。
キリはウダイの最期の記憶を辿ってもいた。
ウダイは、派遣船が出発する時の出来事を思い出していた。
星間派遣基地は、全国民の期待と歓声に包まれていた。国中の報道が集まり、代議員に見送られながら派遣船に乗りこむ時、秘密警察が近づき慇懃無礼に会釈をした。
「ウダイ大佐、幸運を祈っております。貴方が調査に向かうのはこうして全国民が知る事となりました。前代未聞の偉大な旅です。調査を無事果たされ、帰国すれば貴方は英雄となります。国家の英雄を罰する事は出来ない。国家への裏切りは公表されず無かった事となるでしょう。ここからは仮の話ですが、もし任務中に命を落とすことになれば名誉の戦士となります。我が国民は愛国者として称えご家族は国民から尊敬されでしょう。どちらに転んでも悪い話ではない。良い選択をされましたな。ウダイ大佐、幸運を」
地球に不時着した当初は、帰国するつもりで任務を遂行していた。
環境調査は無事終わったが、シクラの調査官の行方が杳として知れない。そして次第に斎藤の支配が強くなって行くのを感じ始めた。
『シクラの調査官を見つける前に死を迎えることになるかも知れない』それに気づいた時派遣ボートで脱出することを諦めた。派遣ボートは重力パネルと共には徹底的に破壊した。これによってシクラの調査官を消すと言うミッションは達成出来たことになる。殺す事が出来れば完璧だが仮に失敗しても地球からの脱出は出来なくなる。コピーの寿命と共にシクラの調査官の命は尽きる。
同じ事だ。
これで家族を守れる。
そして予感通り斉藤の力が増し、殺人への衝動が抑えきれなくなって来た。それを何とか抑え、小動物を犠牲にする事で凌いで来たが偶然コンドに出会い、致命傷を与えた事から歯止めが効かなくなってしまった。
ウダイの運命を知り、重い沈黙が周りを支配した。
「ママ眠い」
涼の声で皆我に返ったように伏せた眼を上げた。
玲子が涼をつれ部屋の隅に行くと、ソファを広げてベッドにした。
「じゃあ、ここで寝てなさい」
そう言うとひざ掛けを2枚ほど取り出し、頭を撫で寝かしつけた。
1階からゲンさんが新しいコーヒーとケーキ持って上がって来た。重苦しい雰囲気に気付くとそっとキッチンに戻って行った。
コーヒーが新たに注がれ、ケーキの皿が並べられると場面が変わったような気分になり話がし易くなった。
桃子がコーヒーにミルクを注ぎ、カップを掻きまわしながら口火を切った。
「信じられないけど、分かったわ。それで結衣、うーんキリさんはもう故郷に戻る手段がないの?」
玲子も身を乗り出した。
「涼を助けてもらって。せめて私たちで出来ることないの。そうよね、お父さん」
藤澤は、ソファで寝息を立てている孫を振り返った。
「ああ、そうだとも。掛け替えのない宝物を救ってくれた。俺にとっちゃ宇宙人じゃなくて神様だよ」
吉武がケーキに手を伸ばした。
「それだけじゃないよ。結衣さんが勝負に勝たなかったら、俺たちウダイに殺られていたかも知れない。」
結衣はコーヒーを一口含むと、諦めた様に微笑んだ。
「もう、仕方がないわ。何時終わりが来るか分からないけど、ウダイと同じように消えて行くしかないわ。でも後悔はしていない。思い通りにやって来たから」
洋介が席を立ち窓際から夜空を見上げた。
「手詰まりかぁ。何か方法がないのかなぁ」
綾が溜息をつきフォークでケーキを口に運んだ。
「銀河鉄道999みたいに列車が出ていればねぇ」
インスピレーションとは、突然現れるもののようだ。コンピューターでいくらシミュレーションを繰り返しても出来ないものがある。
しかし、人間が寝る前に『あれと、これを合わせたらどうだろう?』そんな思い付きが新しい発見に繋がることがある。洋介にも奇跡的にその時が来た。もう一生ないだろう。
天才かと思う瞬間だ。興奮しかない。
「ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ。綾さん、今何て仰いました?」
綾が今度はコーヒーで咽そうになっている。
「ちょっと、洋ちゃんいきなり大きな声で呼ばないでよ! 『銀河鉄道999みたいに列車が出ていれば』って言ったのよ。何か変?」
