第10話 決闘

 クリスマスイブの閉店後はレストランでも小さなパーティーだ。

 いつもより忙しいので疲れているし、明日も仕事だが藤澤は仲間との絆を大切にしているので毎年開いている。少しパーティーが楽しめるよう、明日はランチを休みディナーだけにしている。 

 パーティーの準備は、やはり気分が高まる。

 結衣は洋介の料理を受け取りに厨房にやって来た。

 丁度洋介がオーブンのドアを開けたところだった。中から丸々と太ったチキンが登場した。正にクリスマスの主役だ。ガーリックの香りと表面の照りが食欲をそそる。

「ハイ、チキンの出来上がり。ところで共食いにならないのかよ」

「悪い冗談ね。笑えないわ。あなた達だって同じ哺乳類食べるでしょ。チキン大好きよ」

「まぁ、そう言われればそうだけど。老夫婦、喜んでくれてよかったな」

「そうね、良いクリスマスプレゼントにはなったと思うわ」

「ところで、玲子さんの話だと綾さんや桃子さん来たらしいな」

「仕方ないわ。全て完全には出来ないし、私の時間も限られている」

 ゲンさんが後ろからやって来た。

「お二人さん。お熱いのはいいけど、パーティーの準備も出来てるよ。皆チキンの出番をお待ちかねだ」

 洋介たちは苦笑いしながらチキンを皿に乗せ、テーブルに向かった。

 テーブルでは尽きることもなく笑いが起き、聖夜のディナーが進んでいった。

 玲子が少し火照った躰を冷ましに窓際に近づき夜空を見上げた。

 澄みあがった夜空を見詰め、暫くすると感動の声を上げた。

「なんて素敵な流れ星。こんなの初めて見たわ。沢山の流れ星がモールス信号の様に光の強さを変えて。午前中テレビで言っていたのはこれだったのね」

 ナイフとフォークを持つ結衣の手が止まり、窓際の玲子を振り返った。

「今、何て仰いました?」

「流れ星よ。皆も見て、見て。今朝、テレビで南北アメリカでモールス信号の様に光の強さを変える流れ星が見られたって言っていたの。地球の反対側にある日本でも見られるなんて素敵」

 午前中は、老夫婦のレシピの仕上げでテレビはつけていなかった。

 結衣はナイフとフォークを投げ出し窓際に駆け寄った。

 夜空に流星がモールス信号の様に光の強さを変えては流れていく。

 一瞬で意味を理解した。

『クレ第8管区の調査官に告ぐ。明後日の夜明けまでに地球から離脱せよ』

 時間の猶予はない。明後日の夜明けまでに地球から飛び立ち、派遣船に戻りコピーを解除しなければならない。地球に取り残されることは必然的に死を意味する。

 帰り道自転車を並んで漕ぎながら、結衣は洋介に流星の意味を伝えた。

「洋ちゃん、帰還船が来たわ。明後日の夜明けまでに飛び立たないと地球に取り残される。明日、ウダイと勝負する」

 洋介は、驚いたように結衣を見詰めた。

 洋介たちを追い越す車のヘッドライトが流星のように照らすだけである。


 窓から入る朝日で結衣は目覚めた。軽く休むつもりがつい寝込んでしまった。サイドボードの時計を見ると8時を指していた。いつもの習慣で隣に手をやると洋介がいない。手洗いかと暫く待ったが気配すらないことに気づいた。いやな予感がする。

 昨晩は自宅に戻ると洋介と作戦を練った。

 作戦は、目覚めたらトランスバリアを解除し、トランスを強烈に発信してウダイをおびき寄せる。そしてウダイの苦手な陽の高いうちに勝負を仕掛ける。結衣が中心で戦うが隙を見て洋介がこの間教えた銃でウダイを狙撃するという作戦だ。

