第4話 宇宙人
二人はテーブルを挟んで沈黙の中にいた。
会話の糸口が見つからない。
「シュッ、シュッ、シュッ、シュッ」
薬缶からの蒸気が暗くなった窓を白く曇らせる。
洋介は、立ち上がると紅茶のポットにお湯を注いだ。
暫くするとフォートナム&メイソンの深い香りがしてきた。
結衣の好きな紅茶だ。
「カチリッ」
洋介が慣れた動作でソーサーにカップとスプーンを添えた。
レストラン勤務の動作が自然に出てしまう。
『職業病か』
苦笑すると、後ろのテーブルで結衣も笑っていた。
「洋ちゃん動きはいつも一緒ね」
ソーサーを両手に持ち、一つは結衣の前にそっと置いた。
「ありがとう」
結衣は小さく頷くと、カップに顔を近づけた。
「ああ、いい香り。ほっとするわね」
肝心な話に近づけない。
結衣には、洋介の気持ちが伝わってきている。
結衣は、明るさを装った。
「さあ、本題に入ろうか!」
「いいのか?」
「これは、きちんと話さないと。話すのを避けてもそれはハードルを越えたことにはならないわ」
「ハードル蹴って、先延ばししただけか」
「うまいこと言うわね」
「じゃあ、気持ちの乗ってきたところで話を聴かせてもらいましょうか、エーッとキリさんでいいのかな?」
結衣は、紅茶を見詰め少しため息をつくと話し始めた。
「結衣でいいわ。話しかけ易い名前で呼んで。じゃあ、分かり易く話すわ。聞いてもらえる。私は、タイラ星のシクラから来たクレ第8管区の星間調査官、キリ」
「いきなり来たね。特技は、クジャクさんみたいにお空を飛ぶことかい」
「あのね、ちゃんと聞いてくれない。聞かないなら食べるわよ」
洋介は、すこし咳払いして真面目な顔になった。
「すまん、少しリラックスさせようと思ったんだ」
「ありがとう、それは後でいいわ。じゃあ、続けるわ」
キリは地球から250万光年離れたアンドメダ銀河にあるタイラ星からやって来た。
タイラ星は、極めて特殊な環境の中にあった。それは、殆どの星に備わる自転がなかったのだ。何故「なかった」と言う過去形なのかは後述する。
自転のない時代のタイラ星では、昼は永遠の光の中にあり夜は永遠の闇の中にあった。
生命の誕生に一定の法則はない。全ては気まぐれな偶然から生まれる。自転のないタイラ星でも生命は誕生した。奇跡の重なりを繰り返しながら、やがて昼と夜の境界線から鳥類に似た新たな種が誕生した。
やがてその種は昼と夜と言う異なる環境に分かれ、それぞれの環境の中で進化を遂げ生態系の頂点に立った。しかし双方が暮らせる昼と夜との境界線では時として収穫物をめぐって小さな争いが発生した。そこで双方は相手を認めると声で警告を発し、争いになるのを避けるようになった。しかし伝える内容も伝わる範囲も限定的であり完璧ではなかった。共通の遺伝子を持ち争いを好まない双方はそれを避ける為、高周波の脳波を発生させる能力を身につけていった。脳波を発信することによって警告を発し、お互いが異常に接近するのを避けるようになったのだ。それはやがてトランスと言う直接脳に語りかけるコミュニケーション能力へと進化を遂げていった。
言葉ではなく直接脳に伝える能力は、相手にイメージや知識を簡単にコピペ出来る。そして声で伝える必要がなくなると脳の一部が未使用となり、空いた部分が更なる記憶の蓄積に使用されるようになった。
それはやがて膨大な記憶の蓄積能力へと進化を遂げていった。「転送し複写できる能力と膨大な記憶の蓄積量」は、高度な知識や技術をあっと言う間に共通のものとし、科学技術の著しい発展をもたらした。そして共通の能力を手にした双方の種は昼と夜それぞれの領域で穏やかに暮らし、トランスで情報を分かち合いながら交易を続け友好的な発展を遂げていった。
そして昼の種族は「シクラ」夜の種族は「バム」と言う国を創り繁栄した。しかし時として神は無慈悲な運命を与える。それは、地球歴で今から400年程前に突然やってきた。
タイラ星が何の前触れもなしに突然「自転」を始めたのだ。自転によって昼と夜が交代でやって来る。それぞれの種族はパニックを起こし、昼と夜の環境を求め彷徨い、移動を繰り返した。混乱を発端として争いが起きるのにさして時間はかからなかった。それはやがて種族間の戦争へと拡大していった。