洋介が胸を張った。
「銀河鉄道999、発車させようじゃないか。結衣、とにかく真直ぐ宇宙に飛び立てればいいんだろ」
結衣が溜息まじりで答えた。
「何か方法があるの? 派遣ボートの仕組みも分からない地球人に」
「おっと、人の話は最後まで聞くものよ。では聞きますが派遣ボートの飛ぶ仕組みは」
「重力パネルで星の重力を掴んで移動する」
「そうだよな。今回は、上下左右に移動する必要はない。月だか北極星だか知らないが、とにかく適当な星の重力を掴んで地球の重力圏外まで真直ぐ飛び出せればいいんだろ」
「まぁ、そうね。地球の重力圏外に飛び出す事さえ出来れば、後は帰還船が掴まえてくれる」
「その乗り物だが、何かの前に重力パネルを張り付けて星の引っ張る力だけで上がって行くって言うのはどうだ。真直ぐ上がるだけだから重力パネルを全部に貼る必要もないだろう」
「推進力はそれで行けるわ。でも前だけだと途中で斜めになったりして、真直ぐ上がって行けない。だから横にも重力パネルを張って、パネルの広さを変えながら重力の微調整をする必要があるわ。乗り物はホイルベースの長い車の方が直進性に優れているように出来るだけ長い物が良いわ。そんな長い乗り物ってあるかなぁ?」
「それがあるのよ。身近にね。それは電車」
「なるほどぉ。大きさと長さはぴったりね」
「そう、側面に上下にスライドする2枚の窓ガラスがある。それに重力パネルを張り付けて窓を上下に開いたり閉じたりしながら広さを調節してバランスをとる」
綾が口を挟んだ。
「ちょっとごめんなさい。でも、今の電車は皆一枚窓よ。2枚の窓が上下にスライドする昔の列車なんて今時あるのかなぁ」
洋介が、胸を張った。
「それがあるのよ。JRが国鉄と言われていた昔に中央線を走っていたような列車なら上下にスライドする窓を持っている。それなら重力パネルの広さを調整出来るだろ」
綾は懐疑的だ。
「洋ちゃん。でも最近はそんな電車見たことないわ」
洋介がポケットからスマホを持ち出した。そこには鉄道博物館のホームページが開かれていた。
「オレ実は、乗り物オタク。鉄博詳しいのよ。お客様、これなんかいかがですか。マイテ39形式客車、特急富士で使われていたものさ。銀河鉄道999にぴったり。他がよろしければどれでもお好きな車両をお選び下さい」
思いつめた結衣の表情が途端に明るい笑顔に変わった。
「それなら可能かも、前に貼った重力パネルは推進力にし、側面の窓に張り付けた重力パネルはシステムで横の重力を調整する。車内は透明バリアを張って宇宙空間と遮断する。いけるよ、洋ちゃん!」
洋介が立ち上がった。
「よし、そうと決まればキッチン行ってくる」
皆、『何?』と言う顔になった。
「駅弁よ、駅弁作りに行って来る」
藤澤も立ち上がった。
「洋ちゃん、オレも手伝うわ」
30分もしない内に洋介と藤澤が2階に戻って来た。
洋介の手には、1パックのお弁当。
藤澤のトレーには、人数分のオムレツが乗っていた。
「お待たせしました。オムレツ弁当と試食用オムレツです。皆さんも食べてみて」
洋介のメニュー紹介を合図にオムレツが手際良くテーブルに並べられ、試食会が始まった。
卵に生クリームを少し足し、バターで焼き上げただけのプレーンなオムレツ。単純だが濃厚で奥深い味わいだ。
結衣が嬉しそうにフォークで口に運んだ。
「美味しい。やっぱり洋ちゃんのオムレツが一番だね」
藤澤がフランスパンにオムレツを乗せている。
「パンと合わせると最高だ。傍で見てレシピは覚えたよ。うちでも出そう」
玲子が店のメニュー表を広げた。
「メニューに加えるわ。オムレツの名前は『宇宙人のレシピ』分かりづらいかなぁ」
結衣が後を続けた。
「食べるたびに忘れる事の大切さを想い出す、不思議なオムレツね」
吉武が紙ナプキンで口を拭きながら話しかけた。
「ご馳走様、旨かった。で、これからどうする? 手伝うよ。何でも言ってくれ」
やることは決まっている。派遣ボートから全てのパネルを外さなければならない。そしてそれを鉄博の車両に張り付けるのだ。熟練を要する複雑な作業だ。