 その間洋介はやけに素直だった。作戦に異議を唱えることもなく賛同し、勝利を誓い合った。何か意見があるかと期待したが拍子抜けだった。

 洋介のいないベッドから降り、リビングに行くとテーブルに小さなメモ書きが残されていた。

『結衣、昨日はお疲れ様。オレ、コックなんで決めた作戦が良いか分からない。ただ言えることは、君を守りたい。それだけだ。君が結衣でも、キリでもどちらでもいいんだ。オレに出来ることをしたい。どこまで出来るか分からないけどオレがおとりになってウダイを出来るだけ弱らせる。そうすれば君に勝つ目が出る。必ず成功させるから心配するな』

 結衣は、メモを胸に抱き叫んだ。

『バカ、洋ちゃん。闘って勝てる相手じゃないよ!』

 洋介は、この為に作戦に異を唱えず賛同し、心まで同調させていたのか。

 結衣への強い愛が心をカムフラージュしていた。心が愛で満たされているので分からなかった。洋介は、自分の命をかけて戦うつもりだ。たとえ敵わなくても少しでも傷つける。それによって結衣の戦いを有利にしようとしているのだ。

 調理師だから仕方ないが、戦をした経験がない。

 戦でこれは一番まずいパターンだ。戦は集団で戦ってこそ勝機が見いだせる。兵力の分散は、相手にとって最高のチャンスだ。弱いものから一つずつ潰していけばいい。そうやって徐々に兵力を割き、最後に裸になった主力を潰す。これは戦の常道だ。戦いは、愛ではない。冷徹な数と現実のぶつかり合いなのだ。洋介は作戦に結衣への愛を持ち込んでしまった。洋介は死ぬつもりだ。ウダイは、希望通りに先ず洋介から消していくだろう。

 時間の猶予はない。

 結衣は着替えると近くの公園に向かった。

 歩きなれた道なのに今日は他人行儀に思える。風が木々を揺らし木の葉を髪に舞わせるが優しさを感じない。ランナーとすれ違った。真っ白のシューズが目に痛い。足音にシンクロするように起きる胸騒ぎを抑えきれない。

 早朝の公園に着いた。

 鼓動と共に吐く息が白い。

 回りを見廻し、誰もいないのを確認すると右手の人差し指を高く掲げた。

 樹木や植木をざわつかせ、銀色の発信機をつけた犬や猫、鳩や雀、ネズミにリスたちが姿を現し近づいて来た。

 皆、結衣にすり寄って来る。

 結衣を慕い、懐いているのが良く分かる。

 結衣はメッセンジャーたちに洋介の特徴をコピーした。 

『皆、来てくれてありがとう。洋ちゃんを見つけて』

 メッセンジャーは、小さく頷きそれぞれの方向に散って行った。

 

 正午前、洋介は吉祥寺の駅前にいた。吉祥寺の街は、クリスマスの喧騒の中にあった。これだけ周りに人がいればウダイも迂闊に手を出せないだろう。

『この街なら俺でも勝機を掴めるかも知れない』


 洋介が駅前の交差点で初老の男とすれ違った。初老の男は風俗のある街の北側に向かって脇目も振らず歩いて行く。家電のディスカウトストアの裏に24時間営業のキャバクラがある。そこにまだ斎藤の愛人がいるはずだ。

『あいつは、絶対そこに行く』


 五日市街道、吉祥寺のファミレス横を白いワゴン車が西に向かっていた。ドライバーの女性がハンドルにしがみつき。もう一人の女性は、結衣と洋介への質問を確認している。2人にジャーナリストの決意がみなぎっていた。