戦争をした事のない双方の種族は、ルールや止め方を知らない。止める術のない戦争は無制限に拡大し、酸鼻を極め憎しみだけが蓄積されていった。
しかし戦争の中でも科学技術は発展し、自転による環境の変化を克服して双方は元の領土に落ち着いた。しかし、克服出来ないものがあった。
それは長く蓄積された「憎しみの記憶」だ。
長い戦争はお互いの種族を減少させ国力の衰退を招いた。双方は存続が困難になるまで疲弊し、自然環境は徹底的に破壊された。住める環境を失い、果てる事のない消耗戦に耐え切れられなくなった双方の種族は、巨大な宇宙船を建造し、宇宙空間へと脱出した。そして結果としてタイラ星からは争いがなくなり環境は回復した。しかしタイラ星に戻る事は出来ない。何故なら戻ればまた戦争が始まるからだ。タイラ星には、暮らす事の出来ない平和と豊かな自然環境が復活した。
これをアイロニーと呼ばずして何と呼ぶのか。
やがて疎開先の宇宙船は巨大化し、無数に結び付き壮大なコロニーを構成した。しかし、いかに巨大な建造物を作ろうとも自然の力には及ばない。万里の長城が山脈になれない様に、コロニーは星になれない。
シクラもバムも移住出来る環境を求めて様々な星へ調査の手を伸ばした。しかし結果は、芳しくなかった。先ずは住める環境を備えた星そのものが殆どなかった。又、何とか住める星があっても先住民がおり、軍事力もあり制圧するには払う犠牲が大きすぎた。そしてとうとう地球のある太陽系、シクラで言えば「クレ第8管区」に調査の手が伸びてきたのだ。
「クレ第8管区」は、銀河系のはずれに位置する。移動距離も従来とは比較にならないほど遠く、膨大な資材とエネルギーが必要とされる。従来は、数名の星間調査官を送り込んだが、今回は2人が精一杯だ。しかもバムに放ったシクラの諜報員から、バムもウダイと言う1人の星間調査官を送ることが報告されていた。
シクラもバムも膨大な憎しみの記憶が受け継がれている。お互いにとって存在自体が許されないものとなっている。ミッションにはバムの星間調査官を消すことも加えられた。
地球への航海は、太陽系近くに開く宇宙空間ループを利用する。ただし、開くのは地球歴で1年に1回だけだ。ループはシクラとバムそれぞれのコロニーの近くで一斉に開き、太陽系近くで合流する。地球へ向かう派遣船はループの入り口で待機し、開くと同時に飛び込み地球に近づいた所で派遣ボートを打ち出し、即座に引き返す。
派遣ボートは地球に到着すると軌道上から相応しい個体に生命コピー装置の照準を当て知識と姿など全てを吸い取って成り済ます。同様な装置は、バムも保有しており、どちらの装置が優れているかは不明だ。
調査の痕跡は絶対に残してはならない。もしそのような痕跡を先住民に知られたら対応策を準備され侵攻の妨げとなる。知られる事無く忍び込み、気が付いた時は手の付けられない状態になっている。
これが理想だ。
存在のダブリを避ける為、コピーするには死を迎えた個体を選ぶ。そして死すらコピーしたので何らかのトラブルで命を落としても証拠となる「カタチ」は残らない。
コピーの有効期限は地球歴で約1年。コピーした当初は自分自身が個体を支配している。しかし有効期限が近づくにつれ徐々にコピーした個体の力が増していく。そして最後は完全に支配され、元の自分に戻れなくなり死を迎え、同時にカタチも姿を消す。
それを避けるには、コピーに支配される前に帰還船に戻り、事前にストックしておいた本人のバックアップデータを再注入して元の自分に戻らなければならない。
1年というコピーの有効期限はループが開き、帰還船が迎えに来るタイミングとほぼ同じで極めてリスキーだ。
やがて予期された通りループが開くと傍で待機していたシクラの派遣船は即座に飛び込み、太陽系の近くまで短時間で移動した。しかしループを出るとバムの派遣船と鉢合わせをした。即座に壮絶な撃合いが始まり、双方は徹底的に破壊され全乗組員と共に消滅した。
キリとコンドは派遣ボートでかろうじて脱出し、地球に向かったが途中ウダイの派遣ボートと遭遇し、再び撃合いとなった。双方は被弾し、航行能力は著しく低下した。何とか地球に向かったものの軌道上でコピー対象を選択する時間は極めて限られたものとなってしまった。
