第8話 ママのオムレツ
土曜日のランチ時は、平日とは別世界だ。
仕事姿は消え家族や友人で一杯となる。話題は学校や遊びとなり、席は笑顔で満たされ、賑やかでゆったりとした時間となる。
食後には決まったようにアイスクリームやケーキが運ばれ、子供の頬についたクリームを両親が嬉しそうに見つけては拭き取り微笑む。
洋介と結衣もその雰囲気を楽しんでいる。
サラダの野菜が足りなくなり、洋介が野菜をとりにキッチンから出てきた。
キッチンのドアを開けると結衣がホールの一角を見つめていた。
通り過ぎるには少し気になる雰囲気だった。
料理は殆ど出し切り、キッチンの仕事は一区切りついているので 挨拶がわりに話しかけることにした。
「どうした、見つめちゃって。イケメンでもいたか」
「野蛮人には惹かれないわよ」
「こんな所でケンカ売るなよ」
「そっちから仕掛けたんじゃない」
「申し訳ございません。反省と共に発言を取り消させて頂きます。何か心配そうに見つめていたから気になってさ」
「うーん、そうね。あそこ。カウンターで食べている小学年の男の子がいるでしょ。先週の土曜日も今日と同じように一人で来ていたわ。平日の夜に一人で来ることもあった」
「さすが、よく覚えているな。頭の中覗いたのか」
「他にスタッフもいるし、お客様全てにサーブする訳じゃないからそんな面倒くさいことしないわよ」
「両親はいないのかな」
「そうじゃないみたい。この間は夜にお母さんらしき人が迎えに来て代金を支払って行ったわ」
「ああ、思いだした。席が空くのを待ってるのかと思ったら、子供の食事が終わるのを待ってたんだね」
「そう、変でしょ。玲子さんに聞いてみようかなぁ」
「そんな面倒なことしないで、あの子の頭の中覗いてみれば良いじゃないか」
「そう言う手もあるけど、何かちゃんと順序踏んだ方が良いような気がする」
「ふーん、まぁいいや。そうしてみれば」
そう言うと洋介は、野菜を取りに冷蔵庫へと向かった。
結衣は改めて少年に眼をやった。
家族連れに囲まれて少年が一人で食事をしている光景は異様に映る。少年は、運ばれた料理を黙々と食べている。メニューと異なり、ハンバーグには野菜炒めが添えられ煮物の小鉢までついている。まるで家庭料理のようだ。しかし食べる様子を見ると少しも美味しそうには思えない。
玲子が、水差しを持って少年に近づいていった。
コップに水を足しながら笑いかけ、何かを話しかけている。
少年は笑いもせず、たまに頷くだけだ。
玲子が配膳口に戻ってきた。
結衣と眼が合ったので尋ねてみることにした。
「玲子さん、ちょっとお尋ねしたいことがあるんだけどいいかしら」
「いいわよ、何?」
爽やかな声だ。
優しく、穏やかな態度は安定感があり、何を話しても許される雰囲気がある。
「あのカウンターにいる男の子なんですけど、何か気になって」
「あぁ、あの子。そうよね。レストランで子供が一人で食事をしているのは異様に映るわよね」
「玲子さんも同じ思いだったんですか」
「そうよ。あの子は小さな御馴染みさんよ。ご両親もよく知っているわ。『レストランに来たら、バランスの良い物を好きなだけ食べさせて下さい』って頼まれているの。代金はつけにしておいて、週末に貰っている。普通はそんなことしないけど、仕方ないわ」
「何か訳がありそうね。聞いたら叱られる?」
「いいわよ。結衣さんも当たるかも知れないから、知っといて」
少年の名前は、祐一。
祐一は、小学校2年の時、母を交通事故で亡くした。
父親は暫くの間一人で、祐一の面倒を見た。しかし、男手ひとつで仕事と家事の両立は厳しいものがあった。
たまたま近くに同じ職場の女子社員がいて、時々食事を差し入れてくれた。祐一も次第に懐き、2年もすると3人で近くの公園を散歩する姿を見るようになった。それはまるで仲の良い家族のようだった。しかし、どんなに親しさが増しても父親と女性はお互いに距離を置き、関係が深まるのを意識的に避けてきた。だが次第にお互いの心の比重が大きくなるのを止めることは出来なかった。あるクリスマスの夜、二人は将来を誓い合う仲となり祐一が小学校4年となった今年の春結婚をしたのだ。