「お気持ちは嬉しいけど、とても難しい作業なの。沢山の人と一緒には出来ないわ。私と洋ちゃんでやります」
明け方までに飛び立たなければならない。移動に時間はかけられないだろう。
綾が提案した。
「私と桃子で送るよ。そうすれば、効率良く動けるわ」
気持ちは嬉しいが、結衣は最後の時間を洋介と過ごしたかった。
それに時間はもう午後7時を回り、下の階も混みはじめている。レストランの大切な時間だ。ゲンさん達もてんてこ舞いだろう。藤澤や玲子たちをいつまでも留めておく訳にはいかない。
「皆さん、お気持ちは嬉しいけどここからは、私と洋ちゃんでやります。私達の運命なので私達でやってみます」
二人の再会で始まり、二人で結論を出すのか。それもいいかも知れない。
桃子には、確認しておかなければならない事があった。
「分かったよ、結衣。そうしな。じゃあ、私達はここでお別れなんだね。私達は、これから又あなたの事を忘れるのね。覚悟は出来てるよ」
もう一回記憶を失うのか。
眼を瞑った。
結衣は皆を見て優しく微笑んだ。
「記憶は、いじらないわ。そのままにしたい。もうすぐ結論は出る。だから何もしない。これまでの私の話や見た事、誰に話しても良いわ」
吉武が突然笑い声を上げた。
「結衣さん、あなたは頭良いわ。例えば鳥に似た宇宙人が人間になりすまして事件を解決したなんて言ったら誰が信じる。俺は間違いなくボケ老人扱いされるわ」
桃子も全く同感だ。
「その宇宙人には翼があって空中戦をやったり、トランスで直接人の心に話しかけられる。なんて言ったら、嘘つきジャーナリストって言われるわ。即、クビよ」
玲子も笑った。
「その宇宙人は、レストランのホールでアルバイトをしていて、お客様のオーダーは頭の中覗いて分かっています。なんて言ったら、料理に何か怪しげな薬でも入れているのかって思われるわ。レストラン慶は、即閉店」
綾がカメラを持ち出した。
「さぁ、宇宙人との記念ショットよ。笑って」
ストロボが花火の様に煌き、思い思いのポーズを照らす。
爆笑だ。
笑いが収まったところで祭りの終わりを告げるように藤澤がポツリと呟いた。
「二人ともいなくなるのか。寂しくなるな」
結衣が最後のオムレツをフォークで口にした。
「ごめんなさい。オムレツを食べる事あったら想い出して。そして忘れる事の大切さも」
洋介たちは、善福寺公園の池の畔に立ち、誰もいないのを確認すると派遣ボートを引き上げ乗り込んだ。そして以前乗り込んだ時と同じ様に球体をシートに変形させた。洋介が席に着いたのを確認すると結衣がお道化た口調で案内を始めた。
「お客様、シクラのテーマパーク『空飛ぶ円盤の旅』にようこそいらっしゃいました。これから鉄道博物館まで10分ほどの旅です。空飛ぶ円盤から見える素晴らしい武蔵野の夜景をお楽しみ下さい」
そう言うと程なく室内は暗くなり派遣ボートの壁、360度が全てモニター画面となった。二人のシートだけがまるで3次元の様に浮き上がった。
通常地面を2次元移動する人類からすると、床がないというのは実に不安な気持ちにさせられる。
そこに結衣の言葉が追い打ちをかけた。
「大気圏内をモタモタ飛ぶのもこれが最後よ。行け! 空高く舞い上がれ!」
いやな予感に浸る余裕もない。派遣ボートは、公園の池から水を浸らせ浮上すると上空へ向け一気に舞い上がった。
逆バンジージャンプだ。
不思議に重力は感じない、景色だけが落ちて行く。
思わず叫んだ。
「ゆっくりやってくれぇ!」
すると空中で一旦停止した。シートが斜めになり、ゆっくりと旋回しながら吉祥寺の街を見下ろした。そして方向を北へ向けると一気にスピードに乗った。加速と言うプロセスはない。瞬間に求めるスピードになる。スピードに対する概念が異次元だ。
スピードを上げたり下げたり、旋回したり夜景を楽しみながら鉄道博物館から西にある三橋総合公園に到着した。
三橋総合公園には善福寺公園と同様池があり、その中に派遣ボートを隠すことにした。