不時着寸前キリは結衣に照準を合わせることが出来たが、キリを優先させたコンドは猫にコピーの照準が当たってしまった。
間もなく1年になろうとしている。
今まで、派遣ボートの中で残されたエネルギーを細々と使用しながら調査を続けてきた。しかしエネルギーの残量が深刻な状態に近づいてきた。これ以上エネルギーを消費すると帰還船が来ても地球の重力圏から脱出できなくなる。
2週間ほど前にキリとコンドは派遣ボートから出る決意をした。これは極めて危険な判断だ。外へ出れば、自分たちのトランスが外に漏れ、相手に発見される可能性が高まるからだ。
トランスの探知能力と発信力は、半径50メーター程度過ぎないが、双方は相手の調査官を探知するために小動物に探知機をつけてメッセンジャーとしている。
メッセンジャーは、微かなトランスの漏れでもあれば探知し相手のいる場所を送信する。メッセンジャーはどこにいるか分からない。街角で餌をあさる野良猫かも知れないし、駅前に群れている鳩かもしれない。従って双方は自分のトランスが漏れて相手に居場所をつかまれないよう、常にトランスバリアを張る必要がある。
やがて厄介な事態がやってきた。
コピーの力が強くなってきたのだ。2人は時々シクラ人であることを忘れるようになってしまった。時としてキリはコンドのことを猫として扱い、コンドもキリのことを人間として警戒するようになってきた。その時間が増えるにつれ二人の行動は次第に別々となり、気が付いた時は離れ離れになり、時にバリアを張る事すら忘れるようになった。
冬の窓を揺らす風の音がした。
カップの紅茶は、すっかり冷めてしまった。
「でっ、空飛ぶ円盤はどこに駐車したんだ。路駐だと駐禁とられてレッカー移動されるぞ」
「路駐はしていないわ。公務員だから法律は守るの。ちゃんとした所に停めてあるわ」
「24時間営業のタイムズか。早く出さないと料金かさむぞ」
「大丈夫、公共施設の一部を借りているわ」
「税金払ってから言えよ」
「結衣さんは払っていたわ。悪いけど彼女の支払いの一部を借りることにしたの。派遣ボートは、善福寺公園にある池の中に隠してある」
「それは、飛べるのかよ?」
「大気圏内をうろつく程度にはね。だけど地球の重力圏からの脱出はできない」
「エネルギー不足か?」
「エネルギーは何とかなる程度あるけど、直前の戦闘で重力パネルが損傷を受けている。これはウダイも一緒だわ」
派遣ボートは、重力をコントロールして飛ぶヨット。船体全体に張り巡らされた重力パネルが地球や月、他の惑星の重力を輪ゴムの様に掴んだり、離したりして飛ぶのだ。だから大気を利用する飛行機と異なりジグザグな飛び方が出来る。
重力を均一にとらえるには、できるだけ円形に近い方が良い。地球で見られる宇宙船が円盤や葉巻型なのはその為である。
「じゃあ、地球からの脱出はむりかぁ。それなら、迎えの船に無線で位置を知らせて拾ってもらえばいいじゃないか」
「これだから戦争をやったことのない素人は困るのよ。いい、決闘と戦争の違いは何だと思う」
「決闘は一人、戦争は集団で戦うことかな?」
「そう、それ。そのためには、お互いに連絡しあう通信手段が必要。昔は太鼓や狼煙だったけどそれが電線から無線通信に替わっていったわ。連絡手段の大切さは、私たちも共通。だから戦闘が始まれば相手の通信手段をまず破壊する」
「そして相討ちか?」
「そう、当たり。だからお互いに相手の通信手段を破壊した」
「じゃあ、帰還船がいつ来たか分からないし、連絡もつかないじゃないか。」
「そんなことも想定した危機管理の方法があるの。ある合図があったら派遣ボートで地球の重力圏外へ飛び立つ。何とか飛び立って地球の重力圏から脱出すれば、向こうが掴まえてくれる」
「じゃあ、とにかく飛ぶしかないのか。でも飛べないんだろう」
「そんなことはないわ。やり方はある。ウダイの派遣ボートから重力パネルを引っぺがして私の派遣ボートに貼る」
「一緒に脱出しないのか?」
「ハッ! そんな事出来る訳ないじゃないの。あいつと勝負して重力パネルを奪う」
「ケンカか、随分物騒だな」
「やりたくないけど、忘れられない憎しみの記憶が許さないわ」
「ウダイは、強いのか」
「とてつもなく強い。普通では敵わない。洋ちゃんならイチコロよ」.