二人の結婚に祐一はさしたる抵抗を示さなかった。しかし、一緒に暮らすようになるとある困った行動をとるようになった。
毎日ではないが時々食事の前になると黙って自宅を出て行ってしまい家で食事を摂らなくなったのだ。
そっと後をつけて見ると近くのコンビニでパンを買い求め、壁にもたれパンに齧りついている。
新しい母親はショックを受け食事が口に合わないのかと思い、調理に様々な工夫を凝らした。しかし、工夫を凝らせば凝らすほど家で食事を摂らなくなってしまう。
父親も理由を質したが決して理由を明かさない。
そして両親はある決断をした。
祐一の気持ちを尊重してそのままにしたのだ。
但し、安全な所でちゃんとした食事を摂って欲しい。
そこで3月ほど前、両親からレストラン慶に相談が来たのだ。
事情を理解した玲子は快諾し、子供が来たらバランスの良い食事を提供することを約束した。
レストランのメニューにはない食事。
レストランの家庭料理を出すことにしたのだ。
レストランはバーチャルな世界。テーマパークと一緒だ。家庭料理にはない世界だ。それだからこそ人々は集まりそして楽しむ。
しかしどんなに美味しく、豪華でも満たせないものがある。
それは家族の愛だ。
どんなに素晴らしい役者でも親の代役は勤まらない。
不器用な役者が一所懸命「親」を演じている。
それがさっき結衣が見た料理だ。
キリの心に涙が溢れた。
たった一人で地球に来ている。
強がってきたが、時に折れそうになる。
両親に会いたい。
母の料理を食べたい。
『愛に甘えたい』
心からそう思った。
レストラン勤めのいい所は、シフト勤務にある。何処へ行っても空いている平日に休めるのだ。
平日の夕方、洋介と結衣は国立にある谷保天満宮にやって来た。
樹々はすっかり黄金色に色づき、枯れ葉が夕日に照らされて舞い落ちて行く様は秋を彩る妖精のようだ。
参道を入って行くと小さなベンチがある。
いつも二人で腰かけては、とりとめもない話をするお気に入りの場所だ。
今日は先客があった。
祐一だ。
洋介たちは眼合わせをし、20メートルほど離れた木陰から様子を見守ることにした。
祐一は夕暮れの中、たった一人でパンを齧りながら弁当箱の中身を木の下に撒いていた。
それが目当てか野良猫が三匹ほど集まって来た。
母親が愛情をこめて一所懸命作ってくれたお弁当を野良猫にくれてしまい、自分はコンビニのパンを齧っている。
やるせなく切ない
二人は、そんな思いで満たされた。
結衣が思わず洋介とつないだ手に力を込めた。
「イテテ!」
「ごめん、何か切なくて」
「オレもそうだよ。猫にやっているのはお弁当だろ。それもお母さんの手作りだ。あれはお弁当じゃなくて、愛を捨てているんだよ」
「きっと何か理由(わけ)があるはずだわ。どう見ても普通の男の子だもの」
「あの様子は胸が苦しくなるな」
「余計なお世話かも知れないけど、このままの状態が続くのは見ていられないわ。私、祐一君に理由を聞いてみる」
きっぱりした言い方に驚き、洋介は思わず結衣を見つめてしまった。今の言い方は結衣そのものだ。もしかすると結衣の支配力が強くなっているのかも知れない。目の前にいるのは結衣ではなくキリだ。結衣の支配が強まっているとしたら危険な兆候だ。
キリの心は洋介の気持ちを察していた。
「結衣さんの支配力が強くなっているのかも知れないわね。でもいいわ。やるべき事をやりながら運命を迎えたい」
結衣かキリか分からなくなった。
その潔い決意に洋介は恥じた。
「ごめん結衣、キリさん。オレも出来る限りの事をするよ」
洋介たちは偶然に見せかける為、とりとめのない話を装いベンチに近づくと銀色の発信機をつけた一匹の猫が結衣に近づいて来た。
『この辺り変わったことない?いい子ね、これからもよろしく頼むわ。あら、祐一君と友達なんだ』