『絶対にスクープにしてやる』


 吉祥寺のビジネスホテルから黒いコートにサングラスの男が出てきた。微かなトランスがメッセンジャーから届いた。洋介はキリと離れ一人でいる。近くだ。

『絶好のチャンスだ。先ず男の方から殺る』


 洋介は吉祥寺のサンロードを出て五日市街道を西に向かって歩いていた。八幡宮前の交差点が赤に変わり、信号待ちの白いワンボックスカーを追い越した。

 桃子がサイドウィンドー越しに歩道を見上げると、洋介が歩いている。思わず息を飲む。慌てて綾の肩を叩くと綾も眼を丸くした。洋介は交差点を駅に向かって折れていった。

「綾、交差点を超えた所で待ってて。私は後をつけて携帯に場所を知らせるわ」

 そう言って車を降りると、洋介の後ろを慎重につけ始めた。

 洋介の傍に黒い発信機をつけた犬が近づいて来た。

 どうやらウダイの索敵に引っかかったようだ。

『来たな。よしよし』

 そう呟くと、駅の東側に向かった。

 交差点を渡るとヨドバシカメラの裏側に24時間営業のキャバクラが見えてきた。

 呼び込みが外に出て仕方なさそうに声をかけている

 昼からキャバクラに来る奴なんてめったにお目にかからない。

 ダメもとで洋介に声をかけた。

「社長、キャバクラいかがっすかぁ」

『キャバクラだ。ここならチャンスが生まれるかも知れない』

 洋介は客引きを一瞥すると脇目も振らず入っていった。

 店の中ではミラーボールがホールを照らしていた。

 客席はそれぞれボックスになっており、低い衝立で仕切られている。立てば全体を見渡せるが座れば頭の先がチラリと見える程度だ。

 ホール奥の隅に客が一人いるようだが柱もあり良く見えない。

 キャバ嬢が洋介と手を絡め、席へと案内し始めた。

 勧められるままに先客と対角線上にある入り口近くの席に着いた。

 後をつける桃子は洋介がキャバクラに入ったのを確認すると綾の携帯に連絡した。

「綾、洋ちゃんたら昼間っからキャバクラだよ。場所はヨドバシカメラの裏、ダブルムーンって店。店の近くに車止めて待ってて」

 キャバクラに入りかけた桃子に呼び込みが声をかける。

「お姉さん、仕事? 面接ならあっちの入り口から入って」

「今が仕事中なの」

「はぁ」

 桃子は、店に入るとキャップを深めに被り周りを見廻した。

 近くに洋介がいた。咄嗟にマズイと思い柱の奥にある席に向かった。初老の男が一人でいる席が眼にとまった。顔を見てまさかと思う。

『取材を申し込んだ吉武修造だ。何でここにいるの?』

 もう隣に座るしかない。

「お隣いいですか? 吉武さん」

 初老の男は、突然名前を呼ばれ驚いた様子を見せた。

『初対面の女だ。ただの酔っ払いか? 新手の風俗か? いずれにしても迷惑だ』

 承諾もしていないのに女はズケズケと横に座り込んできた。

「俺は一人で飲みたいんだ。邪魔しないであっち行ってくれ」

「私、ウィークリーフォトの堀澤です。何回電話してもお会い出来なくて、ここでお会いするなんて奇遇ですね」

 今度は名刺を出してきた。

『留守電の記者か。奇遇どころか、もっとたちが悪い』

 何とかあしらおうとする。 

「あぁ、インタビュー申し込んでくれた記者さんね。今日はここじゃ、まずいんだよ。これから何が起きるか分からないから帰りなさい。後で連絡するから」

「誰か来るんですか。アッ、もしかして斎藤力也ですか?」

 ホールのウェイターが一瞬振り返る。

「大きな声出すなってば、もぅ」

 何かもめている様子に支配人がやって来た。

「お姉さん、ここで営業しないでよ。同伴キャッチはここじゃ、ご法度。同じ業界なら分かるでしょ。とにかく大人しくして」

 ここは合わせた方が良さそうだ。