「それでもやるのか」
「そう、バムの種族を見たら殺す。心と身体が自然とそうなる。積み重ねた記憶がさせる宿命なの」
「勝てる方法はあるのか」
「あるわ。今なら」
「伺いたいですね。その奇跡の戦術とやらを」
「ソラマチで気づいたんだけど、ウダイにも弱点がある。バムは、いつも夜の中にある。昼の光に弱い。だから昼に勝負をかける。昼なら対等の勝負が出来るかもしれない」
「逆トリ目か。今の説明で分かった。ウダイがサングラスを蹴って外された時、目を覆ったよな。そしてサングラスを壊されたのでついてこられなかった。じゃあ、君は夜に弱いのか」
「勿論、私は普通のトリ目よ。だから夜がダメ。荻窪で出会った時、光の増幅用メガネをかけていたの」
「そうか、勝負事と地球に来た理由は分かった。もう少し教えて欲しいことがあるんだけど、いいかな」
「分かっているわ『プラットホームに駆け上がった時は、ホームに誰もいなかった。それなのにどうやって後ろから現れたのか』でしょ」
「分かっているね」
「そりゃそうよ。頭の中分かるもん。スケベな事考えているのもね」
思わず洋介は、両手で頭を抱えた。
「無理よそんなことしても。でも洋ちゃんの中は覗かないから安心して」
キリはコンドと逸れた後、一人で行動した。そして泊り先を変えながらコンドを捜した。しかしその中で次第に結衣の力が強くなっているのを感じていた。
知らない星でたった一人になり、友を捜す。どんなに心細かったろう。洋介は火星探査でとりのこされてしまう『火星の人』と言う物語を思い出した。
「心細かったろうな。ンッ、ちょっと待てよ。あっちこっち、泊まり歩いたんだろ。お金はどうした?」
「簡単よ。派遣ボートのコピー機で幾らでも作れる。人のコピーが作れるんだからお札なんて軽いもんよ」
「えーっ、それはまずいだろぅ!」
「大丈夫、本物だから。日銀のコンピューターに忍び込んで発券番号を抜いた。だから同じ紙幣はない。日銀で刷るか、空飛ぶ円盤で刷るかの違いだけ。法律は守るの」
「ありか、それっ! でも緊急時だからなぁ。まっいいや、それからどうした?」
結衣の力が強くなり、時々結衣になる。そしてあの深夜、総武線に乗り込み荻窪駅に近づいたとき切なく懐かしい感情がこみ上げてきたのだ。
洋介の気配がした。
気が付いた時は、中央総武線から降りてプラットホームに立っていた。そして洋介と目が合うと自然に手を振っていた。
洋介が中央線を降りて自分に向かって近づいて来る。
切ないほどの嬉しさに満たされていた。
『逢いたい』と心から思うとプラットホームで再び向かい合ってしまった。
その時『マズイ』と気づいた。
「逢ってはいけない。記憶を消そう」
そう決意し洋介の記憶に入り込み、一端記憶を消した。
しかし愛情は消せない。
やっと消したはずなのに、後ろに回ると洋介の肩を叩いてしまった。
「これが愛っていうの?」
「うん、そうだよ。そうあって欲しい。君は人の記憶を組み替えることが出来るのか」
「そうよ、だけど心の中を覗いたり、記憶をコピーするのとは訳が違う。記憶を組み替えるのは、他の記憶と『つじつま』が合うようにしなければならない。非常に繊細な作業。時間と集中力が必要とされるわ。トランスバリアをはじめ一切の事が出来ない、一番無防備な状態になるからとても危険なの」
「シクラの人は誰でも出来るのか」
「高度な才能があり、訓練に耐えられた者だけが出来る。しかも絶対やってはいけないことだから、政府の特別なライセンスが必要。そして人の記憶を加工している時は強烈なトランスが発信される。だから普通は厚いバリアに囲まれた環境の中でやるの」
キリには、まだ洋介に伝えなければならないことがあった。
言いだしづらく重い内容だ。
結衣は、紅茶のカップをスプーンでかき回しながら少しためらった。
「結衣、まだ言いたいことあるんだろ話せよ」
「えっ」
「分かるよ。お前何か言いづらいことがあると、スプーンで遊ぶじゃないか」
キリの心の中で結衣の存在が大きくなってきている。恐ろしくなり、思わずスプーンをソーサーに置いた。