結衣が屈んでトランスで語りかけると猫は首を傾げ、先に立って案内を始めた。 ベンチで祐一は一匹の猫を抱き、頭を撫でていた。猫も懐いているのか、安心して眼を細めている。
猫も祐一も驚かさないように気を付けて優しく声をかけた。
「あら、祐一君じゃない偶然ね」
祐一は突然名前を呼ばれて驚いたように顔を上げたがすぐに結衣と洋介だと気づいた。
「あぁ、レストランのお姉さんとコックさんか。誰かと思っちゃったよ」
屈託のない小学生の表情だ。少しホッとする。
「覚えていてくれたの。嬉しいわ」
「知ってるよ。最近入ったんでしょ。レストランの人は皆知ってるんだ」
「記憶いいんだ。レストランのお料理どお?」
「美味しいよ。でもママの方がもっと美味しいよ」
今の母親か、前の母親を指しているのか。
「お母さん、時々お迎えに来るね」
「うん、前のママのご飯も美味しかったけど。今のママも凄い上手だよ」
そんなに美味しいのになぜ食べなかったり、猫にやったりするのか。
少し話題を変えてみることにした。
「猫と仲良しなんだ。ここに良く来るの?」
「うん、今日はこれから塾なんだ。終わると7時くらいになっちゃうから、少しお腹に入れておかないとね」
気になるのか、自分の撒いた弁当の中身に眼が行く。
「お弁当、落としちゃったの?猫ちゃん達ラッキーね」
「落としたんじゃないよ。あげたんだ。いつもあげてる」
「お母さんが作ってくれた美味しいお弁当なのに、勿体ないね」
子供の心にも『新しい母親に申し訳ない』という気持ちがあるのだろう。
俯きながら猫を抱きしめ、黙り込んでしまった。
洋介の頭の中に結衣の声が響いた。
『この子の深い記憶を覗いてみることにするわ。何か分かるかも知れない』
『君にしか出来ないことだな。好きにすればいい』
祐一のトランスにシンクロさせ、そっと記憶を遡ってみる。
幼い頃の母の想い出。笑顔や匂い、仕草。優しい愛の交差点を曲がったり戻ったりしながら少しずつ辿っていく。
すると料理の記憶に行きついた。
小学校2年生、祐一は学校でお弁当を開こうとしていた。
いつもは給食だが、その日は年に何回かのお弁当の日。
祐一の通う小学校では食育を兼ねて、教育の一環として設けられていた。
開けると黄色いオムレツに俵型の小さなおむすびが数個。
それ以外にフライや果物が入っていた。
オムレツを少し食べ、おむすびに箸をつけた時教室のドアが開き教頭先生が入って来た。
担任の先生に小声で何かを伝えると、祐一に近づき教科書を纏めるように指示をした。
教頭先生と一緒にタクシーに乗り、着いたのは市の総合病院だった。
病室のドアを開けると、そこには交通事故で心肺停止状態の母親がいた。
寝ているのかと思い、黙って立っていると看護師が手を取り母親の手を握らせてくれた。
冷たかった。
不思議に悲しみはなかった。
と言うより、理解出来なかった。
父親が到着するまで、一人で病室にいた。
何故かお腹が空いてきた。
『こんな時でもお腹が空くんだ』
切なく母を見詰めながら再び弁当箱を開けた。
語りかけても応えない母の傍で残りのお弁当に箸をつけた。
朝作ってくれた大好きなオムレツなのに、味は一緒なのに、無機質な切ない味だった。
涙がとめどなく流れた。
一つだけ誓った。
『ママを忘れない。絶対にだ。忘れるのは、ママへの裏切りだ』
そう呟くと、弁当箱の片隅に残されたオムレツを一気に掻き込んだ。
新しい母親は、優しく料理も美味しかった。
そうであればある程、誓いを忘れ新しい母親に懐いていく自分が許せなかった。
『洋ちゃん分かったわこの子、凄い無理して。でも、もう大丈夫。少しだけ記憶をいじるわ。記憶を想い出に変えてみる。集中が必要らからトランスバリアを外すわ』
『大丈夫かウダイに気づかれないか』
『ほんの一瞬だからそう簡単には探知出来ないと思う』
『気をつけろよ』
『大丈夫、任せて』
結衣が腰を落として祐一の手をとり優しいトランスを心に送った。