 桃子は仕方なさそうにペコリと頭を下げ。吉武の膝に手をやり無理やり乾杯をした。

 吉武も苦笑いしながら乾杯を返した。

 桃子が入って暫くすると呼び込みの眼に黒いコートにサングラスの男が入ってきた。

 どんな業界か推測がつく。絶対に入って欲しくない類の客だ。

 無視すると慣れた様子で店に入ってしまった。

 呼び込みが呟いた。

「今日は変な日だ。最初の客が爺さんで次が陰気な男。同業っぽい女にヤクザまで入ってきた。何も起こらなければ良いけど」 

 キャバクラのドアが開くと黒いコートの男が入って来た。

 異様な雰囲気を周りに発散している。

 危険を察知したのか支配人が男に近づいていった。

 愛想笑いをしながら暫く話をするとキャバ嬢を一人指名した。

 支配人もキャバ嬢も黒いコートの男とは初対面の様子だ。

 キャバ嬢は支配人の指示でホールの奥、吉武と桃子の反対側にある席まで男を案内した。 

 席に着くと男はキャバクラ内の客を素早く確認した。

『厄介な奴らばかりだ』

 先ずは、携帯の通信をブロックする。

 斎藤と遭遇した吉武は警視庁へ、ウダイと遭遇した洋介は結衣へ、洋介と遭遇した桃子は綾へ、それぞれスマホで連絡を取ろうとしていた。

 しかしウダイのブロックで圏内を示しているにも拘らず通話が出来ない。 

 誰もがキャバ嬢を寄せ付けず、酒に口に着けることもなく沈黙してしまった。

 誰かが動けば一瞬でこの均衡が崩れてしまうことは容易に予測できた。 

 四人はそれぞれ角にある席で出すに出せないジャンケンのような状態となってしまった。

 昼間のキャバクラはホールに陽気な音楽が鳴り響き、ミラーボールが床を照らすだけの不思議な静けさに包まれた。 


 午後2時前、レストラン慶はディナーの仕込みに入っていた。

 玲子がクリスマスツリーのイルミネーションを整えているとレストランのドアが勢いよく開いた。

 小さな男の子が二人涙を浮かべて何かを訴えている。

 親しい子供たちなのだろう、玲子が水を飲ませ落ち着かせると膝を屈め優しく語りかけた。

「どうしたの、ケイ君にジュン君。サンタさんと迷子にでもなったかな」

 子供たちはどう話していいのか分からずしどろもどろだ。

 只ならぬ気配に気づき、手を拭きながらキッチンから藤澤も近づいて来た。

 ゲンさん達も心配そうにキッチンから首を伸ばしてきた。

 一番小柄なケイが嗚咽を漏らしながら伝え始めた。

「僕たち、涼君とお菓子の工場で遊んでたんだけど。かくれんぼの途中で涼君いなくなって、いつまでたっても、いくら呼んでも出てこないんだ」

 いやな予感がする。近くに取り壊し中のお菓子工場がある。事故が起きない様にフェンスを巡らし、中に人が入れない様にしてあるが小さい子供は隙間から入ってしまう。

 危険なので絶対に中で遊ばない様に注意をしていたのに。

 ゲンさん達もキッチンから出てきた。

「社長、俺たちも手伝うよ」

 助けは嬉しいが店も開けなければならない。

「嬉しいけど、ゲンさん、チョーさん、カッちゃんは店の準備をしてくれ」 

 藤澤が叫んだ。 

「玲子、工場へ行くぞ!」

 藤澤と玲子は、店を飛び出した。


 同じ頃、結衣は依然として部屋で動きの取れない状態になっていた。

 洋介が何処にいるのか未だに分からない。こちらが動くとかえって遠ざかる可能性があるので迂闊には動けない。

 結衣はレストラン慶へ向かうことにした。

 そろそろディナーの準備を始める時間だ。今日は全員が出勤の予定だが結衣と洋介は出勤出来なくなってしまった。その事を玲子に伝えなくては店のローテーションが狂ってしまう。電話でも事足りるが失礼な気がする。この期に及んでまでそんな事を考えている自分が少し可笑しかった。