「じゃあ、話すわね。ごめん、洋ちゃんを巻き込んでしまったの」
そう言うと何故か涙が溢れてきた。
この感情は何なんだ。
シクラ人にも地球人と同じように愛はある。しかし異星人に愛情を抱くことはあり得ない。
この感情を否定しようとする自分と肯定し受け入れたい自分がいる。
素直に、今の気持ちを打ち明けることにした。
「実は洋ちゃんのトランスの特徴をウダイに知られてしまったの」
「どう言うことだい」
「地球人は、とっても微弱なんだけど私たちと同じようにトランスを発信している。脳波って言うのね。私たちはそれが外に漏れないようにバリアを張っているけど、地球人にはそれが出来ない。だから栓のない水道のように漏れ続けている」
「と言うことは、考えていることがすべて分かってしまうと言うことか」
「今、頭の隅で『Hしたい』って考えてるでしょ」
全く、がっくりくる。
「さっきと話しが違うじゃないか!まぁ、いいや。頼むから先行こう」
「立ち直り早いわね。地球人のトランスにも顔や声が違うのと同じように特徴がある。それを知られてしまったの」
「どこで知られてしまったんだい」
「ソラ街近くの公園よ。コンドとトランスするときはバリアを張ったわ、でも洋ちゃんと話す時、地球の言葉で話すつもりがうっかりトランスを使ってしまった」
「ああ、あれは驚いたよ。頭の中で声がする初めての経験だった」
「バリアなしで使ってしまったの、迂闊だったわ。だんだんシクラ人であることを忘れている。あれで私と洋ちゃんのトランスの特徴がウダイに知られてしまったの」
「じゃあ、今も危険なのか?」
「大丈夫、私がバリアを張っているから。バリアの張れる範囲は目の届く範囲程度だけどね」
「見つかったらどうなる」
「当然やって来る。悪いけど力ではムリ。洋ちゃんでは歯が立たない。だから見つからないように私のバリアの中にいる必要があるの。ウダイは、洋ちゃんが私と一緒にいることを知っている。もし見つかったら、頭の中を覗き私の情報を手に入れようとする」
「それからどうなる」
「普通は、会った記憶を消して開放するわ。証拠は残さない。でも今回は違う。上手く言えないけど、強烈な殺意を感じる。『殺すことが目的であり喜び』コピーの力が強くなっているのかも知れない。何をコピーしたんだろう」
「まずい話だな」
洋介は冷えた紅茶を一気に飲み干した。香がなく苦みだけが残った。
結衣は、両手でカップを握りしめている。
「洋ちゃん別れようか。荻窪で再会してから今までの私の記憶を消してしまえば、ウダイに見つかっても殺されないかもしれない」
「君は、どうする」
「帰還船の期日が迫って来ている。勝負は避けられない。こちらもトランスを発信して勝負をかける。ウダイの目的は私で洋ちゃんではないわ」
結衣の声が少しかすれた。
洋介は、結衣の手包む様に握るとその眼を見詰めた。
「なあ、ひとつ教えてくれないか」
「なに」
「結衣の姿と記憶をコピーしたんだろ」
「うん」
「その時、そう最期の時、結衣は何て言っていた」
キリにその時の情景が蘇ってきた。
表情や動作の一つひとつまでが鮮明に浮かんでくる。
結衣は、病院のベッドで短い人生の最期を迎えていた。
命が尽きる時、人は今一番会いたい人のことを心に描く。
キリの胸がやり切れない悲しみで満たされた。
下を向き空いたカップを見詰める。
声が震えた。
「こう言っていたわ『洋ちゃん、先に逝ってごめんね』って」
洋介は、嬉しかった。
結衣は、最期まで自分を思ってくれていた。
洋介の心が温かいもので満たされた。
洋介は、もう一度結衣を見詰め、結衣の両手を包み込むと力強く答えた。
「結衣、お前はキリかも知れない。でもオレには結衣なんだ。心の底から愛した、たった一人の女性(ひと)なんだ。忘れよう、忘れようとしても何時も心の中にいる。たった一人の女性なんだ。何故、もう一度別れなければならないんだ。オレは、今を受け入れる。2人で今に向かってみよう。そしてオレは、オレはお前を必ず星に戻してみせる!」
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