祐一が暖かい気持ちに満たされると優しく語りかけた。
『我慢してたんだね。もう無理しなくていいよ。お母さん大切にしようね』
心から聞こえる声。
祐一は少し驚いたが、少しも違和感はなかった。
独りぼっちで抱えていた悩み、迷い。
幼い心に抱えるには重すぎた。
理解してくれる人に出会った。
祐一の頬が涙で濡れた。
結衣の手を固く握り締めて離さない。
柔らかな冬の日差しが三人を照らし、木々から吹き降ろす風が妖精のように葉を舞わせた。
その姿を少し離れた木陰から黒い探知機を首につけた猫が見つめていた。
新宿の雑踏でウダイは、メッセンジャーからのトランスを受け取った。
『キリは谷保天神だ』
しかしそのトランスにウダイは家族の愛を感じた。
バムに残した家族を思い出させる。
地球に来てから随分長く経った気がする。
街を彷徨っては小さな動物の命を奪い続けた。
コピーは、人を殺りたがる。
その衝動に負けそうになりながら、かろうじて耐えた。
殺伐とした毎日の中で久々に愛のトランスを感じた。
バムを脱出しようとした日を思い出させる。
ウダイは、バムの国防軍大佐。バムの軍事独裁的な政治体制と長びく戦いに失望し、家族と共に亡命することにした。
長い間の星間勤務で他星人の友人が出来た。そして亡命の手引きをしてくれることになったのだ。亡命先の星は決して快適とは言えないが、戦はなく家族で平和に暮らしていける。
計画通りいけば家族は別の星を経由してそこに向かっているはずだ。
後は、自分が星間宇宙船に乗り込むだけだ。
そのまさに乗り込もうという、その瞬間。
最後の詰めでとんでもない事態が待っていようとは思わなかった。
バムの秘密警察と出会ってしまったのだ。
「ウダイ大佐。これは久しぶり。こんな所で出会うとは総統閣下のご加護か。大佐はこれから他国への視察かな。渡航証明を提示してもらおう」
手にしているのは、偽造の渡航証明書だ。
「我が国としては、困るものがある。それは我が国の素晴らしい体制が他国から誤解されることだ。特に亡命者の間違った情報からね」
偽造の証明書であることは、秘密警察の照合ですぐ判明した。
「困りましたな。悪戯が過ぎたようですな」
すかさず、秘密警察から提案がなされた。
「君の奥方、息子さんは安心していい。すでに保護している。これからは君次第だ」
そう言うと小さなキーが渡された。派遣ボートのキーだ。極めて危険なミッションだ。軽巡洋艦で地球へ向かい派遣ボートで侵入する。そして調査をし、シクラの調査官を殺害する。このミッションを遂行出来る軍人はそういない。明晰な頭脳と高い身体能力に加え、強い使命感か「ミッションを遂行せざるを得ない理由」を持つ者だけだ。
ウダイは新宿の雑踏の中、駅へ向かい中央線に乗り込んだ。
雑誌の編集部では、綾が写真のチェックをしている。そのデスクへ桃子がやって来た。
綾が『何か』と見上げた。
「綾、また取材が来たわよ」
「何、もうオヤジはごめんだよ」
「それが又、オヤジなのよ。私だってイケメンのアイドルにしたいけど編集長の命令では仕方ないわ」
一見自由業のように思える雑誌記者だが給料をもらっている以上はサラリーマンだ。仕方がないと溜息が出る。割り切るしかない。
「分かった。今度はどんな奴」
「それが結構面白いの。警視庁を退官した元刑事」
「そんなの何処にでもいるじゃない」
「最後の7年間は、ある犯人を執拗に追い続けた」
「へぇー何か執念を感じるわね。でっ、誰を追いかけていたの」
「指定暴力団の構成員。斎藤力也」
「えっ、斎藤力也。人を殺すためだけに生まれた男。伝説の殺し屋じゃない。生きているの? 死体は上がってないけど、去年殺されたっていう噂じゃない」
「それが生きているらしいの。そのオヤジの話では、鐘ヶ淵駅のあたりで見かけて、捕まえる寸前までいったって言うのよ」
「ふーん、幽霊じゃない訳ね。じゃあ、行って見っかぁ」