 レストランに近づくと遠くからレストランのユニフォームを着た玲子と藤澤が血相を変えて近づいてくるのが見えた。

 只ならぬ様子だ。

 結衣も走って近づいた。

「玲子さんどうしたんですか?」

 眼が不安で一杯だ。

「涼が、涼が取り壊し中のお菓子の工場でかくれんぼをして行方不明なの」

「玲子さん、私も行きます。行かせて下さい!」 

「来て、お願い!」

 すがるような様子に切実さを感じる。

 三人は、息を切らせながら工場跡地に急いだ。


 お菓子の工場跡地は、大きな公園に隣接しており、公園も含むと探す範囲は広大だ。3人は散り散りになって探したが1時間程経っても行方は分からない。工場の中庭にあるベンチで途方に暮れてしまった。

 時間は午後3時をかなり回り、玲子は悲しみと不安で打ちのめられそうになってしまった。

 その様子を見て結衣は決心した。

『今日ですべては終わる。ここで決着をつける。洋ちゃんが間に合うかどうかは運次第だ』 

 結衣はベンチから立ち上がりメッセンジャーたちに強烈なトランスを発信した。

『皆、涼君を探して。そして洋ちゃんにも早く戻るように伝えて』 

 メッセージは、それぞれのメッセンジャーを介し吉祥寺の上空で円を描く鳩にも届いた。鳩はまた上空から発信し、キュバクラのソファの下にいるネズミを中継して洋介へと伝わった。

 そして、それは同時にウダイにもキャッチされた。

『キリは今動けない。チャンスだ。男は放っておく。目的はキリだ』 

 ウダイは席を立とうとした。

 ホールの曲が陽気なサンバからバラードに変わった。

 同時にキッチンのドアが開き、一人の女性がトレーにアイスペールを乗せて現れた。斎藤力也を見つけると驚いた顔で足が止まり、トレーからアイスペールを落とした。氷がホールの床にばら撒かれ、ミラーボールの光を反射してプリズムの様に輝いた。

 女性は、手の甲で口を押さえると足を震わせ斎藤に近づいて行った。

 そして絞り出す様に声を出した。

「力也、どうしてここへ来たの? 何でこれまで連絡くれなったの? 待っていたのよ。きっと生きているって。女の子が生まれたのよ。もうやめてお願い」

 その声に吉武が立ち上がった。

「斎藤力也、逮捕する!」

 斎藤が声の方を向きリボルバーを抜いた。

 女性がリボルバーの腕に飛びつき、しがみつき、涙で訴えた。

「もうやめて! お願い、これ以上人を殺めないで!」

 キリからもらった銃を撃つ絶好のチャンスだ。洋介は人差し指をウダイに向けた。そこへいきなり桃子が割り込んで来た。

「洋ちゃん。本当の事を教えて!」

 前を塞がれては、桃子に命中してしまう。

 桃子を左に寄せようとした。

 一瞬の隙が生まれ、洋介の殺意がウダイに伝わってしまった。

 斎藤は女性を抱きしめるようにソファへ座らせるとドアに走った。

 その後を吉武と洋介、桃子が追う。

 斎藤は、外階段をコートの裾を翻しながら軽々と上って行く。

 あっと言う間に3階の屋上へ上ると、地上にいる桃子たちを見下し奥に隠れた。

「バサッ」

 屋上から突然巨大な鳥が一気に舞い上がり西に向かった。

『結衣の所へ行くつもりだ』

 洋介は咄嗟に危険を察知した。

 道路に出て道を塞ぐ。

「キッ、キッー」

 タクシーがブレーキを軋ませて止まった。

「バカヤロー!」

 後ろのトラックから罵声が飛ぶ。

 タクシーに乗り込むやドライバーに頼み込んだ。

「お願いします。出来るだけ急いで下さい。助けられるのは僕だけなんです!」

 

