第5話 レストラン
五日市街道、小金井公園の近くに2階建ての小さなレストランがある。
入口の横に大きなオリーブの木が寄り添うように立ち、少し年期の入ったベージュの外壁に赤い木枠の窓ガラスとレンガ色の煙突が南欧の民家を思わせる。
入り口には、「RESTAURANT慶」と言う古びた青銅製の看板が掛けられている。
レストランの敷地は道路に面して150坪ほどの長方形である。そのうち道路側から見て左側三分の一程がレストランで残りが駐車場だ。レストランの建物は、ほぼ四角形で駐車場に面して道路に直角の形で入り口が配置されている。ドアを開けると6坪程のエントランスがあり待合用のソファや椅子、入り口と相対してレジとケーキの冷蔵ケースがある。ホールの雰囲気は木目を基調としており新しくはないが、いい意味で使い込まれ清潔だ。テーブルや椅子もがっしりとしており安定感がある。その中に四人席が12卓ほど、別にカウンター席もあり一人用の席が10席ほどある。建物の奥には2階へ続く階段、トイレと食品倉庫、そして厨房が配置されている。2階は30畳ほどの宴会場と従業員用のロッカーや事務所となっている。
宴会場は、宴会以外に地元の趣味サークルなどの会場としても貸し出されており、オーナーはボランティア兼地域貢献と割り切っている。
店のメニューは、いわゆる洋食が基本だ。シチューやハンバーグ、カツレツやスパゲティ等を中心とした気取りのない昔ながらの洋食屋だ。
それ以外にケーキが評判だ。それだけをテークアウトしに来るお客も多いのでケーキ用の冷蔵ケースを置くきっかけとなった。
お客は、古くからの馴染みが多く、従業員と名前や愛称で呼びあうことも多い。アットホームな雰囲気なのでコックも長く居ついており、そのうちの一人が高齢となり先月退職したので、その後釜として洋介が加えられたのだ。
12月3日、今日が勤務初日だ。
午前9時、2階のロッカーでコックの制服に着替える。自然と仕事モードとなる。一階のキッチンに入るとデミグラソースの匂いがしてきた。牛筋や野菜を丁寧に煮込み、基本に忠実で手間暇をかけた作りなのが分かる。
ストーブの前で寸胴をゆっくりかき回している60代半ばのコックがいた。身長は170センチ位で髪は白く、少し腹が出ているが鍛えられた太い腕がコックとしてのキャリアを感じさせる。洋介に気づくと身体から洋食の匂いをさせて穏やかに笑いかけてきた。
首から下げたタオルで額の汗をぬぐうと洋介に近づき握手をしてきた。
オーナーでコック長の藤澤だ。
「やぁ、待ってたよ。どうだいキッチンの感じは」
キッチンは使い込まれているが、清潔ですべてが使いやすく配置されている。これはとても大切なことだ。清潔なのは、衛生上はもちろんだが皆が店と職場を愛している証拠。そして使いやすい配置は、チームで良く話し合いが行われている成果だ。
洋介は、その感じたままを藤澤に伝えた。
藤澤は、それが余程嬉しかったらしく食材のストックも案内してくれた。ストックを見て思わず唸る。その食材に相応しいストック方法だけではない。それぞれのストックに確認したコックの名前と納品日が記録されているのだ。食材の鮮度を保ち、無駄にしない。それに対して一人ひとりが責任を持つ。当たり前の事だがなかなか出来るものではない。それが全員で継続されているのだ。
「素晴らしいです。早く一員になれるように頑張ります」
自然とそんな言葉が出てしまう。
するとホールから明るい声が聞こえてきた。ホールを覗くとホールチーフらしい30代半ばの女性と学生アルバイト風の女性スタッフがテーブルの花を替えながら笑っていた。茶色のスカートにベージュのブラウスが清潔だ。
二人が花の配置を整えているとレジの電話が鳴った。ホールチーフらしい女性が電話に出た。何やら深刻な様子だ。『あまり見ていては失礼だな』そう思い眼をそらすと二人のコックが冗談を言い合いながらキッチンのドアを開けて入ってきた。
一人は40代半ば160センチ位赤ら顔で太っている。もう一人は20代前半、180センチ位で今風のとがった髪型で金色に髪を染めている。
藤澤が洋介に二人を紹介した。
先ず、40代半ばのコックを紹介した。
「こちらが『ゲンさん』名前は厳ついけど、専門はパティシエ。ケーキは絶品だよ。レジ前のケースでも売っている、うちの名物だよ」
ゲンさんと呼ばれたコックは嬉しそうに手をもみながら握手をしてきた。
「赤星源一郎です。俳優みたいな名前だろ。顔とアンマッチなんですぐ覚えてもらえるし 便利なんだ。よろしく」