善福寺公園の時と同じ様に派遣ボートをカムフラージュするバリアを張ると中で重力パネルを剥がし始めた。作業中洋介たちは、お互いに冗談を言い合ったり、声を掛け励まし合った。一緒の目的に向かって力を合わせるのは楽しくやりがいがあり、時間が経つのを忘れる程だった。しかし同時に、もう二度と会えないことに近づいていく切ない時間だった。
剥がされて集められたパネルは極めて薄い上、重さもなく頼りない程だった。しかし捻りに対しては柔軟な上、刃物で切る事も出来ない。重ねても嵩張らない。洋介はテクノロジーの高さに舌を巻いた、
「すごいな。半透明で手を触れれば好みの色に変色する。重ねたパネルを一枚一枚剥がすのも簡単だ。しかし何かに貼ったら二度と剥がれない」
結衣が自慢そうだ。
「でしょ。これはシクラの最新技術。人も愛する人と出会えばお互いの色に染まるし、そして分かれない。どんな進んだテクノロジーだって愛する人を別れさすことは出来ない」
作業が終われば別れになる。しかし行かなくてはならない。鮭は産卵と言う目的を果たせば最期を迎える。それでも川を遡って行く。最期に悲しみが待っていても人は運命に向かって行く。時計を見ると12時を回り日付が変わっていた。
「結衣、鉄道博物館に向かおう。銀河鉄道999の発車時刻が迫っている」
無用になった派遣ボートを池に沈め、洋介たちは鉄道博物館へ向かった。派遣ボートはこれからゆっくりと土の中に潜り込み、次第に地中の奥深くに到達し、その圧力で跡形もなく消えて行く事だろう。
鉄道博物館まで徒歩で30分もかからなかった。閉館中の鉄道博物館には正面から入った。警備員が二人来て、親切にドアを開けてくれたからだ。なんの事はない、結衣の仕業だ。これから起きることで大騒ぎになるだろうが本人たちには何の記憶も残らない。ただ一つだけ残るのは、展示エリアにあるカメラが捉えた展示車両が瞬間に消える短い映像だけだ。
結衣は多くの車両の中から迷うことなく『クモハ101―902』を選んだ。それは、洋介との想い出が詰まった中央線所縁の車両。1957年製のオレンジ色の車両は、正面が刃物で切り落とした様に平面で運転席のガラスはやや斜めに角度がつけられていた。その姿は決して優雅ではないが機能的な美しさがある。
警備員に丁重にお礼をし、お引取り願うと2人は新たな作業に入った。
クモハ101―902は蛇腹のある車両後部を鉄道博物館の巨大な扉に向け、展示用プラットホームに佇んでいた。
長い旅路の果て終着点に辿りつき、ゆっくりと身体を休ませているかのようにも見える。
先ず、最初に二人でドアの開閉装置を取り付けた。
結衣がドアの横に取り付けた野球のボールを半分にしたようなボタンを押すとシューと言う音がしてドアが開き、もう一度押すと閉まった。
「洋ちゃん、これはドアの開閉ボタン。内側からは操作出来ない。外からのみ作動する。何故か分かる?」
「派遣船から来た仲間に開けてもらう為か?」
「それもあるけど、私が変な事を起こさない為。もうコピーの有効期限が迫っている。何時結衣さんが完全支配するか分からない。その時は結衣さんと私、二人のすべてが終る時。だから何らかの兆候が出たら私を中に突き飛ばしてドアを閉めて。後は自動的に出発するわ」
もう一度ドアの確認を済ませると、二人は手分けをして作業に入った。洋介は、重力パネルを車両の後部正面と側面ガラスの上下に貼り付けた。結衣は、窓の開閉システムと機密装置を取り付けた。
重力パネルを張り付け、システムを取り付けては少しずつ動かし、確認をしていくので時間のかかる作業だ。午前3時を過ぎた時点でやっと完成した。
絶え間ない緊張を伴う作業で洋介たちは疲れ切ってしまった。しかし車両は新たに重力パネルを張り付け、開閉システムと機密装置をセットし、すっかり生まれ変わった。久々の発車を『今か今か』と待ち焦がれているようにすら見える。
完成した車両を見て満足したのか結衣が駅弁を持って来た。
「洋ちゃん、ありがとう。早弁しようか」
蓋を開けると綺麗に切り分けられたオムレツサンドが現れた。
真っ白なパンと黄色いオムレツが清々しい。
二人でホームに立ち、仲良くつまんでみる。
懐かしい味だ。