 突然始まってしまった早い展開に桃子はついていけない。

 その時「桃子こっち!」と言う声が聞こえた。

 車のサイドウィンドゥから身を乗り出して綾が両手を振っている。

 桃子は後ろを振り返った。

 そこには千載一遇のチャンスを逃し、怒りに満ちたような表情の吉武いた。

「吉武さんも乗って!」

 吉武は、車に走った。

 綾、桃子、吉武を乗せた白いワゴン車は、洋介のタクシーを追い駆けた。


 陽も大分陰って来た。

 結衣のもとに一羽の鳩が舞い下りて来た。羽を広げ何かを訴えている。涼が見つかったようだ。鳩は少し飛んでは降り結衣たちを誘う。玲子と藤澤を従えて後をついていくと工場はずれにある林に向かった。杉の木の周りで鳩が群れている。そして杉の木の下に業務用冷蔵庫が放置されていた。

 広い工場の中ばかりを探していた。

 迂闊だった。

『ここね』

 精神を集中する。中に涼がいた。酸欠で窒息寸前だ。一刻の猶予もない。

 取り乱した玲子が結衣に尋ねた。

「この中に涼がいるの。ねえ、そうなの結衣さん」

 結衣が頷いた。

「涼、涼! 今すぐ出してあげる」

 ドアを叩き藤澤と2人でドアを開けようとした。

 しかしドアは表のノブがとれてしまいドアの間に手を入れて開けようとするがビクとも動かない。

 中からロックを解除するしか方法はない。

「お父さん、消防と救急車呼ぶわ」

「そうしよう! 今呼んでやるから安心しろ」

 しかし携帯の反応はなかった。

「おかしいな、携帯が通じない。玲子のはどうだ」

 玲子の携帯も反応しない。

 何度も何度も繰り返すが無反応だ。

 結衣に、ウダイのトランスが届いた。

 近くまで来ている。

 通信手段の全てがブロックされている。

 玲子が携帯を諦めポケットにしまった。

「私近くの家まで走って電話を借りてくる」

 玲子が走りかけた時、結衣が冷蔵庫のドアを背にして振り返った。

「それでは間に合わない。もぅ庫内の空気は殆ど無い」

 無表情に玲子たちを見詰める目は冷静で、発した言葉は冷たく感情がなかった。

 今までと全く異なる結衣の態度に二人はたじろいだ。

「これから冷蔵庫を開ける。精神を集中させる。これから見る事に驚かないで」

 結衣は眼を瞑り深呼吸を繰り返した。

 すると先ず、結衣の背から翼が生え始めた。そして次第に下から鳥の姿に変わって行った。手足は細くながくなり、長い首の白い鳥のような姿に変身した。

 余りの事に今度は、二人が無表情になってしまった。

 シクラ人に戻ったキリは身震いをすると冷蔵庫のドアに手をつき全神経を集中させ始めた。

 そして涼の頭の中に入り始めた。

 冷蔵庫の中はとても息苦しかった。

 早くしなければ涼の命は危ない。

 涼の心に入り込んで鍵を外そうとするが涼にその力がない。

 

 その時、羽の音と共に黒い鳥が現れた。

 鳥は翼をたたむとゆっくりと近づきキリを指差した。

『キリ、決着の時だ』

 一番欲しくないタイミングだ。

『ウダイ、今は闘う時ではない。この人たちは無関係だ。頼む少し待ってくれ』

 相手のピンチは、こっちのチャンスだ。聞く道理はない。

『キリ、残念だが俺はこいつらに義理はない。決着をつけさせてもらう』

 ウダイの指から光線が放たれキリは辛うじて避けた。

 双方は林の中に入り撃ち合いが始まった。

 木々の間から縦横に光線が走る。


 洋介を乗せたタクシーは工場に近づいていた。

 後ろにつく白いワゴン車の中では、桃子と吉武がこれまでの経緯を話し合っていた。

 桃子は吉武との共通点に驚かされた。

「不思議な事って言葉じゃなく、本当にあるんですね」

 吉武が大きく頷いた。

「どうやら私達はお互い、別々に幽霊を追いかけて来たようですな」

 先を走るタクシーがハザードランプを点滅し始めた。

 綾もハザードランプのスイッチを入れた。

「目的地に近づいたみたいよ」


 先に工場裏に着いたタクシーが急停車した。

 ドアが開くと同時に洋介が飛び出した。

 間髪も入れず、タクシーの後に白いワゴン車も停車した。

 工場裏にある林道を縫うように洋介が走って行くのが見える。

「中に乗り入れるよ。どうせ運転下手なんだから」

 綾はそう言うと車で洋介の後を追った。

 林道に入ると路面は波打っており、フロアパンが地面を叩く。車は跳ねるように洋介の後を追った。林の先で何かが走り回っているのが見えた。

 眼を疑う。

 声が揃う。

「鳥だ!」

  