次に藤澤は、背の高いコックを紹介した。
「こちらは『カッちゃん』加藤一樹さんだ。専門はイタリアンさ」
カッちゃんと呼ばれたコックは、照れくさそうに手を振った。
「社長やめて下さいよ。イタリアンなんてとんでもない。前のレストランでちょっと齧っただけですよ。作れるのはナポリタンくらいですよ。よろしくお願いいたします」
明るく笑うと礼儀正しくお辞儀をした。とても気持ちのいい挨拶だ。
いつの間にかホールの女性が藤澤の後ろに立っていた。気配を感じて藤澤が振り返るとクスクス笑っている。
ホールチーフらしい女性が藤澤の腋をつついた。
「お父さん、ほかにも紹介する人いるでしょ」
藤澤は、眼を細めながらも口調をわざとらしく強くした。
「お前、店じゃ社長と呼べと言ってるだろ。しょうがない奴です。紹介します。娘の玲子です。ホールを任せているので一応『マネジャー』と呼んでやって下さい」
玲子はエプロンで手を拭きながらニコリと笑いかけた。
「よろしくお願いします。今は藤澤玲子。何でかって言うと、バツイチで姓を戻したから。一人の子持ち。よろしく」
藤澤が少し慌てた。
「余計な事言わなくてもいいの。エーッと、それからっと」
そう言うと藤澤は、玲子の後ろに隠れているアルバイトを見つけた。
「コラコラ、隠れていないで。こちらは学生アルバイトの上原菜奈さん『ナナちゃん』だ。」
アルバイトは、にっこり笑ってペコリと頭を下げた。
「キッチンにはもう一人いる。長井修一『チョーさん』だ。和食上がりなんでターナー(フライ返し)を使わないで、なんでも菜箸でやっちゃう、器用なもんだよ。残念ながら今日は休みだ。そうそう、川島さんの呼び名も決めないとな。『洋ちゃん』でいいかい」
「前のレストランでもそうでしたからよろしくお願いします」
洋介が頭を下げると拍手が沸いた。
藤澤が周りを見廻した。
「じゃあ、これで紹介はほぼ終了だ。他にもホールのアルバイトさんやパートさんがいるけどその都度紹介するわ。あれっ、今日は一人足りないな」
玲子がその様子を見て笑っている。
「社長やっと気づいたわね。今日紹介しなければならない人がもう一人いるの。沢井洋子さんと言って、ご家庭の主婦なんだけど、先ほど電話があって、仙台のお母さんが昨日突然倒れて入院したんですって、年内は無理みたい」
先ほどの深刻な電話の様子はその件だったのだ。
藤澤が眼を丸くした。
「オイオイ、無理みたいって、今日からダメなのか」
「今、仙台よ。無理に決まっているじゃない。ナナちゃん今日は、2時までホール二人だから忙しいわよ」
藤澤は少し慌てた口調になった。
「そりゃ、事態は分かったけど、明日からどうする。毎日来てくれるのは洋子さんだけだろ。こりゃ痛いなぁ。どうする玲子」
「他のバイトさんやパートさんにも声かけるけど、学生さんは試験だったり故郷に帰ったり、主婦の方は年末年始の準備で忙しいから急に来てくれといってもねぇ。でも料理をテーブルに運ばないとレストランにならないし」
少しだけ空気が重くなった。
洋介にいいアイデアが閃いた。
「あのー、いいですか」
藤澤がオヤッという顔になった。
「ああ、何かいい考えがあるかい?」
「エエ、先ずは今日なんですけど、もしキッチンが三人で回せるなら、僕がホールに入ります。そのほうがお客様の雰囲気も分かりますし、今後の参考になりますから。それから今後のホールの係なんですが、心当たりがあるんですけど」
玲子の顔が明るくなった。
「今日のキッチンは、三人で大丈夫よ。いつも三人なの。今日は慣れてもらうために四人にしているだけ。だからホールに入ってもらえると助かるわ。それから心当たりの方ってどなた?早速お名前とか条件とか聞かせて」
藤澤が少し慌てた。
「オイオイ、まだ本人の気持ちだって確認していないんだから失礼だぞ」
洋介と結衣、バリアでお互いの安全を確保するにはいつも一緒にいなければならない。
働く以上は、名前と住所を隠すわけにはいかない。
「いいえ構いません。大丈夫です」
玲子が気を取り直して尋ねた。
「すいません。私つい嬉しくなって、差し支えなければご本人の気持ちを確認してから聞かせてくださいね」
みなの視線が洋介に集まった。
「構いません、名前は如月結衣。条件ですが休日とシフトは私と同じにしてください。住まいは、住まいは私と一緒です」
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