嬉しい時、楽しい時、悲しい時、頼むといつも作ってくれた。
「忘れる事を思い出す味か。良い事言うね。そうだ、地球について何て報告するんだい?」
「地球は、征服するにはリスクが大きすぎる。未開だけど高度な文明を持った生物が存在し、こちらもかなりの犠牲を覚悟しなければならない。移動距離も長くリスクが大きすぎる。見送るべきだ。ただ非常に興味深いものを発見した」
「ほう、それは何だい?」
「それは『忘れる』と言うこと。地球の争いには必ず終わりがあり、平和と繁栄の時代がやって来る。それは地球人が忘れると言う特質を持っているから。私達も忘れると言う事を『記憶』出来れば、シクラとバムも争いをやめ平和な時代を創れるかも知れない」
「忘れる事を記憶する」か、シクラの人らしいなと思った。人の記憶を辿りながらレストランで幾つかの奇跡を創り上げて来た。優秀な種族だ、簡単ではないがきっと平和も創れるだろう。
「君は奇跡を動かせる人だったんだね」
「奇跡を動かせる?」
「奇跡は偶然やって来るのものではない。自分が努力して働きかけるからこちらに来るものなんだ」
「それじゃあ、共犯のあなたも奇跡を動かせる人じゃない」
洋介が結衣に微笑みを返した。
結衣が下を向き黙り込んでしまった。
何かに耐えているようにすら見える。
「結衣大丈夫か? 少し疲れたか」
下を向いたまま首を振った。
「結衣、もう出発しないと」
そっと引き寄せ唇を合わせた。少しオムレツの味が残ったキスだった。
結衣が洋介を下から見上げた。
眼には涙が溢れていた。
「何で微笑むの?笑顔で送られるほど悲しい。笑顔の裏側には優しさが溢れているから。どうして微笑むの? ねぇ、泣いて、泣いてよ。泣いてよ!」
洋介は1年前に結衣を失ってから今までの気持ちを伝えた。
「結衣、涙が出ないんじゃない。1年前に全て終わった。そして1年かけて痛みと共に心の瘡蓋を重ねて来た。なのに何でまたそれを剥がされるんだ。悲しみで痛いんだ」
結衣にとっては、洋介と初めての別れだ。
急に結衣が開き直ったような表情に変わった。
「洋ちゃん一つだけ謝るわ。私、これまで嘘をついてきたの。本当の事を教えてあげる。キリさんは、確かに私の体をコピーしたわ。だけど私の心はコピーではない。私の記憶を全て切り取ってコピーした身体に貼り付けたの。私の全てがコピーに移動した時、私は私の身体を上空から眺めたわ。ただの物質が横たわっているような不思議な気分だった。そしてキリさんと身体を共有し、必要な時にお互いの配分を変えたりして来たの。だから私はキリさんが演じていたのではなく私の時は私そのものだったの。驚いた?」
ショックだ。
結衣はコピーではなかったのだ。
洋介が触れ合った結衣は、全て結衣そのものだったのだ。再会からこれまで過ごした小さな諍いや愛の交換。全てが本物の結衣との出来事だったのだ。
「結衣、オレが触れていたのは結衣そのものだったのか!」
「そうよ。でも言えなかった」
「何故?」
「あってはならない事だから。1年経てばコピーの寿命は尽きる。それより早く帰還船が来れば、私の記憶はそこで消去されてしまう。どちらにしても私は限られた命。それを知らせてどうするの? せっかく想い出になったのにそれを掘り起こさせるなんて」
記憶を想い出にするのは罪なのか。
「結衣、すまない。想い出にしたい訳じゃないんだ。悲しみに向かい合いたくないんだ。臆病と言ってもいいよ」
「違うよ。洋ちゃん。努力してくれてありがとう」
洋介は結衣を強く抱きしめた。
「洋ちゃん、痛いよ」
洋介は、自分の力の強さに思わずたじろいでしまった。
「あっ。ごめん、ごめんな。痛くなかった?」
結衣が嬉しそうな表情に変わった。
ヤケに明るい。
「いつでも、毎日一緒にいたいと思っていたよ。でも一つの身体をキリさんと2人で持つの。だから中で喧嘩は出来ない。でも今は私だけ。幸せだわ」
そして洋介に身体を預けて来た。
洋介は結衣を又、強く抱きしめた。
「結衣、オレも幸せだった。ありがとう」
結衣が洋介の両手を振りほどき軽く押した。
「洋ちゃん、まだ分かってない」