「結衣ぃ!」

 洋介の声にキリが振り向いた。

 トランスが洋介の心に響いた。

『洋ちゃん。ありがとう。錆びた部品を壊せば開くわ。指ピストルのパワーを中位にしてドアノブの穴から2センチ下を狙って』

 洋介が冷蔵庫に近づき至近距離から人差し指を向けた。

 ピシッと軽い音がして小さな穴が開いた。

「それ!」

 掛け声と共にドアを開けると冷蔵庫の中で涼が泣きながら蹲っていた。

 玲子が抱き上げ、体を暖め、頬を合わせる。

「もう大丈夫。涼、もう怖がらなくていいよ」

 涼が泣きながら玲子に訴えた。

「お姉ちゃんが励ましてくれた」

 玲子と藤澤はその言葉に改めて洋介を振り返った。

 玲子が声を震わせた。

「あなた達って何者なの?」

 キリからのトランスが洋介に届いた。

『洋ちゃん、皆を避難させて』


 洋介が振り返ると車から降りた桃子達が無防備にも呆然と、鳥が走り回り光線銃を撃ちまくっている光景を見詰めている。 

 洋介が叫んだ。

「皆、早く車で逃げろ!」

 その声に桃子達は慌てて車に戻り、玲子たちも急いで駆け寄り乗り込んだ。

 桃子達が車に乗り込みドアが閉まると、今度はウダイがトランスを発信した。

 いきなりドアがロックされエンジンが掛からなくなってしまった。

 桃子達6人は、車の中に缶詰となった。

 急に羽音がすると今度は二羽の鳥が垂直に飛び立ち雲の中に消えていった。

 桃子が呟いた。

「私ら駕籠の鳥か。幽霊追いかけて今度はこれ。もしかして映画のロケかよ」

 キリとウダイは、雲を突き破り3000メーター上空まで一気に上昇した。

 雲上はまだ陽が残っていた。ウダイは昼目に弱い。今がチャンスだ。

 雲が邪魔して地上からは見えないが、旋回を繰り返しては撃ち合いを続けた。

 双方の銃が持つエネルギーはゼロに近づいてきた。 

 空中戦では、上をとった方が有利だ。

 キリのスピードがウダイより勝る。

 まだかろうじて陽が残っていた。

 キリは、最後の勝負に出た。

 水平飛行でウダイを後ろにつかせた。

 ウダイの一撃を巧みにかわす。数発撃ったところでウダイのエネルギーはゼロになった。

 キリは一気に上昇し、インメルマンターンを仕掛けた。

 ウダイはスピードについて行けず、堪らず雲の中に隠れようとした。そこをキリの一撃が襲った。

 しかしエネルギー不足で致命傷にはならない。

 キリモミになって落下しながらウダイは、かろうじて工場裏の林に着地した。

 今度は槍を持ち、キリを待ち構えた。

 日が暮れて風が強くなってきた。

 今度は夜目に弱いキリにとって不利な状況となった。

 キリの銃エネルギーもさっきの一撃で尽きた。

 同じく槍を抜き上空から打ち込む。

 しかし腕力ではウダイの方が勝る。

 下から鋭く槍を回し、キリの槍を打ち返す。

 キリの槍が半分に折れ、先が地面に転がった。

 キリは残った半分の槍を打ち捨てると剣を抜き、ウダイの槍を必死に防いだ。

 上空に舞ったり、地上で交えたり、3次元の戦いが繰り広げられた。 

 キリはウダイの一撃を防ぎながら、駆けつけた洋介にトランスを発信した。

『洋ちゃん今よ。ウダイを撃って。緊張しないで、練習通りやれば当たるから』

 これで、図らずも当初の作戦通りとなった。

 苦しい中でも『勝てるかも知れない』と言う希望が湧いてくる。