「それとは別だけど、この間一緒に取材に出かけたじゃない。あの時お昼食べたよね。経費精算しようと思って領収書探したけど見つからないの。領収書もらったっけ? 思い出せないのよ。食べた店、何処だっけ?」
「ファミレスだよ。シェフズガーデン」
「そうだよね。それで再発行出来ないか聞こうと思って、ネットのホームページ見たら、あの店先月閉店していたんだよ」
「エッ、じゃあ何処で食べた訳、私達」
「でしょ」
綾は妙な胸騒ぎを覚えた。
「あのさ、桃子。ちょっと見て欲しい写真があるんだけど」
一枚の写真が桃子に手渡された。
「ふーん、郊外のレストランって感じね。大きなオリーブの木」
「こんな写真撮った記憶がないのよ。それだけじゃないわ。オリーブの木の横、2階の窓が見えるでしょ」
「ああ、窓が開いて奥の人がチラッと見えるわね」
「その人、よく見てよ」
写真を見た桃子は眼を見張り、綾を見つめ返した。
「結衣だ! まさか」
今晩、レストラン慶のキッチンはいつもと違う雰囲気に包まれていた。
キッチン全員の眼が一人の女性に注がれている。
洋介の隣でオムレツのフライパンを振っているのは、祐一の母親だ。
祐一は、新しい母親も料理も嫌いではなかった。いや、むしろ好きだった。しかし新しい母親の愛情に慣れ、料理に親しむ程前の母親の記憶が薄められていく。懐かしい母親の記憶が逝ってしまう。母が「想い出」になることに耐えられなかったのだ。だから好きな料理が出て来るたびに家を出てしまった。
だがどうしても忘れたくない味があった。
それがあればいつでも母を思い出すことが出来るたった一つの料理。
それは、ママの作ったプレーンオムレツ。
嬉しい時、叱られた時、笑った時、泣いた時、いつも優しい笑顔で作ってくれた。食べると心が暖かさで満たされ素直な気持ちになった。
それは、卵2つに牛乳と蜂蜜を少し加えてほんのり甘めに味付けしたオムレツ。
結衣が祐一の記憶から見つけ出し、洋介が何度も作り直しては結衣が試食してレシピを完成させたのだ。これを食べた時だけ想い出にしたママが記憶として蘇るように記憶の糸を組み替えた。
今、そのレシピを新しい母親に伝えている。
洋介の作ったエビフライの横にオムレツが添えられ、結衣に渡された。
結衣が、祐一のテーブルまで運んだ。
キッチンもホールも首を伸ばして見つめている。
祐一は、オムレツを見て『おやっ』という顔になった。
恐る恐る、口に運ぶと嬉しそうに笑った。
レストランで見せる初めての笑顔だ。
美味しそうに箸を運び、オムレツをアッという間に平らげた。
キッチンの中は、大騒ぎだ。
ゲンさんは太った上体を揺すりながらステップを踏み、チョーさんは菜箸をドラムスティックのように回している。カッちゃんはガッツポーズを決め。社長と洋介はハイタッチを繰り返し、母親は何度も頭を下げている。
食事を終えたところで顔なじみの玲子が祐一に近づいた。
「祐一君、どうだった。今日のお料理」
「うん、とても美味しかった。なんて言ったらいいか」
「これ、お家で食べられたら、この店に来なくなっちゃうかなぁ」
「そんなことないよ。皆で来るよ。でもいつもは家で食べる」
「良かった。じゃあ、今日のコックさん紹介するわね。シェフ、どうぞ!」
玲子の声に誘われてエプロンを下げた母親が笑顔でやって来た。
祐一は驚いたが、すぐ嬉しそうな表情に変わった。
そして「ママ!」と小さく叫んだ。
愛の衝動が体を貫いた。
祐一は椅子を蹴ると立ち上がり母親のもとに走り寄った。
母親は両手を広げしっかりと祐一を抱きしめた。
二人は涙で何度も抱擁を繰り返した。
それは不器用な役者に親代わりが終わったことを告げるサインだった。
配役達に見送られ、二人は手を繋ぎレストランを後にした。
月が新しいスタートを切った親子の背を照らし続ける。
『食事って愛なんだ』
皆の心に料理の意味が落ちてきた夜だった。
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