言い方と仕草が益々変わって来た。
「最初の主導権は、キリさんにあったわ。でも今はキリさんじゃないの」
「結衣、どう言う事だ」
目の輝きと表情が勝ち誇った様に変わって来た。
「私は、私の身体を取り戻したの。見て! 私よ」
結衣の支配が始まった事を理解した。
一番恐れていた事態が始まってしまった。
「私、電車に乗らない。宇宙へなんか行かない。ここに残る。良いでしょ、洋ちゃん」
焦りが言葉を上滑りさせる。
「結衣、落ち着け。キリさんまで巻き込むのか」
正面から圧力を加えるように言ってしまった。
結衣の態度が頑なになった。
「せっかく会えたのに、何故又別れなきゃならないの。どうせ死ぬんだったら洋ちゃんに見守られてここで死ぬ。たった一人、宇宙で最期を迎えるなんていや!」
そう言うと今度は、結衣の表情が苦しそうになった。
「やめて出てこないで!」
そう言うと、下から次第にキリの姿に変わっていった。
それは膝をつき翼も震えている弱々しい姿だった。キリは洋介を見上げると、か細いトランスを発信した。
『洋ちゃん、お願い。もう時間がないの』
やっとそれだけを告げると、又結衣の姿に戻ってしまった。
洋介は、結衣の腕をきつく掴み立ち上がらせた。
「結衣、愛してる。これは本当なんだ。でもオレたちには奪ってはならない命がある。それも本当なんだよ!」
結衣は必死に洋介の手を振りほどこうとしている。
洋介は、離さない。
終わらない力比べのようになってしまった。
洋介の心にトランスが届いた。
キリだ。
『もうやめて! これじゃあシクラとバムと同じ。私にはもう終わりが来たの。私を忘れて、結衣さんの最期を一緒に迎えてあげて!』
違うはずだ。
結衣の運命は受け入れなければならない。
再会はありえない偶然だったのだ。
記憶は、忘れなければならないんだ。
想い出にしなければならないんだ。
洋介は、結衣の腕を掴んだ。
「洋ちゃん、やめて。痛い!」
奇跡の様に再会し、愛し合い、困難を乗り越えてきたのに。
『最期の別れがこれなのか』
やるせない気持ちでドアの開閉ボタンを、強く思い切り叩いた。
シューッと言う音と共にドアが開いた。
両手で結衣の肩を掴むと約束通りプラットホームから中に突き飛ばした。
結衣が車両の床に尻餅をついた。
再びドアのボタンを押す。
シューッと言う音と共にドアが閉まった。
結衣がドアに駆け寄り、ガラス窓を叩いた。
「洋ちゃん、ひどい! 開けて、開けて! 愛してる」
「結衣、行かなきゃならないんだ。運命は変えられないんだ!」
「忘れるの! 又、私を忘れるの!」
悲しみが叫びとなって胸に突き刺さる。
「忘れないよ! 忘れるなんて残酷なこと」
「ギーッ」と大きな金属音と共に鉄道博物館の巨大な扉が開いた。すると列車は微かに浮き上がり、音もなく進み始めた。結衣は列車の中を走り、少しでも洋介に近づこうとする。
洋介はプラットホームで力なく立ち尽くし、その姿を茫然と見詰めていた。
結衣が車掌室の窓を叩きながら泣いている。
『結衣、何故又会ったんだ。何を知らせたかったんだ!』
洋介が駆け寄り、腕を伸ばし、窓に手を触れた。
窓ガラスの向こうで結衣が手を合わせた。
窓で体温を感じない。
まるで窓の向こうから夢を見ているような再会だった。
列車は、伸ばした手を引き離すように進む。
洋介がプラットホームで軽く躓き膝をついた。
列車は進み、見上げると鉄道博物館の扉から出た列車は夜空に向けて鋭角な態勢をとっていた。
オレンジ色の巨体が闇の中に浮かび上がる。
初めゆっくりと動き始めた列車は次第にスピードを上げ、夜空に敷かれたレールを走る様に脇目も振らず上昇して行った。
結衣の姿が小さなシルエットになっていく。
シルエットが震えている。
「高尾」と旅の終着点を示した列車は光の尾を引きずりながら次第に遠ざかり、微かな点となった。
すると北の空から流れ星が現れ小さな点と重なると停止した。
そして、少しだけ輝きを増すとスゥーッと消えて行った。
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