『ああ、でも練習で一回も当たったことがない』

 練習不足という分かりやすい現状分析が返ってきた。

『もぅ、最悪……』

 こんな切羽詰まった時でも愚痴は出るのか。命がけだそんなことは言ってられない。少ない可能性でもある方に賭けてみる。

『いいから、とりあえずやってみてよ!』

 励ましに覚悟を決め、洋介は狙いを定めた。

「パッチン」小さな音をたてて命中。

 やっと当たったが輪ゴムピストル程度の力だ。

 夜店の射的にもならない。

 パワーを間違えた。 

 やや自信がついたので目盛りをマックスにした。

 慎重に狙いを定めて撃つ。

「ドン!」

 強烈な音と反動で洋介は後ろに弾き飛ばされ仰向けになった。

 そのままの姿勢で見上げると上空の雲に大穴が開き、銃のエネルギーはゼロを指していた。 

 キリに疲れが出てきた。一瞬の隙をつかれ足を払われた。尻餅をつきながら片手の剣でウダイの槍を必死に防いでいる。

 明らかに絶体絶命のピンチだ。

 駆けつけようとする洋介の足が枯れ枝に絡み前のめりに倒れた。地面についた手の先に1メーターくらいの棒が落ちていた。キリが打ち捨てた半分に折れた槍の柄の部分だ。すかさず拾い上げ手に取ると持ち手を強く握りしめた。


 「カキーン!」

 刃の当たる鋭い音がすると、キリの剣が飛ばされ空中に舞った。

 剣は何度か回転し地面に突き刺さった。

 キリの防戦もついに力尽きてしまった。

 ウダイがキリにとどめを刺そうと槍を構えている。

 キリが目を瞑る。

 その時、ウダイの様子が変わった。

 翼が姿を消し手足も人間になり、次第に斎藤力也の姿に変わっていく。

 ウダイが斎藤力也に支配され始めたのだ。

 そこを洋介の握り締めた槍の柄が、ウダイの頭上目指して強烈な一撃を加えた。

 ウダイだったら効かないが、人間には充分すぎる程の打撃だ。 

 斎藤は「ウッ」と短い唸り声をあげ槍を落とし、ゆっくりと膝をついた。

 そして胸を押さえ、せき込みながら力なく横たわっていった。

 手足を投げ出し横になるとピクリとも動かなくなった。

 すると足の先から透明になり始めた。

 今、死がウダイを支配しようとしている。 

 消えてしまう前に派遣ボートの居場所を突き止め、重力パネルを手に入れなければ帰還出来ない。

 わずかな猶予もない。

 キリはウダイの身体に覆いかぶさる様に飛び乗った。

『ウダイ! 派遣ボートは何処に隠したんだ! 教えろ!』

 血走った眼で、手で、ウダイの身体を弄りながら記憶を探る。

 その姿は狂い、取り乱し、錯乱と言う言葉でしか言い表せない。

 暫くするとキリは全ての力が抜けた様に座り込んでしまった。

 重い沈黙が訪れた。

 やがてキリの虚しい笑い声がトランスとして皆の心に響いた。 

 最悪の運命から逃れられない事を悟ったような、乾いた虚ろな笑い声だった。

『どうでもいいわ。すべてはお笑い。茶番だったのよ! ウダイ、あんたの勝ちだよ! ハッ、ハッ、ハッ』

 キリは街路灯の微かな光に照らされる中、膝をつき両手で地面を叩き続けながら力なく泣き叫んだ。

 そんなキリと次第に消えていく斎藤力也の姿を洋介、桃子、綾、吉武、藤澤、涼を抱きしめた玲子が茫然と立ち尽くし、見詰めていた。

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